10-03 ヴェルシア
『バラージュ国』と『ルーペス王国』との会談がどう進んだか、ゴローたちは全く気にしないまま2日が経った。
モーガンもローザンヌ王女も来ない、静かな2日間であった。
「……そろそろあの連中も帰る頃かねえ」
朝食後、ハカセがぽつりと言った。
「早く帰ってほしいよ、まったく」
食堂でお茶を飲みながら不機嫌そうな顔のハカセ。
「……そういえば、あの子はどうしたね?」
あの子、というのは元助司祭のことだ。
元、というのは、すでに落ち着いて教会の教義に対し不審をいだき、改宗というか脱退というか……とにかく、『教会』からは抜ける、と昨夜宣言していたのである。
助司祭以上の役職にある者は信者の去就を決定できるそうなので、自分自身の脱会も問題ない……らしい。
「もう大丈夫みたいです。連れてきますか?」
「そうだねえ、話もしてみたいね」
「わかりました。ルナール、呼んできてくれ」
「はい、ゴロー様」
今朝は別室で朝食を摂ってもらっていたので、ハカセとは顔を合わせていなかったのだ。
2分ほどで、ルナールに連れられて元助司祭がやって来た。
「お、おはようございます……」
「ああ、おはよう」
「おはよう」
「おはようさん」
元助司祭はすっかり毒気が抜けた顔で、少しおどおどしている。
こちらが素の顔なのだろうか、とゴローは思った。
髪も目も茶色、この世界では最もよくある色で、地味。身長は155セルくらい、やや痩せ型。
「助司祭さん、もうすっかり正気に戻ったようだねえ」
「あ、はい。……あの、もう助司祭はやめましたから。……私、ヴェルシア・サン・ドラクといいます」
「へえ? お貴族様かい」
この国でミドルネームを持つということは、実家が爵位持ちであるということだ。
「……もうお取り潰しになった家ですけど。私一人しか残っていませんし」
それでも家名を残しておきたくて名乗っている、とヴェルシアは言った。
「そうかい。あんたもいろいろ複雑な事情を抱えているようだね」
そういうところを突かれて洗脳されたんだろうねえ、とハカセは言った。
「まあお座りよ。……改めて名乗らせてもらうよ。あたしはリリシア・ダングローブ・エリーセン・ゴブロス。みんなは『ハカセ』と呼んでいるよ」
「俺はゴロー」
「サナ」
「ティルダなのです」
「ルナールです」
「あ、よ、よろしく、お願いします」
ぺこり、と頭を下げるヴェルシア。
「まあ、お座りってばさ」
「あ、はい。それでは……」
再度ハカセに勧められ、テーブルの端の椅子に腰を下ろすヴェルシア。
「すっかり正気に戻ったみたいだねえ」
ドワーフのティルダ、獣人のルナールにも何の忌避感も見せていない様子を見たハカセは静かな声で話し掛けた。
「あ、はい。…ゆっくり考えさせていただいて、今までがどれだけ異常だったか、やっと気が付きました」
「そうかい。それに気が付ければ上出来さね」
「いろいろご助言、ありがとうございました、えっと、ハカセさん」
「さんはいらないよ。ハカセでいい」
「あ、はい、ハカセ」
「うん」
「……ゴローさんも、いろいろとありがとうございました」
「いや、なに」
「ルナールさん、失礼なことを言ったかと思いますが、お許しください」
「いいえ、気にしないでください」
「ティルダさんも……」
「いいのですよ」
人が変わったようにおとなしく、礼儀正しくなった元助司祭……ヴェルシア。
考えてみれば元貴族の令嬢であれば、こっちが素なのだろうなあとゴローは思ったのだった。
「それであんたは、これからどうしたい?」
洗脳から解かれたなら、自由意志で自分の進む道を選ぶことができる。
そこでまずハカセは、ヴェルシア本人の意思を確認したのである。
「はっきり言って……まだ、よくわかりません……」
「そうかい。まあ、それも無理からぬ事だよねえ」
正気に戻ったばかりでどうしたいと聞かれても困るかねえ、とハカセは薄く笑った。
「それじゃあ、聞き方を変えよう。あんたは、何ができるんだい?」
「ええと、薬草から薬を作ることができます」
「ほう?」
「……教会で、叩き込まれましたから……」
「なるほどねえ。ちなみに、どんな薬を作れるんだい?」
「教わったものは、一応、全部作れます」
「そりゃあ優秀だ。……じゃあ、腹痛の薬は何で作る?」
「下痢を伴うのでしたら『オウレン』『オウバク』『ソウジュツ』『動物の肝』でしょうか」
「ほうほう、いいねいいね。……それじゃあ頭痛薬は?」
「ええと、『タクシャ』『チョレイ』『ソウジュツ』『ブクリョウ』『シナモン』でしょうか」
「うんうん、ちゃんとしてるねえ」
(……漢方かな?)
横で聞いていたゴローはそんな感想を抱いた。
ゴローの『謎知識』は、その薬用植物名と配合が漢方のそれに極めて近い、と言っていたのだ。
その『謎知識』が教えてくれる『漢方』の配合と8割くらい一致しているので、元助司祭……ヴェルシアの薬師としての腕前は確かなんだろうなとゴローは思ったのであった。
ゴローがそんなことを考えていると、ハカセがヴェルシアに提案をしていた。
「よし、まずは『体を温める』飲み物を作ってごらん」
薬以前の、『民間薬』として扱われるレベルのものである。
とはいえ、効能はバカにできない。
「え、ええと、『クズ』と『ショウガ』、それに『甘味料』でいいでしょうか?」
「いいよ。ちゃんとわかってるね」
どうやらハカセも退屈していたようで、ヴェルシアに薬作りの指導をすることで無聊を紛らわせようと思ったらしい、とゴローは2人を眺めていた。
と、ハカセから声が掛かる。
サナに。
「サナ、フロロちゃんに頼んで、いいクズの根のある場所教えてもらえないかねえ?」
「うん、聞いてみる」
サナは二つ返事で庭へと出ていった。
そしてハカセはゴローに、
「ゴロー、『樹糖』はまだあったよね?」
「あ、はい。大丈夫だと思います」
樹糖はメープルシロップの一歩手前の液体である。そのまま飲むとほんのり甘みを感じる。
もう少し煮詰めるとメープルシロップと呼べる状態になる、そんな液体だ。
「あれは、いろいろな栄養も含んでいるからね」
「なるほど」
実際のメープルシロップは糖分以外にもビタミンB2・B5、カリウム、カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛なども含んでいる。
もちろん薬やサプリメントとして見たら微々たる含有量ではあるが、健康食品としてみれば優秀である。
それをハカセは『クズ・ショウガ湯』のレシピに加えたわけである。
* * *
「ハカセ、もらってきた」
「おお、いいクズ根だね」
「……」
「うん。木に絡みついたクズの根は大きくなる、らしい」
「なるほどねえ」
「で、根絶はダメだけど、適度に間引いてあげる程度ならこれからも、くれるって」
「……」
「おお、そりゃいいねえ。クズ根はクズ粉だけじゃなく乾燥させて薬に使えるからねえ」
「あ、あのっ」
「ん?」
「その、フロロさんって……」
「庭に棲んでる、『木の精』」
「えええ!?」
「あれ? 会ってなかったっけ?」
「ハカセ、会ってないと、思う」
「そうかー、マリーちゃんとは会っているけど、ヴェルちゃんはフロロちゃんとは会っていないか……」
「ヴェ、ヴェルちゃん!?」
「うん、その方が呼びやすいからね。嫌かい?」
ヴェルシアはぶんぶんと首を左右に振った。
「い、いいえ、それでいいです!」
「そっか。ならいいさ。……じゃあヴェルちゃん、このクズ根からクズ粉を作ろうかねえ」
「はい!」
楽しげなハカセと、生き生きしているヴェルシアを見て、ゴローはほっこりするのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は都合によりまして6月16日(木)14:00の予定です。
20220609 修正
(誤)助司祭
(正)元助司祭
2箇所修正。