01-23 猫目
確認のため、ティルダが研磨し終わった『金緑石』を見せてもらうと、見事な『アレキサンドライト』だった。
室内光では赤く光っている。
「ああ、これなら誰が見ても文句ないだろうな」
とゴローが言うと、
「はい、これでしたら間違いなく王家も納得されるでしょう!」
と、オズワルド・マッツァは興奮気味に言った。
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げたオズワルドに、ゴローは、ふと気が付いたことを聞いてみることにした。
「あの、他の人も『金緑石』を探しているのでは?」
今回5億シクロというとんでもない金額で購入しても、王家が引き取りを拒否……もっといい石を持ってきた者がいたらそうなると思われる……したらどうするのかという事が気になったのだ。
「ああ、それは大丈夫です。この石でしたら、他の貴族でも買おうとするでしょうし、それ以前にこの石より素晴らしいものを見つけてくる商会があるとは思えません」
「そ、そうですか」
王家は、この石にどれほどの値を付けるのだろう……と、ゴローは想像した。5億シクロより上であることは間違いない。
そしてそれ以上に、王家との繋がりができることは商会にとっていいことなのだろう。
* * *
オズワルドが去ると、工房の中は急に静かになった。
「はうう……なんだか寿命が縮まった気がするのです」
「でも、借金を返す目処が立ったんだからいいじゃないか」
オズワルドは、『金緑石』研磨の対価としてゴローがティルダに譲渡した破片を5000万シクロで買うと約束し、証文を置いていったのだ。
さすがにそれだけの現金が店にあるはずもなく、明後日の朝にならないと現金に換えることができないということだが。
3000万シクロの借金を返しても2000万シクロが手元に残る計算だ。仮に利子が増えていても十分返せるだろう。
「夢みたいなのです。これもゴローさんとサナさんのおかげなのです」
と、頭を下げるティルダ。
「待て待て。それは借金を清算してからにしよう」
何が起きるかわからないのが世の中である。きっちり借金を返してから安心しよう、とゴローは言ったのだ。
そしてその話はそれまでとして、夕食にする。
お茶にはさっそくさっき買ってきた麦茶を飲んでみることにし、鍋で煮込むゴロー。
その横ではティルダが夕食用のシチューを煮込んでいる。
サナはパンを焼き始めた。
前にもいったが、サナにパンを焼かせると、もういいかもういいかとちょいちょいひっくり返して焼け具合を見るのでまず焦がすことはない。
麦茶を火にかけたゴローはソーセージを煮始めた。ちょっと油っこいものなので、煮た方が適度に油が抜けると考えたのである。
工房だけあって、ティルダの家の台所には熱源が豊富にあるのだ。
「……美味しいのです」
焼いたパンにスライスしたソーセージとチーズを載せて食べると、なかなかの味になった。
「こっちも美味しい」
ティルダの作ったシチューもなかなかの味。
「ちょっと麦茶は合わないかと思ったが、そうでもないな」
「香ばしいのです」
そこにサナが、
「……砂糖を入れたらだめ?」
と聞いてきた。
「砂糖か……」
ゴローの謎知識には、『日本』という国の特定の地域で、砂糖入り麦茶を飲んでいる、という情報があった。
「試しに入れてみてもいいぞ」
小さな砂糖壺を差し出すと、サナは躊躇わずにスプーン3杯の砂糖を投入した。
ざっとかき回して口へ。
「……美味しい」
「そうか?」
かといってゴローもやってみようとは思わない。ゴローはサナほど甘党ではないのだ。
夕食後、ゴローとティルダは2杯目の麦茶、サナは5杯目の甘い麦茶を飲みながら、いろいろ話をしている。
「少なくとも明後日まではお世話になるよ」
ゴローは言った。今更宿を取る気はない。
「借金を返せれば、もう大丈夫だろう? オズワルドさんとも顔つなぎができたし、マッツァ商会との取引も可能だろう」
「だといいのです……」
まだなんとなく自信がなさそうなティルダ。
話題を変えてみようとゴローは、
「そ、そうだ、ティルダは、馬車や荷車を作る職人って知らないかな?」
と尋ねてみた。
「……あまり大きな声では言えないのですが、この町にはいないのです。王都に行けば大勢いるのですよ」
この町は職人にはあまりいい町ではない、とティルダ。
「なら、なんでここで工房を開いたんだ?」
「それは、その……お金がなかったからなのです」
要は、物価の高い王都で工房を開くだけの資金がなかったということだった。
この町で開くにしても、大金をシャロッコ・トロッタなどという高利貸しに借りる羽目になったわけだ。
「そうか……」
ゴローは少し考えてから、1つの提案を行う。
「なあ、あらためて王都で工房を開かないか?」
「え?」
「ほら、借金を返しても2000万シクロが手元に残るわけだし、俺とサナにも5億シクロという大金が入るから、無利子無期限で貸してやれるからさ」
「それはちょっと魅力的な話なのです」
「だろう?」
ケチの付いたこの町ではなく、この国の首都であり王都であるシクトマで工房を開けばいい、とゴローは言った。
「……まだまだ石ならたくさんある」
サナも乗り気なようで、自分の持ち分の鉱石をガラガラッとテーブルにぶちまける。
「おい」
テーブルに傷が付くから、と注意しようとしたゴローの声をかき消すように、ティルダの大声が響き渡った。
「こ、この石はっ! 『猫目石』では!?」
猫目石とは、主に『金緑石』の変種である。
英語では『キャッツアイ』というが、宝石に光の効果で猫の目のような模様が出る『キャッツアイ効果』(=シャトヤンシー)を持つ宝石は他にもあるので、厳密には『クリソベリル・キャッツアイ』(クリソベリルは金緑石のこと)という。
光源によって色が変わる『アレキサンドライト』同様、金緑石の変種である。
この場合、石は球形もしくは半球系など、『カボション』という形に磨かれる。
これは光の反射や屈折ではなく、石そのものの光沢や文様を生かすカットの方法である。
「磨いて、みる?」
「い、いいのです? やってみたいのです!」
「うん。ちゃんと、技術料、払うから」
「ありがとうなのです!」
シャトヤンシーが出る石を研磨するのは難しい。特に、真球ではなく、楕円の回転体のような長軸と短軸がある形の場合、長軸と『猫目』が一致しなければ価値が下がるからだ。
ティルダはドワーフ職人らしく、そうしたチャレンジをしてみたいというのであった。
* * *
「でも、それは明日な?」
夢中になると寝食を忘れるティルダに、ゴローが釘を刺した。
その後、前日のように魔法でお湯を出して風呂に入ったあと就寝。
と言っても実際に寝るのはティルダだけで、ゴローとサナは寝たふりをしながら念話で話し合っている。
〈この町はちょっと雑多すぎる気がするんだよなあ〉
〈それは、ゴローの、勘?〉
〈みたいなものと思ってくれてもいい。どうにも馴染めないというか好きになれない〉
〈……よくわからない。でも、私はゴローの意見に、従う〉
〈ありがとう。で、だ〉
〈うん〉
〈もう少しでシクトマだ〉
〈うん、楽しみ〉
聞いたところによれば、ここサンバーの町から1日半行程だという。
〈そこがいい町だったら、腰を落ち着けようか〉
〈反対はしない〉
〈よし〉
〈……で、ティルダを連れていくという件はどう思う?〉
〈悪くない。私たちは、まだまだ常識に疎いから〉
〈お、おう〉
サナの口から常識の話が出ると思っていなかったゴローは、少しだけ面食らった。
〈それに、もしかすると私たちだけだと王都に入るのに手間取るかもしれない〉
〈どういうことだ?〉
サナの話によれば、王都は城塞都市なので、中に入る前に検問があり、身分や身元がはっきりしない者は入れてもらえないこともあるという。
〈よく知ってるな〉
〈うん。さっき、ティルダがお風呂に入っている時に聞いた〉
〈ああ、そうだったか〉
ならば、なおのことティルダと一緒に行く方がいいかもしれないな、とゴローも思う。
〈あとは、オズワルド・マッツァに聞いてみるのもいいかもしれないな〉
〈賛成〉
こうして、ゴローとサナは、今後の方針について話し合いながらその夜を過ごしたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月1日(日)14:00の予定です。
20191202 修正
(誤)サナの口から常識に話が出ると思っていなかったゴローは、少しだけ面食らった。
(正)サナの口から常識の話が出ると思っていなかったゴローは、少しだけ面食らった。