07-18 矜持
ゴローが描いた『デフ』つまり『ディファレンシャルギア』の図面を眺め、アーレン・ブルーは顔を顰めた。
「これは……素晴らしい構造ですが……作るのが難しいですね」
平歯車さえ、精度よく作るのが難しいのが現状。
なのに、『デフ』では傘歯車を使うことになっているのだ。
「どうやって削り出せばいいやら」
「ああ、それに関して、1つ案があるんだよ」
ここでハカセが口を開いた。
「ゴロー、『摩擦車』ってものを以前ちょっとだけ教えてくれたね?」
「あ、はい」
「……その『摩擦車』を使ってこの『デフ』を作れないかねえ?」
「作れないこともないと思いますが、いろいろと問題が出るかと」
「例えば?」
「すぐに思いつくのは2つ。1つは摩擦力不足によるスリップですね。もう1つは摩擦車の摩耗です」
「ふむ」
その名のとおり、摩擦を使って動力を伝達する機構が摩擦車である。
歯車の場合は歯と歯がガッチリと噛み合って回るので滑ることはないが、摩擦車の場合は摩擦力以上の力を伝えることはできない。
また、スリップを起こすということは接触面が摩耗するということであるから、常時メンテする必要が生じる。
ただ、歯車に対し、大きな利点もある。それは、噛み合せ音が生じない、静音性の高い機構だということだ。
それはすなわちスムーズな動力の伝達ができるということである。
「その2つの欠点をどうにかできれば、実用化はできるかねえ?」
「……多分できると思います」
「そうかい。……じゃあ言うけどね、『摩擦車』の表面に『魔法処理』をするのさね」
「魔法処理……ですか?」
「そう。まあ、『土属性魔法』になるのかねえ。あるいは『補助魔法』かね」
『水属性魔法』は液体に作用する魔法、『風属性魔法』は気体に作用する魔法ということができる。
同様に、『火属性魔法』はエネルギーに作用する、ということになるのだろうか。
そして『土属性魔法』は、『固体』に作用する魔法であろう。
「表面の摩擦を増やす……というか、『くっつける』魔法は、結構使っているだろう?」
「あ……『接着』や『接合』ですね」
『接着』は土属性の魔法、『接合』は補助魔法。
どちらも2つの物体を仮止めすることができるものだ。
ただし融合ではないので、大きな力が加わると剥がれてしまう。
「ははあ……『ファンデルワールス力』を使うんでしょうかね」
「は?」
『ファンデルワールス力』は、原子や分子の距離の6乗に反比例して働く力である。
ヤモリが壁や天井を這うことができるのはこの力が足の裏にある『趾下薄板』と壁や天井との間に働くから、と言われている。
閑話休題。物理学的な原理はさておき、この『接合』を使えば、歯車を使わずとも非接触で摩擦車を使用するという、地球の物理学者や技術者が見たら発狂レベルの機構が作れるかもしれないのだ。
「やってみましょう!」
構造は歯車部分を摩擦車にするだけである。
そして摩擦車なら作るにあたり精度の問題はない。
アーレン・ブルーは1時間で試作のデフギヤ……歯車ではないのでギヤではない……『差動装置』を作り上げた。
そこへハカセが『接合』の魔法を掛ける。
「さあ、どうかねえ?」
デフの動作は、模型で見てみると面白い。
デフの左右からは車軸が伸びており、それぞれにタイヤが取り付けられる。
デフを固定して左右どちらかのタイヤを回すと、反対側のタイヤは逆方向に回るのだ。
とはいえ、デフの詳細な作用を言葉だけで表現するのは難しいので、これ以上の説明は省かせてもらう。
とにかく、ゴローが図示し、アーレン・ブルーが製作し、ハカセが魔法処理した『デフ』は、正常に作動した。
「おお、いいねいいね」
「あとは実用に堪えるかどうかですね」
「それは『試作2号機』に搭載すればわかるさね」
そしてそういうことになった。
少しずつ完成に近付いていく『試作2号機』だが、まだ越えるべきハードルは多い。
「この『摩擦車』って、変速機構にも使えますね」
「ああ、そうだねえ」
『魔法エンジン』は加える魔力量で回転数が変わるのだが、その特性は決してよくはない。
どういうことかというと、回転数が低い時はトルク(回転する力)が小さく、回転数を高めるとトルクが大きくなるという特性を持っているのだ。
これでは、停止から動き出すのに必要なトルクを得るための回転数がそれなりに高いことを意味し、それはつまり急激な発進をしやすいことになる。
理想は回転数が低い時にはトルクが大きく、回転数が高くなるとトルクが小さくなるような特性である。
これに近いものとして電動モーター(以下モーター)がある。
ゆえに、モーターを使っている『電車』には、基本的に変速機構が必要ないのだ。
一方、まったく同じではないが、この『魔法エンジン』の特性は『ガソリンエンジン』に近いものがある。
そうなるとクラッチと変速機構が必要になるということが容易に想像できる。
『試作1号車』にそうした機構が付いていなかったのは、もちろん試作だったからという他に、ゴロー自身がうまく魔力量を調整していたということもあったのだ。
「そこをうまくやらないと『誰でも』乗れる車にはならないねえ」
「ですね」
『ガソリンエンジン』とは違い、停止から回転への移行はスムーズなので、クラッチの必要性は低いのではないかとゴローは主張した。
よってまずは『変速機』を開発しよう、というわけである。
「摩擦車を使えるなら、無段変速が可能ですしね」
現代日本のオートマチック車でも無段変速は取り入れられている。
『CVT』(Continuously Variable Transmission)と言われる機構がそれだ。
日本語訳では『無段変速機』『連続可変トランスミッション』ということになる。
そんなCVT車のデメリットに、ハイパワーエンジンに対応できないというものがある。
摩擦を利用とした機構部分で『滑り』が生じてパワーロスを起こすからだ。
その点、『魔法式摩擦車』なら大丈夫である。
彼らが作り上げたのは『トロイダルCVT』と呼ばれるものにごく近い機構だった。
ベルト式も考えたのだが、材質的にベルトの強度が確保できなかったのだ。
「亜竜の革ならいけそうだけど、希少すぎて量産化には向かないだろうしねえ」
とはハカセの言葉。
今の段階で、この3人は『自動車の量産化』まで視野に入れているのだった。
驚くべきこと……と思えるが、その実は『ブルー工房』に利益を出すにはどうすればいいか、という問題を解決するためである。
さすがに、材料代、工具代、工場の使用料……などなど、全てをアーレン・ブルーにおっ被せるのは良心が咎めたのである。
「これだけ便宜をはかってもらっていて、それに甘えるだけじゃ技術者としての矜持が許さないからねえ」
これもまた、ハカセの言葉である。
とにかくそういうわけで、『試作2号車』は量産化を前提とした設計になっているのだ。
もっとも、まだまだ量産化への道は遠いのだが……。
それでも一歩一歩、ゴローの『謎知識』がいう『自動車』に近づきつつある『試作2号車』であった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月22日(木)14:00の予定です。
20210420 修正
(誤)無断変速
(正)無段変速
2箇所修正。 orz
(旧)「ははあ……『弱い力』を使うんでしょうかね」
(新)「ははあ……『ファンデルワールス力』を使うんでしょうかね」
(旧)『弱い力』。『ファンデルワールス力』ともいい、原子や分子の距離の6乗に反比例して働く力である。
(新)『ファンデルワールス力』は、原子や分子の距離の6乗に反比例して働く力である。
20230905 修正
(誤)「これだけ便宜を払ってもらっていて
(正)「これだけ便宜をはかってもらっていて