裁判当日
そうして迎えた裁判当日の事。
ナルは予想通りの立ち位置にいる見張り兵と、いざという時に抑え込むための装備を身に着けた兵士たちを一望しながら呑気にも欠伸をしていた。
「被告人、前へ」
裁判官の言葉にけだるげに対応したナルは、言われるがままに一歩前に踏み出た。
それと同時に周囲の兵士達もナルを逃すまいと一歩前へ足を踏み出す。
「被告人、自らの名と罪状をこの場で述べよ」
「名は……アラン・スミシ―でいいや。罪状はなんだろな、心当たりが多すぎてわからんが襲い掛かってきた蛮族を何人か殴り殺したくらいの事しかしていないが、それは正当防衛だろ」
ナルの言葉に裁判を一目見ようと詰め掛けていた民衆から怒声が上がった。
街の中央、立派な構えの城の前にある開けた土地で行われている裁判は見世物にするという側面も持っているのだろう。
貴賓席もあるらしく、そこには民衆の着ている物よりも数段高価だと一目でわかる衣類を身に纏った者達、おそらく彼らは貴族だろう。
その奥に一人王冠を被り、純白の生地に金の刺繍が施されたローブを身に纏い、荘厳な杖を手にした老人の姿が写った。
おそらくあれが皇帝だろうと当たりをつけたナルは、その上でこの裁判を面倒くさいと言わんばかりに欠伸を繰り返す。
「裁判長! 見ての通り被告人は罪の意識を抱いておりません! 更生は不可能と考え死刑を求めます! 」
書類を手にしていた男が叫ぶと同時に民衆からもその通りだと声が上がる。
何人かは涙を浮かべている様子から、ナルが殺した軍人の遺族だろうという事もうかがえた。
だからどうした、という話でナルは気にすることなく周囲の観察を続ける。
「静粛に! 被告人、正しく自らの名を名乗り罪状を述べよ! これは裁判長としての命令である! 」
「……なんだよ、わかってるなら聞く必要ねえじゃねえか。名前はナル、罪状はさっき言った通り変更なし。はっきり言って俺ここ数年この国で問題起こしてないし、いきなり軍隊差し向けられるような覚えはないんだ。正当防衛正当防衛」
飄々とした態度を崩さないナルに民衆は遂に堪忍袋の緒が切れたのか、それぞれが手に持っていたものをナルに向かって投擲した。
その大半はナルに当たることなく、むしろナルを包囲していた兵士たちの背中に直撃することになったが気にする者は誰もいない。
「静粛に! 被告人の証言に反論がある者は一歩前へ! 」
その言葉に一人の男、先ほどナルに死刑を求刑した者が足を踏み出し書類を手にしていた。
「被告人は殺人と放火の容疑がかかっており、また遠征中の我が国軍に対して非道な不意打ちを行い多数の死者を出したという記録があります! これは許しがたい暴挙であり」
男の言葉に耳を傾ける意味もないと、ナルは首の骨を鳴らしながら姿勢を整えていた。
その光景を見た兵士たちの間に緊張が走る。
なるほど、関節を外して錠を無効化できるという情報はしっかりと流されているようだ。
「よって、被告人は死刑に値するとこの場に宣言します! 」
ようやく男が口上を述べ終えると方々から拍手と声援が送られる。
くだらない茶番劇に、ナルは三度欠伸を繰り返す。
「被告人、弁論があるならば申し立てよ」
「あ? あぁ悪い、聞き流してた。えっとなんだっけ……? 弁論? 」
「真面目に話を聞く様に! 弁論があれば申し立てよ! 」
木槌を打ち鳴らしながら声を荒げる裁判官にナルはこれでもかという程、見下した笑みを浮かべた。
「弁論ねぇ……馬鹿な事をいうな、俺はいきなり襲ってきた兵士を蹴散らして逃げた先で火責めを食らっただけだと言ってどれほどの人間が信じる? 捕殺命令が下された理由の部分をお教え願いたいものだ。なぁ皇帝陛下殿? 」
裁判官は既に眼中にないと言わんばかりに貴賓席で行く末を眺めていた皇帝に視線を向けたナルは、しかし答えが返ってくるはずもないと確信していた。
それどころかこの態度のせいでナルの立場はますます悪くなる。
「被告人! 真実を語りなさい! 」
「真実だ、捕殺命令は間違いなく下っていた。その辺りは調べろよ」
「検事、並びに皇帝陛下。真意を」
冷や汗を浮かべた裁判官が自分には手に負えないと助け舟を求めた。
ちらりと皇帝に目を向ければ小さく頷いているのが見て取れる。
このタイミングだな、とナルは【力】のカードを発動させて、そして微動だにしなかった。
いつでも鎖を引きちぎる事ができる状態で、あえて一切身動きを取らずにその時を待ち構えたのだ。
「被告人は犯罪組織の一員であり、その部下二名を引き連れて不法にドスト帝国内への侵入を試みた罪で捕殺命令が下されていました。そのための遠征中の我が国軍への攻撃、ならびに逃走の為の放火の疑いがかけられています! 」
なるほどそうきたか、とナルは内心で拍手を送る。
あながち間違いでもないのだ。
事実ナルは各国の裏社会に相応の規模の組織を持っている。
あくまでも名ばかりの頭目ではあるが、いざという時には必要なだけの犯罪を犯してきた。
当初の目的は表の世界では出回らない貴族や王族といった人間の情報を集める事、その為ならばどのような事でもするという荒んだ時期もあった。
とはいえそれは半世紀ほど前の話であり、今は必要な情報を得るため以外に利用することはほとんどない。
ここ数十年でまともにやったことは名を変えて新人として組織の末端に所属し、適当な功績を重ねて幹部に上り詰め、そして頭目の名の下に再び自分を頭目に据えるというのが仕事だった。
その際にそれなりの仕事はこなす。
暗殺から窃盗、時には誘拐と身代金要求等の一手間違えれば即座に死刑となってもおかしくない修羅場、といえば大仰な話になるが、既に感覚のマヒしているナルにとっては朝飯前の仕事で路銀を賄う程度の事しかしていなかった。
当然ながら相手も選んでおり、善性の者には手を出すことなく裏と通じている悪党を中心に仕事に邁進していた。
ナルの立ち上げた組織の根幹には貧しき者の為に富を独占する悪を狙えというものがある。
その言葉は悪党には鼻で笑われるような物だったが、ナルはその言葉の聞こえを悪い方向へと変えたのだ。
貧乏人から盗む暇があれば金持を狙えと。
この言葉に向上心を抱きながらもまじめに働くことを知らないごろつきは、悪い意味でだが真面目な集団へと変化し始めた。
最初は無計画に貴族の館に乗り込んで命を散らす者が後を絶たなかったが、その対策としてナルは様々な方法を伝授した。
話を聞けば生き残る事ができるが、聞かなければ確実に死ぬ。
そんなジンクスを作り出して裏社会でも浅いところで燻っていた者達を一流の悪党に仕立て上げたナルは、ある日貴族の館を襲撃する。
少数精鋭で臨んだその作戦は見事成功、貴族の財産を根こそぎ奪い取る事ができたのだ。
その作戦に参加した全員が遊んで暮らせるだけの金を手に入れた事で、ナルの傘下に加わりたいと言い出す者が増え、そう言った者達をまとめ上げて組織として君臨、仕事において情報は何よりも大切だと自分の目的を織り交ぜて、善人よりも悪人の方が金を持っているという話を言い聞かせてから悪党ばかりを狙う無法者という集団を見事に作り上げたのだった。
この帝国にもその組織の分家が存在しており、逐次ナルに情報が流れるようになっているが、直接ナルの顔を知っている者は少ない。
「なるほど、俺が裏組織の人間だと言い張るわけだ」
「その通りであろう! 」
「まぁ、及第点だな。俺は確かに表の世界に顔向けできない非道な事もしてきたよ。それで、俺が対策をとっていないとでも思ったのか? 」
挑発的な笑みを浮かべたナルに、検事と裁判官は顔色を変える。
「さぁ、ショータイムだ」
わずかな冷や汗が流れるのを確認してからナルは、鎖を引きちぎった。
当然先程発動させたままにしていた【力】によるものだが、いかにもといった言葉を交える事で演出に見立て、あたかも合図を送ったかのように振舞ったナルの行為。
それを見ていた民衆はどのような感想を抱いただろうか。
兵士たちはどのように思っただろうか。
その答えはナルの足めがけて射られた矢が示していた。
「おいおい、まだそっちは合図出してないだろ」
そんな事を言いながら半歩足を動かすだけでその一射を躱す。
それと同時に足を拘束していた鎖が千切れた。
「ま、次からは気をつけろよ」
そんな言葉を射手に投げかけたナルは民衆に向き直る。
脚には相変わらず鉄球が繋がれているが、それも直ぐに引きちぎり、ナルを取り押さえようと剣を向けてきた兵士たちを相手に両手を挙げた。
戦うつもりはないという意思表示だが、それで引いてくれるはずもなく剣先はナルの急所に向けられている。
そして可哀そうな事に、真っ先にナルの危険性を見定めた弓兵は他の者に取り押さえられてしまっていた。
「やぁお勤め御苦労。君の働きには今後も期待しているよ」
捕らえられた射手に向けて放った言葉、それはどのような毒よりもこの場において危険なものだった。
ここに疑心暗鬼の種が植え付けられたのだ。
本来罪人を捕らえる立場の兵士、その一人が犯罪組織に通じていた可能性を見せられた民衆はざわめき始める。
同時にナルを包囲している兵士たちも互いの顔色を窺い合っているのが見えた。
あと一手、チェックだなと内心で呟いたナルは次の行動を起こす。
懐に手を入れたナルに兵士たちは迷うことなく剣を突き付けようとして、そしてそれらはあっさりと躱されてしまう。
全方位からの攻撃を、跳躍で退けたナルは検事の前に立ち紙幣を数枚胸元のポケットにねじ込んだのだ。
「ご苦労さん、早く退散してアジトで落ち合おうか」
身に覚えのない検事はその行為に戸惑い、そして即座に兵士に抑え込まれることになった。
そして二度目の跳躍で慌てふためいている貴族たちの元へと舞い降りる。
「はじめましてだな、皇帝陛下」
「……なるほど、あ奴の言うとおりであったか」
「ハングドマンか? なぁトリックテイキングの【皇帝】さん」
「あのような得体のしれぬ者と同列に扱われるのは不本意であると答えよう」
「そうかい、じゃあ俺は一つ良い情報を教えてやるとしよう」
にやりと笑みを浮かべてからナルは皇帝に背を向ける。
当然ながら兵士たちはナルに武器を突き付けるが、その程度では既に止められない。
大きく息を吸い込んだナルは皇帝の首に手を当てて、背後の兵士達に迂闊な真似はするなよと視線で忠告してから声を張り上げた。
「さぁ愚かな民衆諸君! この程度の窮地は児戯にも等しいが、なぜわざわざ捕まってやったのかを教えてやるとしよう! 俺の目的はこの国を丸ごと頂戴するという壮大な物だ! その為に長らく潜伏させていた者達を存分に活用させてもらった! 」
そう言って捕らえられた射手や検事を順番に指さして、同時に皇帝を無理やり立ち上がらせた。
気道が塞がっているのか、苦しげな声を上げるのも無視して言葉を続ける。
「さて、俺に忠誠を誓ってこの場に潜伏したのは誰だったかな。お前か? 」
一人の兵士を指さす。
それだけの行為で規則正しい陣形を取っていた兵士たちは踵を返して指差された者へと剣を向けた。
「お前だったか? 」
今度は民衆の一人に指を向ける。
ザッと指をさされた一人の周りから人が飛びのく。
「なんにせよ、俺はここに何人もの部下を忍ばせた! 当然ながら街にもだ! あとは俺が合図を送れば、ドカンッだ! 」
けらけらと楽し気に笑うナルの狂気を目の当たりにした民衆は悲鳴を上げて逃げ出そうと散り散りに走り回る。
あとはもう一言、こう告げるだけで終わりだ。
チェックメイトである。
「昨日までの隣人、恋人、友人、さて誰がお前たちの敵だと思う! あぁ、思い出した。お前だったな! 」
最後は身振りすら見せることなく、そう宣言したナルは逃げまどっていた民衆が互いに殴り合いを始めるのを見た。
逃げまどっていた民衆は、同じように走り始めた者が自分を殺そうと追いかけているのではないかという疑念にかられて暴力という手段で排除を試みた事から始まる醜い争いである。
ここに疑心暗鬼の種は芽吹いた。
小さな火種はこの直後に帝都全体を飲み込む大火になるだろう。
その様子を眺めながら満足そうに笑うナルの腕を掴みながら皇帝はようやく口を開いた。
「満足か」
「あぁ、十分だ。すまんな手荒で」
言葉とわずかな行動で暴動を引き起こしたナルから視線を背けることなくその場に佇む皇帝の首から手を離して煙草を取り出し火をつけたナルはもう一本取り出して皇帝に差し出した。
「いるかい? 」
「貰おう」
それを躊躇することなく受け取った皇帝はマッチで火をつけて、そして煙草の煙を吸い込む。
放り投げたマッチの火は切り出した石で作られた地面に落ちて鎮火した。
「さて、話を聞かせてもらおうか」
「何を話せというのだ。ここにいるのはただの老いぼれ、もはや皇帝の座を追われるのも時間の問題であろう」
口ではそう言いながらも、皇帝の放つ威光に陰りは一切ない。
カリスマとはこういうものをいうのだろうかと考えながらもナルは観察を止めない。
「一枚、引いてもらおうか」
懐から取り出したタロットカード、大アルカナのみで構成されたそれを差し出して適当な一枚を引かせたナルは答えはわかり切っていると紫煙をくゆらせる。
「これでいいかな」
しかしその絵柄を見た瞬間、正しくは表面を見た瞬間だろうか。
ナルの表情がここに来て初めて曇った。
皇帝の手にしていたカードは【皇帝】の逆位置。
すなわち、元カード保有者である。
「……だれにカードを譲渡した」
「それを今口にするわけにはいかんな」
「ほう……? なら後日改めて、今度は戦いとかこういう面倒な駆け引きとか無く話ができる機会が有ると考えていいのか? 」
「望むのであれば、言うとおりにしよう」
「素直だな……もっと腹芸とかして見せると思ったんだが」
皇帝の言葉からは嘘の気配を感じ取る事ができなかったナルは、もしこれが嘘ならば随分な役者だと内心で賞賛する。
真実であろうとも敵として認識されるには十分な事をやらかしたナルを相手にそこまでの事を口にするのだから、よほどの自身があるのだろうか。
「既に敗軍の将、勝者に全てを委ねるのが今後の身の振り方というものだろう」
「それがトリックテイキングのやり方か? 」
「もう一度言おう、あのような得体のしれない連中と同列に扱われるのは心外である」
「へぇ……じゃああんたは奴らとは無縁ってか? 」
「無縁ではない。が、同胞でもない。言うなれば後ろ盾にして黒幕よ」
なるほど、とナルは内心で納得した。
あまりにも脆弱すぎるのだ。
通常国家というものは戯言一つで攻め落とせるほど容易くはない。
暴動を起こすにしても相応の準備が必要であり、いくらナルほどの戦闘力があると言っても所詮は個人。
言葉の通り予め人を仕込むことができていれば確実に暴動を誘発することはできたが、しかしそんなことをするまでもなく帝国は瓦解し始めていた。
それが意味するところはただ一つ。
この国はトリックテイキングの援助を受けて成り立っていたという事だ。
少なくともここ十年、グリムの活躍で戦争が減っているとはいえ帝国は周辺諸国と友好関係を築いており、戦争の際に戦力は剣という形での援助を行ったことはあったが直接戦争を起こす事は無かった。
それは帝都の平穏を意味しており、それでも国民が飢える事のないだけの収益を出していたという事に他ならない。
では、それはどこから得た物なのか。
また広大な国土を維持しながら周辺諸国との、何かと金のかかる会合だのなんだのといった面倒事をどのようにさばいて来たのか。
その謎がようやく解けたのだった。
「俺達を狙った理由は」
「黒幕の言葉に従ったまで。しかし従えば緩やかな崩壊が、逆らえば即座に滅亡が待ち構えていた」
「……【女帝】か」
「然り、我が妻の忠告である。この国は既に詰んでいたのだ」
「みたいだな、国民全員が毒に侵されている」
「ほう……? それは知らなんだ」
「平和っていう名前の猛毒だよ。国を簡単に滅ぼすだけの力がある。そこに俺みたいな劇物を混ぜたせいで反応して一気に蝕み始めたわけだ」
「なるほどな、この国は建国された時から滅亡が約束されていたという事か」
「おいおい……建国からって」
ナルの見立てでは、帝国はトリックテイキングの援助を受ける代わりに手駒として動くように指示されていた。
しかし実際はどうか、皇帝の言葉を真に受けるのであれば国が作られた時点からトリックテイキングの手が加わっていた事になる。
「正しく言うならば、国の存続のためには緩やかな滅亡を望むしかなかったのだな」
「つまり……なんだ? ここ百年の目覚ましい成長は全てトリックテイキングの後ろ盾あっての物ってことか? 」
「然り」
皇帝の短い返答にナルは頭を抱えたい気持ちを押しとどめた。
何がどうなっているのか、少なくとも帝国が繁栄を始めてから100年。
それ以前は弱小国家として存在していたにすぎない。
二代前の皇帝の代で国は一気に肥大し、周辺諸国を飲み込んで今の立ち位置にいた。
先代の皇帝も中小国家を呑み込み、そして現在の皇帝の代で周辺諸国との和平を結んだ。
これらすべてが裏で仕組まれた物であったならば、ナルはいくつもの仮説を立てた。
まず最初に思い付いたのはトリックテイキングの代替わりについて。
普通に考えるのならばナルのような不老不死でない限り代替わりというのは当然発生する。
しかしどうだ、もし相手が【世界】のカードを持っていたとしたら……それが意味するところはもう一人、下手をすれば一つの組織が丸ごと不老不死の集団であるという可能性。
あまりにも馬鹿げた考察に笑いを漏らすナルだが、その可能性は捨てきれないと、そして以前レムレス皇国皇帝に告げた『引き分け、互いに手出しできない状況こそがベスト』という言葉を覆す必要が出てきたと吸い殻を投げ捨てた。
続けて帝国が急に和平を結び始めた理由。
それがトリックテイキングの指示だとすれば一つ仮説が立つ。
奴らの拠点は帝国と隣り合った国にある可能性。
そして隣国にはカードの保有者がいるという可能性だ。
前者に関しては一国だけが和平を結ぶという不自然さを隠すため、しかしそれならばもっと早い段階でも和平を結ぶことはできた。
それこそ援助を名目に帝国の成長を助けるという手法もとれたはずだ。
なのに、それをしなかった理由は『特定の場所まで領土を広げさせる必要があった』からだろう。
では特定の領土とはどこか。
まず帝国最南端、レムレス皇国。
ここにはエコー、そしてリオネットがいた。
どちらもカードに関わる人間で、エコーに関してはトリックテイキングから直々の勧誘まであった。
その隣に位置するのはアルヴヘイム共和国。
確認できていないカードの可能性、加えてグリムとの出会いの地。
どれほどの期間そこにいたのか、後日グリムに問いたださなければいけないと感じたナルは新たな煙草に火をつけて、ふと思い出した疑問を肯定にぶつけた。
「レムレス皇国の騎馬街、そこの腐敗に手を貸していたのはあんたか? 」
「然り、それも黒幕の指示であった。あの国を内側から崩すことを命じられていたが先日撤回され、同時におぬしらを襲撃するように命令が下った」
合点がいったと、煙を吐き出したナルは状況を整理する。
おそらく騎馬街を中心に国を切り崩していく魂胆だったのだろう。
そして最終的には戦争という手段を使うことなくレムレス皇国を併呑、取り込んでなし崩し的にリオネット、この場合【戦車】のカードを帝国の手中に収めさせるつもりだったのだ。
随分と気の長い話だが、それがまた敵の不老不死説を高めていく。
そして先日の一件、ドスト帝国での襲撃から逃れるためレムレス皇国へと引き換えしたナルたち一行を襲った騎馬兵団。
それは帝国側の影響力の強さを物語っている。
あと20年もすればレムレス皇国という国は地図から消えていた可能性すらあり得るのだ。
「まったく……厄介な奴らだな」
「同意しよう。先々代は何を考えてあのような連中と手を組んだのか理解できぬ。賢王と称えられた我が祖父は稀代の愚王であったと考察するが如何に」
「頭は回るが後先考えてなかったんだろ」
「なるほど、わかりやすい答えだ」
それからしばらく、煙草を吸い終えるまでその場で暴動の声を聴いていた二人は周囲の様子も無視して沈黙を保ち続けた。
「あぁ、そうだ忘れてた。この枷の鍵、さっさと外してくれ。あと俺の荷物返して」
「誰か、用意せよ」
ナルの【力】を使えば鋼鉄製の枷であろうとも破壊は容易い。
事実鋼鉄の鎖を糸を切るように破壊してみせたのだ。
今更枷が有ろうともそれはただのアクセサリーに過ぎない。
強いて言うならば外す際に痛みが伴うという事だろうか。
力ずくで外そうとすれば、膂力に合わせて肉体の頑強性も強化されているが痛みという信号は途絶えていない以上、鋼鉄を肌に押し付けるという行為は相応の痛みを伴う。
また関節を外すという方法ではそれ以上の痛みに耐えなければいけないだろう。
だからこその鍵を要求したがすんなりと通ってしまった事にナルは肩透かしを食らっていた。
「あと10日後くらいに今度は正面から手続して会いに来るから。俺の情報いろいろ書き換えておいてくれ。流石に指名手配されたままだと面倒だ。連れに関してもな」
「やはり、生きておったか」
「そう簡単に死ぬ奴らじゃないんでな」
「確約はできぬぞ」
「そん時は、今日の暴動程度じゃ済まないくらい国が荒れるだけだ」
「脅しか」
「脅しだ」
いざとなれば暴れるぞ、というのは十分すぎる言葉だった。
これからの数日間、皇帝は間違いなく職務に追われることになる。
この暴動の鎮圧、そしてマスメディアへの情報開示にと仕事は山積みである。
過労死という名の謀殺であるとナルが答えたらそれを即座に信じてしまう程の仕事量だと内心で計算を終えた皇帝は、タイムリミットまでついてしまったという事実にため息を吐くのだった。
そしてトリックテイキングなる怪しげな一団と手を組んだ先々代皇帝に呪詛を吐き出し、手元に残った吸い殻を投げ捨てた。
枷を外し荷物を抱えてその場を後にしたナルの残した傷跡は大きい。
いまだに殴り合いを続けている民衆、広場の外でも続いているそれに加えて、ナルを逃がしてよかったのかと責任を追及してくる無能な貴族共、そして呆然と指示を待っているでくの坊と化した兵士達を一括する。
「暴動の鎮圧を最優先に! しかし民に傷を負わせるようなことはせず犯人の虚言であると情報伝達! この場にいた者達には金銭を支払ってでも今回の一件を口外しないようにせよ! 記者の相手は私が行う! 犯人は死亡したものとする! 各自仕事は山積みであるぞ! 」
その言葉に飛び上がるように行動を始めた兵士と貴族を見送ってから、もう一度皇帝はため息を吐いた。
なぜこんな無能ばかりが貴族の位にいるのか、今度本格的に改革を行うべきではないのかと……。




