11-26 プラスチックの代替品
結局、ハカセは今夜は泊まっていくことになった。
それで夕食後、時間があるのでナイロン毛虫の検証を行うことにする。
「この塊を砕く……のは難しいから削り取ろうかね」
ナイロン毛虫の素材は軟らかく粘りがあるので、ハンマーで叩いても砕けないのだ。
「それじゃあ手伝います」
ゴローが持っている『古代遺物』のナイフは、触れるものを何でも切り裂いてしまう。
硬いものでも軟らかいものでもお構いなしだ。
今のところ、通用しない素材はない。
「そうだねえ……200グムくらいあればいいよ」
「わかりました」
ナイロン毛虫の素材をナイフで削っていくゴロー。ちょっとゴボウの笹掻きに似ている。
「ありがとうよ。……これを坩堝に入れて弱火で熱する、と。ヴェル、これでいいかねえ?」
「はいハカセ、いいと思います。じきに溶けてしまうと思いますので、かき回してゴミを取り除きましょう」
やや黄色みがかった乳白色だった素材は、坩堝の中で溶け、透明に近くなった。
同時にゴミが浮いてくるので、ピンセットでつまんで取り除く。
ちなみにティルダ謹製の高精度のピンセットである。
「こんなものかねえ」
そして熱することで不純物の何割かは蒸発してしまい、ほぼ透明となった。
「それじゃあこれも丸棒と薄板にしてみて……と」
セラックと同じように、型に流し込んで大雑把に丸棒と板を作ってみた。
それが冷えて固まれば、いよいよ実験である。
「あ、軟らかくて弾力がありますね」
丸棒を曲げてみたゴローが言った。
「なんとなく、ナイロン感というかポリエチレン感というか……があります」
『謎知識』に教えられ、そう答えるゴロー。
「ふうん? 『謎知識』がそう言っているのかい。なら、使えると思っていいのかねえ?」
「はい、ハカセ」
これで『スチロール樹脂』と『ナイロン樹脂』(あるいはポリエチレン?)の代替品が手に入ったわけだ。
今後、ハカセが製作するであろうさまざまなもの、それらに大いに役立つであろうと思われた。
「ああ、これでゆっくり寝られるよ」
「ええ、ぐっすり休んでください」
そこへ……。
「よろしければ、どうぞ」
『屋敷妖精』のマリーがホットミルクを持ってきてくれた。
「おお、こりゃありがたい。いただくよ」
もう秋も大分深まり、夜ともなると気温も大分下がってくる。
そんなとき、ホットミルクはありがたい。
「よく眠れそうだよ。マリー、ありがとうよ」
「どういたしまして」
その夜、ハカセはいつになくぐっすりと眠れたという。
* * *
翌日、ゴローは『マッツァ商会』へ素材の報告と追加購入の話をしに行く。
その際、昨日作ったサンプルとレシピも持っていくことにした。
「ゴロー、とりあえず買えるだけ買っておいておくれ」
「わかりました」
『セラック』も『ナイロン毛虫』も、この次はいつ手に入るかわからない貴重な素材である。
ハカセが欲しがるのも無理はなかった。
「おお、ゴローさん、ようこそ!」
いつものようにオズワルド・マッツァはゴローを歓迎し、一番いい応接室へと案内した。
「まず結論から申し上げますと、『セラック』と『ナイロン毛虫』は、どちらも使い道がわかりました」
「おお! それは朗報です!」
「それでですね……」
「ふむふむ、なるほど……」
ゴローはサンプルとレシピを出し、オズワルドに説明をした。
「おお、『セラック』は塗料の他にも防水に使えるのですね」
「ええ、蜜ロウなどと混ぜる必要はありますが」
「それに『ナイロン毛虫』はそうした素材に……」
「はい」
オズワルド・マッツァはしばらく考えてから口を開いた。
「『セラック』の方が使い道は多そうですね。『ナイロン毛虫』の方は、ゴローさんならいろいろ応用できるのでしょうけれど、今すぐに需要が伸びることはなさそうです」
「うーん、そうかも知れませんね。……それでですね、『セラック』と『ナイロン毛虫』を、譲っていただけるだけ購入したいのですが」
「わかりました。『ナイロン毛虫』の方は、サンプル用に1つを残し、全部。『セラック』の方は1樽を除き、全部お売りしましょう」
「ありがとうございます」
「いえいえ。……それでですね、どちらももう少し入荷できそうなんですが、どうします?」
「予算の許す限り購入しておきたいですね」
「わかりました。確実に売れることがわかっていれば、仕入れるのはやぶさかではありませんから」
こうしてゴローは、『セラック』と『ナイロン毛虫』の素材を大量に買い付けることができたのだった。
* * *
「そうかい、これで当面の樹脂系素材は心配しなくてよさそうだねえ」
「はい、ハカセ」
「それじゃあ今夜、研究所に帰るよ」
「わかりました」
「そろそろ新しいものを作りたいねえ……」
「ハカセならそう言うと思いましたよ」
そしてハカセとゴローは笑いあったのだった。
* * *
そして昼食後。
「……やっぱり『長距離通信』を実現したいよねえ」
お茶を飲みながら、ハカセは溜息を吐いた。
「今の限界は大体10キロだしねえ」
フロロの能力を使い、途中の樹木に中継してもらう、いわば『フロロ通信機』もあるにはあるが、タイムラグが大きい上、砂漠や海の上、それに雪山などでは使えない。
「魔力を放出する方法を工夫すれば、なんとかなる気がしてるんだけどねえ」
「受信も難しそうですよね」
「そうなんだよねえ。でも、難しいからこそ、やりがいがあるよ」
「俺は何もできませんけど、応援してます」
「何を言ってるんだい、ゴロー。あんたの『謎知識』にどんだけ教えられているかわかってるのかい?」
「え……」
「あんたも必要なんだよ。サナも、ティルダもヴェルも、アーレンもね」
ハカセはそう言って明るく笑うのだった。
* * *
そんなのどかな時間は突然破られた。
「ゴロー、いるか?」
ローザンヌ王女の来訪である。
「毎度、すまんな」
いつものように、モーガンも一緒である。
「バラージュとシナージュの紛争に動きがあったからな。知らせに来てやった」
「それは……ありがとうございます」
「うむ」
ゴローは2人を応接間に通し、まずは『カフェオレ』を出してみる。
「どうぞ、お試しください」
かなり甘く味付けした、『コーヒー牛乳』といってもいいくらいの配合だ(カフェオレはコーヒーと牛乳がだいたい半々、コーヒー牛乳は牛乳多め)。
「うん? この飲み物は?」
「『コーヒーミルク』と言います」
「ほう」
ゴローは、まず自分が飲んで見せる。
それを見て、次にモーガンが口をつけた。
「ふむ、甘いが、ほんの少しのほろ苦さと香りがあるな。なかなか美味い」
「そうか」
それを聞き、ローザンヌ王女も一口。
「おお、これは……なかなか美味いではないか。このほろ苦さが、まろやかな甘味を引き立てておるな」
「お口に合いましてようございました」
「で、これは何なのだ? 『コーヒーミルク』と言ったな。つまり『コーヒー』なるものをミルクに混ぜたということか」
「はい、殿下」
ゴローは説明を行った。
南国の産物の1つに『コーヒーの実』というものがあること。
その種を取り出し、焙煎することで『コーヒー豆』になること(ここでは焙煎したコーヒーの種をコーヒー豆と定義する)。
コーヒー豆をすり潰し(挽くというよりわかりやすく表現)、お湯を加えて濾した液体が『コーヒー』であること。
コーヒーは香りはよいが、そのままではかなり苦いので、ミルクを加え、砂糖を足して飲みやすくしたものが『コーヒーミルク』であること。
「おお、なるほど。それは珍しいわけだ! ……で、その苦いというコーヒーも飲めるのか?」
「え? ……お出しできますが……」
「少しでいい、味見させてくれ」
「わかりました……」
ローザンヌ王女たっての頼みで、混ぜもの一切なし……つまり『ブラック』コーヒーを出したゴロー。
モーガンにも同じものを出している。
「これがコーヒーか……ほとんど真っ黒だな」
「はい、苦いと思います」
「どれ」
「あ、殿下」
モーガンが味見する前に、ローザンヌ王女はブラックコーヒーを一口飲んでしまった。
その結果は……。
「うむ、美味いではないか!」
「はい?」
「このほろ苦さがなんとも言えぬ。できるなら製法を教えてくれ。礼はする」
意外にも、ローザンヌ王女はブラックコーヒーがお気に召したようである……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月28日(木)14:00の予定です。
20230921 修正
(誤)『屋敷妖精』のマリーがホットミルクを持ってきれくれた。
(正)『屋敷妖精』のマリーがホットミルクを持ってきてくれた。