診察、あるいはセクハラ
「……お孫さん、美人っすね」
「であろう、この子に比べればこの世の全ての宝石は石にも劣る」
「そっすか」
爺馬鹿を隠そうともしない皇帝にナルはため息を吐いて、そしてやりにくいと思った。
これからの治療、【節制】を使ったものではあるがそれなりに医術放免の対処もしなければいけないのだ。
その方法はといえば……。
「あー初めまして、医者のアランという者だ」
ナルは先日の暴動の主犯格である以上、おいそれと自分の名を名乗る事はできない。
もとよりナルというのも生みの親にもらった名をもじって付けた偽名ではあるが、今はその名が一番危険を呼ぶのだ。
だから偽名と偽りの職業を口にしたのだった。
「お医者様ですか……」
それに対して懐疑的な視線を向けるジェネと呼ばれた少女は、ナルのつま先から頭までをじっくりと観察していた。
明らかに医者ではない風貌である。
白衣どころか街を出歩いている平民のそれよりもボロボロな装いに、なにを感じ取ったのだろうか
「まぁ積もる話も思う所もあるかもしれんがね、一応それなりの治療は行えるよ」
これは嘘ではない。
長年知識をため込んできたナルには効果のないと実証されてしまった太古の物から最新のものまで、医療知識があった。
「とりあえず、少し身体に触れるがいいかな? 」
「……わかりました」
ちらりとナルの背後、つまりは皇帝とクインの二人に視線を送ってからおずおずと頷いたジェネはナルの伸ばした手に臆することなく、しかし目を閉じて身構える。
まずは脈拍、ナルは自分の右手首に左手を当てながらジェネの腕を取り二つの脈を比べ合わせた。
強く脈打つジェネの心拍、ナルのそれと比べると幾分か早いがそれは緊張によるものだろう。
それから口元に手を当てる。
一瞬呼吸を止めたジェネ。
「普通に呼吸をして」
しかしナルの言葉に、多少の息苦しさを感じている様子を見せながらも呼吸を再開した。
相も変わらずナルは自分の脈拍を測り続けている。
「なるほど、呼吸脈拍共に異常は無しと……口を開けて」
素直に口を開けたジェネの喉は桜色をしており、炎症を起こしている様子はない。
歯も肌に負けず劣らず白く、毒の類を食事に混ぜられた痕跡は見られない。
種類にもよるが毒は歯に残る事がある。
過度の虫歯や変色は毒の摂取方法を見分ける手段の一つでもある。
しかしそれがない。
ならば別の方法だろうかと考えて、少し言いよどんでから決意したようにナルはその言葉を発した。
「あー、嫌かもしれんがシャツのボタンをはずしてくれるか? 」
端的に言うと、『脱げ』である。
「……なぜですか? 」
「道具が無いから直に耳を当てる事になるという注意点を先に言うが、呼吸音を聞きたい。咳病や喉の疾患、そう言ったものがあれば音でわかる」
「………………わかりました」
先程よりも長い時間をかけてジェネは決意したようにシャツのボタンを外した。
白くなだらかな胸元が露わになる。
多少の膨らみを見せているが、年齢から考えればそれは小ぶりなものだ。
淡い紅色の乳頭が一瞬ナルの視界に入ったが、それはすぐにジェネの手で覆い隠されてしまった。
ナルとて男である、多少残念な気持ちを抱きながらも背後の老人から発せられる気配に気を使い、失礼と声をかけてから胸に顔をうずめるようにして耳を当てた。
ジェネが一瞬息をのむが、すぐに普通の態度を装い始める。
顔を見れば羞恥に頬を染めているのが見て取れたことだろう。
(……やっぱり緊張しているからか呼吸が荒いな。心音もかなりの物だ……が、異常は無し)
「もういいよ、今度は背中」
「はぁ、わかりました」
胸を晒して顔をうずめられるよりは抵抗が少ないのか胸部同様白い背中をナルに差し出した。
背中に耳を当てた瞬間、わずかにジェネの肩が跳ねたのを感じ取りながら今度は呼吸音だけではなく筋肉や骨の動きを聴き分ける。
「なるほどね、触診いいかな? 」
「……あなたは、本当にお医者様なのですか? 」
「正確には医者じゃないけど医療知識がある旅人ってところだ」
身体に触れたいと暗に伝えたナルにもはや懐疑的ではなく決定的な視線を送りつけるジェネだった。
この男は確実な変態であると、ジェネの瞳が訴えかけていた。
「変なところは触らんさ。とりあえず足出して」
「……ズボンははいたままでいいのですね」
「脱ぎたければどうぞ。脱ぐ意味ないけど」
「なら履いたままで」
ナルの軽口に更に顔をしかめさせたジェネだったが、布団に隠したままの足を出してナルに差し向けた。
ナルはといえばその態度を気にすることもなく、姫の手を取る騎士のように優しくそれを支える。
「ちょっとくすぐったいかもしれんけど、痛いところがあったら言ってくれ」
「……はい」
ジェネの答えを聞いてすぐにナルは足の裏に触れる。
ジェネの表情を見ながらの作業だったが、口元に手を当てていて表情の全容は見えないが頬が僅かに吊り上がっている事から今触れている位置は純粋にこそばゆいのだろう。
ならばと何度か位置を変えていき、そして土踏まずの一点に触れた瞬間ジェネの表情が歪んだ。
「痛いかい? 」
「はい……とても」
(なるほど、肝臓か……)
ツボを刺激することで弱っている位置を特定したナルはその後も何度か足の裏を触診し続けた。
そして少し位置を変えて脛を中心に触れる。
「ここは痛くない? 」
「特に、何も感じませんが……」
「感じないってのは痛くも痒くもないってこと? それとも触れてることも分からない? 」
「触れているのはわかります……」
「ふむ……ちょっと失礼」
そう言ってナルは太ももの一点を指で強く押した。
「きゃっ」
「ん……? こっちは正常……という事は……お腹出して」
「……こうですか? 」
もう好きにしろと言わんばかりのジェネは言われるがままに服をまくり上げた。
然程肉の付いていない腹部が露わになり、臍を中心にナルは視線を集中させる。
「ヒヤリとするよ」
そう言いながら腹部に触れたナルはようやく【節制】のカードを発動させた。
ジェネが患っているのは肝臓と胃の一部、呼吸器系に異常はなく脈拍も正常であると判断して必要最低限の治癒を施したのである。
「……あの、今のは」
「ん? 皇帝……陛下、教えてなかったんですか? 」
一応は取り繕うという事も知っているナルである。
皇帝にそう問いかけて、首を縦に振るのを見てからなんと説明したものかと頭を悩ませることになった。
「まぁ詳しくは企業秘密だが、ジェネ様は肝臓と胃の一部に負荷がかかってた。それを癒す……あー、魔術の一種だな。それでちょちょいと整えた感じだ」
「はぁ……特に変化はなさそうですが……」
「そりゃそうだ、何日か続けてようやく効果が出るようなものだからな」
正確には今後の食事事情や生活習慣で改善していくように手を施したわけだが、説明の手間を省くためにもナルは適当な事を口にした。
【節制】の副作用を探る期間が必要という意味も込めて、実験を繰り返す時間が必要であり最小限の効力に絞っているためあながち嘘でもないというのが肝である。
「とりあえず今日の食事はすりおろした果実を中心に栄養のある物を食べさせる事。この部屋は窓を開けて一度掃除する事。ジェネ様は車椅子でもなんでも使って外に出る事。この三つを守ってください。明日また同じ時間に来ますので」
「あいわかった、ジェネよ。この男は胡散臭い見た目をしているが腕は確かである。あとで給仕の者をよこすので言うとおりにしておきなさい」
「おじいさまが言うのであれば……」
皇帝の言葉にナルの姿をもう一度見てから渋々と頷いたのを見届けたナルは挨拶もそこそこに部屋から出る。
皇帝もそれに続き、クインだけは部屋に残ったのだった。
「おい皇帝、なーんでカードの事話してねえんだよ」
「機会が無かったのでな。儂が死ぬ前には伝えるつもりでいた」
「そうかい……」
「そんな事よりもだ、あの触診は必要だったのか」
「あ? 別にいらないっちゃいらないが、やるのとやらないのでは今後大きく違ってくるぞ」
「必要ないことだったと……? 」
「だからやった方がいいって言ってるだろ爺馬鹿。人の話を聞け、怒気を放つな、まったく……触診無しに弱っている部位を確かめる方法は限られてくる。呼吸器系に異常は無し、これは実際に呼吸音を聞いて分かった。肌の色や窶れ具合からその方面の可能性は薄かったが、喉にも異常はないから食べ物が喉を通らない理由は胃にある。足に触れた際には触れただけで痛みを訴えるほどに肝臓が弱っていると教えてくれた。最後に腹に触れたのは治療のため。これで説明は十分か? 」
「うむ、して明日からはどのような治療を? 」
「とりあえず俺が安全な食い物買ってくるからそれ食わせる方針で、城の食い物は【女帝】の助言無しでは食わないように。毒の混入形跡が見当たらなかったが、痕跡が残りにくい毒物や組み合わせ次第では毒になる食べ物もあるからな」
「心得た、あとでクインに頼んでおこう」
「明日からは難しいが、遠くないうちに医療器具いくつか揃えておくから今日みたいに恥ずかしがらなくていいとも伝えておいてくれ」
「うむ、孫の恥じる姿は何度もみたくはない」
「俺もあんな怒気を浴びるのはごめんだからな……と、忘れるところだった。書状なんだが現在皇帝の孫を治療中という書面を正式に発効してくれ。俺の仲間に送り付ける。……つーか捕まってないよな? 」
「先日西の関門を強引に突破した二人組がいたと聞くが、それらを捕らえたという情報は一切回ってきていない」
「あんまり信用できねえなぁ……たぶん大丈夫だろうけどさ、とりあえず治療が終わるまでにはこの国に巣食うトリックテイキングの人間一掃しといてくれよ」
「急務ではあるな、尽力しよう」
その言葉を聞いてナルは面倒くさそうに城から外に出て煙草を吸い込んだ。
ようやく、ひと心地付けたと思いながら組織のアジトへと帰るのだった。
いまだにこの城の内部は敵地同然である以上身を休められる場ではない。
だからこそ、金の眼には夜までには戻ると予め伝えていた。
まだ日が高い、そう思い自由市を歩き回ってジェネが食べられそうなものを吟味していった。
明日また同じものが売っているとは限らないが、指針にはなるだろうと考えての事だった。




