04-29 旅行9日目 王都巡り 2 塗師
なんとか手鏡を割らずに受け止めたゴロー。
「ティルダ、気を付けてくれよ」
苦笑交じりにティルダに手渡す……ことはせずに、そのままそばを離れていく。
「あ、あの、ゴローさん?」
訝しげにゴローの背中を見送ったティルダだったが、彼が会計をしようとしているのに気が付く。
「あの、えっと、何を?」
「いやティルダ、この手鏡に興味があったんだろう? だから買ってやろうと思って」
「えっと、あの、それは」
「いいからいいから。……はい、包んでください」
ゴローはごにょごにょ言っているティルダを無視し、会計を済ますと、包んでもらった手鏡を差し出した。
「いつも頑張ってるからな、ティルダは。これは俺からの贈り物だ」
「あの、えっと、ありがとうございますです」
少し照れながらもティルダは嬉しそうに包みを受け取ったのだった。
「実は手鏡を忘れてきたのと、この黒い塗料も、金色の装飾も、凄く気に入ったのですよ」
「うんうん、『漆塗り』に『金蒔絵』だな」
「え?」
「えっ?」
またしてもゴローの『天啓』だか『謎知識』だかが降りてきた。
「えっと、黒いのは『漆』って言って、同じ名前の木から採れる樹液を精製した塗料だ。そしてそれを使って黒く塗った上にさらに漆で絵を描いて金粉を蒔いたのが『蒔絵』だ」
かなり端折ったが、概略は伝わったようである。
「はえ……ゴローさん、詳しいのです」
「はは、『謎知識』のおかげだよ」
『天啓』ではないかと言われたが、ゴロー自身は『謎知識』と呼び続けたいと思っている。
『天』から降りてくる知識ではなく、なんとなく『自分の中』から飛び出してくるような気がしているからだ。
「私も、『漆塗り』をしてみたいのです……」
そんなティルダに、ネアが声を掛けた。
「あ、それでしたら、知り合いの塗師がいますから、ご紹介しましょうか?」
「そうなのです? でしたら是非! お願いしますのです!」
* * *
そういうわけで、工芸品の店を出た一行は、少し離れた一角へと足を向けたのである。
「……」
「サナもよかったのか?」
「うん、何が?」
「いや、甘いもの探しに行くのを後回しにしたから」
「ゴロー、私だって知らないことを知ることに興味は、ある」
少しむくれながらサナが言った。
「……ごめん」
謝るゴロー。
「……あとで、美味しいもの、作って」
「……はいはい」
やっぱりサナはサナだった、とゴローは苦笑いを浮かべたのだった。
* * *
「ここですよ!」
「へえ……」
そこは、周りを木々に囲まれ、庭には井戸と小さな池がある、こぢんまりとした工房であった。
「ミユウさん、います?」
「ああ、いるよ。……ネアかい? 裏に回っておくれ」
「はーい」
そのやり取りで、職人はどうやら女性らしい、とゴローは思った。
そしてネアのあとを付いて工房の裏手に回ると……。
「おっ」
「わあ」
なかなか見事な庭園が広がっており、そこにある四阿で二十歳前後に見える女性がお茶を飲んでいた。
頭の後ろで無造作に束ねられた髪はありふれた明るい茶色、目はちょっと珍しい金色をしている。中肉中背だが、プロポーションはよさそうだ。
「おや、お客さんかい。いらっしゃい。私はミユウ。この工房の塗師だよ」
「あ、俺はゴローといいます。こっちはサナ、そして……」
「ティルダと申しますです!」
「ようこそ。まあ、座りなよ」
ミユウはそう言って皆を四阿へと招いたのだった。
* * *
「美味しい……」
「美味しいのです!」
「はは、気に入ってもらえて何よりさ」
ミユウはゴローたちにお茶とお茶請けをふるまってくれた。
お茶は香りのいい煎茶、お茶請けは干しアンズ。
この干しアンズがまた、酸味と甘味が絶妙だったのである。
「……聞かれる前に言っておこう。私はハーフでね。人族の父と獣人の母の間に生まれた。で、父が漆職人だったのであとを継いだのさ」
「…………それは」
いろいろご苦労もあったでしょう、とゴローは言おうとしたのだが、あっけらかんと明るく笑うミユウに、言葉を飲み込んだ。
「この都市は居心地がいいよ。ハーフだからって差別はしないし、いい漆は手に入るし、木地の品質もいいし」
「あ、それなのです」
「うん?」
「……ミユウさん、この子、ティルダは、漆塗りを初めて目にして興味を持ったんですよ」
「へえ、そうかい」
遠慮がちのティルダに代わって、ゴローがその望みを説明してやると、ミユウは優しく微笑んだ。
「念のために聞くけど、弟子入りしたい、ってわけじゃないんだね?」
「は、はい。勝手なお願いなのですけど、『漆塗り』というものをこの目で見たいのです」
「ふふ、そうかい。……君の専門は?」
「アクセサリー職人なのです。主に金工と宝石の加工をしていますのです」
「なるほどなるほど。そこに漆塗りの技法を取り入れてみたい、そういうことかな?」
「は、はいなのです」
「そうか……うーん……」
ミユウは難しい顔をして考え込んでしまった。
それを見たティルダは、不安そうに聞く。
「……駄目なのです?」
だがミユウはゆっくりと首を横に振った。
「そうじゃないさ。弟子にするなら、いろいろと見極めたいことが多いが、お客人とか生徒としてなら教えるのは吝かではない。ただな……」
「……時間が掛かりますよね、漆が乾くのに」
ゴローがそう口にすると、ミユウは頷いた。
「ゴロー君は多少知っているようだね。そう、漆が乾くには、だいたいまる1日掛かるんだ。だから基本的な技法を教えるだけでも1週間くらいはほしいなあ……」
「そ、そんなにです?」
ティルダは後ろをちらっと見る。どうやらどうしても学んでみたいらしい、とゴローは察した。
「ネア、この先の予定は?」
「えっ? はい、明々後日に祭礼で、ゴローさんにはいろいろと料理を教えていただきたいと思っていますが、他の方はご自由になさってよろしいかと」
「だ、そうだよ、ティルダ」
「えっ? それって、ミユウさんに習いに来てもいいということです?」
「そういうことになるな」
「わあ、嬉しいです! ……ミユウさん、いえ、ミユウ先生、どうかよろしくお願いしますのです!」
するとミユウはふわりと笑って頷いた。
「はは、それならいいとも。そうだ、この工房に寝泊まりするかい? そうすれば効率がいいのだが」
「ぜ、是非にお願いしますのです!」
「うん、決まりだね」
ミユウはゴローたちに向き直り、
「そういうわけでティルダをお預かりする」
と告げた。
「はい、よろしくお願いいたします。ええと、授業料はどのくらいお納めすればよろしいでしょう?」
ミユウはティルダの『先生』になるので、ゴローも少し口調を改めた。
「そうだね、時々初心者教室を開いたりしているんだけど、1日あたりはそれと同じでいいかな」
ちなみに1日5000シクロだという。これは材料費込み。7日で3万5000シクロとなる。
泊まり込みなのでゴローは1日1万シクロを払う、と言ったのだが、断られてしまった。
「この町は物価は高くないからね。あまり気にしないでいいよ」
「……それでは、ティルダをよろしくお願いいたします。……ティルダ、それじゃあ1週間後に迎えに来るから」
「はいなのです、わがまま言ってすみませんです」
「いや、それはいいんだ。頑張れよ」
「ミユウさん、それではよろしく」
「ああ。ネア、またな」
そういうわけでゴロー、サナ、ネアの3人はミユウの工房をあとにしたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月14日(日)14:00の予定です。
20200618 修正
(誤)はい、明々後日に祭礼で、ゴローさんにはいろいろと料理を教えていただきたいと思っていますが
(正)はい、明々後日に祭礼で、ゴローさんにはいろいろと料理を教えていただきたいと思っていますが