14-22 ルサルカと『癒やしの水』
夜の間は何ごともなく、新しい朝が来た。
希望の朝かな、などと『謎知識』の言葉に耳を傾けながら、ゴローは朝食の準備を進める。
今日の献立は……朝粥、ジャガイモとタマネギの味噌汁、キュウリの漬物、半熟卵、それにほうじ茶。
サナには半熟卵の代わりに甘い玉子焼きとなる。
「……ふうん、『ルサルカ』に『癒やしの水』ねえ……」
朝食後、お茶を飲みながらゴローは、昨夜サナと話したことをハカセにも聞いてもらった。
「あたしにもどうなるか見当はつかないけど、悪いことにはならないだろうね」
最悪でも何も変わらない。
よければ、何かが起きる……その何かがなにかはわからない。
ということだった。
何しろ、これまでに『癒やしの水』を妖しに使ったことがないからだ。
「まあ、様子を見がてら、ちょっと池へ行ってきます」
「気を付けるんだよ」
「はい。サナとは念話で連絡を取り合いますから」
「それがいいね」
ということで、『癒やしの水』0.5リルを入れたビンを持ち、池へ向かったゴローである。
* * *
「ということで、池に来てみたわけだが」
独りごちるゴロー。
「『ルサルカ』、いるかな?」
その呟きが聞こえたのかどうかはわからないが、池の中央部に『ルサルカ』が顔を出した。
といっても、鼻から下は水の中。
水面に浮かびつつ、ゴローをじっと見つめている。
「あ、いたいた」
そう呟いてから昆虫採集じゃないんだから、と心の中でセルフツッコミを入れるゴロー。
「えーっと……久しぶり?」
小さく手を振ってそう声を掛けるが、『ルサルカ』は黙ってゴローを見つめるだけ。
「ええと……いるかい?」
手にした『癒やしの水』が入ったビンを見せるゴロー。
水の匂いでも感じ取ったか、『ルサルカ』の目が少しだけ見開かれた。
そして、ゆっくりとゴローのいる岸辺へ近付いてくる。
……が。
岸から3メルほどのところで停止し、それ以上近付いては来なくなった。
ゴローが手招きしても駄目。
「うーん……」
どうすればいいか、考え込むゴロー。
そして1つの結論に達する。
「それじゃ、このビンはここに置くから、自分で取りにおいで」
と呼びかけ、岸から30セル……水中からでも手を伸ばせば届くような場所に、ゴローは『癒やしの水』が入ったビンを置き、2メルほど後ろへと下がった。
すると、ゴローが下がった分だけ『ルサルカ』は近付いてくる。
「もう少し下がるか」
さらに1メル下がると、『ルサルカ』も近付いてきて、ついに岸辺に手が届く距離となる。
が、そこまで。
ゴローはさらにもう1メル下がった。
すると『ルサルカ』は顔を少しずつ水中から出し始めた。
鼻が全部出て、口も見えるようになる。
顎が出、肩が水から出た。
これで、手を伸ばせばビンに届くようになった。
おずおずと『ルサルカ』はビンに手を伸ばし、ついにそれを掴んだ。
蓋の開け方はわかるのかな、というゴローの危惧は必要ないようで、器用に蓋のコルク栓を外す。
そしてゆっくりと口に近づけ、一口、『癒やしの水』を飲んだ。
「……!!!」
よほど美味かったのか、その後はラッパ飲みで一気に全部飲み干したのである。
「おお、飲んだ」
ぶっかけようと思っていたが、飲んだなら飲んだで、その効果が気になるゴロー。
そしてそれは唐突に始まった。
青白かった顔色の血色がよくなり、頬に赤みがさす。
ばさばさだった黒い髪の毛の艶がよくなる。
そしてなにより……。
「……あり、がと」
声を発したのである。
「いや、なに」
とっさに、それだけを返したゴローである。
「……わ、たし、きがついたら、ここに、いた」
「……そ、そうなのか」
「このまえ、あなた、に、からみついたの、ごめん、なさい」
「いや、もういいんだ」
「きょう、この、おみず、もらえて、いしきが、はっきり、した」
「そうだったのか」
やはり『癒やしの水』は効果があったな、とゴローはほっとしていた。
「もう少し飲みたいなら、また持ってきてやるけど」
「ほん、と?」
「ああ。いるかい?」
「くれるなら、ほしい」
「よし。ちょっと待ってろよ」
「うん」
どうやら『ルサルカ』は友好的な妖しのようだとわかって、ゴローはもう少し助けてやろうという気になった。
そこで、屋敷に急いで帰ることにする。
〈サナ、……というわけだ〉
〈うん、つまり『ルサルカ』は、味方になる?〉
〈多分な。だから、『癒やしの水』を用意しておいてくれ〉
〈わかった〉
『念話』でサナに連絡し、『癒やしの水』を用意しておいてもらう。
それならすぐにとんぼ返りで池へと向かえるからだ。
……と、思ったら。
「ゴロー」
「サナ!?」
屋敷に戻る途中で、ばったりサナと出会った。
「持ってきた。このほうが早いと思って」
と言いながら、『癒やしの水』0.5リル入りのビン4本の入った手提げ袋を差し出すサナ。
「まあ、確かに早いな。助かったよ」
ゴローは笑ってそれを受け取る。
「サナも一緒に行くか?」
「うん、行ってみる。屋敷には『屋敷妖精』のマリーが、いるし」
「そうだな。よし、行こう」
そういうわけで、ゴローとサナは2人して池へと向かった。
* * *
池には、上半身を水から出した『ルサルカ』が待っていた。
そしてサナの姿を見つけると、
「あ、このあいだの……」
と言って水に潜りかける。
ゴローはそんな『ルサルカ』に、
「待ってくれ。サナは俺の仲間だ。何もしないよ」
と慌てて声を掛けた。
それで『ルサルカ』は、逃げるのを思いとどまる。
「ほん、と……?」
「ああ、ほんとだ。ほら、水も持ってきたぞ」
そう言って、手提げに入ったビンを見せる。
「うれ、しい……」
『ルサルカ』はそう言うと、ほんの少しだけ微笑んで、手提げごと受け取った。
そして0.5リル入りの『癒やしの水』を2本、一気に飲み干した。
「……おいし、かった」
すると、ぼろぼろだった服(というよりまとっていたボロ布)が、きれいなトーガ(古代ローマの男性が着用した、ゆったりとした外套)のように変化した。
ということは、あれは本体の一部ってことなんだろうなあ、と思うゴローである。
そして、水の中にしかいられないのかと思われた『ルサルカ』だったが、ちゃんと2本の足で岸辺から陸上へ上がってきたではないか。
「あり、がとう。これで、わたし、いえ、に、かえれる」
「そうか、よかったな」
「これは、かえす」
まだ『癒やしの水』が2本残った手提げをゴローに返そうとする『ルサルカ』。
だがゴローは、それを受け取る気はなかった。
「いや、それはあげるよ。この先、必要になるかもしれないし」
「いい、の?」
「ああ」
ゴローが頷くと、『ルサルカ』は、今度こそはっきりそれとわかる笑顔になった。
「うれ、しい。……こんなにしんせつにして、もらったの、はじめて」
「そうなのか?」
「うん。……みんな、わたし、を、こわがる、から」
まあ、最初に出会ったときはちょっと怖かったなあと思い出すゴロー。
「帰るって、どこへ?」
そんなゴローを尻目に、サナが『ルサルカ』に尋ねた。
「わたしのすんでたところ、もっと、あっち」
そう言いながら西の方向を指で指す『ルサルカ』。
「なんであなたは、ここに来たの?」
「わかん、ない。きがついたら、ここのいけの、なかにいて、そっちのひとをひきずりこもうと、してた」
あ、これは、もう少し聞いてみれば有益な情報が得られるかもしれない、と悟ったゴローであった……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月11日(木)14:00の予定です。
20250904 修正
(誤)「まあ、確かに早いな。確かったよ」
(正)「まあ、確かに早いな。助かったよ」




