11-16 天然樹脂と虫
虫の話注意です。
検索も注意してください……。
ハカセは、ゴローの言う『プラスチック』として使えそうな素材の名前を口にする。
「『セラック』というんだけどね」
「セラック? シェラックじゃなくてですか?」
「お、『謎知識』にもあるのかい? いいねいいねえ。とにかく『セラック』というのは虫が出す分泌物さね」
「あ、それなら『謎知識』の『シェラック』と一致します」
どうやらこの世界でもシェラックという物質は存在するようだとゴローは思った。
それでその先はハカセの説明を聞くことにする。
「セラック虫は1セルにもならないような小さな虫でね。それが何百匹何千匹って集まっているんだよ。そこに『セラック』っていう樹脂が溜まるのさ」
ここまでは、ゴローの『謎知識』が教える『ラックカイガラムシ』と酷似している。
「『クムス』という木が好きなようだけど、たいていの木にくっつくね。その固まった『セラック』をこそぎ落として集めて生成すると、少しだけ黄色みがかっているけど透明な樹脂ができるんだよ」
「なるほど、俺の『謎知識』が言う『シェラック』そっくりですね。その樹脂の性質はどうなんですか?」
「何も処理しなければ、アルコールに溶けるくらいで水には強いね。でもちょっと脆いかもしれないねえ」
「処理すれば丈夫になるんですか?」
「なるよ」
ハカセはあっさりと答えた。
「一旦鍋でどろどろになるまで溶かして、そこに松脂を少し混ぜるのさね。さらに蜜ロウを入れて、熱いうちに網で濾してゴミを取ればいいんだよ」
「どのくらい丈夫になります?」
「そうだねえ、板にしたものを折り曲げても割れないねえ」
「あ、そこは『謎知識』のいう『シェラック』とは違いますね」
「そうなのかい?」
「そういう混ぜものはしませんから」
「ほうほう。……ちょっとだけ聞かせておくれ」
ハカセは『謎知識』のいう『シェラック』に興味があるらしい。
「ええと、アルコールには溶けて水には溶けないんです。で、塗料に混ぜると艶が出ます」
「ほうほう」
実際、『シェラックニス』という塗料があり、バイオリンの塗装に使われている。
「錠剤のコーティングにも使いますね」
「ほほう……? 固めるためかい?」
「そうみたいです」
「なるほどねえ。世界が違うと使い方も違うんだねえ」
「ですね」
「……で、それで思い出した。もう1つあったよ」
「聞かせてください」
「もちろんさね」
一呼吸置いてハカセは話し出した。
「まあ、こっちは一般的じゃなさそうなのは見当がつくんだけどね」
と前置きをして。
「何だったか、特定の木に付く毛虫を大きくしたような魔物がいるのさね」
「魔物ですか」
こちらは一般的とは程遠そうである。
「洞窟に棲んで、土を食べている魔物なんだけどね」
「それじゃあ、凶暴ではないのですか?」
「そんなことはないよ。時々『トリッキースクワール』や『ホーンドウィーゼル』が捕まって苗床になっているからねえ」
「苗床って……卵を産み付けられるってことです?」
黙って聞いていたティルダがハカセに質問をする。
「そうだよ?」
「……ええとハカセ、その毛虫の魔物って、大きさは?」
今度はヴェルシアからである。
「1メルくらいだね」
「うええ……」
嫌そうに顔を顰めたヴェルシアであった。ティルダも微妙な顔をしている。
「それって、どこにいるのです?」
「エルフ領のさらに東に一杯いたっけねえ」
「……」
「……でハカセ、その毛虫と樹脂にどんな関係が?」
「ああ、そうだったねえ。……その毛虫は糸を吐くんだけど、その素となる内臓を取り出して処理すると透明な樹脂ができるんだよ」
「……」
ここでゴローの『謎知識』が、『ヤママユガ』という蛾の幼虫にも『絹糸腺』という器官があり、それを取り出して酢に漬け、数分後取り出して引き伸ばすことで『テグス』ができる、と言っている。
これを『天蚕』ともいい、『天蚕糸』と書いて『てんぐす』『てぐす』と呼ぶ……らしい。
ヤママユガの他、クスサンからも作れる。大きさはずっと小さいが。
「……みたいですよ」
と、ゴローは『謎知識』の内容を説明したあと、
「似たようなものが内臓にあるなら、ナイロン樹脂に近いものができるのかもしれませんね」
と結んだ。
「ないろん、ってなんだい?」
「あ、すみません。それも『謎知識』にあった物質です」
『ナイロン』は商標であり、樹脂名は『ポリアミド』という。
厳密に言えば『ポリアミド』の一種が『ナイロン』である。
他に『アラミド』と呼ばれる繊維も『ポリアミド』に含まれる。
これには『ケブラー』という商標のものもあり、防弾チョッキに使われているほど高強度である。
とはいえ、一般的なナイロン樹脂は、繊維(糸)以外にも、コネクタのハウジングやシート、パイプ、板、丸棒、チューブなどにも加工されている。
熱可塑性(温めると軟らかくなり、冷やすと元の硬さに戻る)があるため、成形品を作るのが容易である。
「なるほどねえ。ゴローの『謎知識』の大本は、どう考えてもこの世界じゃなさそうだね。少なくとも時代が大きく異なるみたいだねえ」
ハカセがしみじみ言った。
「そうかもしれませんね。でもまあ、せいぜい役立てていきたいものですよ」
「うんうん、そうだね、それがいいよ、ゴロー」
「……で、樹脂の話ですけど、ちょっと無理そうですねえ」
「……あれ? ……」
「どうしたの、ヴェルシア?」
不審そうな(?)顔のヴェルシアにサナが尋ねた。
「あ、いえ、ええとですね、そんな毛虫の樹脂……じゃあないんですけど、内臓に溜まった糸の素というんでしょうか、それって取引されているかも」
「へえ? ヴェル、詳しく聞かせてごらん!」
「は、はい、ハカセ」
ハカセにせっつかれてヴェルシアが語ったのは、エルフの国からの輸入品の中にそんな物があった、ということ。
「薬にするみたいです」
「……どんな効能があるのやら」
絹糸腺が薬になるのかどうか。
それに関しては『謎知識』も黙して語らなかった。
「まあいいさね。効能がどうこうよりも、手に入るかどうかの方が大事さね。……ゴロー、例のマッツァ商会で聞いてみておくれでないか?」
「はい、もちろんです。セラックの方も」
「そうだねえ。セラック虫は南方だし、毛虫は北方なんだよねえ」
「両方手に入ればいいんですが」
「それは高望みだろうね」
「とにかく聞いてみますよ。利益につながるなら商人は動くと思いますし」
そういうことになったのだった。
* * *
「あと、手鏡ですが」
ゴローは、ローザンヌ王女がいたく気に入ってくれた、と話した。
「よかったのです」
「木枠も褒めていたぞ。漆塗りも頑張ってくれ」
「わあ……はい、頑張るのです」
漆塗りの方は1ヵ月くらいは掛かってしまう。
なにしろ、漆の乾燥(硬化)には12時間から48時間掛かるのだから。
「その分じっくり作業ができるのです」
普通の塗料は長くて数十分、短いものだと塗るそばから乾いていくので、細かな修正がし辛い。
そこへいくと漆は十分な余裕を持って作業ができる。
まあ、ちょっと時間が掛かりすぎる、気がしないでもないが……。
「木枠でいいから、鏡も少し作っておいてくれ」
「わかりましたのです」
と、そんな打ち合わせと話し合いを行った後、ゴローとサナは再び『レイブン改』に乗り込み、王都へと戻っていったのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月20日(木)14:00の予定です。
20230713 修正
前書きに 検索にも注意する 旨を追記しました。