11-11 ガラスの平面
トウガラシ臭が漂う台所の換気をして、昼食の支度を行う。
時間がないので簡単にできるものとしてクレープもどきにする。
小麦粉にミルクと砂糖を入れてよく混ぜ、練ったものを用意する。
本来なら1時間ほど冷蔵庫で寝かす(グルテンができて粘りが出る)のだが、今回は急ぐので省略した。
大きめのフライパンに油を引き、生地を焼いていく。
できるだけ均一な厚さに、薄く焼いていくのがコツだ。
片面が焼けたら竹串などでひっくり返し、両面を焼きあげる。
これにジャムやマーマレード、クリームやバターなどを塗り、各種フルーツなどを載せて巻けばできあがり。
「うん、美味しい」
「ちょっと急いで作ったから今ひとつだけどな」
「ううん、十分おいしい」
慌ただしかった午前が終わり、お茶を飲みながらゆったりするゴローとサナ。
ちょうどそこにマリーが報告にやって来た。
「ゴロー様、サンルームの掃除が終わりました」
「お、ありがとう」
早速ゴローとサナはサンルームを見に行く。
「おお」
「……綺麗」
掃除の終わったサンルームは、見違えるように綺麗になっていた。
屋根と、東・南・西側の壁がガラス張りになっており、唯一北側は母屋(屋敷)とくっついている。
使われているガラスは窓ガラスと同じ規格のものらしく、大きな1枚ガラスというわけではない。
ゆえにガラスの『枠』が50セルおきくらいに入っているので、ゴローとしては多少違和感があった。
それでも、天井と壁が透明で外が見えるというのは斬新な体験で、サナも『面白い』と言って部屋の中をうろうろ歩き回って外を眺めていた。
ただ、ガラスが思ったより平面ではないようで、多少外が歪んで見えるのはご愛嬌か。
そう思っていたら、マリーからも説明があった。
「ゴロー様、使われているガラスはやや古いようで、多少の凹凸や歪みがありました」
「ああ、そうなのか」
大きな平面のガラスを作るのは難しい……が、やり方はある。
「融けたスズの上に融かしたガラスを流せば平らなガラスができるんだけどな」
『謎知識』からのやり方である。
スズは高価なので鉛でもいいのだが、やはり健康への害が心配である。
ちなみに研究所では鉛を使っている。作業者が人間ではないからだ。
「ゴロー、その手法、売れるんじゃない?」
独り言を聞いていたサナが言った。
「うーん、そうだろうな」
特許という制度がないこの世界であるから、普通はできるだけ高く買ってくれそうな商人や工房に売り込む。
この製法の場合、いずれ真似をされるであろうから、大量に作り置きしてから売り出すことになるだろうと思われる。
つまり資金的に余裕のある相手を選ぶ必要があるということだ。
まあ、ゴローたちの場合はほぼ決定しているわけであるが。
「マッツァ商会に売るのはいいが、サンプルくらい持っていきたいかな」
「なら今夜、ハカセに作ってもらえばいい。あるいはティルダでも」
「まあそうだな」
こんな話もなされ、夜が待ち遠しいゴローとサナである。
* * *
「そういえば、薬の方はどうなの?」
少し遅い昼食から時間が経ち、ゴローとサナは今度は少し早い3時のお茶を飲んでいる。
「うん、一般への流通はほぼ元どおりになったみたいだ」
「よかった」
「こっちも材料のストックがなくなったからな」
「あとは王女殿下の方だけ?」
「そうだな。そっちは細々とにせよ、続いていくだろうな」
「でもほら、履き物を殺菌していけばいつかはなくなるんじゃ?」
「そうだといいな……でもなあ……白癬菌がなくなるとも思えないしな……」
食欲が失せそうな話題であるが、ゴローとサナは気にしていないようだ。
「明日あたりにははっきりと効果が出てくるだろうから、きっと王女殿下が来るぞ」
「同感」
「だから今夜、また例の薬をもらってくるよ」
「うん、それがいい」
とはいえ、まだ外は明るい。夜までには時間がある。
「じゃあゴロー、甘いもの、作り置きして」
「やっぱりそうなるか」
どうせ時間があるので、サナの要望に応えるゴロー。
「日保ちする物を作ろうかな」
それならばまず『ラスク』である。
ラスクとはパンを二度焼きした焼き菓子のことで、水分量が少ないために保存性が高いわけだ。
適当な厚さ(5ミリ〜1センチ)に切ったパンにアイシング(卵白と粉砂糖を混ぜたもの)などを塗ってオーブンで焼くのが基本形。
「アイシングを作ると卵黄が余るから……玉子焼きを作るか」
玉子焼きといっても食事に付けるものとは違う。
卵黄の他には砂糖、塩少々、バターを使う(バニラエッセンスがあるといいのだが、ゴローはまだ手に入れていない)。
作り方としては卵黄を泡立てるところから始まる。
卵黄でメレンゲを作るような手法だが、卵白と違って角は立たず、ただ泡立つだけであるので要注意。
ミキサーでやれば楽なのだが、ゴローはすべて『手』で行った。2倍『強化』を掛けて……。
泡立ったら砂糖と塩少々を入れ、バターも入れてサックリと混ぜ、型に入れる。
それをオーブンで焼けばスフレ風の玉子焼きの出来上がり。
ちなみにスフレとはフランス語で『ふくらんだ』という意味。
メレンゲを使ったお菓子のことである。
さらに蛇足ながらメレンゲとは、卵の卵白を泡立てた食材のことである。
さて、オーブンに入れて焼きながら、
「バニラがどこかにないかなあ……」
と感じたゴローであった。
そんな時、
「……いい匂いがしてきた」
と、スフレ風玉子焼きが焼ける匂いを敏感に感じ取り、サナがやって来た。
「あ、美味しそう」
「まだ焼けてないぞ」
「うん、待ってる」
味見する気満々のサナであった。
* * *
そんなこんなで日が暮れて、外は真っ暗になった。
「さて、それじゃあ行くか」
「うん」
準備は万端。
ゴローとサナは『レイブン改』で研究所を目指したのである。
* * *
「ゴロー、サナ、今日はちょっと到着が早かったねえ」
「ええ、日が暮れるのも早くなりましたし」
その上、早く相談したい内容もあったわけである。
「で、なんだい?」
「はい?」
「何か相談事があったんだろう?」
「お見通しですか……」
「そりゃあね。年の功ってやつさね」
さすがのハカセであった。
そこでさっそく、ゴローはガラスを平面に作る技法についてハカセに説明した。
「……と、いうわけです」
「なるほど、平面のガラスを作る方法かい」
「すごいのです! そのやり方なら、大きなガラスも真っ平らに作れるのです!」
「……あたしとしてはお勧めしないねえ」
「なぜですか、ハカセ?」
「ガラス職人見習いの仕事を一気に奪うことになるだろうからさ」
「……ああ、確かに」
ガラス職人見習いが任される仕事の1つに、『ガラス磨き』がある。
要は凹凸のあるガラスをできるだけ平面に磨き上げる仕事だ。
これは見習い職人が3年から5年くらいやらされる仕事である。
その出来を見ながら他の仕事も教えてもらうのだ。
そんな仕事を奪うということは、ガラス職人のなり手を減らすことにも繋がる。
「あたしもね、若い頃少しだけ働いていたことがあるのさね」
「ハカセが?」
「そうだよ。だから下積みの苦労を少しは知っているのさ」
「じゃあ、このアイデアは没ですか……」
「でもそれじゃあもったいないからね。使い所を選ぶのさね」
「どういうことです?」
「窓ガラスは、多少凹凸や歪みがあっても、まあ許される。でも、許されないガラス製品がある。何かわかるかい?」
この問いに答えたのはサナだった。
「……鏡?」
「そのとおりだよ」
鏡は可能な限り平面であることが要求される。
つまり、ゴローの言う製法で鏡用のガラスを作って売るならいいだろうとハカセは言ったのだ。
「あくまでも作って売るんだよ? 作り方は当分秘匿しておおき」
「……わかりました」
大昔、ガラス職人をしていただけあって、ハカセには珍しく対外的な影響を考慮した意見であった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月15日(木)14:00の予定です。
20230608 修正
(誤)泡立ったら砂糖と塩証書を混ぜ、バターも入れてサックリと混ぜ、型に入れる。
(正)泡立ったら砂糖と塩少々を入れ、バターも入れてサックリと混ぜ、型に入れる。
20230909 修正
(誤)
スズは高価なので鉛でもいいのだが、やはり健康への害が心配である。
(正)
スズは高価なので鉛でもいいのだが、やはり健康への害が心配である。
ちなみに研究所では鉛を使っている。作業者が人間ではないからだ。