10-16 瑠璃
研究所へ戻ったゴローたちは、その日はさすがに薬草園を作れるほど時間がなかったので、採取してきた苗は土をかぶせておいた。
もちろん『木の精』のルルに頼んで、枯れないようにお願いしてある。
で、ゴローたちは翌日のための打ち合わせである。
「それじゃあ、薬草園はどこに作ろうかねえ」
「ルルに見てもらうんですから、西側の研究所前広場あたりがいいんじゃないですか?」
「そうだねえ。それでいいね」
研究所正面と東側は飛行機用の滑走路があるので、そちらは畑にできないというか、するわけにいかないのだ。
「そうすると、また少し土を持ってくることになるねえ」
「それは俺とフランクでやりますよ」
「うん」
「サナはルルに聞いて、どれをどう植えればいいか確認しておいてくれ」
「うん」
「で、土の準備は午前中いっぱいくらい掛かるでしょう」
「そうだろうね。じゃあ、あたしとヴェルシアは薬草から薬を作っているよ。ああ、朝一番に、クレーネーに頼んで『癒やしの水』をもらってきておくれ」
「あ、そうですね。わかりました」
と、そういうことになったのである。
* * *
そういうわけで翌日。
朝食後、『癒やしの水』をもらってきたゴローは、それをハカセに預けると、フランクを連れて『ALOUETTE』で土を採取しにでかけた。
「さて、それじゃああたしたちは薬を作ることにしようかねえ」
「はい」
ハカセとヴェルシアは研究室へ。
今日もハカセは『癒やしの水』をコップ半分ほど飲んだ。
「これ飲むと、なんだかからだが軽くなっていいねえ」
……害はなさそうなのでゴローもサナも、ヴェルシアも何も言わなくなっていた。
「で、すり潰した『キハダ』の樹皮をこれに浸けて……」
先日の『キナの木』と同様、適量を見極め、まずは0.2リルほどの薬液を得た。
舐めてみるとかなり苦い。
ハカセも試しに飲んでみようと言い出さないくらい苦い。
その後、『ロウソクソウ』や『サンシュ』、『ニガクサ』、それに『ヤナギ』も同様に処理し、1.1リルほどあった『癒やしの水』はきれいになくなった。
「クレーネーも少しずつ成長しているのかねえ」
1回目は1リルに足りないくらいだったことを考えると、もらえる『癒やしの水』の量が増えたのは成長の証かも、とハカセは考えたのである。
* * *
さて、ティルダである。
ゴローに頼んで『ラピスラズリ』をスライスしてもらった薄片を加工しようとして悩んでいた。
「うーん……」
そこへ、一段落したハカセが様子を見にやって来た。
「ティルダ、どうしたんだい?」
「あ、ハカセ」
「なんだか唸っていたみたいだけど」
「あ、はい。じつは、これなのです」
ティルダは作業台の上の物を指し示した。
「ラピスラズリだね。きれいにスライスされてるねえ。ゴローがやったのかい?」
「あ、はい。これでペンダントヘッドを作ろうと思ったのです」
「うん、で?」
「……金色の粒が入っていないのです……」
「へえ? ……ああ、なるほど」
ラピスラズリは単体の鉱物ではなく、『青金石』『藍方石』『方ソーダ石』『黝方石』など複数の鉱物からなる半貴石である。
和名は『瑠璃』で、深い青色から藍色をした鉱物である。
しばしば黄鉄鉱の粒を含み、これが夜空に煌く星のように見える。
この模様は2つと同じものがなく、ラピスラズリの1つのウリになっている。
そんな『金色の粒=黄鉄鉱』が入っていないのでティルダは落胆していたのである。
「どうなさったのですか?」
そこへ、ヴェルシアもやって来た。
そこでティルダはハカセにした説明をもう一度行った。
「え? ……あ、あ、あ……ティルダさん、これって素晴らしいですよ!」
「ええ?」
「混ざりもののない濃い青色! これ、『神の青』です!」
「えええ?」
ヴェルシアは説明を始める。
「混じりけのない青い顔料は『神の青』と呼びまして、『教会』の宗教画に使われているんです。同じ重さの金よりも高価なんですよ」
「これがその原料だというのかい?」
「はい、ハカセ。私は下働きの時に、この鉱石をすり潰す仕事を1年くらいさせられましたから」
「それならわかるか」
「はい。この鉱石は、当時私がすり潰したどの鉱石より品質がよさそうです」
そこへ、腐葉土を採取しに行っていたゴローたちも帰ってきて、研究室に顔を出した。
「あれ? みんな、何やっているんだ?」
「あ、ゴローさん、おかえりなさい。実はですね……」
ヴェルシアはゴローに経緯を説明した。
「なるほど、教会では『ウルトラマリン』の顔料を珍重しているわけだな」
『ウルトラマリン』とは『群青』とも訳される、わずかに赤みを帯びた青である。
かつては『金よりも貴重』と言われた顔料で、画家ミケランジェロの初期の作品『キリストの埋葬』が未完なのは、絵を描くのに必要なウルトラマリンの顔料を彼が手に入れられなかったからだという伝説があるほど。
また『青』が印象的な画家フェルメールが使ったのもこの顔料で、ふんだんにウルトラマリンの顔料を使ったために家族を借金苦に陥れてしまったという。
その原料になる上質のラピスラズリが目の前にゴロゴロしているのだ。
かつて顔料を作る作業を担当したことのあるヴェルシアが驚くのも無理はない。
「じゃあ、これを顔料にしたら、高く売れるのかい?」
「教会関係者ならお金に糸目はつけないんじゃないかと」
「それ以上に徴発されそうだから、教会には見せたくないなあ」
「それもそうだね。あの嫌な教会から大金をふんだくってやろうかと思ったけどやめておくかねえ」
珍しくハカセがお金のことを口にしたと思ったら、教会への嫌がらせに使うつもりだったようだ。
「でもまあ、ティルダによれば、宝石としてはあまりよくないんだろう? なら顔料にすればいいじゃないか。いつか役に立つと思うし」
「それでいいと思うのです」
「作り方はヴェルシアが知っているんだろうし」
「ええ、知っています」
まずは大まかにハンマーで叩いて砕く。
それをめのう製の乳鉢ですり潰していく。
十分細かくなったら『雪花石膏』製のすりこ木ですり潰す。
不純物を除くため、水に入れて沈殿させ、底の鮮やかな青い分だけを取り出す。これを数回繰り返す。
乾燥させて完成。
「まあ、雪花石膏は軟らかいから、下手をすると不純物を増やすだけかも。だから丁寧にすり潰せるならめのう乳鉢だけでいいんじゃないかな」
『謎知識』を参照したゴローの解説を聞き、ティルダは早速『金色の粒=黄鉄鉱』が入っていないラピスラズリをハンマーで砕いていった。
すり潰すのはヴェルシアが担当。
「……なんだか硫黄臭いな?」
「ええ、この石をすり潰すといつもこの臭いがするんですよ」
『青金石』『藍方石』『黝方石』には硫黄の化合物が含まれているからだと思われる。
ちなみに、純粋な硫黄は無臭である。
温泉などでいわゆる『硫黄の臭い』といわれているものは『硫化水素』の臭いがほとんどだ。
硫化水素は火山性ガスで、濃度が濃くなると有毒なので要注意でもある。
そして繰り返した作業の末。
「できました」
「できたのです」
「きれいだねえ……」
鮮やかな瑠璃色の粉末がそこにあった。
「ガラス瓶に入れて保存しましょう」
「そうだねえ……ああ、ゴロー、ヴェル、こういう『顔料』って他にもあるのかい?」
「ええと、緑なら『孔雀石』、赤茶なら『褐鉄鉱』、空色なら『トルコ石』、赤なら『辰砂』でしょうか」
ヴェルシアが言った中に『辰砂』があるのでゴローは、
「有毒なものも多いので、あまり凝るのも考えものですよ」
と釘を刺した。
「でも、この青、『漆』に混ぜて色漆を作ってみたい色なのです」
「ああ、青い漆ってなさそうだものな」
「はいなのです。少しいただいていいです?」
「もちろんいいさ。元々ティルダにと採集してきた石だったんだし」
「ありがとうございますなのです」
こうして、ティルダは『青漆』ができないか研究してみることになったのであった。
* * *
「そういえば、アーレンは?」
「食事のときくらいしか顔を見ないねえ」
「自分の工房で何かやっているらしいですが」
「ラーナも手伝っているんだろうな」
噂をすれば影がさす。
そこへ当のアーレン・ブルーが現れた。
「できた! できました!」
大はしゃぎである。
「一体何ができたんだい?」
「あ、ゴローさん、ハカセ、皆さんお揃いですね」
「ティルダは今さっき出て行ったけどな」
「で、何ができたんだい?」
「それはですね……!」
アーレン・ブルーが口にしたものは……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月15日(木)14:00の予定です。
20220908 修正
(誤)不純物を除くため、水に入れて沈殿させ、底の鮮やかな青い文だけを取り出す。
(正)不純物を除くため、水に入れて沈殿させ、底の鮮やかな青い分だけを取り出す。
(誤)と釘を指した。
(正)と釘を刺した。