14-19 水妖
ゴローの足を掴み、水中に引きずり込んだ『何か』。
一旦水中に引きずり込まれかけるゴローであったが、命綱を付けていたおかげで、ゴローとサナ2人の力によって白日のもとにさらされることになる。
「……水死体?」
黒く長い髪をした、痩せた女性のようである。
が、その肌は蒼白で、髪が絡まって顔も定かではない。
痩せた、と表現したが、実際にはがりがりで、骨と皮だけのようだ。
ぼろきれのような布を身にまとっている。
それが、ゴローの右足首をしっかりと掴んでいた。
「……まだ手を放さないぞ……」
陸に上がってきたゴローは、さらに水辺から離れたが、その右足首には妖かしが縋り付いたまま。
が、『強化』を掛けたゴローの力には抗えず、ずるずると引き摺られるまま。
「しつこいな……でももう何もできないだろう」
そしてゴローは池からはもう10メル以上離れたので、その掴んだ指を1本1本開いていった。
「うううう……」
意味のない唸り声を上げる妖かし。
陸上ではうまく動けないのか、じたばたと藻掻くだけである。
「サナ、どうすればいいかハカセに聞いてみてくれ」
「……もう、聞いた。『浄化』を掛けてみろ、って」
「なるほど」
この妖かしもまた、『呪具』による『穢れ』の影響を受けている可能性がある。
ならば『浄化』で元に戻せるかもしれないわけだ。
「……やってみよう。……καθαρση『浄化』!」
効果は覿面で、真っ黒だった髪の色が抜け、暗緑色に変化した。
蒼白だった肌の色も、少しだけ血色(?)が戻ってきたようである。
「あ、ぐうぅぅぅ……」
依然として唸り声を上げる妖かし。
「ゴロー、水に戻りたいんじゃない?」
妖かしは池の方に向かって這っていこうとしているように見える。
「うーん、そうかもしれないけど、今の池はまだ浄化していないからな」
「なら、早く浄化しよう」
「そうだな。……やるぞ、サナ」
「うん」
2人は池の畔に立ち、浄化魔法を行使する。
「……καθαρση『浄化』!」
「καθαρση『浄化』!!』
が、ゴローとサナが1回ずつ掛けたのでは、池の広さに対し不十分だったようだ。
「よし、連続で行く。……καθαρση『浄化』……καθαρση『浄化』!……καθαρση『浄化』!!……」
「καθαρση『浄化』……καθαρση『浄化』!……καθαρση『浄化』!!……」
連続で5回ずつ『浄化』を掛けた。
2人合わせ、合計で12回となる。
が、まだ足りないようで、水の濁りが残っている。
「まだまだ行くぞ! ……καθαρση『浄化』……καθαρση『浄化』!……καθαρση『浄化』!!……καθαρση『浄化』!!!」
「わかった。……καθαρση『浄化』……καθαρση『浄化』!……καθαρση『浄化』!!……καθαρση『浄化』!!!」
更に2人合わせて8回、総計で20回の浄化魔法を掛けた。
これにより、池に残っていた『穢れ』も、ようやく綺麗さっぱりと浄化されたのであった。
「これなら、この『妖かし』を水に戻しても大丈夫だろう」
「うん。……で?」
「…………あー……」
その妖かしは干からびかけたカエルのように、地面に倒れたままである。
「しょうがない、運んでやるか」
妖かしからはまだ水が少し滴っていたが、水に濡れついでだ、とゴローは、構わず抱き上げて池へと運んでいく。
そして水辺に着いたので、そっと足から水に浸してやった。
すると妖かしは正気づいたのか、自分で水中にずるずると潜っていく。
そして頭が没する直前に、ゴローの方をちらっと見たかと思うと、次の瞬間にはつぷりと水中に消えていったのである。
「……ふう」
「ご苦労さま、ゴロー」
「……なんか疲れたよ」
「洗ってあげる。……『水・しずく』」
サナは魔法で水を出し、泥がついたゴローの身体をきれいにする。
魔法で出した水なので、時間が経つと消えてしまうのだが、まだなんとなく湿っている感じがしたため『水・乾かす』も使って乾燥させた。
「ありがとう。さっぱりした」
「うん」
ゴローは服を着直すと、『呪具』を厳重に布で包んでから。サナとともに屋敷へ戻ったのである。
* * *
「お帰り、ゴロー。大変だったようだね」
「そうなんですよ……」
「まあ、その話は後で聞くよ。まずは『呪具』の始末だ」
「はい」
こっちへおいで、と言ってハカセはティルダの工房へとゴローを招いた。
そこにある作業台には紙が敷かれ、その紙には魔法陣が描かれている。
「浄化の魔法陣だよ。この上にその『呪具』を置くといい。完全な浄化はできずとも、周囲への影響はなくなるだろうから」
「はい、ハカセ」
言われたとおり、ゴローは『呪具』の包みを魔法陣の上に置き、くるんでいた布を取り除いた。
『呪具』の全貌があらわになる。
「ふん……やっぱりこれは『呪具』で間違いないね。それも、相当たちの悪いやつだ」
「そうなんですか」
「ああ。幾重にも負の影響を周囲に与えるような作りになっているよ」
ハカセは表面に刻まれている魔法文字を見ながらそう言った。
「しかもこの材質……『穢れた金属』を使っているようだねえ」
「穢れた金属ですか? そんなものがあるんですか?」
「それがあるのさね。まあ説明はあとにして、封印するよ」
「は、はい」
「サナ、鉛を頼むよ」
「はい、ハカセ」
サナからの連絡を受けたハカセは、既に炉で鉛を溶かして準備を整えていた。
素焼きの壺も用意されており、そこへサナが、溶けた鉛を鉄の柄杓で半分くらいまで注ぐ。
「ゴロー、『呪具』を入れておくれ。ああ、魔法陣の紙にくるんでいいから」
「はい」
言われたとおり、ゴローは魔法陣が描かれた紙とともに『呪具』を壺に投入。
サナが残りの鉛をそこへ注ぐ。
あとは冷えて鉛が固まれば封印完了だ。
「これでよし。もう心配はないよ。明日の朝には冷えているだろうしね」
「はい、ハカセ」
* * *
あとは、これで済んだかどうかの確認である。
「気脈の『穢れ』は、もう感じられないみたいだね」
『屋敷妖精』のマリーや、『木の精』のフロロにも確認してもらい、危機は去ったことが確信できた。
「ああ、これでほっとしたよ」
「ハカセ、ありがとうございました」
* * *
『穢れ事件』もなんとか解決したので、少し早いが夕食にする。
『屋敷妖精』のマリーが用意してくれたのは、白いご飯、ジャガイモとタマネギの味噌汁、豚肉のショウガ焼き、カボチャの煮物、それにお新香。
「ほっとしたらお腹が空いたよ」
とはハカセの言葉。
そして食後、ほうじ茶を飲みながらゆっくりと話をすることに。
ゴローは、池であったことを説明した。
「ふうん、『呪具』を拾いあげたあと、そんなことがあったのかい」
「はい。ハカセ、あれは何だったんでしょうか。『水の妖精』じゃあないですよね?」
クレーネーとは似ても似つかなかったし、とゴロー。
「水妖だねえ。……うーん、もしかしたら『ルサルカ』かもしれないね」
「ルサルカ?」
「うん。それが『穢れ』に当てられて黒く染まったんじゃないかねえ。……で、『呪具』を持ち去ったゴローにまとわりついた」
「一応説明はつきますね」
「実際に見たわけじゃないから、半分想像だけどね」
『ルサルカ』は『ルサールカ』ともいい、水の精霊である。
が、精霊というよりは幽霊のようなもので、水の事故で死んだ女性や、洗礼を受ける前に死んだ赤ん坊などがルサルカになるという伝説もある。
つまり、『穢れ』を取り込みやすい出自を持っているのだ。
ゆえにハカセが『ルサルカ』ではないか、と想像したわけである。
「まあ、『浄化』をしたんだから、もう大丈夫だろう」
「でも、あの池にそんな水妖がいたんでしょうか?」
「それをあたしに聞かれてもねえ」
「それもそうですね」
「明日、フロロに聞いてみる」
「それがいいだろうね」
そして話は『呪具』のことに。
「ハカセ、『呪具』ですが、封印するんじゃなく、壊したら駄目なんですか?」
表面の魔法文字を削り取るなどすれは効果がなくなるのでは、とゴローは言った。
「確かにそれをやれば『呪具』は効果を発揮しなくなるけどね、危険も伴うのさね」
「危険、ですか」
「そう。壊した途端、中に溜め込まれていた『穢れ』が一気に噴き出す可能性が高いからね」
「ああ、それは危険ですね」
「だろう? それに、アレくらいの『呪具』になると、生半可な『浄化』も効かないからね。というか、浄化する端から穢れていくからキリがないんだよ」
だから封印するのが一番なのさ、とハカセは結論付けたのであった……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は8月21日(木)14:00の予定です。
20250814 修正
(誤)あとは冷えて鉛が固まれは封印完了だ。
(正)あとは冷えて鉛が固まれば封印完了だ。