01-26 提案
「ただいま」
「おかえりなさいなのです」
ティルダの工房に帰ると、厨房から声が聞こえた。どうやらお昼の支度をしてくれているらしい。
油を引いた鉄板の上に、水で溶いた小麦粉を薄く広げて焼いている。
クレープというより餃子の皮のようだ、とゴローは謎知識で感じている。
(醤油がほしいな……)
とさらに謎知識は訴えかけてくるが、さすがに醤油の作り方は教えてくれなかった。
(でも、『代用醤油』か……それなら作れるかな?)
醸造醤油の作り方はわからなかったが、代用醤油なるものの作り方は謎知識にあったのである。
そんなことを考えていたら、
「できたのです」
と、ティルダが今焼いていたものを皿の上に載せて差し出した。
ちゃんと3人分ある。
「塩味になってます。熱いので気をつけてくださいです」
「うん」
試しに囓ってみると、ぱりっとした感触にほんのり塩味がして、そこそこ美味い。
「簡単にできて、味も悪くないのです」
とティルダ。
「確かにな。これ、生地に刻んだネギとか挽肉とか混ぜたら美味しいんじゃないかな?」
「そういうやり方もあるのです。ただネギがなかったのです」
「……まあ、な」
ゴローが見たところ、ティルダは美味しいものは好きな反面、それほど拘ってはいない。
食事は食べられればいい、という方に7割、美味しい方がいい、という方に3割くらいでそれぞれウエイトが割り振られている感じを受けている。
「……クレープにした方が美味しいんじゃないかな?」
「くれーぷ?」
美味しい、という単語にサナが食いついた。
「食べたい」
「……じゃあ、夜にな」
「なんで?」
不満そうなサナ。だが、
「足りない食材がある」
とゴローが告げると、少し悲しげな顔でサナは頷いた。
「なら、仕方ない」
* * *
「……で、仕事の方はどうだ?」
朝からティルダは『猫目石』を磨いていたはずなのである。
「ふっふっふ、……見て驚いて欲しいのです!」
自信満々に言って、ティルダは箱をテーブルに置いた。
開けてみると……。
「おお! こりゃ凄い」
「きれい」
親指の先くらいの大きさのカボション(石を丸い山形に整えて研磨した形)に磨かれた猫目石が現れた。
色は蜂蜜色。楕円形の山形の長軸方向に、見事な猫目の線が浮き出ている。
「ありがとう、ティルダ。……これって、どのくらいの価値があるかな?」
「うーん……私はあまり詳しくないですけど、1000万シクロくらいでしょうか?」
「じゃあ、1割ということで100万シクロ払おう」
「ふええ!? い、いいのです?」
驚くティルダだが、ゴローは平然と頷いた。
「もちろん。ただ、まだ現金は受け取っていないから、もう少ししてからな」
証文はあるが現金がない。
「そ、それは構わないのです」
明日の朝には、証文を現金に替えられるようになる。
そうすればティルダも、3000万シクロの借金を綺麗に返済することができるのだ。
「で、『猫目石』の破片は研磨し終えたのか?」
「はいです。これなのですよ」
ティルダは、布を敷いた浅い箱を出してきた。そこには、直径5ミルくらいの猫目石が3個、8ミルくらいの猫目石が2個、そして10ミルくらいの猫目石が1個載っていた。
それらは楕円体形ではなく半球形のカボションカットとなっていた。
「おお、綺麗だな」
元になった石と同じく、蜂蜜色の猫目石だった。
「多分、これでも1個20万から100万シクロはするのですよ。本当に、いただいていいのです?」
「いいって言ったろう。正当な技術料だ。ティルダの研磨技術は見事だよ」
「あ、ありがとうなのです」
ゴローの褒詞に、ティルダは少しはにかんで微笑んだのだった。
* * *
話が一段落したので、ゴローは昨夜サナと話した内容をティルダに持ちかけてみることにした。
「なあティルダ、俺たちと一緒にシクトマへ行かないか?」
「えっ?」
「昨夜、サナとも話をしたんだ。俺たちの目的地はシクトマだ。そこがどんな町かはよくわからないが、しばらくは腰を落ち着けようと思う」
ゴローの発言に、隣に座るサナは無言で頷いた。
「で、残念だが俺たちはこっちの常識に疎い。で、ティルダに一緒に来ないか、という話になるんだが」
「え、ええと、お、お抱えの工房、みたいなものです?」
「うーん……そう考えてもらって構わないけど、お抱えじゃなくあくまでも対等な仲間でいたいんだけどな」
対外的にはお抱えで仕方ない、とゴロー。
資金は潤沢にあるので、王都シクトマの物価が少々高くても、家を1軒借りるか買うかできるだろうと思っている。
(まあ、2年くらいは腰を落ち着けてもいいだろう)
世界と自分を知る旅、とはいっても、移動ばかりが能じゃない、とゴローは思っている。
王都のような情報が行き交う場所にしばらく腰を落ち着けるのもアリだろう、と。
「なんと言ったらいいか……そう、この町はティルダにとって、ほら、ケチが付いたわけだからさ」
「確かに……そうかも……しれないです」
「まあ、少し考えて見てくれよ」
「はいです……」
即答えをもらおうとまでは思っていないので、ここのところはゴローも提案のみに留めておいたのだった。
「ところで……」
8ミルくらいの猫目石が2個あったので、ティルダはこれで耳飾りを作ってみたいと言った。
「いいよ」
と答えたゴローは、サナにせっつかれて『足りない食材』を買いにいくことになった。
「で、何が足りないの?」
「卵とミルクだな」
午前中に『食欲館』を見た時にそれらしいものがあったので、大丈夫だろうとゴローは思っている。
今度は、卵を持ち帰るために先程買った手提げ袋を持ってきた。
時刻は午後1時半くらい、お昼前だったさっきに比べると、ずっと空いている。
おかげでゴローとサナは、ゆっくりと品物を物色することができた。
「卵と、ミルクはこれでよし、と。あとは何かあるかな……」
店内が空いているので、先程見落とした何かに気が付くかもしれないと、ひととおり回ってみることにした。
「そういえば、混んでた場所って、何売ってたの?」
「ああ、そうだな」
そこで2人は軽食売り場にも行ってみることにする。
「お、これは……」
鶏っぽい肉の串焼き、つまり焼き鳥のようだった。
サナが食べてみたいというので2串買い、1串ずつ分けてかぶりつく。
「うーん……」
ゴローの評価では可もなく不可もないといったところ。
サナは、
「まあまあ、美味しい」
という評価だった。
(多分、調味料を知っているかどうかの差だな……)
と、ゴローは謎知識をベースに考えた。
サナの知っている調味料と、ゴローの知っている調味料の種類が違うのだろう、ということだ。もちろんゴローの方が圧倒的に多く知っている。
(それに、味覚を覚えたばっかりだしな)
そう思いながら、もう2串、サナのために買ってやるゴローだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月8日(日)14:00の予定です。
20200709 修正
(誤)「で、『金緑石』の破片は研磨し終えたのか?」
(正)「で、『猫目石』の破片は研磨し終えたのか?」




