11-15 スプレー瓶に関する問題
「ゴローさん、いらっしゃい。できてますよ、スプレー瓶」
「やっぱりか……」
予想に違わず、アーレン・ブルーはスプレー瓶を完成させていた。
「どうしたんですか?」
「いや、実はな……」
ゴローは、香水用のスプレー瓶が既に存在することを説明した。
「ああ、それは知ってます。というかラーナに聞きました」
「そうだったのか。……それでも試作を作ったのか?」
「ええ。……低コストのものを」
「ああ、そういうわけか。さすがだな」
ということなので、早速試作を見せてもらうゴロー。
「これです」
「ほう……」
アーレン・ブルーが見せてきたのは、現代日本でよく見る、ワンプッシュ式のスプレー瓶によく似ていた。
「水鉄砲と香水用スプレー瓶より小さくして、形も変えてみました」
「うんうん、いいよ、これ」
縦長で、0.2リルくらい入りそうな大きさである。
トップを押すと、仕込まれた魔法式が動作して霧が噴き出る。
指の力で押すのではないところが現代日本で見るスプレー瓶と異なる点だ。
「素材は……ガラスか」
「ええ、他に適当なものがなかったので」
「ちょっと重いよな」
「そうなんですよね。いい素材がないかと思っているんですが」
「あと、これだとうっかり触った時に噴射されてしまうから、もう1ステップあったらいいんじゃないか?」
「あ、そうですね!」
別のボタンを押しながらトップを押すとか、1回ひねってからトップを押すなど、ひと手間掛けることで誤操作を防ごうというわけである。
フールプルーフともいう。
「それはなんとかできるとして、瓶の素材はどうしましょうかねえ」
「ハカセは雲母で作っているけど」
「研究所ではいいんですけど、王都では雲母はなかなか手に入らないんですよ」
「ああ、それがあったか……」
材料の入手性もまた、量産前に検討すべき項目なのだ。
「プラスチックが手に入ったらなあ……」
「プラスチック?」
「うん……『可塑性のある樹脂』っていえばわかるかな?」
「なんとなくわかります。そんなものがあったらいいですねえ」
今は、ハカセやアーレンのような、土属性魔法に秀でたものだけが使える『物質・変形』という魔法で雲母を加工しているのだ。
雲母は耐熱性や絶縁性、耐薬品性、軽さなど、優れた性質を持つのだが、強度がやや低いのが欠点である。
といえ、ガラスのような砕け方はしないので、安全性という点ではガラスより優れているといえる。
(松脂……は耐薬品性が低いしなあ)
松脂は水にはほとんど溶けないが、アルコールにはよく溶ける。
(ミルクからカゼインプラスチック……だめだ、耐薬品性が悪い)
熱した牛乳に酢酸を加えることでカゼインが分離し、それを固めることでカゼインプラスチックができる。
これはある程度の耐水性を持ち、強度も十分にあるが、生分解性といって土に埋めておくと微生物によって分解される。
逆にいえば耐候性が低い。
また、原材料が牛乳であるため、コストも掛かってしまう。
(鼈甲という天然樹脂もあるんだよな……探すならこれかな?)
鼈甲はタイマイという亀の一種の甲羅を加工して作る。
(そういう魔物がいればいいがな……)
「あの、ゴローさん?」
黙り込んでしまったゴロー
「あ、すまん。雲母に代わる素材はないかと考えていたんだ」
「そうですね……入手しやすくて安価な素材があればいいんですが」
「なかなかないよな」
「ええ」
「飛行機の風防だって『亜竜』の抜け殻の薄い部分を使ったんだし……」
「昆虫系の抜け殻を使えませんかね?」
「これもハカセと相談だな……」
「よろしくお願いします」
それまではガラス瓶でいこう、ということになったのである。
* * *
「……と、いうことになったよ」
ゴローは屋敷に戻り、サナに説明している。
「スプレー瓶の材料……」
「サナは何か心当たりはあるか?」
「……透明なのがほしいんでしょ?」
「そうだなあ。その方がいいな。百歩譲っても半透明だな」
「心当たりはある、けど」
「けど?」
「入手が難しい」
「それじゃ駄目だな……」
一般向けの素材を考えているのに、入手が難しいのでは本末転倒である。
「やっぱりハカセ頼りか……」
「うん」
結局、そういうことになったようだ。
* * *
さて、その夜。
秋も深まり、暗くなるのが早くなったので、出発時刻も前倒しできる。
ということでゴローとサナは午後7時半に王都の屋敷を発った。
「上空の風は大分冷たくなったな」
「うん」
「ハカセもそろそろ王都に来てくれてもいいんだけどな」
「それは、無理そう」
「やっぱり駄目かな?」
「うん。ハカセはやっぱり研究所が似合ってる」
「そうか……なら……」
「?」
「少しでも研究所の居心地をよくすることを考えないとな」
「うん」
そんな会話をしつつ、『レイブン改』は夜空を駆けていった。
* * *
「おや、今日は少し早いねえ」
「暗くなるのも早くなりましたからね」
「なるほどね。でも、それだけじゃないんだろう?」
「え?」
「あたしに、何か相談事があったんじゃないのかい?」
「当たりです」
ハカセの勘のよさにゴローは驚いた。
そこで、食堂へ移動し、ゆっくりじっくり話をすることに。
「さあ、聞かせてごらん」
「はい、それが……」
ゴローはまず、王都における薬の流通がほぼ正常に戻ったことを報告。
そして『トリコフィトン症治療薬』が非常に効いていることも。
「で、『水鉄砲』も喜んでくれたんですよ。でも」
「でも?」
「『トリコフィトン症治療薬』をスプレーする瓶は、『香水瓶』を流用するとかで」
「なんだい、それ?」
「ああ、やっぱりハカセも知らなかったんですね」
実は、とゴローはハカセに『香水瓶』の説明を行った。
アーレンがガラスで試作を作ってくれたことも。
「ふうん、そういうものがあったのかい。あたしゃ香水なんて使わないからねえ……知らなかったよ」
「……で、アーレンともちょっと話したんですけど、安価なスプレー瓶を作れないかと考えているんです」
「ふんふん、なるほど」
「雲母はいいんですが、王都周辺ではあまり採れないみたいで……」
「ああ、そういうことかい」
「ハカセでなくても加工できて、安価に手に入る素材で、水や油で溶けない素材ってないですかね?」
と、ゴローは相談の目的を説明し終えた。
「なるほど……ある程度流通している素材を使わないと駄目ということだね。……うーん……ティルダとヴェルシアも呼ぼうかね」
* * *
食堂にやって来たティルダとヴェルシアにも、ゴローは説明を行った。
「はあ、確かに香水瓶にはそういう噴霧機能が付いているものがありますね」
「やっぱり、ヴェルシアは知っているのかい」
「司祭が使っていましたから。……私は触ったこともないですけど」
「ああ、苦労したんだね……ティルダはどうだい?」
「私は見たことはあるのです。使ったことも触ったこともないですが」
どうやらゴローの周りの女性たちは香水と縁がないようである。
「ああ、それで瓶の素材だったよね。あんたたち、何か心当たりはないかい?」
「そう急に言われましても……」
「思いつかないのです……」
「そうかい。あたしは1つ心当たりがあるんだけど、それって一般的な素材なのかどうかが分からなくてね」
「それは何なのです?」
「お聞かせください」
「うん、それはだね……」
ハカセが口にした素材とは……?
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月13日(木)14:00の予定です。