11-03 抗菌手段
研究所へ向かうのは夜。
今はまだ真っ昼間である。というか昼前だ。
夜まではまだまだ時間がある。
ということで、ゴローは『白癬菌』への対応策を少し考えてみることにした。
相手はサナである。
こうした場合、話し相手がいるだけでも随分と違う。考えを口にすることでより考えがまとまりやすくなるのだ。
「なあ、殺菌する魔導具ってあったっけ?」
「あるにはある。でも、多分、高い」
「まあそうだろうなあ」
魔導具は総じて高価だ。
レア素材を使ったり、高度な加工を必要としたり、特殊な魔法付与が必要だったりと、誰にでも作れるものではないからである。
「うーん、なら、『抗菌』か……」
「こーきん?」
「『抗菌』な」
「なに、それ?」
「菌を繁殖させにくくする……ものかな」
「なるほど、白癬菌を滅菌しても、残った菌がまた繁殖したら意味がない」
「そういうことだな」
「で、具体的には?」
「銅とか銀だな」
金属イオンが微生物を死滅させることは古代エジプトで硫化水銀がミイラの保存に使われた頃まで遡ることができる。
ところで、『抗菌』『除菌』『殺菌』『滅菌』という用語はどう違うのであろうか。
『抗菌』は菌やウイルスなどの微生物の生育を阻害すること。
『除菌』は菌やウイルスを取り除いて、その数を減らすこと。減らす菌やウイルスの数・種類について、明確な定義はない。
『殺菌』は菌を殺すこと。殺す菌やウイルスの数についての明確な定義はない。
『滅菌』は菌やウイルスといった微生物の数を、限りなくゼロに近づけることである。
……と、ゴローの『謎知識』は言っていた。
「銀は、高い」
「うん。だから銅を中心に考えてみたい」
「具体的には?」
「うーん……『靴の中敷き』かなあ?」
足が主な患部だとすれば、十分に実用的だろうとゴローは考えた。
「うん、いいと思う。で、具体的には? 銅板を足の形にするの?」
「いやそれじゃあ重くなるし、ごつごつするだろう……」
「じゃあ薄くする?」
「それも危ないだろうしな……」
端面で足を切りそうである。
「やっぱり繊維状にしたほうがよさそうだ」
「銅の糸?」
「そういうことだな」
金、銀、銅には展性・延性がある。
展性は薄く伸ばせる性質、延性は細く長く延ばせる性質だ。
金箔・銀箔・銅箔は展性を利用したものである。
この展性と延性は、必ずしも同じではない。
展性は金が最もよく、銀、鉛、銅、アルミニウム、錫、プラチナ……の順であるが、延性は金、銀、プラチナ、鉄、ニッケル、銅……の順になる。
まあ、銅にはそこそこ延性があるといってよい。
「ハカセかティルダなら、細い銅の糸を作ってくれそう」
「そうだな。それを編み込んだ靴下なんてのもいいかもな」
靴の抗菌中敷きと抗菌靴下。
新たな商品の予感である。
* * *
昼食という名の甘味タイムが終わったあと、ゴローはブルー工房へ行ってみることにした。
もちろんラーナの容態が気になったからだ。
「じゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
サナは留守番である。
ちゃんと3時のおやつに『ラスク』を用意しておいたゴローであった。
* * *
「ゴローさん、わざわざどうもすみません」
ブルー工房では、アーレン・ブルーがゴローを出迎えた。
「ラーナの具合はどうだい?」
「はい、おかげさまで随分よくなりました。今日は熱も下がりましたし」
「それはよかったな。工房の方は?」
「はい。工房には他にもドワーフの職人がいますけど、みんな『ドワーフ熱』には掛かっているということで通常運転できています」
「そうか」
「あ、すみません立ち話で。どうぞ中へ」
「それじゃ、お邪魔するよ」
アーレンに招き入れられ、ゴローはアーレンの執務室へ。
作業場と隣接しており、執務机の上には事務書類の他に設計図も散乱しており、散らかっている。
「うわあ……」
秘書のラーナがいないとここまで散らかるのか、とゴローは呆れたが口には出さなかった。
ただ、
「ラーナ、早く治るといいな」
と言ったのみ。
言われたアーレンは、その言葉に含まれる皮肉にも気が付かず、
「そうですよね」
と素直に頷いたのである。
* * *
「どうぞ」
「あ、ああ」
積もっている書類をかき分け、事務机の上を空けたアーレンはゴローに椅子を勧めた。
今回は近況報告なので書類は関係ないが、やはり邪魔である。
「……じゃあ、近況を説明しよう」
「お願いします」
ゴローは、アーレンが工房に戻ってからのことを掻い摘んで説明した。
「なるほど、そんなことが……」
「ああ。今夜、また研究所へ行くけど、薬は足りてるか?」
「大丈夫です。ラーナももうだいぶ回復しましたし、いただいた薬ももう少し残っています」
「そうか」
「あと2、3日でラーナも起きられるようになるでしょう。そうしたらお屋敷へ顔を出しますよ」
「わかった。早く治るといいな。ああ、これ、お見舞いだ」
ゴローは手荷物の中からプリンを出した。
「消化にいいし、栄養もある。病人食にはもってこいだ」
「ありがとうございます」
そしてゴローはブルー工房を後にしたのである。
* * *
ゴローはその足で『マッツァ商会』へ向かった。
「おお、ゴローさん、ようこそ」
いつものように店主オズワルド・マッツァはゴローを歓迎する。
応接室でお茶とお茶菓子が出され、オズワルドと差し向かいでの商談となった。
「それで、今夜薬を仕入れに行く予定なんですが、何か他にご希望はありませんか?」
「そうですね……王都の薬事情も少しずつ落ち着いてきておりまして、ようやく日常が戻りつつある感じですな。なので宝石の需要が上向いてきました」
「宝石の原石ですね。ご希望はありますか?」
「いえ。ただ、最高級品ではなく、中級品くらいのものがほしいですね」
「わかりました。探してみます。薬の追加と一緒に持ってきますよ」
「お願い致します」
というように話がまとまり、ゴローは屋敷に戻ったのである。
* * *
その日はその後、夜まで何ごともなく過ぎた。
「それじゃあ、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいませ」
午後7時、少し早いが、ゴローとサナは『レイブン改』で王都の屋敷を飛び立ったのである。
夜の闇を飛ぶこと1時間。
途中でコウモリ2匹と衝突したが、それ以外は何ごともなく研究所に到着したのであった。
「おかえり、ゴロー、サナ」
「ゴローさん、サナさん、おかえりなさい」
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさいなのです、ゴローさん、サナさん」
ハカセ、ヴェルシア、ルナール、ティルダらが出迎えてくれた。
ゴローとサナは報告のため、食堂へ行く。
「早速だけど、何か変わったことはなかったかねえ?」
「そうですね。マッツァ商会で聞いたところでは、薬の流通も少しずつ落ち着いてきているようです。それからラーナはもう熱も下がってきて、治りつつあります」
「ほう、そりゃよかったね」
ハカセは満足そうに頷いた。
次に質問したのはヴェルシア。
「白癬菌の薬はどうでした?」
「さっそくサンプルを使ってもらうことにしたよ。……で、思ったんだけど、治ってもまた再発する可能性が高い」
「確かにそうですね」
「で、患部のほとんどは足だから、靴の中に抗菌性を持たせたらどうかと思っているんだ」
「どうやってですか?」
「中敷きとか靴下に、銅の繊維を編み込むんだよ」
「それで抗菌性が?」
「効果はあると思う。……で、ティルダにも聞きたい。細い銅線……糸のように細い銅線って作れるかな?」
「え、ええと……」
ティルダの答えはいかに……?
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月20日(木)14:00の予定です。
20230413 修正
(誤)『滅菌』は菌やウイルスといった微生物の数を、限りなくゼロに近づけることである。。
(正)『滅菌』は菌やウイルスといった微生物の数を、限りなくゼロに近づけることである。
20230509 修正
(旧)11-03 抗菌
(新)11-03 抗菌手段
10−37も 抗菌 でしたので。