06-14 採取行 その3
谷の遡行を始めて2時間半ほど経った時。
「しっ、止まりな」
ハカセが小声で合図した。
「そろそろ亜竜の縄張りに入るよ」
ハカセが指差す方向には、大型獣の骨が散乱していた。
「奴らは肉食中心の雑食。あんたらやフランクは食べられないだろうけど、あたしは……あたしも美味しくないだろうけどねえ」
「いや、そういう問題じゃないんで気をつけていきましょう」
そういうことだった。
「うん、それで、これを使おう」
ハカセは瓶に入った液体を取り出した。
「臭い消しさ。これを使えば、臭いで勘付かれにくくなるよ」
幸い今は山風(高い方から低い方へ吹く風)なのでゴローたちは風下にいるわけだが、いつ何時風向きが変わらないとも限らないので、用心に越したことはない。
また、人間ではないゴロー、サナ、フランクではあるが、草のにおいや食事のにおい、焚き火のにおいなどが付いているのでやはり臭い消しの必要があった。
ただ、長時間は効果が持続しないので、このタイミングで、となったという。
「それからこれを被る」
更にハカセは枯れ草色の布を取り出した。
周囲の枯れ草や岩の色に紛れることができそうだ。
「迷彩柄だったらもっといいかも」
「なんだね、それは?」
とゴローがポツリと漏らしたせいで、ハカセからの質問タイムが始まってしまい、出発が10分ほど遅れたのはご愛嬌である。
* * *
それからの一行は臭い消しを身体に掛け、枯れ草色の布を被ってゆっくりと進んでいく。
今度はハカセも徒歩である。
(大丈夫ですか?)
(このくらいなら大丈夫さね)
傾斜が緩く、移動速度もゆっくりなのでハカセへの負担も少ない。
そして1時間。
(……しっ、いるよ)
ゴローやサナよりも早く、ハカセは亜竜の存在を感じ取ったらしい。
一行は大岩の陰に隠れ、そっと先を覗いてみると……いた。
3頭の亜竜が、獲物……山岳地帯に棲むヤギの仲間らしい……を啄んでいたのである。
そう、くちばし状に長く伸びた口吻で、肉をむしるようにしてちぎり、噛み砕き、嚥下する……を繰り返している。
舌は長く、骨に付いた肉をこそげ落とすようにしていた。
(……あの口に噛まれたら、あたしなんて簡単に引きちぎられちゃうね)
(縁起でもないこと言うのやめてください)
(はは、悪かったね、ゴロー)
(で、どうするんですか?)
(もうすぐ食べ終わるだろう。そうしたら飛び去るはずだから、それを観察する)
そう言ってハカセは望遠鏡を取り出した。
(ゴローとサナは警戒を頼むね。フランクは、いつでもあたしを抱えて逃げられるように待機)
(はい)
(わかりました)
そこまでの手をうち、ハカセは改めて観察を開始した。
獲物は既に骨だけになっている。
亜竜は、骨は好まないようで、3頭とも名残惜しそうに獲物から離れた。
そして翼を広げる。
ゴローはプテラノドンのようだ、と『謎知識』に教えられている。
もっとも、『謎知識』のいうプテラノドンよりも亜竜の方がずっと翼は小さい。
それこそ、物理的に飛べるとは思えない大きさである。
(お、飛ぶよ)
ハカセの声に、ゴローは視覚を強化して亜竜を見つめる。
3頭とも、背の翼を広げている。だいたい体長と同じくらいの翼長だ、やはり小さい。
しかも、翼は腕が変化したものではない。その証拠に、身体の下面には4本の脚が生えていた。
(む? むむむ……)
ハカセが唸っている。
そして亜竜3頭は、ほとんど翼を動かさずに空へと飛び上がっていった。
物理的な飛翔ではないことは明らかだ。
そして、時速30キロほどで3頭の亜竜は谷の上流側へと姿を消していったのだった。
* * *
「ふう……」
亜竜が姿を消し、10分ほど過ぎた頃。
ハカセは緊張を解き、地面に座り込んだ。
「ハカセ?」
「大丈夫?」
「ハカセ、お疲れですか?」
「ああ、ゴロー、サナ、フランク、あたしは大丈夫さね。ちょっと緊張の糸が切れただけだよ」
そう言ってハカセは微笑んだ。
「少し谷を戻るよ」
野営するにしても、亜竜の縄張りからできるだけ離れたほうがいいのは自明の理。
一行は来た道を戻り、前夜野営した場所まで戻ってきた。
「うん、ここでもう1泊しようかね」
「わかりました」
ゴローはてきぱきと天幕を準備していく。
その様子を見ながらハカセは、
「こんなことなら、天幕を撤収するんじゃなかったねえ」
と呟いた。
だがゴローは首を振る。
「いえハカセ、放置して他の動物にでも荒らされても困りますし、こんな荷物、苦になりませんから」
「そうかい? 悪いね、ゴロー」
「いいえ、どういたしまして」
時間的にはまだ午後4時前であるが、冬の日は暮れるのが早く、さらに谷底であることもあって、既に薄暗くなっていた。
「すぐ夕食の支度をします」
「頼むよ、ゴロー」
「ゴロー、薪を取ってきた」
「お、助かる」
ゴローが天幕の支度をしている間に、サナとフランクは薪を集めてきてくれていた。
多少湿っていても『乾かす』でカラカラにすることができるから問題なし。
「あまり肉の匂いのするものは作れないので、これで我慢してください」
肉を焼くようなことをすると亜竜に勘付かれる可能性があるので、ゴローが作ったのはお粥……いや、おじやであった。
味噌で味をつけ、道中で採集した香草で味を整えている。
乾燥肉も少し入っており、煮込んだので程よく柔らかくなっていた。
「疲れたでしょうから、消化のいいものにしました」
「うん、ありがとうよ、ゴロー。……ああ、おいしいねえ。身体に染み渡るような優しい味だよ。……フランク、レシピを覚えておいておくれ」
「はい、ハカセ。お任せください」
ゴローも、ハカセが気に入ってくれたレシピはフランクに教えこんでいるので、今後、食材さえあれば再現できるはずだ。
* * *
パチパチと薪のはじける音を聞き、赤々とした火を見つめていると心が落ち着くようだった。
食後はお茶を飲みながら、今日見たことのまとめを行う。
「やはり、亜竜は魔力……いや、魔法で飛んでいるね」
ハカセが観察したことを説明する。
「肝はあの羽だね。大きさの割に、支える骨格は頑丈だ。あのくらいでないと、奴らの巨体は支えられないんだろうさ」
最大のものだと体長10メルにもなるというが、今日見た亜竜の大きさは体長8メル、翼長もそのくらいはあった。
「あの翼膜に何か秘密があるんだろうね」
「秘密、ですか?」
「そうさ。例えば魔力を流すと浮き上がる力が発生するようになっている、とかね。それがどんな力かはまだわからないけれど」
「でも、風を起こしているんじゃなさそうですね」
「ああ、ゴローも気が付いたのかい。そうだね、下草がほとんどなびいていなかったからね」
そう、風を起こしているのなら、あの巨体を浮かせるためにはとてつもない風が生じるはずなのだ。ヘリコプターのダウンウォッシュのように。
そして、まさにその『秘密』が、ハカセの目指しているものなのであった。
それをできれば解明して帰りたいと、ハカセは思っているのであった。
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次回更新は1月21日(木)14:00の予定です。