00-11 自我
研究所に戻った56号と37号は、ハカセに出迎えられた。
「お帰り。……おやおや、凄い大荷物じゃないか」
あ、やっぱり、これは多い方なんだ、と56号は思った。
「2人で運んでくるなら、楽」
それは確かにそうだ。と56号は納得した。
「それに、37号、それ買ったのかい?」
ハカセは、37号が髪留めを着けているのを目ざとく見つけたようだ。
「56号に、もらった」
「へえ? 56号、やるじゃないか」
「は、はい。……俺も、37号にナイフをもらいましたので」
だが、これを聞いたハカセは、少し呆れた。
「ナイフと髪留め……はあ、37号、あんたはいつまで経っても色気が出ないねえ」
「理解不能」
だが、
「いいじゃないか。その髪留め、似合っているよ」
というハカセの言葉に、
「……うん」
と短く返事をした。
その様子がいつもと違うので、
「はああ、やっぱり56号がいると少し違うのかねえ」
と、ハカセは感心している。
自分の話が出たので56号は、
「え、どういうことです?」
とハカセに尋ねてみた。
「いやさ、この子、37号はね、10年くらいずーっと感情の変化が見られなかったんだけど、あんたの相手をするようになって、少しずつ変わってきたような気がするからさ」
「そうなんですか?」
56号としてはあまりよくわからない。
そんな話が出たついで、というわけではないが、56号は聞きたかったことを確認しようと思った。
「そういえば、ハカセのお名前は?」
「あれ? 言ってなかったかねえ?」
「聞いてませんよ」
「そりゃあ悪かったねえ。あたしは『リリシア・ダングローブ・エリーセン・ゴブロス』っていうのさ」
「な、長いですね」
「ああ、あたしはハイブリッドだって言ったろう? リリシアが名前で、ダングローブはヒューマンの家名、エリーセンはエルフの家名、で、ゴブロスはドワーフの家名なのさ」
「そうなんですか……」
「俺と37号の名前は……わかりませんか?」
「あんたたち自身が覚えていないものを聞かれても無理さね」
「そうですよね……」
ここで56号は、37号が『サンちゃん』と呼ばれていたことを思い出し、ハカセに告げた。
「そういうこともあるだろうね。やっぱり番号っていうのは名前じゃないからねえ」
さらに56号は、思いつきを口にする。
「……だったら、37号は『サナ』。俺は56号だから『ゴロー』っていうのどうですか?」
「……あんた…………」
ハカセは一瞬驚き、ついで呆れたような顔をした。
「……まあ、いいか。いいんじゃないかい?」
何か変な間があったのが気に掛かったが、ハカセがいいと言ったので
「じゃあ俺は『ゴロー』、37号は『サナ』って名乗ることにします。で、ハカセは『リリハカセ』って……」
「それはやめておくれ」
ハカセには、間髪入れずに却下されてしまったのだった。
「……じゃあ、37号はどうだい? 『サナ』でいいかな?」
「……うん。私は『サナ』。……『ゴロー』、ありが、とう」
37号改め『サナ』は、意外なことに、少し頬を染めて礼を言ったのだ。
「あー……56号、じゃなくてゴロー、あんたは知らなかったろうけど、魔法学的にはね、『名付ける』っていう行為は、『自我を与える』『個と認める』ってことになるのさね」
「え」
要するに『一人前と認める』ということになる、とハカセは説明した。
「まだまだあんたたちは子供みたいなものだと思っていたけどねえ」
「……」
「俺、余計なこと、しちゃったんでしょうか?」
幻覚ではあろうが、ゴローの背中に冷たい汗が流れた。
だが、ハカセは右手を左右に振って。
「ああ、いやいや。そんなことはないよ」
ハカセは微笑んでいた。
「お前……ゴローが、思ったより早く自我に目覚めたようなので、驚くと同時に嬉しいような寂しいような、ってところかねえ」
『自分の名』が気になる、ということは、すなわち他との区別を大きく意識するということであり、それすなわち自我の発露なのだそうだ。
「実際のところ、37号……サナは、全然そんなこと気にしなかったからね」
「うん、名前は、どうでもよかった。ハカセが37号と呼んでくれる、それもまた、心地よかった」
でも、とサナは続ける。
「『サナ』という『名前』で呼ばれた時、私の中で、何かが、生まれた……ような気がする」
「ああ、それが『自我』というものかも、しれないねえ」
ハカセもまた、明確な答えは持たないのだ。
そんなやり取りを見ていたゴローはまだ、自分のしたことがまずかったのではないかと思っていた。
「本当に、俺、37号に対してまずいことをしたんじゃないんですね?」
そんなゴローに、37号は静かな声で言った。
「ゴロー、私は『サナ』。37号って、言わないで」
「だ、だけど……」
「あなたが付けてくれた名前。気に入ってる」
「そ、そうかい?」
「うん。ゴローは、私を『サナ』って呼ぶの、嫌?」
心なしか、しゅんとした様子の37号に、
「い、いや、そんなことないさ。37……『サナ』」
そう言うとサナはぱあっと顔を輝かせた。
「うん、ゴロー」
そんなゴローとサナのやり取りを、ハカセは目を細めて見つめていたのである。
* * *
夜、自室で1人になったハカセは、水を飲みながら独り言を呟いていた。
「……はあ、まさか56号が自分に名前を付けるとはねえ」
それはすなわち、『自我』がはっきりしているということだ。
「そういう意味でも、大成功なんだろうねえ」
そして、37号にも自我らしきものが芽生えたこと。
「あたしの研究は、間違っていなかったんだねえ……」
そして、ぐいっと水を飲む。
ぷは、と息を吐いたハカセは、
「ああ、酒も買ってきてもらうんだったよ」
と残念そうに呟いたのであった。
* * *
そして、56号改めゴローと、37号改めサナ。
「う、うわあああああ!」
「ゴロー、避けないで、受け止めて」
「無茶言うな! わあああああ!!」
2人は今夜も、戦闘訓練をしているのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月30日(日)14:00 の予定です。