05-06 帰途 4日目夜
中間地点での休憩も終え、ゴローたちと王族一行はまた別々の馬車に乗り込んだ。
「ワヒメカ村だったっけ。あそこには温泉があるんだよな」
それが楽しみなゴローである。
「行きに『温泉玉子』を教えたんだったな」
「うん」
「美味しかったのです」
あの時は、ゴローが買い込んだ10個の卵は、サナが5個、モーガンが4個、そしてゴローが1個食べて終わった。
その後、モーガン経由で村長にこの調理法が伝えられ、村の名物になるかもと村長から10万シクロ(10万円相当)の礼金を貰ったゴローなのである。
夕食時に1人1個付いてきたからティルダも味を知っているのだ。
* * *
空が茜色に染まり始める頃、一行はワヒメカ村に到着した。
硫黄の臭い(実際は硫化水素)が漂う、温泉の村である。
「そういえば、蒸しまんじゅうも食べたいなあ」
『謎知識』に教えられ、つい呟いたゴローだったが、サナの聴覚はそれを聞き逃さなかった。
「ゴロー、なに、それ?」
「え?」
「今、『ふかしまんじゅう』って言った」
「……ああ、言ったな……」
「美味しいの?」
「……多分」
「作れる?」
「……材料さえあれば」
「材料は?」
「最低でも小麦粉と黒砂糖。できれば重曹。それにあんこ」
「……最低限のものならありそう」
持参した『純糖』『パウンドケーキ』『クッキー』などの『甘味』は既に食べ尽くしており、甘いものに飢えているサナなのであった。
* * *
宿に落ち着くと、ゴローとサナは村長の家を訪ねた。ちなみにティルダは馬車疲れで部屋に残っている。
「おお、あなたは……ゴローさんでしたね」
「お久しぶりです」
『温泉玉子』の件で、村長はゴローのことをちゃんと覚えていた。
「本日は何か?」
「ええ。じつは、温泉の湯気を使ったお菓子がありまして」
「ほう! では、我が村の名物になりますな! あの『温泉玉子』も評判がよいのですよ。ゴローさんには感謝ですね」
そして、新しい名物になりうるので、全面的に協力してくれると言う。
「ええと、小麦粉と黒砂糖、それにトロナはありますか?」
「ありますよ。しかしトロナ? 洗剤を使うのですか?」
「ええ」
トロナとは、以前ゴローとサナが『ハカセ』の下から旅立ったばかりの時に『シェルター』で出会った人族、エルフ、ダークエルフの3人パーティーが探していた鉱石である。
天然のセスキであり、成分は炭酸ナトリウムと炭酸水素ナトリウム。
この炭酸水素ナトリウムが重曹である。
そして、強アルカリ成分である炭酸ナトリウムは、二酸化炭素と反応して炭酸水素ナトリウムに変わる。
つまり、トロナの水溶液に二酸化炭素を反応させれば(たとえば呼気を吹き込むなど)、炭酸ナトリウムが炭酸水素ナトリウムに変わる、つまり重曹の水溶液になるわけだ。
重曹は別名ベーキングソーダ。ふくらし粉の一種である。
重曹に熱を加えると分解して二酸化炭素と炭酸ナトリウム、水になる。この二酸化炭素が生地をふくらませるのである。
「さて、二酸化炭素をどうやって発生させるかな……」
材料を前に、ゴローは悩んでいた。
というのは、ゴローもサナも、『人造生命』なので呼気に二酸化炭素はほとんど含まれていないからだ。
「卵の殻に酢をかければいいけど……面倒くさいなあ……」
「ゴロー、は・や・く」
サナに急かされながらも、ゴローはひらめいた。
「サナ、この水が入った瓶を振ってくれ。あ、時々蓋を開けて中の空気を入れ替えてな」
「? ……うん」
空気中にも僅かだが二酸化炭素はある。二酸化炭素を水に溶かしたものが炭酸水。ゴローはサナに炭酸水を作ってもらおうと思ったのだ。
溶かすには空気を水の中に通す必要がある。
最も単純な方法は瓶などの容器に入れてシェイクすること。
人力ではまず無理だが、体力無尽蔵の『人造生命』なら可能であった。
「ゴロー、泡が出てきた」
「よしよし、炭酸水になったな」
サナが空気を入れ替えながら超高速で瓶を振った結果、瓶の中の水は炭酸水になっていた。
この炭酸水にトロナを溶かせば、炭酸ナトリウムが炭酸ガスつまり二酸化炭素と反応するわけだ。
非常に効率が悪いやり方だが、今は致し方ない。
「よし、これでいいだろう」
どのみち、重曹が熱分解すればまた炭酸ナトリウムができてしまうので、純度にはこだわらない。
「まずは一番簡単なレシピだ」
小麦粉、黒砂糖、ベーキングソーダ、水を混ぜて蒸すだけ。
今回はベーキングソーダと水は既に混ざっているわけだ。
あんこがないのは残念だが、ないのものは仕方ない。
小麦粉はふるいにかけてダマを取り除いておく。
黒砂糖は、チョコチップのように塊が残っていてもいい。むしろその方が食感的にもよい。
12個のまんじゅうができあがった。
「よし、これを源泉の湯気で蒸す」
「それでいいの?」
「うん」
ゴローとサナは連れ立って手近な源泉に行き、金属製のザルに入れたまんじゅうを湯気にかざした。
本来なら蒸し器や、せいろを使うのだが今回はありあわせだ。
様子を見ながら待つこと10分弱。
「そろそろいいかな」
「ゴロー、味見」
「ほいよ」
もう待ちきれないという顔のサナに、ゴローはまんじゅうを1つ渡した。
サナは早速それを頬張る。
熱いはずだが、人造生命であるサナは意に介さずに咀嚼する。
「……美味しい」
「そっか、よかった」
「……もう1個」
「ほらよ」
もう1つサナに渡したゴローは、自分も1つ口に運ぶ。
「……うん、まあまあかな」
ありあわせの材料で、大急ぎで作った割にはできがいい。
調理器具を整え、配合比もきちんと決まればもっと美味しくできるだろう。
「とりあえずこのレシピを渡すとしよう」
まんじゅうをもう1個サナに渡したゴローは、残り8個を持って村長宅へ戻った。
そこにはローザンヌ王女、クリフォード王子、それにモーガンも来ており、ゴローは彼らにも『蒸しまんじゅう』の説明をすることになった。
もちろん、試食もだ。
「ほう、これがそうか」
「いただきます」
「温かいな」
運んでくる間に少し冷めてしまったが、普通の人間にはちょうどよい温度になっていたようだ。
まずモーガンが毒味を兼ねて味見をし、次いで王族の2人。
「うむ、これはまた甘くて美味いな!」
「ゴローさん、美味しいですよ!」
「うむ、変わった食感だが美味い」
そして王族のあとに口に運んだ村長も美味いと認めたので、レシピを20万シクロ(20万円相当)で売ったゴローであった。
まんじゅうを1個だけは確保したゴローは、宿に帰ってティルダにも食べさせるのを忘れない。
「美味しいのです! ゴローさん、ありがとうございますです」
「はは、気に入ってくれてよかったよ」
喜ぶティルダ。
そしてサナはといえば、
「ゴロー、家に帰ったら、もっと美味しいの作って。できるでしょ」
と要求してきたのである。
* * *
その晩の食事はなかなか豪勢なものであった。
温泉玉子も付き、これがワヒメカ村名物になりつつあることも聞いたゴローなのである。
食事後は温泉に浸かり、旅の汗とホコリを洗い流した一行であった。
あと少しで王都である。
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次回更新は10月29日(木)14:00の予定です。