罠
そうして二人が時間を潰している間に帰還したナルは、それまでの経緯を聞いて爆笑していた。
「ぶっはははは! そりゃグリムが一本取られたな! しかしまさかルージング・チェスを黙って仕掛けるとは……馬鹿に続いて猪突猛進の汚名も返上だな」
「君の中で私の評価はどこまで低かったんだ……」
「聞きたい? 」
「やめておこう、殴ってしまいそうだ」
実際はナルのリオネットに対する評価はそれほど低いものではなかった。
思慮が浅く愚直な性格の持ち主だとは考えていたが反面理想的な騎士という評価を下していた。
ただし書類仕事や、臨機応変が求められる仕事においては悪い部分が特に目立ってしまう傾向にあったため正当な評価ができなかったのもまた事実。
国の情勢を記した記事ではその面が特に強調されていた節もあった。
「そういえば、この国の記事も手に入れてきたぞ。レムレス皇国との戦争に関する話題は一切なかった」
「……ではやはり」
「いや、まだ判断できない。情報規制がかかっているか、それとも騎馬街の馬鹿とこの国の辺境兵達が手を組んでいたなんて可能性もあり得る。とはいえ……俺達の立場は非常にマズいぞ」
一枚の記事を取り出して、ある一点を指さしてナルは煙草に火をつけた。
リオネットとグリムがその指先に視線を向けると『旅の傭兵がドスト帝国軍を奇襲、目的は依然不明、現在死者も出ており重軽傷者多数』という見出しの内容が見つかった。
「私達が奇襲した事になっているわけか……」
「そうだな、おそらくこの辺りは誤魔化しきれなかった範囲ということだろうよ。一応俺達の情報が出回っているわけじゃないが今後も気を付けないと……いけなかったんだろうなぁ」
「なぜ過去形なのだ? 」
「耳を澄まして鼻を効かせろ」
ナルの言うとおりリオネットは耳を澄ませた。
グリムは鼻を鳴らして臭いをかいでいる。
そして同時にそれぞれの五感が異物を捕らえる事になった。
パチパチという弾けるような音が遠くから、しかし四方八方を取り囲むように聞こえてくる。
同時に炎の臭い、ナルの煙草とは違う何かが燃えている臭いがした。
「つけられたな……」
「いんや、ここまで【力】のカードで爆走してたから馬でも追いつけない。たぶん当たりをつけて俺がここに入るのを見ていたんだろうよ」
「どちらにせよ結果が最悪だという点に変わりはないだろ……」
「そうでもないぞ、北側はまだ火がつけられていない」
ナルの鋭敏な五感はどの位置からどのように火が放たれたかを正確に感じ取っていた。
「ナル、それ罠」
「罠に自分から飛び込んでいくような真似をするしかない状況に相手を追い詰めて一網打尽。そんなところだろうってのはわかってる。だからその罠を正面から食い破ればいいだけの話だろ? 」
「できるのか? 」
「まだあまり時間がたっていないからここを包囲している兵士は多くないはずだ。だから今すぐに行動すれば逃げるのも難しくはない」
「なら、行く」
「うむ、即座に動くとしよう」
即断即決、ナルの意見にグリムはすぐさま必要最低限の荷物を持ち太陽と樹木を見て方角を確認して北へと足早に進んだ。
リオネットは予め馬に積み込んでいた大量の荷物を樹に引っ掛けないように細心の注意を引きながら騎乗して木々の間を走り抜ける。
ナルは【力】のカードを発動させて先行する。
荷物を抱え木々に邪魔される馬よりもはやい速度、そrを維持するためにナルは時に枝に飛び乗り、幹を蹴りとあらゆるものを足場にした。
「まずいな……」
火の勢いが想像以上に激しいことにナルは小さく舌打ちをする。
おそらくは油をまいてから火を放ったのだろう、生木の燃える速度ではない。
対処的行動、後手に回っているのだ。
戦いというのはチェス同様先手が圧倒的に有利に働く場合が多い。
それだけ相手の行動を絞る事ができるため、一度先手を取れば対処を間違えない限り常に相手を誘導できる立場にあるからだ。
「リオネット! 森の出口が見えたらその場で待機だ! マズいと判断するか、俺が合図したら一気に駆け抜けろ! 」
「了解した! 託すぞ! 」
「おう! グリム! トラウマ増やしたらすまん! 」
「気に、しない! 」
「そんじゃ……行ってくる! 」
【力】のカードを解除して【悪魔】を発動させる。
通算4度目の行使だが、ナルはその度にこのカードの力が増しているような気がしていた。
増幅される力はそれほど変化がみられるわけではない。
しかし、精神を蝕む速度と深度が明らかに早く、深くなっているのだ。
「……これは、やっぱり封印したままの方がいいかもしれんな」
その代償に表情を歪ませて、もはや木々を気にすることもなく邪魔な物はなぎ倒して、後続のグリムやリオネットの邪魔にならないように遠方へ投げ飛ばしながらその道を突き進んでいった。
「さぁて……誰が待っている事やら」
精神を落ち着けるためにもわざと軽口を叩きながら森を抜けたナルは、しかしそこに誰もいないという異常な事態を目の当たりにしたことで一瞬の隙を作ってしまった。
しまったと思った時には既に手遅れという事態が世の中には溢れている。
この瞬間も、その例にもれなかった。
足を止めたナルの足元に小さな樽が転がった。
四方八方から同じものが飛来した。
同時に火矢がナルの周囲に落ちるように飛来した。
そして、そのうち一つが樽に突き刺さると同時に閃光と轟音が周囲を埋め尽くし、暴風が一帯に吹き荒れた。




