08-18 高所恐怖症
王城南にある芝生広場に大歓声が沸き起こっていた。
もちろん、ゴローたちが『空を飛んできた』ことに、そしてそれが『人工物に乗って』であるからだ。
『亜竜』という生物が存在し、それを乗りこなす『亜竜ライダー』という人々がいるこの世界で、『人工物に乗って空を飛んだ』ということは画期的なことであった。
なにしろ『亜竜』そのものを見る機会が少なく、『亜竜ライダー』という職業があることは知っていても見かけることはまずないからである。
つまり、知識として空を飛べることは知っていても、実際に空を飛ぶ者を見たことはないという人々が大多数なのだ。
そこへ、実際に空を飛んでくれば、驚かれるのは当然である。
しかも、だ。
乗ってきたモノが、捕獲するのも手懐けるのも困難を極める『亜竜』ではなく『飛行機械』なのだから、『もしかしたら、いつか自分も乗って空を飛べるのではないか?』という望みを抱いたりした者もいたであろう。
そういうわけで、この日の広場はまさに『世紀の一瞬』を目にした人々の歓喜と興奮に包まれていたのであった。
「おのれ……そんな馬鹿なことがあるか……あのような市井の技術者が飛行機械を完成させるなどと……あってはならんのだ…………っ……!」
だが、そんな中にあって、嫉妬と憎悪の昏い炎に身を焦がすものが1人。
飛行機工場初代工場長のウェスクス・ガードナーである。
* * *
着陸した二重反転ヘリコプターからゴロー、サナ、アーレンが降りると、広場はさらなる歓声に包まれた。
「な、なんだなんだ」
「……やかましい」
「どうやら僕らを讃えてるみたいですが……」
声が混じり合っているので、一人一人が何を叫んでいるのかよくわからない状態である。
〈……どうやらアーレンの言うとおりらしい〉
〈うん〉
ゴローとサナは人造生命独自の聴覚により、観衆が『飛行万歳』『飛行おめでとう』『王国の誇り』『空飛ぶ英雄』などと口々に叫んでいるのを聞き分けていた。
とりあえず聞こえなかったような顔をして、駆け寄ってきたローザンヌ王女の握手と称賛を受けることにした。
「おお、凄いぞ、ゴロー、サナ、アーレン! やってくれたな!!」
3人と代わる代わる握手をするローザンヌ王女は上機嫌。
そして……。
その肩を、モーガンが抑えた。
「駄目です、殿下」
「まだ何も言っておらんぞ!」
「仰らなくてもわかります。乗りたいんですよね?」
「乗りたい!」
清々しいまでの即答だった。
「駄目です」
こちらも即答である。
「なぜだ! 私が発注した飛行機械であるぞ!」
「では言い直しましょう。『今は駄目です』。もう少し安全を確認してからでないと」
「確認ならゴローたちがここまで飛んできたではないか!」
「いえ、距離が短すぎます。もう少し確認しないと」
「……誰が確認するのだ?」
「私が」
「そんなことを言って、先に乗りたいだけではないのか?」
「……断じて違います」
「その間は何だ?」
「……いえ、別に」
「目を逸らすでない」
そんなすったもんだを経て、結局の所、ゴローの操縦でモーガンとガードナーが乗ることになった。
「……」
「さあ、飛んで見せてくれ、ゴロー!」
「は、はい」
「……」
無言でガードナーはゴローを睨んでいる。
(なんなんだ……)
〈ゴロー、鬱陶しかったら空から蹴落とせば?〉
〈いやいやいや、それは駄目だろう〉
外にいるサナから物騒な念話が届いたが、ゴローは慌ててそれを拒否した。
「では、行きます」
エンジンをスタートさせると、音と振動が伝わってくる。
「おお、中は少し静かだな」
「ええ、会話はできますよ」
密閉された機内なので、外よりも静かだった。
「パワー上げます。……離陸」
「おお!」
「う、浮いた……」
機体がふわりと浮いた瞬間、微妙な揺れとともに少しだけ身体が重くなる感覚。
上昇しているがゆえの現象だ。
「おおっ!」
「また飛んだぞ!」
「すげえ!!」
外では観衆が大騒ぎしている。
ゴローは機体を50メルほどまで上昇させてから、水平飛行に移った。時速は20キルほど。
初めのうちは、速度は控えめにしておく。
そのまま北西へと飛んでいく。
すぐに王都は後ろになり、眼下には麦畑が広がった。行く手には『翡翠の森』が見えている。
「どうですか?」
「うむ、思ったよりは乗り心地がいいな」
「……飛んでる……」
ガードナーは青い顔をしてチラチラ外を見ていた。
「安定しているでしょう?」
「うむ、そうだな……しかし、この頭の上で回っているプロペラが止まったら落ちてしまうのだろう?」
「それはそうですね」
そうならないよう、強度や構造には十分注力した、とゴローは説明。
「空を飛ぶということはそういうことですしね」
「うむ、それはそうか」
空を飛んでいれば落ちることもあるだろう。
水に浮かぶ船は沈むこともある。
陸を走る車だって、何かにぶつかることもあれば崖から落ちることもある。
要は事故率と、その対策である。
ゴローはそう説明した。
「この試作機は、右回りと左回りで別々のエンジンを使っていますから、両方いっぺんに止まるという故障は、ないとは言いませんが少ないと思います」
「まあ、そうだろうな」
その場合は反動で機体が振り回されながら降下するだろうとゴローは説明した。
「あまり乗り合わせたくないな」
「それは俺もです」
こうした時に、『亜竜の翼膜』を使った飛行機は強いな……とふと思ったゴローであった。
「もう少し速度を上げます」
「うむ。どのくらいまで出る?」
「時速100キルくらいは出ますが、危険があるので70キルくらいまでですね」
「それでも十分に速いな。……聞いた話だと『亜竜ライダー』の記録が時速120キルだと聞いたことがあるが、それは競技の話であって、実際日常的には時速60キルくらいだというからな」
「そうなんですか」
思わぬところで貴重な情報を聞くことができた、とゴローは内心喜んだ。
「ところで……」
「え?」
「いや、ゴローではない。……ガードナー、随分とおとなしいな?」
「は、はあ……」
乗る前には威勢のよかったウェスクス・ガードナーであったが、空の上では借りてきた猫のようにおとなしい。
それを訝ったモーガンがいろいろと尋ねてみると……。
何と、ガードナーは高所恐怖症であるということがわかったのである。
「なんだ、貴殿は高いところが苦手なのか!」
「は、はあ……自分としても、建物の窓から見下ろすのは平気なのですが、こうして飛んでみるとどうにも腰から下に力が入らず……」
よく見ると小さくがたがた震えている。
「それでよくも飛行機工場の工場長になったなあ……」
「はあ、面目ない……これでは到底役目を果たすことはできそうもありません。戻り次第、辞職いたします」
「そう思い詰めるな」
「いえ、決めました。……これでは、ゴロー君に対し、面目が立ちませんからな」
散々偉そうなことを言っておきながら、いざ空を飛んでみたらこの体たらく。自分が情けない、と萎れてしまったのである。
操縦席でそれを聞いていたゴローは、なんとなくガードナーに同情する。
が、何もできそうなことはなかったので、早めに着陸してやろうと、『翡翠の森』手前でUターンを行い、王都へと戻る。
Uターンの際も、ガードナーは座席にしがみつき震えていた……。
* * *
ゴローたちを乗せた二重反転ヘリコプターは、無事広場に着陸する。
大歓声の中、手を振りながらモーガンが、そしてよろよろとガードナーが、最後にゴローが地面に降り立った。
そのままガードナーは芝生の上にへたり込んでしまい、モーガンが近くにいた近衛兵に頼んで王城内へと連れて行ってもらう。
「奴はどうしたのだ?」
「はあ、どうやら高いところが苦手だったようです」
訝しむローザンヌ王女にモーガンがそっと答えた。
「なんだ、せっかく空を飛んだというのに、情けない」
「殿下、あまり責めてやりませぬよう。本人も情けないと己を恥じており、工場長は辞職すると言っております」
「む、そうか。……ところでモーガン、今度こそ私が乗ってもいいだろうな?」
「…………はい」
「そうか!」
嬉々として二重反転ヘリコプターに乗り込むローザンヌ王女であった。
「そういうわけであるから、ゴロー、頼む」
「はい」
そしてお目付け役として、モーガンも再び乗り込んだのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は都合により、9月16日(木)14:00の予定です。
20210909 修正
(誤)早めに直陸してやろうと、『翡翠の森』手前でUターンを行い
(正)早めに着陸してやろうと、『翡翠の森』手前でUターンを行い