10-10 未踏の地
ズーミ湖湖畔に着陸し、外へ出たゴローたちは、思いがけぬものの襲撃を受けた。
彼らを襲ったもの。それは虫である。
小さな虫。それが無数に飛び交っており、一斉に襲ってきたのだ。
「うわっ、こりゃひどいね」
「『空気の壁』!」
襲い来る虫の大群に、とっさにサナが防御魔法を展開した。
危ういところで食い止めた……が、
「ゴロー、首筋に、虫」
「え?」
「えい」
ぱちん、とサナはゴローの首筋にとまった虫を叩き落とした。
「ありがとう。あ、フランクにも」
ゴローとフランクは、既に数匹に取りつかれてしまっていた。しかし、彼らは虫になど刺されても平気、あるいは刺されたりしない。
冷静に『空気の壁』の中の虫を退治してしまった。
虫の大きさは5ミルくらい、ゴローの『謎知識』にも該当する種類はなく、代わりに『アブのよう』だという認識がなされただけである。
この虫がなぜハカセやティルダ、ヴェルシアではなくゴローやフランクに集ったかは不明。
「誰も刺されていないね?」
「はい」
「大丈夫なのです」
「よかった。……聞いたところでは、南にいる虫は病気を持っているという噂もあるからねえ……あたしも、今の今まで忘れていたよ」
研究所には毒虫はいなかったし、王都の屋敷にもいなかったので油断していたよ、とハカセは言った。
「それって、もしかするとフロロやマリーが追い払ってくれていたのでは」
「ああ、そうかもしれないねえ。帰ったらお礼を言わないと」
今回は短期間ということでマリーの分体もフロロの分体も連れてきていない。
そのためか、こんな目に遭ったのかもしれないな、とゴローは思ったのである。
「で、どうしようか、これ」
今も『空気の壁』の周囲には無数の虫。
「これ……『アブ』みたいですね」
『謎知識』に教えられたゴローは襲い来る吸血昆虫を便宜的にそう呼んだ。
「あぶ?」
「はい。『謎知識』はそう言ってます。動物の血を吸う虫みたいです」
「嫌な虫だねえ」
「どうしましょうか?」
「逃げていかないねえ……」
サナが展開した『空気の壁』の外は、外が見えないくらいにアブが集っていた。
「退治するしかないねえ」
このままでは、ゴロー、サナ、フランクはいいとして、ハカセ、ティルダ、ヴェルシアがたまったものではない。
「虫の弱点は……冷気ですね」
「え? 火じゃないのかい、ゴロー?」
「はい。もちろん、火で焼き尽くすこともできますが、虫は気温が下がると動けなくなるんですよ」
「なるほど、こんな森の近くで火は使いたくないものねえ」
「はい」
環境破壊は極力避けたい、とも思っているゴローである。
「じゃあ、私が『空気の壁』を展開してるから、ゴローが『冷やせ』を周囲に、掛けて」
「わかった。……『冷やせ』!」
「おお……」
一瞬で周囲が真っ白い霜に覆われ、飛び回っていたアブは全て地上に落下したのであった。
「効くねえ……」
「今のうちに移動しましょう」
「そうだねえ。……フランク、それじゃあ留守番をお願いするよ」
「はい、行ってらっしゃいませ。お気を付けて」
フランクを『ALOUETTE』の留守番役に残し、ゴロー、サナ、ハカセ、ティルダ、ヴェルシアらは森の中へと向かった。
森といっても、密林ではなく、ところどころ日が差し込むくらいの空間は空いている。
「……また虫が集まってきそうだねえ」
「森の中ですからね」
今のところ、サナが『空気の壁』を展開しているので虫による被害は皆無だが、このままではまずい。
なにしろ、『空気の壁』の外に出られないからである。
キナの木を見つけたとして、どうやって樹皮を剥ぐか、という問題がある。
なにしろ『空気の壁』を一旦展開したら、その中には基本的に空気以外出入りできないからだ(あくまでも基本的に。強引に出入りすることは可能)。
「キナの木を見つけたら、俺が外に出て皮を剥ぎますよ」
「うーん、そうしてもらうしかないねえ」
ゴローは『人造生命』なので、アブに刺されることはないし、刺されたとしても痛痒を感じない。
が、それでは人間でないことがティルダやヴェルシアにバレてしまうので、
「『強化』を掛ければ、アブに刺されないようになるのでは?」
と言ってみる。
ハカセも心得たもので、
「ああ、それはよさそうだね」
と話を合わせてくれた。
ゴローが『強化』を使えるのはヴェルシアを除いて皆知っているし、ヴェルシアもすぐにそのことを受け入れた。
「よし、キナの木が見つかったら俺に任せてくれ」
「頼んだよ、ゴロー」
ということで一行は『空気の壁』に守られながら森の中をあちらこちらと歩き続けたのである。
そして1時間半後、ハカセ、ティルダ、ヴェルシアらが疲れて休もうと言い出した時。
「あ、あれは多分キナの木です!」
ようやく目的の木が見つかったのであった。
「よし」
早速ゴローは『空気の壁』から出て、『古代遺物のナイフ』で木の皮を剥いでいく。
周囲には5本ほどキナの木が生えていたので、1本から取りすぎないように気を付けつつ、木の皮を集めていった。
「ご苦労さん、ゴロー」
剥いだ木の皮は2束ほどになった。それらはゴローの背負った背嚢にしまう。
「この倍くらいあったら十分でしょうね」
「そうだね。でもまあ、ちょっと休もう」
「はい」
ということで、少し開けた場所を見つけ、そこに腰を下ろし、水を飲み、行動食を口にした。
「……ハカセ、キナの木って研究所か屋敷で栽培できませんかね?」
ゴローが思い付きを口にする。
「フロロがいるから、可能かもねえ」
「なら、枝を何本か持って帰りましょうか」
「それはいいかもねえ」
そんなわけで、今度キナの木を見つけたら、樹皮だけでなく若い枝を数本持ち帰ることになったのである。
「ところでハカセ」
「うん? 何だい、ゴロー?」
「我々って、見つかったら密入国とか、盗掘とか言われませんかね?」
よくよく考えてみたら、ゴローたちは一応『ルーペス王国』と『ジャンガル王国』の名誉爵位を持った、名誉貴族である。
それがここ『ドンロゴス帝国』の領内に無断侵入し、木の皮や鉱石を勝手に採掘するのはどんなものかと今更ながらに考えてしまったのだった。
「そうだねえ……ヴェル、どうなんだい?」
「え? あ、はい。そうですね……ええと、ここは『ズーミ湖』の北岸ですよね?」
「ああ、そうだね」
「なら大丈夫です。国境線は湖ですから、こっち側は『人跡未踏の森林』に当たりますから」
「なるほど、どこの国のものでもないと」
「はい」
それを聞いて、皆、なんとなくほっとしたのであった。
* * *
休憩を終え、一行はまた『キナの木』を探し回る。
今度は30分ほどで4本見つかったので、樹皮を剥がし、若い枝を5本採取した。
「これでここを離れよう」
「はい、ハカセ」
「あとはティルダの希望する鉱石だね」
「はいなのです」
「ヴェル、それもこっち側にあるかねえ?」
問われたヴェルシアは、さすがに首を傾げた。
「さあ、それはちょっとわかりません。ごめんなさい」
人跡未踏の地であるから、ヴェルシアも知るはずがない、というのは道理である。
「あるとすれば……湖の底を探すというのはどうでしょうか」
「ああ、なるほど」
着陸した辺りの地面は、土ではなく砂利であった。
湖の底も同じなら、鉱石が見つかる可能性はある。
北岸なら『ドンロゴス帝国』とは無関係とも言えるわけだ。
「フランクなら呼吸しなくていいしねえ」
そうした理由から、一行は『ALOUETTE』へと戻ったのである。
戻る際、ちょっと道に迷ったりもしたが、ズーミ湖の方角はわかっていたので、まずは湖岸に出、そこから岸伝いに『ALOUETTE』の所へ戻ったわけである。
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次回更新は8月4日(木)14:00の予定です。