虜囚
数十分もあるかされた頃だろうか。
腕を後ろに縛られているためバランスがとりにくいなとどうでもいい感想を抱いたナルだったが、荒れた、あるいはこの数時間で荒らされたというべき道なき道を延々と歩き、ようやく馬車が数台隠すように止められている場所にたどり着いた。
そこには数人の兵士が待機しており、ナルが自ら降伏したという事情を説明して近くの砦へと護送することにしたのである。
武器の類は全て取り上げられ、当然のことながら鋼糸のグローブも没収されてしまったが、カードだけは護り通すことができたナルは第一関門は突破したと内心で安堵する。
二日の路程、常に腕を縛られながら食事は犬のように貪る事になったナルだったがその辺りは特に気にすることなく、また排泄中であろうと見張りが付いていた事も一切の気負いはなかった。
最大の危機に比べればその程度、大した問題ではなかったのである。
つまり。
「タバコ吸わせろ! 」
この通りである。
いつものこと、わずか数時間の禁煙が数日分の地獄に感じるほどの愛煙家であるナルにとって二日間の禁煙はどのような拷問よりも応えたのだった。
「何度言えばわかる、貴様は我らの虜囚である以上タバコなど与えられるはずも無かろう! 」
「そっちこそ難解言えばわかる! 大人しくしてやってるんだからタバコくらい見逃せ! ついでに酒も飲ませろ! 」
「寝言は寝て言え! 」
「お前らこそ寝ぼけるな! せっかく生きたまま捕まえた敵だぞ! タバコ吸わせなかったなんて理由で死なせるつもりか! 」
大袈裟なナルの言葉だが、実質ナルにとっては死活問題である。
暇は神々も猫も殺すが、禁煙はナルの精神を殺しかねないのだ。
父の形見として持っていたライターの残骸すらも没収され、両手を拘束されたナルは彼らの恩赦無しには煙草を吸う事もできないのだ。
「話にならん! 」
そう言って会話を切った兵士はこれ見よがしに、ナルの前でタバコに火をつける。
それはナルから没収したもので、火矢の着火に使うライターで火をつけた、ただの嫌がらせだった。
この二日間口を開けば煙草を要求するか、あるいは食事を犬のように食べる事しかしなかったナルへの当てつけである。
どのような質問をしようと、どのような会話を振ろうと、ナルは情報の一片さえも渡すものかと口を閉ざしていたのだ。
正確に言うならば、煙草を吸わせるなら情報を吐いてもいいぞという条件を付けてぼかした真実を伝えるつもりではあった。
たとえばナルがおとなしく捕まっている理由、それを問われればそれが最善策だと思ったからと答えただろう。
この答えに対して兵士たちがどのように思うか、生き残るための最善策だという意味にとっただろう。
しかし実際はハングドマンの言葉の真意を見抜くためにもこうして捕獲されることが最善だったという意味であり、意図的に誤解を招く言葉を選ぶつもりでいた。
だというのにである。
その態度が気に食わないという理由でナルは禁煙を余儀なくされていたのだった。
「くっそ……こうなりゃ副流煙だけでも吸ってやる」
そういって兵士の咥えている煙草の先端から漂う煙を吸い込み、そしてやはり物足りないとげんなりとした表情になるのだった。
「なぁ、マジで煙草くれよ……吸わせてくれたら質問応えるからさ」
「駄目だ、そう言う交渉は砦に着いてからするのだな」
「その砦とやらに着くのはいつなんだって聞いてるんだよ」
「さぁな、時間が解決してくれるだろう」
勘弁しろよ、とナルは紫煙に包まれながら思うのだった。
あとどれほど我慢すればいいのか、それを把握できれば多少の我慢はできる。
しかしいつ終わるともわからないこの時間を過ごすともなれば、ナルの精神は疲弊の一途をたどる。
既に限界は近い。
このままでは煙草の為だけにここまでの我慢を水の泡に変えかねない程だった。
「……もう、暴れちゃおうかな」
ナルの何気なく漏らした一言に兵士たちは過敏に反応を示した。
馬車を止め、全員が抜剣しナルを包囲する。
やる気なさげなナルに対して過剰な反応を見せているが、帝国軍人を何人も殺した滞在人にして強者である以上それだけの反応をせざるを得なかった。
「お、ようやくまともに反応してくれた。煙草くれたら大人しくしているぞって言った方が良かったか? 」
「……貴様」
「どうだ、悪い提案じゃないだろ。俺は煙草を定期的に吸わせてもらえれば大人しくしているし、まずい飯にも文句は言わない。虜囚としては模範的とも言っていいだろ」
趣向品というのは虜囚、あるいは囚人という立場の人間にも認められている。
それは反乱防止という名目も含んでいるが、ナルを相手にするならばそれこそを気にかけねばいけない物だった。
それを彼らが怠ったのは、実のところナルが原因だったりする。
陣頭指揮をとれるだけの者は交渉が面倒だからという理由であっさりと殺してしまった以上残っていたのは新兵が数人。
彼らはナルの対処に判断を下せるだけの権限を持ちえない。
そして後方待機を命じられた後詰め部隊。
そこにいたのは戦死を恐れる、貴族階級から抜擢された選りすぐりの無能達であり、全員が責任逃れのためにナルの話に取り合おうとはしなかったのだ。
結果、禁煙を強いられることになったナルの相手をしていたのは鹵獲した張本人という事になっている新兵達だった。
「……いいだろう、ただし一日5本だ」
「10本」
「……6」
「刻むな、10だと言っているんだ。両手両足拘束されていようがお前ら全員ぶちのめすのは難しい事じゃないんだぞ」
「くっ……いいだろう」
「なぁ、20って言ったら怒るか? 」
「10本と言い出したのは貴様だろうが! 」
「うわ、やっぱり怒った……」
そんな風にへらへらと笑いながら、しかし二日ぶりの煙草をこれでもかと満喫したナルの瞳には涙が浮かんでいた。
あぁ、なんと美味い事か。
そんな風にナルが感動している最中、馬車は再び動き始めた。
「では聞くが、貴様はいったい何をしでかした」
早速というべきか、せっかくだからというべきか、そんな風にナルに問いかけてきた者がいた。
存外肝が据わっていると、ナルは新兵に対する評価を上げる。
「質問の意図が分からんのだが、俺は何もしていない……って言ったら嘘になるが、軍隊に狙われる程の事はしていないぞ」
「ならばなぜ我々に捕殺命令が下った」
「俺が知りたいくらいだ。あー、ハングドマンってしってるか? 」
「帝国軍の外部協力者だ。皇帝陛下直筆の書状をもって貴様らの捕殺命令を持ってきた」
「そっかぁ、俺が殺しちゃったから理由も聞けないな」
煙草を満喫しながらも脳味噌を限界まで酷使して情報を集める。
この新兵の言葉から察するに、皇帝は黒だ。
おそらくハングドマン、あるいはその上層部の手の内にあるか、あるいは皇帝そのものがトリックテイキングの一員であると考えるべきだろう。
カードを保有しているかどうかで結果は変わるが、もし保有者ならば後者になる。
カードを保有していなければトリックテイキングのスポンサーとして資金源となっている可能性もあり得ると考えて根元まで煙草を吸い尽くしたナルは愛おしそうに最後の一口を吐き出して吸い殻を馬車の中で落とすのだった。
「おい、馬車に焦げ跡を作るな」
「残念ながら無理だ」
飄々とした態度のナルに怒りを隠そうともしない新兵だが、やはりいい度胸をしていると言える。
この新兵は目の前にいる男、つまりナルがどれほどの戦力かを十分に理解した上で態度を崩すことはないのだ。
たとえこの場にいる人間全員が束になろうとも、どころか砦の中央で枷をつけた状態であろうとも敵対者全員を皆殺しにできる存在だと承知した上でこの対応。
一皮剥ければ相当厄介な敵になりかねないと内心で最大の称賛を送りながらも、ナルは判断を誤った可能性を考慮していた。
この新兵は殺しておくべきだったのではという可能性についてだ。
英雄の血族とは異世界から召喚された強大な力を持つ存在の子孫を指す。
しかし中には例外もあり、この世界の生まれで異世界人の血を引いていなくとも英雄と呼ばれる存在に昇華した者達もいる。
そう言った手合いはこの世界に住む者の意地か、あるいは誇りや業か、たいていの場合は英雄ではなく神々の一端として称されるようになる。
例えばグリム、彼女は英雄の血族ではないがつけられたあだ名は死神であり、ある種の神の名を関している。
今後百年もすれば死神の名はグリムを指す敬称へと変化するだろう。
この手の事象は数百年に一度の頻度で発生しているが、今回ナルを捕らえたという功績はこの新兵に神の名を与えられるほどの物になる可能性がある。
ただナルが思惑を成就させるためだけに利用した存在であれば、その名の重さに押しつぶされるか増長するだけですべてに片はついてしまっただろう。
だが、もしもそうならない例外がいたとしたら。
そんな存在がナルに対して敵愾心を抱いているならば。
それは非常に厄介な事になりかねない。
そう考えて、その時はその時と思考を切り替えたのだった。
「なぁ、もう一本」
「……そんなペースで足りるのか」
「二日分ため込んでるんだからしょうがないだろ」
「持ち越しは無しだ、今日の分は残り9本だ」
「まじかよ……でももう一本くれ」
新たに煙草を要求したナルに、仕方ないと言わんばかりに新たな煙草を咥えさせて火をつけた新兵は自分もそれに倣って勝手にナルの煙草ケースから取り出したそれを咥えた。
「おいおい、俺のだぞ」
「これだけあるんだ、一本くらいいいだろう」
「そう言って、何本目だよ」
「覚えていない」
「本当にいい度胸してるなお前……」
とはいえである。
自分の戦闘力を見た相手は大抵委縮するのに対して、この新兵は一切怖気づくことなく、更にナルに功績を譲られたのだと理解した上で態度を崩さない。
その姿勢をナルは気に入っていた。
気兼ねなく相手できるというのは何かにつけて重要であった。
リオネットは仕事上そういう風に仕込まれているというのが強いが、ナルに思うところがあるのか時折よそよそしい態度を見せる。
その正体が劣等感と対抗心であると見抜いていたナルだったが、その感情がグリムにも向けられている事に気付いた時は向上心の塊だなという感想を一人漏らしていた。
グリムはナルに対して委縮することはなかったが、積極的にかかわろうとしてこない。
それはそれで助かると割り切っていたが、寂しいという気持ちを抱かないわけでもない。
情愛ではなく、娘を見守る父親のような気分にさせられるのだ。
そんなナルの気持ちを知ってか知らずか、十中八九知らずにではあるがグリムは時々無理のないおねだりをしてくることがあった。
軽快しなければいけない土地であろうとも鍛冶屋を見たがったり、夜中であろうとも剣の手入れの為に砥石を使わせてほしいと頼んだりとその方法は様々だったが、ナルはそれらをすべて快諾していた。
「俺の知っている軍隊は煙草も酒も駄目って話だったが帝国じゃいいのか? 」
「よくはない、一部の部隊では禁則事項に含まれている」
「一部ってことはお前さんは問題ないってことか」
「いや、俺達新兵は全員禁酒禁煙だ。だがこの状況、貴様を捕らえた功績でちゃらになる」
「あー、前言撤回するわ。いい度胸じゃねえや、ものすごくいい度胸だ」
あろうことか軍紀さえも手玉に取ろうという新兵に冷や汗を流す。
味方にしようと敵に回そうと、こいつは非常に厄介だと理解したのだ。
内心では【愚者】が反応を示さない事に安堵しているほどである。
もしこの男がカードを保有していたら、それこそ手が付けられないと悟ったのだった。
現状戦闘力という一点で見れば大したことはない。
室内でリオネットと相対しても数分と持たずに地面を舐める事になるだろう。
そんなリオネットはグリムやナルを相手にした場合、戦車有りでグリムと同等、戦車無しでカードを持たないナルと同等、経験の差でナルに一歩譲る事になるかという程度でしかない。
だが対人術という面で見ればどうか。
間違いなくリオネットやグリムでは相手にならない。
ナルやエコーには劣るが、それでも十全に相手の情報を引き出して対処することもできるだろう。
それほどに厄介な相手であり、今後の成長次第では化ける可能性を大いに秘めている。
一度は振り払った殺しておくべきだったという思考が蘇り、ナルは煙草を味わうどころではなくなってしまったのだった。




