12-10 減圧魔法
いつもより若干、いやかなり速いペースで昼食を平らげたハカセは、食後のお茶もそこそこに、研究室へと戻っていった。
ゴローとサナも、心配なので様子を見に行く。
「さあて、どうしようかねえ……」
そのハカセは考え込んでいた。
例の『浮く円盤』を真空中に入れて実験をするにはどうしたらいいか、考えていたのだ。
そういう時には『謎知識』の出番である。
「ハカセ、透明な容器に円盤を閉じ込めて、中の空気を抜けばいいんですよ」
「……ゴロー、それはいいねえ。抜くにはどうするかねえ?」
「そういう魔法を、作る」
今度はサナが答えた。
「面倒だけどそうしたほうがいいかねえ」
「『急がば回れ』って言葉があるそうですし」
「それも『謎知識』かい? なるほど、いい加減な実験をするより、ちゃんと準備を整えて行ったほうがいいかもしれないね。わかったよ」
ということでハカセは、まず真空を作り出せる魔法の開発に取り掛かった。
基本となるのは防御系魔法の『無音』だ。
「真空中は、音が伝わらないんだよね、ゴロー?」
「ええ、そうです」
「だとするとこの『無音』という魔法は、部分的に真空を作り出して音を伝えないようにしているんじゃないかと思うんだよ」
「そうかもしれませんね」
「だから、これをちょっと改造して……気圧を下げて……『脱水』も応用できそうだねえ……そうするとこう、かねえ……」
元になる魔法があったとはいえ、ハカセはわずか30分で新しい魔法を作ってしまった。
「これで『減圧』ができたよ」
「凄いですね、ハカセ……」
「でも、ちょっと使い勝手が悪いから、いずれ修正したいんだよねえ」
「どう悪いんですか?」
「なんというかねえ……使い方を説明すればわかるかねえ」
ということで、ゴローの質問に対し、ハカセは『減圧』の使い方を説明する。
「密閉できる容器……まあビンでもいいかね。それに『減圧』を掛ける」
「はい」
「5秒以内に密閉する」
「はい」
「そうすればビンの中はほぼ空気がなくなるはずさ」
「……どういう原理なんですか?」
「理屈は簡単だよ。ビンの中を、魔法で作った空気で満たすのさ」
「ああ、なるほど」
魔法で作った(出した)空気や水、氷などは、時間とともに霧散、消滅する。
おそらく『マナ』に戻ってしまっていると考えられる。
だから通常の水属性魔法で出した水は飲用には使えない。空気も同じで、魔法で出した空気を呼吸することはできない。
ハカセは、この性質を逆手に取ったというわけだ。
実際に、水蒸気で満たした後冷却して水にすることで減圧する方法は現実にもある。
「密閉した容器の中をいきなり真空にできると使い勝手がいいんだけどねえ」
「化合……させても残りますしねえ」
『謎知識』が、酸素は鉄などと反応させて酸化物にすれば減圧できるだろうが、窒素は難しく、希ガスはさらに難しいと言っている。
(でもまあ、希ガスはいくらもないし、二酸化炭素は水に溶かせるけど、やっぱり空気中には少ない。かといって窒素を反応させるのは面倒くさそうだし……)
「まあいいさ。まずは実験だよ」
「それもそうですね」
頭を切り替えたハカセは、『浮く円盤』の実験を開始する。
まずゴローは『浮く円盤』を例のナイフで小さく切り分ける。
もとの浮く力は50キムくらいだったが、半分にしたら25キムくらいに減り、さらに半分にしたら12.5キム。
それをもう少し小さくし、だいたい2キムくらいの浮力に調整。大きさとしては元の25分の1だ。
「このあたりは比例しているね」
「そうですね」
「これならまあ、実験に使えるよ」
大きめのガラス容器に『浮く円盤の欠片』を入れる。入れ方はビンの口を下にして、だ。
そうすると『浮く円盤の欠片』はビンの底……今はビンの天井に張り付く。
そこにハカセは『減圧』を掛け、蓋を閉めて密閉した……すると。
「おお、浮かなくなったねえ!」
「成功ですね、ハカセ」
『浮く円盤の欠片』はビンの底……今は蓋……に落下したのである。
「じゃあ、蓋を緩めて空気を少し入れてみるよ」
「はい」
難しい操作だったが、ねじ込み式の蓋なのでなんとか空気を少し入れることに成功した。
「おお、少し浮き始めたよ」
ビンの中の『浮く円盤の欠片』はふよふよとビンの中を漂い始めていた。
もう少し空気を入れると、完全に浮き上がるようになったのである。
「これで、空気を抜けば『浮く円盤』は浮かなくなることがわかったねえ」
「よかったですね、ハカセ」
「うん。あとはどうやって浮く力を調整するかだねえ」
「ですね。あと一歩ですよ」
これに関しては、サナがアイデアを出した。
「ハカセ、『浮く円盤』を別の容器に内蔵して、その容器内の空気圧を変更したら?」
「ああ、そうか。サナ、冴えてるねえ。いいかもしれないよ」
その場合、問題になるのは容器内の空気をどうやって抜くか、また充填するかであろう。
それについて、今度はゴローがアイデアを出す。
「ハカセ、完全な真空にしなくても、気圧が下がれば浮く力も下がるのがわかってますから、容器をシリンダーとピストンにしておいて、ピストンを動かして気圧を変えるというのはどうでしょう?」
注射器を想像してほしい。
注射器の先を塞いでおき、ピストンを引っ張れば内部の気圧は下がる。逆に押し込めば気圧は上がるわけだ。
「うんうん、いいかもしれないねえ。検討の価値アリだよ」
ハカセとしては、アーレン・ブルーが戻ってきたときには建造を開始できるよう、設計だけは終わらせたいと考えていた。
「一番大事なのは『浮くための装置』だからねえ」
「『浮くための装置』……ってことですね」
「レビテータ、か、いいじゃないか。ゴロー、『浮くための装置』、今後は『浮くための装置』って呼ぼうかねえ」
「それはいいですけど……推進器はどうしますか?」
「前にも考えたけど、『魔導ロケットエンジン』でいいだろうと思うよ」
「そうですね」
「あと、検討すべきことはあるかねえ?」
「でっかい機体になりますから、加工結界機もでかいのが必要になるんじゃないでしょうか」
「確かにねえ。広げた工房内に設置しておくとよさそうだね。アーレンが戻ってくるまでにやっておこう」
こうして1日中、やっておくべきことを次々に片付けていくハカセであった。
* * *
翌日はまた雪であった。
ハカセはまる1日、あれこれと『浮くための装置』の制御方法を考えていたようだったが、いい案は出なかったようである。
ハカセにしては珍しいな、とゴローは思い、3時のティータイムにはとっておきのプリンを出した。
なぜとっておきかというと、もう卵がないのである。
今度アーレンを迎えに行った際に持ってこないといけないのだ。
そして、今回のプリンは一味違う。
「……なんだい、この味は! すごく美味しいよ、ゴロー!」
「うん、ゴロー、これ、おいしい」
「ゴローさん、美味しいのです」
「美味しいですよ、ゴローさん。これ……もしかしてコーヒーの香りですか?」
「ヴェルシア、正解だ」
先日手に入れたコーヒー豆を少しだけ、度の強いブランデーに漬けておいたのである。
できあがったのは『コーヒーリキュールもどき』。
要するにコーヒーの香りをアルコールに吸わせたものだ。
これはプリンのカラメル代わりに掛けると、好みはあるだろうが、殊の外美味しい。
できれば、ジンやウォッカ、ホライトラム、ホワイトリカーなど、度が強くて癖の少ない酒に漬けるのが望ましい。
それでも、ちょっと変わったプリンの味わいに、皆満足したのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は3月7日(木)14:00の予定です。
20240229 修正
(誤)「『急がば回れ』て言葉があるそうですし」
(正)「『急がば回れ』って言葉があるそうですし」