07-15 さらなる改善点とゴム
おそらくは、この世界初の『自動車』が完成した。だが、開発者の1人であるハカセは不満そうだ。
「乗り心地が悪すぎるよ」
それがハカセの不満点である。
この世界では、通常の『馬車』の速度は、時速4キルから6キル。
高速馬車で時速10キルから15キル。
暴走した馬車だと時速20キルを超えることもあるようだが。
そして、道路状況……路面の状態はそんな馬車に適応している。
いや、馬車が路面の状態に適応していると言うべきか。
わかりやすくいうなら『凸凹が多い』のである。
未舗装の路面を普通の乗用車で走ったことのある方なら想像がつくであろうか。
低速であれば我慢できる揺れも、中速〜高速で走ると、どうしようもないほどの揺れとなる。
王都の町中でさえ、『足漕ぎ自動車』の最高速度である時速30キルで走ると、その振動はかなり酷かった。
サナやティルダは何も言わなかったが、時速50キルで走った時の振動はさすがに辟易するだろうな、とゴローは想像した。
なのでハカセが最高速である時速50キルで走る『自動車』には、絶対に長時間乗りたくないというのも無理はなかった。
「タイヤとサスペンション、ショックアブソーバーの改良が必要ですね」
『謎知識』を駆使してゴローが改善案を口にすると、当然ハカセが食いついた。
「なんだい、それは!? 説明しておくれ。さあ! さあ!!」
「わかってますよ。ちょっと待ってください」
ゴローもハカセの食いつきにはなれてきているので、落ち着いてくださいと宥めつつ、アーレン・ブルーに紙とペンを貸してくれと頼んだ。
「わかりました!」
アーレンも、ゴローが博識なことを知っているので、すぐに筆記具を用意した。
ゴローはそれに、簡単なイメージスケッチを描いていく。
まずはサスペンションとショックアブソーバー。次はタイヤだ。
「ハカセ、ざっと描いてみました」
「どれどれ。……うーん、複雑だねえ……でも、ここまでしないと振動を吸収できないんだねえ」
「ええとゴローさん、この『ショックアブソーバー』ってなんですか?」
アーレン・ブルーもイメージスケッチを覗き込み、ゴローに質問をした。
『サスペンション』についてはアーレンも理解しているし、『足漕ぎ自動車』にも簡単なものは付いているので、彼の興味はもっぱら『ショックアブソーバー』に向けられている。
「ええと、ショックアブソーバーは『ダンパー』とも言って、『揺れを吸収』する機構かな」
「揺れを吸収?」
「うん。……うーん……あ、そうだ。振り子、ってあるだろう?」
「ええ。糸の先に重りを付けたものですね」
「それって、揺らすとなかなか止まらないよな?」
「まあ、そうですね」
「でも、同じ物を水の中で揺らすとすぐに止まるだろう?」
「やったことはないですが……多分そうなるでしょうね。……ああ、そういうことですか」
アーレン・ブルーも非凡な技術者であるから、ゴローの例えを聞いてその役割を理解したようだ。
「実際、ショックアブソーバーは、油に揺れを吸収させているしな」
「ゴロー、詳しく」
「え、あ、はい」
ハカセの求めに応じ、ゴローは『謎知識』を駆使して、油圧式のショックアブソーバー(オイル式ダンパー)の図解を描いた。
「うーん、これまた複雑な構造だねえ」
「これって、部品の加工精度が極限まで求められますね。一つ間違ったらきつくて嵌まらなかったり、あるいはガタガタでオイルが漏れてしまいそうです」
とはいえ、『チェーン』や『ローラーベアリング』を作ることができるアーレン工房なら、『ショックアブソーバー』も作れてしまいそうではある。
だが、とりあえずゴローは別の案も出してみた。
「あとは、ゴムを使うという手がありますが」
「ゴム? あの、服に使うやつかい?」
衣類……下穿きのウエスト部分にゴムが使われているのだ。
ゴムの木から採った樹液に硫黄を混ぜ(加硫)して使っている。つまりNR(天然ゴム)である。
「はい、それです」
「あれがショックアブソーバーに使えるのかい?」
「はい。ついでに言うとタイヤにも」
「ああ、こっちだね」
ハカセはタイヤのイメージスケッチをもう一度確認した。
「うーん……勘だけど、強度的に保たないと思うんだがね」
技術者としてのハカセの勘は正しい。
天然ゴムだけでは、強度的に不足するだろうからだ。
「ええ、だから、強度を増すために『カーボンブラック』を混ぜるんですよ」
「カーボンブラック?」
「平たく言うと『煤』ですね」
「あの、煙突にたまる黒いやつかい?」
「そうです。ただし、ちゃんと管理して製造したほうがいいはずです」
煤……『カーボンブラック』は、化学的にはほぼ純粋な炭素である。
だが、物質として見ると複雑な構造をしており、ゴムに混ぜるとゴムの結合力を増す働きがある。つまり『丈夫になる』のだ。
「なあるほど……『謎知識』様々だねえ」
「で、そんなゴムにも振動抑制の効果があるんですよ。油を使ったショックアブソーバーより寿命は短いですが」
「なるほどね」
「なら、簡単に交換できるようにしたらどうでしょう」
「それでもいいかもしれないな」
とにかく、理屈をこねるばかりじゃなく、作ってみて使ってみなければ実用化にはつながらない、というのがハカセ、ゴロー、アーレンたちの考えであった。
そういう点から見ると、この3人は実践派である。一番研究者肌なのはハカセであろうが、それでも実物を作り出すことを重要視しているのだから。
「生ゴムも硫黄も煤もありますから、試しに混ぜてみましょう」
「そうだね。どのくらい強度が上がるのか、実感してみないとねえ」
そういうわけで、ブルー工房で実験が行われることになった。
ゴムの木の樹液を集め、ゴミなどを除去したものが『ラテックス』と言われる白いベタベタした乳液状のものである。
そこに、酸性の水を加えると固まりやすくなる。これを型枠に流し込んで水分を飛ばし、乾燥させたものが『生ゴム』である。酸の配合比はメーカーによって異なるようだ(酸性の度合い(pH)によっても変わる)。
この『生ゴム』に熱を加えて溶かし、硫黄を加えることで(加硫)ゴムの分子が結合され、『天然ゴム(NR)』となる。
加硫しない生ゴムは温度に影響されやすく、低温下ではカチカチに固まり、高温下ではベタベタになってしまう。
だが加硫されたゴムは、一旦型に入れられて整形されたあとは、再度熱を加えても溶けることはない。
この『加硫』を発見したのがアメリカの発明家、チャールズ・グッドイヤーである。
ちなみに、タイヤメーカーであるグッドイヤー社は彼にちなんで命名されているが、グッドイヤー本人やその一族との関係はないそうだ。
* * *
生ゴムからタイヤ用のゴムを作ろうと実験する3人。
「なかなか難しいね」
「ですね」
軟らかすぎたり、硬すぎたり、固まらなかったり。
4度ほど失敗した後、ほぼ目的どおりのゴム片が完成した。
「できましたね」
「強度は……ああこれは……!」
「ほほう、これは確かに丈夫だねえ」
ゴローがかなり力を入れて引っ張ってもちぎれなかったのだ。
「これでタイヤを作るだけでも、かなり乗り心地が違うのではないでしょうか」
「多分そうなるな。ショックアブソーバーは後回しにして、タイヤを工夫するか」
さすがにいきなりチューブレスタイヤを作ることもできないだろうと、まずはチューブタイヤの検討にはいるゴローたちであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月11日(日)14:00の予定です。
20210408 修正
(誤)煤……『カーボンブラック』は、化学的にはほほ純粋な炭素である。
(正)煤……『カーボンブラック』は、化学的にはほぼ純粋な炭素である。