裏でこっそり
その晩の事、ナルは二人部屋を独占して優雅に煙草を吸っていた。
「また吸っているのか……身体に良くないぞ」
リオネットが一人で部屋を訪ねてきた。
グリムが寝る前の一服を済ませるという事で部屋を開けて行く当ても無くナルの寝室にノックもせずに入ってきた。
普段は礼節をわきまえているが、事心を許した相手には素が出てしまうのだろう。
昔から粗野だと注意を受けていたリオネットだが、ナルも気にした様子はない。
「死なねーから」
平然とそんな返しをして、ついでと言わんばかりに安酒をグラスに注いで飲み干す。
「まぁそうなんだが、君はいいかげん吸いすぎだ。少しは加減しないと精神衛生上よくない」
「そこはもうあきらめた」
酒に酔い、煙草に酔い、それでも警戒を続けているナルの返事はそっけない。
一通り街を見回った結果、相当気を使わなければマズいという結論に達したためだ。
「何を警戒しているのだ? 」
「街の腐敗、気付かなかったか? 」
「当然気付いていたが、しかし私にできる事は無いからな」
「……存外冷静だな。内情を知ったら高官相手に殴り込みに行くと思っていたが」
「本音ではそうしたいのも山々だがな、しかし立場上それはできん。私とて獣騎士隊に身を置いていた以上連帯責任になりかねんからな。この街から手紙を送ろうにも握りつぶされるのは目に見えている以上、この先適当に寄り道をさせてもらいそこで王都と総括に連絡を取りたいとは思っている」
リオネットの判断にナルは口笛を吹いて称賛した。
この街で騒動を起こすのは得策ではない、それは当然のことだが火種を作るのも悪手である。
ならば他の街から皇帝宛に内部告発を行うという判断はこの場において最善ともいえる手だった。
「馬鹿だと思っていたんだが……意外と頭が回るな」
「個人的な事を言ってしまえば賄賂は嫌いだが全否定するつもりもない。その金で軍備から横領を防げるというのであれば尚更だ」
「で、どうやって連絡するつもりだ。この街を中継地点にするならどの道握りつぶされて終わると思うぞ」
「総括と私の間だけで通じる暗号がある。それを利用するつもりだ」
その言葉を聞いたナルは、これでもかという程に顔をしかめた。
「そこは適当にはぐらかせ。敵を騙すには味方からという言葉があるが、暗号があるなんて話を誰かに聞かれたらどうする」
「む……すまない、腹芸の類は苦手でな」
「苦手でも覚えてもらうぞ。今後必要になってくる」
「うむ……努力しよう」
少し落ち込んだ様子のリオネットはナルの対面に腰を下ろし、そして煙草を見つめる。
「吸うか? 」
「いや一度試したが何故そんなものを有り難がるのかわからなかったんでな。時間つぶしに聞かせてもらおうと思っただけだ」
「煙草を有り難がる理由ねぇ……」
そこでナルは困ったように頭を掻く。
煙草が美味いという感覚については依然語ったことも有った。
しかし愛煙家になった理由までは話したことがない、いやそもそも考えた事もないのだ。
始めにこれを吸ったのはいつだったか、そんな風に記憶を遡りながらあれこれと理由を考えて一つの結論にたどり着いた。
「わからん」
「………………」
じっとりとした死線を向けられたナルは取り繕うように言葉を続ける。
「いや、本当にわからん。これを吸い始めたのは、あーリオネットには言ってなかったな、このライターが親父の形見で見様見真似で吸ったのが一番最初だったはずだ。そっから酒と煙草の席だと有益な話を聞けるとわかってからは常用し始めて、いつの間にか愛煙してた」
「形見か……こういうことを言うのは気が引けるのだが、もしその事を公表すればそのライターを欲しがる人間は山ほど出てくるだろうな」
なにせ100年以上前に作られたものである。
更に『英雄の反乱と鎮圧』の中心人物が持っていた物となればコレクターは喉から手が出るほど欲しがるだろう。
「そうでもないぞ、綿を変えて芯を変えて石を変えて鑢を変えて、側も手直し入れてるし元のパーツなんかほとんど残っていないからな」
「ふむ……しかしそれでもという事もある。気を付けた方がいいだろう」
「そう思うなら言外に言ってくれ」
「無茶を言う……」
「それよりもだ、、街の腐敗の方が問題だな。明日一日準備を進めて明後日には出立したい」
「同感だ、しかしグリムはそれで大丈夫なのか? 」
「あいつは今日のうちに見る物見てすっぱりと諦めてたから平気だろう。それよりもグリムを外に出したくないし、一人にしたくない、できれば俺が付いていてやりたい」
「……目覚めたか? 」
変質者を見るような視線を送るリオネットにナルが煙草の煙を吹きかけた。
突然の行為に対処しきれず、目にしみたのか涙を浮かべ咳き込みながら煙を霧散させるリオネットに冷たい視線を向けた。
「女二人と兄妹に見える女児、この街で安全なのはどっちだ」
「ふむ……」
窓の外に視線を向けたリオネットは今日一日の事を思い出す。
街中の表通りでは親と共に歩く子供が多数いた。
それはつまり、危険な場所に立ち入らなければ大丈夫だという事に他ならない。
今日のようにわざわざ危険な場所に出向けばどうなるか……この場合は相手の傷の心配をしなければいけないが、あくまでも昼間は運が良かったに過ぎない。
「それに俺達は今日一日外を、裏も歩き回っている。目をつけられた可能性がある以上外に出たくない。そこでリオネット、おまえの出番だ」
「買い出しだな、任せてもらおう」
私ならば確実に安全だしな、と付け加えた事でナルの抱いていた馬鹿というイメージが更に払拭されていく。
裏に身を置く者ならば軍部に手を出す事がどれだけ愚かか理解しているだろう。
浅いところにいるようなチンピラであれば軍人というだけでそそくさと逃げていく。
深いところにいれば軍との衝突は国との全面戦争になりかねないと判断して身を引く。
中途半端な所にいる者は、たいていの場合馬鹿な真似をしようとして上に粛清されるという運命が待っているのだ。
つまり軍人であり、国から支給され唯一そのまま持ち出しを許可された鎧を身に纏っているリオネットほどこの街で安全な買い物を楽しめる人物はいないのだ。
そういう意味ではナルが買い物に行き、グリムとリオネットを待機させても構わないが男一人、外見は痩せ型で簡単に殺せそうな男、それでいながら裏路地をふらふらと出歩く不用心さ、この程度の情報は出回っているためそれはそれで危険だった。
もちろん、相手がである。
グリムのようにうっかり殺しましたという状況にはならないが、市民を傷つけたという理由でナルを捕縛、ついでにライバルとして見ていた、今では目の敵にしていると言っても過言ではないリオネットの足を引っ張る事ができるならばと考える騎馬隊の人間や、皇帝の権威を削いで貴族の地位を高めようと考える者がいないとも限らない。
だからこその安全策である。
それが効をそうしたのだろう。
翌々日一行は何事もなく街を出る事が出来た。
そして数日後には別の街に、遠回りながらもたどり着いて二通の手紙を発送したリオネットはこれで思い残す事もないと大手を振ってジュースを飲みながらナルとチェスに明け暮れるのだった。
またグリムもレムレス皇国に着いてからはよく手紙を書くようになり、そしてこの機会にと自立しそうな程の厚みを持った便箋をどこかにある故郷へと発送したのだった。




