01-33 身分証
一夜が明けた。
ゴローは1人でもう一度シャロッコの店を見に行ってみたが、家宅捜索のようなことが行われており、近付くことができなかった。
戻ってそう報告すると、
「……どうなるんでしょう……」
ティルダは証文の行方がわからないので不安そうだ。
そこでゴローは、
「さっき聞いた話だと、証文の持ち主に正当な利息での支払い要求が来るって話だったぞ」
と、ほぼ真実を伝えてやった。
「え、そ、そうなのです?」
「うん。正当な利息っていうと、1年で1割か2割くらいかな?」
「確か、そのくらいなのです」
「だとすると、ティルダが借りた元金って、2000万シクロくらいか?」
「はいです」
「マジか……」
5割も利子で持って行かれているとは……と、あらためて高利貸しの欲深さを思うゴローであった。
そうした通知が来るにしても翌日以降なので、その日は工房の片付けと、建物使用の権利の譲渡手続きをすることにした。
片付けの方はあらかた終わっているので、建物の権利譲渡手続きだ。
「ゴロー、一緒に行ってあげて」
「わかったよ」
サナはそうした書類の手続きのような面倒くさい仕事は嫌いなようだ。
「ゴローさん、すみませんなのです」
「いや、いいよ」
ゴローとしても、この世界を少しでも理解するために、こうした機会はありがたいのだから。
「で、どこへ行くんだ?」
「はい、こうした物件を扱っているのは『家屋斡旋組合』というところなのです」
「ふうん」
言葉の響きからすると、不動産業のうち建物を扱う組合のようだ、とゴローは感じた。
「土地斡旋組合、っていうのもあるのか?」
「ありますです。そっちにも行く予定なのです」
「そっか」
おそらく併せていわゆる不動産屋的な業務になるのだろう、と謎知識を参照したゴローは1人納得していた。
* * *
手続きは事務的な問題だけで、滞りなく終わった。
「はい、これで終了です。10日後までに建物を明け渡してください」
「わかったのです」
念のため、明け渡しは10日後まで、としている。万が一、出立前に返却期限が来たら宿無しになってしまうからだ。
そして、土地の返却も同様に問題なく終了。
返却したことでティルダの手元には500万シクロが戻ってきた。
権利を買う時は1500万シクロが必要だったこと(あとの500万シクロは道具や家財)を考えると、3分の1になってしまうというのはいかにも勿体ない、とゴローは思ったのである。
それでも、今の時点で500万シクロという現金が手に入ったことは大きい。
「お金、落とすなよ」
「はいなのです」
『家屋斡旋組合』や『土地斡旋組合』から出てきたということは大金を持っている可能性があるということ。
もちろん、払ってきたため懐は空という可能性もあるのだが。
「ほら来た」
「は?」
背後から近付いていた男が、わざとティルダにぶつかるような歩き方をしていたので、ゴローは咄嗟にティルダを引き寄せる。
するとその男は目標を失ってバランスを崩したが、何食わぬ顔で立ち直り、すたすたと歩き去っていった。
「ゴ、ゴローさん?」
「ああ、ごめん」
ゴローに引っ張られ、ティルダもバランスを崩した体勢……つまり、ゴローの腕にぶら下げられているような格好になっていた。
「今の奴、スリかもしれなかったからな」
「え、え、え!?」
「……未遂だからスリって断定できないかもだが」
現行犯ではないので、おおっぴらにスリ呼ばわりして名誉毀損で訴えられたら嫌だな、などと謎知識が囁いていたようだ。
それからはさらに周囲に気を配って帰った2人だった。
* * *
「ただいま」
「あ、お帰りなさい」
「え?」
ゴローとティルダが工房に帰ると、マッツァ商会の倅、アントニオがいた。
「身分証ができましたんで持ってきたんです」
「ああ、そうだったな」
先日、マッツァ商会で王都シクトマの話を聞いた際、王都シクトマに入るには身分証が必要で、それは用意してくれる、という話だったことを思い出したゴロー。
「これがゴローさんのです」
サナは既に受け取っていて、掲げてゴローに見せた。
身分証は、おそらく真鍮製のプレートで、大きさは名刺くらい、厚みは1ミルほど。
『ゴロー』と名前が彫られており、人種はヒューマン、国籍はルーペス王国になっていた。
(人種も国籍もこれでいいのかな?)
と思うゴローであったが、特に不都合もないだろうと、それでよしとする。
そして身元保証人としてマッツァ商会の名前があった。個人よりもこうした組織や団体の方がより信用されるそうだ。
「裏面は何も彫られていませんが、王都で住所を定めたらそこに記録されます」
「ああ、なるほど」
「ちなみに、商人はこれです」
アントニオが見せてくれたのは銀色のプレートだった。
「銀のプレートは信用ある商人にしか発行されません」
「……それを持っているということは、アントニオもシクトマへ行くのか?」
ゴローの問いにアントニオは頷いた。
「ええ。今度、王都の店を拡張することになって、俺……私が店長になったんですよ」
「そうなのか、おめでとう」
「ありがとうございます」
おそらく今回の巨大な『アレキサンドライト』を納品する、その功績もあるんだろうな、と推測したゴロー。
「あ、そうなると、保証人になってもらっている以上、俺たちは迂闊なことできないな」
仮にゴローとサナが罪を犯した場合、保証人はどうなるのか、気になるので聞いてみた。
「あまり想像したくないですが、移住した場合、1年以内ですと保証人にも責任が負わされます。1年を越えて3年は叱責から軽い罰金で、それ以降は免責ですね」
永久に責任を負い続けるわけではない、ということだ。
「それ以前に、商売を始めるとか、雇われるとかしたらプレートが変わりますからね」
一般住民は銅のプレートになり、その際保証人も変更できるのだそうだ。
「勤めるのなら勤務先が保証人になるのが普通ですし、1年過ぎてその間大過なく過ごしていれば保証人なしでも身分証は発行されますよ」
保証人なしの身分証は鉄のプレートで、住民として受けられる恩恵も最低限だという。
「その恩恵って?」
「就職や起業時の身分審査が厳しくなるんですよ」
余程の能力がないと雇って貰えないだろうとアントニオは言った。
「なるほどな。あ、あともう1つ。過去に犯罪を起こしたような者はどう扱われているんだ?」
「住民としてのプレートは剥奪され、前科者のプレートになりますよ」
「ふうん……」
ここでサナが口を開いた。
「他人の身分証を盗んで使ったら、どうなるの?」
確かに、顔写真がないのでそうした偽装はしやすそうだ、とゴローも気になった。
「ばれたら厳罰が待っています。最悪死刑、あるいは終身奴隷墜ちですね」
「厳しいな。でも、偽装を見分ける方法は?」
ゴローが問いかけた。
「最初に使う際、指紋を採られます」
魔法を使い、右手親指の指紋を身分証の裏に転写するのだという。
「なるほど。それなら偽造は難しいか」
と、サナがゴローに尋ねる。
「どうして難しいの?」
「え? ああ、人間の指紋って、1人1人違っているんだよ。だから個人の識別に使えるんだ」
「……ふしぎ」
だが、それでサナは納得してくれたようだった。
ちなみに、ゴローにもサナにも、ちゃんと指紋はある。ハカセはそういうところも疎かにはしていなかったのだ。
* * *
「どうぞ、お茶なのです」
「ああ、ありがとう」
アントニオとの話が一段落ついた頃を見計らったのか、ティルダがお茶を出してくれた。
「そういえば、ティルダは身分証を持っているのか?」
「はいなのです」
そう言って懐から取り出したのはゴローたちと同じく真鍮のプレートだった。
「見てみます?」
「うん。いいのか?」
「どうぞ、です」
いいと言うのでティルダの身分証を受け取ったゴローは表と裏をざっと見てみた。
名前はティルダ・ヴォリネン。人種はドワーフ。1901年生まれ。金属加工職人。
「……ん?」
何か引っ掛かる情報があった。
「どうしたのです?」
「……ええと、今年って、何年だっけ?」
「1962年ですが」
アントニオが答える。
「ティルダの生まれた年は1901年。ということは、ティルダって61歳だったのか!?」
衝撃の事実に絶句するゴローであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月24日(火)14:00の予定です。