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タロットカードの導き~愚者は死神と共に世界を目指す~  作者: 蒼井茜


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裏組織

 裁判のために設けられた広場から逃げ出したナルが真っ先に向かったのは、軍の詰所だった。

 屋根の上から一望する景色、そこでは兵士たちが慌ただしく右へ左へと走り回っている。

 飛び交う怒号に加えて最低限の人数を残した詰所は、まさしく手薄であり必要な物資を調達するにはもってこいの場だった。


 荷物の大半は無事だったが、しかし食料の類はほとんど残っていない。

 徴収され、今では誰かのつまみとして晩餐に並び土に帰ってしまっている頃だろうと嘆きながらもその分を返してもらおうとここに来たのである。

 目的は食糧庫、最低限しか人員を残していないため武器庫と正門裏門を重点的に警備している彼らにそこまで気を向ける事はできない。


 持てるだけの食料を抱えてナルは【力】のカードを発動させてそれらを運び出し、そして治安の悪そうな地域に足を向けた。

 街の外に出るという手段もあったが、安全性は確保できても情報を得にくいと考えて帝都に滞在することにしたのだった。


 人目につかないようにフード付きの雨具を身に着けて顔を隠し、周囲の様子をうかがいながら時折民衆に紛れて適当な方向へ走る。

 民衆の中にもパニックの煽りを受けて財産を抱えて走り回る者もいたため、大荷物のナルが目立つことはなく無事目的地にたどり着くことができたのだった。


「……3年ぶりくらいかな」


 そう口にして、下水道へと繋がるマンホールを持ち上げる。

 荷物を落としてから自分も中に入り、そしてふたを閉めてから梯子を下りたナルはようやく一息つけると鼻を突き刺すような臭いに顔をしかめながらも煙草に火をつけた。

 あとは迎えが来るのを待つばかりと、その場に座り込んで数分の間待ち構えていると奥の方から光が揺らめく様にして現れたのを確認する。

 いつも通りライターを取り出そうとして、父の形見であるそれが壊れている事を思い出して煙草の火で代用して何度か手で火を遮って合図を送った。


「よう、お仕事かい? 」


「ドブネズミの冠に導かれてな」


 合言葉である。

 ドブネズミとは裏組織の、それもナルが形成した組織がここ数年での呼び名である。

 正式な名称は違い、また都度合言葉は変えて警戒は常に続けている。

 過去には蝙蝠やカラスといった言葉を使い、また階級ごとに使える合言葉にも変化を持たせていた。

 ナルが口にした冠は組織の幹部クラス、あるいは頂点とつながりがある人間が使う事を許された物であり、不用意に下部の人間がこの言葉を使えば翌日には牢獄に繋がれている事になるほどの物である。


「見ない顔だが……本当にそれでいいのか? 」


「あぁ、こう見えて古株だからな。手土産もあるし上の人間がいたら話がしたい」


「そうか、道はわかるな」


「大丈夫だ」


 下水道はそれなりに入り組んでいる。

 だからこそ身を隠すのには適しているが、時折下水清掃という名目で国の人間が入り込んでくることもあった。

 その為にも何重にもセキュリティを用意してあり、一つが合言葉、一つは光の合図、そして人工的に作り出された迷路の利用だった。

 ここに来るのはいつ以来かと、懐かしい気持ちを抱きながら下水を適当に歩き回ったナルはどうにか記憶していた道をたどり目的のアジトへとたどり着くことができた。


「金の眼はいるかい? 」


 そんな風にアジトの前で、下水には不釣り合いな豪奢な鎧を身に纏った番兵に声をかける。


「駒を」


「ほれ、これでいいか? 」


 懐から取り出したのは銀でできたチェスの駒、グラスホッパーという特殊駒だ。

 通常のチェスでは使われることのない物であり、ナルの立場を示す裏組織内での身分証。

 それを見た番兵は道を開けて奥の扉を手のひらで指し示した。


「ごくろうさん」


 そのまま横を通り過ぎたナルは、周囲からの視線を気にすることもなくずかずかと扉へと近づいていき、ノックもせずにそれを開いたのだった。

 無遠慮にして無礼な態度、しかしそれが許されるだけの立場にいるのはこの場の全員が理解している。


 駒も合言葉同様、階級によって渡されるものが違ってくる。

 組織は頂点であるキングに続いてクイーン、ナイト、ビショップ、ルークの幹部クラス。

 それ以下はポーンの駒が与えられ、キング直属の特殊な立ち位置にいる者にはグラスホッパーなどの特殊駒が与えられていた。


 つまり今のナルの立ち位置は幹部と同等の物であり、礼儀を払わなければいけないのはキングのみという事になる。

 加えて外の騒ぎ、重要な情報を持ってきたのだというのは誰もが言外に察していた。

 素材に関しては最も調達しやすく、扱いやすい物という理由から銀が選ばれていたがそれも幹部クラスのみ。

 ポーン以下は粗鉄で、キングは白金、幹部クラスは金細工である。


「久しぶりだな、金の眼」


「お久しぶりでございます、我らが王よ。相も変らぬその姿、ご健在でなにより」


 金の眼と呼ばれた女性は地面に膝を付いてナルに頭を下げる。

 その見た目はいまだに30代に届くかというものだが、既に60にも迫る年齢というナルに言わせても化物じみた女だった。

 元はスラム街で身売りをして日銭を稼いでいた者だが、その手腕を買って組織の一員に引き込んだのが出会いだった。


「今はグラスホッパーとしてきているからもっと砕けていいぞ。これ、土産な」


 抱えていた荷物をその場に下ろしてナルは燭台の火から煙草に火を移して吸い込む。

 土産とは先ほど軍の詰所から盗み出した食料物資である。


「では、元気そうで何よりだわ。本当に老けないのはうらやましいわねぇ」


「お前も大概だろ。今年で何歳だ? 」


「58、でも女に歳を聞くのはよくない事よ」


「隠そうともしてないくせによく言う……最近どうだ」


「そうね、誰かさんが大騒ぎを起こしたくらいで変わりはないわ。あらやだ、これ軍の備蓄食料じゃない……もっと色気のあるお土産を期待してたのに」


「銀貨三枚のタバコくらいしかないぞ」


 土産物を見た瞬間に表情を変えた金の眼に対してナルは苦笑しながらも懐から牢獄で手に入れた煙草、その最後の一本を取り出して見せた。


「安物じゃない……牢獄って物価が高いのね」


 そんな軽口を叩きあう二人だったが、ナルがタバコを吸い終えたところで空気が一変する。


「敵が見つかった」


「あら……情報は? 」


「トリックテイキング、カードの存在を知っていて譲渡の方法までも見抜いている連中だ。この国が生きながらえている理由も奴らにあるようだ」


「へぇ……聞き覚えの無い組織ね……表の連中じゃないわね」


「裏でもないという可能性がある。何かしらのゲームの名前を関した組織がいたら一通り洗ってみてくれ」


 トリックテイキングとはタロットカードを使ったゲーム、あるいはタロットカードの元になったとされるゲームの名称でもある。

 故にナルはこれが本当の名前か、もしくはこちらこそ仮名であり本当の組織は別の物であるという可能性を見ていた。


「わかったわ、それで要件は他になにかあるかしら」


「10日の宿泊と、ライターの修理。それからアルヴヘイム共和国にいるはずの仲間に連絡を取りたい」


「前二つは私の名の下許可するわ。でも仲間ってどっちの? 」


「今回は表の仲間、裏とは一切関係ない連中だ。ちなみにどっちもカード保有者で片方は俺以上に神経ぶっ飛んでるから気をつけろよ」


「それは……本当に表の住民なの? 」


「恐ろしい事にな……傭兵の死神って聞いたことあるだろ? 」


「まさか……本当に? 」


「そのまさかを引き当てたんだよ。初めて会った時に切り付けられたり、喉首引き裂かれたり、脅されたりして大変だった」


「ナルちゃんがそんなに追い詰められるなんて……わかったわ、手練れでまともなのを向かわせることにするわ」


「頼んだ」


 これで当面の心配はいらないと、勝手にベッドに腰を下ろしたナルは大きくため息を吐いた。

 ここ数日気を張りすぎていたというのもあるが、ようやくひと段落付いたとこれまでの情報を整理するためにも一度脳の働きを全て止める。

 空白の数秒間、金の眼はこの間にナルが何かを考えるために集中していると悟って物音一つ立てずにそれを見守っていた。


(まずやる事はカードの確認。本物もイミテーションも無事だ。あとは【吊られた男】と【節制】の効果がどこまで変質しているかを確認して……グリム達への手紙も書かなきゃいけないな。ライターの修理はどこまでできるか、いくつかのパーツは完全に好感しなきゃダメだな。それから10日後に供えて休息、皇帝との謁見に加えてカード保有者の身柄を探らなきゃいけないが……ここでルナを呼び出すわけにもいかんしな。ぶっつけ本番か……)


 薄暗い地下、金の眼をはじめとする幹部はナルの能力を知っているがポーン以下の木端な者達はルナを見ればどう思うか。

 またルナには実体がないため壁や地面をすり抜ける事もできるが、下水道は入り組んでおり階層式になっているためどこで誰に出くわすとも知れず、外に出た際誰か目撃者でも現れたら面倒な事になりかねない。


 ただでさえ今はナルの引き起こした暴動で過敏になっているのだから、下水を物量作戦で調べられたら再び牢獄へ逆戻りという可能性もある以上目立つ行動は一切できないのだ。

 同時に金の眼は一般人であり、その部下のごく一部のカードについて知っている者もその気配を探ることまではできず、やはり皇帝の住まう城に忍び込むのは至難の業である。


 内部の情報だけでも得られれば御の字だが、それだけの為に人員を使い潰しかねない作戦を立案することもできないと考えたところで、金の眼がコトリと水の入ったグラスを近くのテーブルに置いた音でナルは我に返った。


「お水、喉乾いてるでしょう? 見事な演説だったらしいじゃない」


「なんだ、見てたのか? 」


「部下がねぇ、ヒヤッとしたって言ってたわ」


 あの場はどうにか乗り切る事ができたという情報も付け加えて、金の眼はそんな大それた作戦を実行するなら情報伝達は密にしておきたいと暗に漏らす。


「ちょっと意趣返しをしたかったってのもあるが、あの場に本当に裏の住民がいたってことに驚きだよ」


「私達はどこにでもいるのよ」


「そして、どこにもいない」


 それはナル達の組織に古くから伝わる組織の真理として記される言葉。

 どこにでもいて、どこにもいない。

 裏の世界にも表の世界にも通じている自分たちは、そのどちらに身を置く物でもなく、影と光の狭間で姿をくらましているのだと。


 と、言うのが後付けであり建前である。

 実態は、まだ生きる事に絶望して間もないナルの捻じれた青春が爆発して生まれた若気の至りだった。


「なぁ、毎度言ってるがそれ俺の黒歴史なんだよ」


「だから楽しいんじゃない」


「毒婦め……」


 ナルが嫌がるのを知ってこの言葉を口にする金の眼は、それはもう楽しそうにからからと笑うのだった。

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