11-04 殺菌装置
銅の細い線を作って欲しいというゴローの願いに対し、ティルダは首を横に振った。
「すみません、そこまで細い線は無理なのです」
「やっぱりなあ……」
細い針金を手作りするのは面倒くさい。
彫金では、『線引き』と呼ばれる、硬い(焼きの入った鋼鉄もしくは超硬合金)板に、テーパー状(入り口は大きく、出口は小さい)穴を多数(大きさを少しずつ変えて)空けたものをガッチリと固定し、そこに焼き鈍した棒状の金属を挿し込んで力任せに引き抜くのだ。
その穴を少しずつ小さくしていくことで細い針金を作ることができるのだが、せいぜいが0.2ミリくらいまでであろう。0.1ミリになると職人芸である。
で、0.1ミリの金属線は『刺さる』のだ。
皮膚に刺さったらちくちくして痛いと思われた。
なのでさらに細い線……0.02ミリ(ゴローたちの単位で0.002セル)くらい……が欲しかったが、それは無理そうである。
「なら、箔にするか」
「あ、それならできると思うのです」
「だけどなあ……」
箔を糸に貼る(巻きつける)工程はとてつもない手間がかかる。
西陣織などの伝統工芸で使われる本金糸(本物の金箔を使った糸。廉価品はセロファンにアルミなどの金属を蒸着し、黄色く染めて金色に見せたものを使う)は、和紙に金箔を漆で貼り付け、それを1ミリ以下の幅に裁断したものを黄色く染めた芯糸に『巻きつけて』作る。
「……とても中敷きや靴下には使えないな」
素材よりも加工のために手間がかかりすぎる、とゴローは溜息を吐いた。
「お役に立てなくて、ごめんなさいなのです」
「いや、気にしないでくれ」
「あとはハカセに、殺菌の魔法を開発してもらわないとだめか……」
「何だって?」
ゴローの呟きにハカセが反応した。
「あ、ええと、サナと話し合っていたんですが、靴の中や靴下だけでなく、生体の殺菌ができる魔法がないかなあって」
「なるほど、生物の体内は殺菌できないからねえ」
殺菌の魔法としては『殺菌消毒』があるが、これは物体に付着している細菌を退治するもので、強力なものは液体中の菌も退治できる。
しかし生物の体内の菌には効果がない。
「無差別に体内の細菌を殺菌するのはまずいですからね」
「ああ、そんなことを前に言っていたね。『腸内細菌』だったっけねえ?」
「そうですそうです。人間の腸の中には様々な細菌が住んでいまして、お花畑に例えて『腸内フローラ(フローラとは植物相。また花の女神の名でもある)』と呼んだりもします」
「フローラ、ねえ。……まあいいさね。で、人間の身体を殺菌した場合、それも殺してしまう、という心配だね?」
「はい」
「ふうん……」
ハカセは何やら考え込んでいる。
「……確かに難しいが……魔法をちょいっといじってやればできるよ?」
「是非お願いします!」
ちょいっと、でできるあたりがハカセである。
「あとは効果範囲は狭くてもいいんですが……」
「うん、スポットにしたらどうかねえ? 足なら足だけ、みたいにさ」
「あ、いいかもしれませんね。できれば1セル四方くらいの狭い範囲を殺菌できるように」
「それはできるよ。……よし、直径10セルから0.5セルまで可変にしてあげよう」
「それはすごいですね」
「ちょっと待ってな。……フランク、手伝っておくれ!」
「はい、ハカセ」
「あ……」
ハカセはフランクを連れて工房へ行ってしまった。
なにやら製作意欲をそそられたらしい、とゴローは想像した。
「……えーと、ゴローさん、できあがっているお薬も持っていきますでしょう? あと、薬瓶も」
「あ、うん」
ヴェルシアに言われ、ゴローはできあがっている薬を受け取った。
今回は……。
ガラス瓶……小瓶が60個、大瓶が30個。
解熱鎮痛剤4リル。
滋養強壮薬は10リル。
胃腸薬が2000錠。
冷蔵庫2台。
加えて、「ドワーフ熱治療薬」1リル。
そして『トリコフィトン症治療薬』3リル、である。
フランクはハカセの助手をしているので、サナと2人で積み込む。
10分ほどで積み込みは完了した。
「ゴロー、ハカセのところへ行ってみよう」
「そうだな」
サナに誘われ、2人は連れ立って工房へ向かった。
* * *
「おお、いいところへ来たねえ。ちょっと手伝っておくれ」
「はい?」
工房へ顔を出したゴローとサナに、ハカセはすぐに仕事を割り振った。
「ゴローはこっちを押さえていておくれ。サナは倉庫へ行って石英を1個……拳くらいのを頼むよ。フランクはそっちの坩堝を見ていておくれ」
「はい」
「あ、そうだ、ハカセ」
「うん?」
「あまり高価ではない宝石の原石も欲しいんですが」
「ああ、いいよ。適当に持ってお行き」
「ありがとうございます。サナ、そっちも頼む」
「……私が選んでいいの?」
「ああ。見繕ってきてくれ。駄目なら改めて取りに行けばいいし」
「うん、わかった」
サナは足早に倉庫へと向かい、5分掛からずに戻ってきた。
「ハカセ、石英」
「お、ありがとうよ」
「ゴロー、原石」
「ありがとう。そっちの隅に置いておいてくれ」
「わかった。ここに置いておく」
まずはハカセの『殺菌装置』製作が優先だった。
ハカセは、ゴローが押さえている金属板に微細な文様を彫っていった。
「これが魔力回路さね。少しでも間違うと最初からやり直さなければならないんだよ。だからしっかりと押さえてもらう必要があるのさ」
「なら、万力を使えば……」
「万力? なんだい、それは?」
ゴローはあっと思ったがもう遅い。
(そうだ、ここには万力って存在していなかったっけ)
固定に使うのは主に『楔』で、『ネジ』は特殊な用途のみ、である。
「ええっと、後で説明しますよ」
「期待してるよ」
そしてハカセは作業に戻った。
ほどなく魔力回路の刻印は終了。
「もう押さえなくていいよ、ゴロー」
「はい」
「フランク、坩堝はどうだい?」
「はいハカセ、完全に融けました」
「よし。火を止めて、冷ましておいておくれ」
「はい」
「フランクに融かしてもらっていたのは松ヤニと月光草の汁を混ぜたものだよ」
月光草はこの世界特有の植物で、魔力に対する親和性が高い。
それで、魔法陣を描くインクに使われたり、今回のように樹脂に混ぜて魔力回路を形成したりする。
ただし、強力な魔法に使うとすぐに焼ききれるので、弱い魔法にしか使えない。
「これを、金属板の彫り溝に流し込むわけさね」
プリント基板を作るにちょっと似ているかもしれない、とゴローの『謎知識』は囁いていた。
* * *
それからも幾つかの工程を経て、およそ1時間でハカセは『殺菌装置』を完成させた。
単1電池で駆動する黒い懐中電灯くらいの形、大きさだ。
先程の石英は融かしてレンズを作り、先端に取り付けたので懐中電灯にしか見えない。
「できたよ、ゴロー、サナ」
「できましたね」
さっそく試してみよう、とハカセは言い、ゴローたちに使い方を説明する。
「今回は殺菌範囲を可視化する方法を工夫したのさ」
ハカセは言う。
「ほら、こうやって患部に向けて、こっちのボタンを押す」
「あ」
「赤い光が」
「そうさ、この赤い光の範囲を殺菌するのさね。この先を回すと……」
先端に取り付けられたレンズは、回すことで前後に動かせ、赤い光の大きさを可変できるのだ。
「あ、範囲が広がりましたね」
「うん。逆に調整すると範囲は狭まるんさ」
「わかりやすいですね」
「だろう? ……ああ、まだ殺菌は始まっていないよ。こうやって範囲を決めてからこっちのボタンを押すんだよ」
そうすると魔法が放たれ、患部を殺菌してくれるという。
「そんなに強くはないからね。10秒くらいは当てていないと殺菌されないと思うよ」
「わかりました」
「それから、ゴローはわかっていると思うけど、殺菌したからってすぐに治るわけじゃないからね」
「それはそうですね」
治癒魔法『治療』でも使わないと、そうそう傷を癒やすことはできない。自然治癒に任せることになる。
「でも、これは便利ですね。……例えば、お腹の中の殺菌ってできますか?」
「ああ、言い忘れていたけど、この殺菌装置の効果範囲……というか効果距離は30セル。プラスマイナス2セルくらいだから」
例えば、胃の中を殺菌したい場合は、胃から30セル離して魔導具を使えばいいということである。
「どうだい? ゴローの言ってたような魔導具になったかねえ?」
「はい、ハカセ。予想以上ですよ」
「そうかい。それは嬉しいねえ」
「これ、範囲を広げれば、例えば靴の中も殺菌できますよね?」
「できると思うよ」
「それは凄いです」
やっぱりハカセは天才だ、とゴローはしみじみ思ったのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月27日(木)14:00の予定です。
20230420 修正
(誤)彫金では、『線引き』と呼ばれる、硬い(焼きの入った鋼鉄もしくは超硬合金)板に、テーパー状(入り口は大きk,出口は小さい)
(正)彫金では、『線引き』と呼ばれる、硬い(焼きの入った鋼鉄もしくは超硬合金)板に、テーパー状(入り口は大きく、出口は小さい)
(誤)なのでさらに細い線……0.02ミリ(ゴローたちの単位で0.0002セル)くらい
(正)なのでさらに細い線……0.02ミリ(ゴローたちの単位で0.002セル)くらい
(誤)殺菌の魔法としては『殺菌消毒』があるが、これば物体に付着している細菌を退治するもので
(正)殺菌の魔法としては『殺菌消毒』があるが、これは物体に付着している細菌を退治するもので
(誤)先程の石英は融かしてレンズを作り、先端に取り付けたので懐中電灯にしか見えない。。
(正)先程の石英は融かしてレンズを作り、先端に取り付けたので懐中電灯にしか見えない。
20230909 修正
(誤)フランクはハカセの助手しているので、サナと2人で積み込む。
(正)フランクはハカセの助手をしているので、サナと2人で積み込む。