07-21 エーテル
ゴローは、自分も名前を出さなくていいと言ったのだが、『自動車』の開発者として、そうはいかないようだった。
「工房に入り浸っているのを大勢が知っていますしね。それに、これが『足漕ぎ自動車』から発展したものだと、これまた多くの人が知っていますから」
「ああ、そうかあ……」
そもそも、王族であるローザンヌ王女や元近衛騎士隊隊長のモーガンも知っているはずなのだ。
幸いというか、ハカセのことはその伝説的な名前と業績はともかく、それを今この工房にいるこの人と結びつける人はほぼいない……はずであった。
「共同開発者としてゴローさんの名前が出るのは避けられませんよ」
「しょうがない。……ハカセの名前は出さないでいてあげてくれ」
「それならなんとか……」
「すまないねえ」
「それは言わない約束でしょ」
「は?」
「?」
「あ、いや、なんとなく『謎知識』がそういう反応をするのがテンプレだと囁いたので」
「ゴローだねえ……」
そんな一幕もあったが、そろそろ日が傾いてきたので、ハカセとゴローは『試作2号車改』で帰ることにした。
「明日は町の外へ出てみるよ」
少し走り回って不具合点を見つけ出し、修正する……ということも試作機には必要なのである。
「僕も行きたいですが、『量産試作』の方を見ないといけないので……結果は教えて下さいね!」
「わかってるさね。修正はここへ来て行うから」
「お願いしますよ」
そういうわけで、ハカセとゴローは『試作2号車改』で家路についたのである。
「ううん、乗り心地もよくなったね」
「運転もしやすくなりましたよ」
「明日が楽しみだねえ」
ブルー工房から屋敷までの道筋はいつも同じなので、沿道の住民は皆、こうした『自動車』に慣れっこになっており、あまり気にしなくなってきていた……。
* * *
「お帰り、ゴロー。お帰りなさい、ハカセ」
「ただいま」
「さっきミューが来て、今年初めてのモリーユを置いていってくれた」
「え、ミューが?」
ミューはエサソン。
エサソンは10セルくらいの小さな妖精だ。
普段は半透明で、ゴローたちの前では茶色の髪、茶色の目の姿になっている。
食べるものは『妖精バター』と呼ばれるキノコから出る黄色い汁なのでキノコについて詳しく、いろいろ教えてくれたり、分けてくれたりする。
困っている人間に手を貸して親切にするが、姿を見られると去ってしまう面もあるという。しかしミューはなぜかゴローたちに懐いて屋敷の庭奥に棲み着いた。
「モリーユはバターで炒めると、美味しい」
「だったな」
日本名はアミガサタケ。春に出るキノコで、実は生で食べると毒があると言われている。
だが火を通せば大丈夫。
ゴローはバターで炒めたあと、塩コショウで味を調える、というシンプルな調理を行った。
「はあ……美味しいねえ……しかしゴロー、エサソンまで棲み着いているとはね。この屋敷はどうなっているんだい」
「うーん、よくわからないんですよ。ただ、『木の精』のフロロが気に入っているからには、何かあるんでしょうね」
「ああ、なるほど。『地脈』が通っている、とか、そんな感じなのかね」
「はい、仰るとおりです」
「え?」
ハカセの言葉に答えたのは『屋敷妖精』のマリーだった。
「このお屋敷の真下には『龍脈』と呼ばれる大地の気脈が通っていて、さらには『節』もあるので、わたくしやフロロ様、ミューさん、それにピクシーたちにとって、住みよい環境なのです」
「へえ……マリー、少し話を聞かせてもらってもいいかねえ?」
「はい、わたくしでよろしければ」
「あんたがいいんだよ」
と、ハカセは食事をすっぽかしてマリーのそばへ行こうとしたものだから、慌ててゴローとサナは引き止めた。
「ハカセ、マリーは逃げませんから、食事はちゃんと食べてください」
「え……あ、ああ……わかったよ……」
2人に言われ、渋々ながらハカセは座り直し、大急ぎで食事を済ませると、今度こそはとマリーのところへにじり寄った。
「ええと、その『地脈』に流れているのは『マナ』なのかい?」
「ちょっと違います。もっと根源的なものです」
「根源的、ねえ……属性に関するものかい?」
「そうとも言えます。全ての属性を包括するものです」
「ふうむ……古の神秘学でいう『エーテル』かねえ……」
「その『エーテル』が、『天体を構成する元素』という意味ならそのとおりです」
「ううん……『エーテル』は気体、液体、固体それぞれの状態をとるのかい?」
「もちろんです。気脈に流れているものは気体のエーテルです」
「固体のエーテルというものもあるんだね?」
「もちろんです。ゴロー様やサナ様もお持ちです」
「え?」
聞き捨てならない言葉がマリーから飛び出してきた。
「ええと、ゴローやサナが持っている?」
「はい」
「……もしかして、『哲学者の石』かい?」
「そう呼んでいらっしゃるようですね」
「こりゃ驚いた」
『哲学者の石』が固体のエーテルだとは、さすがのハカセも知らなかったようだ。
「これだから長生きはしてみるもんだねえ」
喜びに顔を綻ばせるハカセ。
「液体のエーテル、ってのもあるんだね?」
「はい。古の人々が『エリクシル』と呼んでいたものがその1つです」
「『エリクシル』かい……ああ、あんたのいう『古の人々』ってのは、『古代文明』を築いた人々のこと、でいいのかい?」
「はい、そうなります」
「なるほどねえ……もしかするとエーテルをより理解できれば、魔法の応用も広がるんだろうかねえ」
「わたくしは魔法については詳しくないので、お答えできませんが、おそらくは」
「そうかい。こりゃ、今研究してみる価値があるねえ」
「それでしたら、フロロ様にもお聞きしてみることをお勧めします」
「ああ、そうか、『木の精』だったねえ、フロロは。あたしより長く生きていそうだ」
実際、フロロはおよそ560歳。ハカセは358歳なので、フロロのほうが200歳も年上である。
* * *
「あわわ、さっぱりわけがわからないのです」
ハカセとマリーの話を聞くとはなしに聞いていたティルダが慌てた。
「安心しろ。俺もわからない」
「私も、ちょっとしかわからない」
「ちょっとはわかるんだ……」
神秘学・錬金術・魔法学などに深く通じた者でなければ、理解は難しいだろうと思われた。
その点、サナは長年ハカセの助手をしてきたので、おぼろげながらもその概要がわかるらしい。
「要するに、土・水・火・風の四大を包含するのが『空』。それがすなわちエーテル」
「無属性とは違うのか?」
「違う。そもそも魔法の属性は四大に帰するもの。雷は風と水に、光は火と風に。闇は水と土に。無属性は四大全部を含む」
「だったら『全』属性って言わないか?」
「言えない。なぜなら火と水、地と風が打ち消しあって属性が消えてしまうから」
「……難しいんだな」
ゴローがぼやくと、サナはこくりと頷いた。
「難しい。……今、私が言ったことだって、この先研究が進んだら否定されるかもしれない」
「そういうものか」
「そういうもの」
こりゃ、ハカセのように長寿な人でないと極められないな、と心のなかでため息をついたゴローであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は5月2日(日)14:00の予定です。
20210429 修正
(誤)『自動車』の開発者として、そうははいかないようだった。
(正)『自動車』の開発者として、そうはいかないようだった。
(誤)それが今この工房にいるこの人と結びつける人はほぼいない……はずであった。
(正)それを今この工房にいるこの人と結びつける人はほぼいない……はずであった。
(誤)「僕も生きたいですが、『量産試作』の方を見ないといけないので……結果は教えて下さいね!」
(正)「僕も行きたいですが、『量産試作』の方を見ないといけないので……結果は教えて下さいね!」
(誤)「さっき、エサソンが来て、今年始めてのモリーユを置いていってくれた」
(正)「さっき、エサソンが来て、今年初めてのモリーユを置いていってくれた」
(誤)困っている人間に手を貸して親切にするが、姿を見られると去ってしまう面も。あるというが、ゴローたちに懐いて屋敷の庭奥に棲み着いた。
(正)困っている人間に手を貸して親切にするが、姿を見られると去ってしまう面もあるという。しかしミューはなぜかゴローたちに懐いて屋敷の庭奥に棲み着いた。
(誤) エサソンのミューは、普段は半透明で、ゴローたちの前では茶色の髪、茶色の目の小さな人型をしている。
エサソンは10セルくらいの小さな妖精だ。
(正)エサソンは10セルくらいの小さな妖精だ。
(旧)「さっき、エサソンが来て、
(新)「さっきミューが来て、
(旧)
エサソンは10セルくらいの小さな妖精だ。
(新)
ミューはエサソン。
エサソンは10セルくらいの小さな妖精だ。