雨の中
「ドスト帝国との国境線までは1週間と言った所だが、そこまでの貯えはある。しかし余裕が欲しいのでレムレス皇国の最北端にある街で休息をとるが構わないな」
「おーう、好きなようにしてくれ」
だらけきったナルが煙草を咥えながら生返事を返す。
急ぎの旅ではないので何ら問題はないと予め言っていたのも理由の一つだが、今こうしてリラックスしている事こそ重要な意味を持っていた。
余計な力を抜いて最大の成果を上げる事、その一点に集中している。
「さて……ルナ」
まず【月】のカードの発動、ここまではいつも通りの手順である。
「はいはーい! 呼ばれて飛び出てルナちゃん登場! おおっとぉ! 馬車とまぶい女子ゲットとはナルちゃんさっすが! 」
「な、なんだそれ! 」
「……変なの、いる? 」
「それとか変なのとは失礼な子たちね! でも許しちゃう! ルナちゃんは月のように広い心の持ち主だから! 」
訳の分からない例えを出しながらも付与付与と漂うルナにナルは視線を向けた。
さて、普段騒がしいお喋り諜報員という程度の認識しかない彼女に他のカードを組み合わせる事は出来るのか。
そんな事を考えながらもう一枚カードを取り出す。
「成功するかな……インビジブル」
新たに考えたトリガーを口ずさみながら【隠者】を発動させた。
同時にバチリという音と共にナルの手の内でカードが跳ねる。
眼前のルナには何の影響もない様子で、はらりと落ちた【隠者】が失敗を物語っていた。
「……まぁ、そんなもんだな」
結果に満足したのかナルはルナをそのままに他のカードを適当に吟味していく。
「おい、だから何だと言っているんだが……」
「これ? 【月】のカードの効果。見ての通りの存在。危険は無いから安心してくれ」
「それならいいのだが……人前では使うなよ」
「人前で使ってないからお前らも知らなかったんだよ」
「なるほど、それもそうか……」
納得した様子のリオネットを余所にナルは他のカードも試すことにした。
【悪魔】だけは除外して【力】を発動させるが【隠者】同様弾かれる。
やはり無理なのかと考えてから、しばらく思考を巡らせた。
カードの同時発動自体は可能である、それは先日のマギカとの戦闘で目の当たりにした。
しかしなぜ自分は発動できないのか。
その真意を探るべくいくつかの仮説を立てた。
まず一番の可能性はカードの相性、純粋に【月】が他のカードと相性が悪いのではないかと考え、もしそうならば今できる事はないという結論に行きつく。
おそらく手持ちで最も相性がいいのは【力】と【悪魔】の組み合わせ。
しかしそれはナルに相当な負荷をかけるため却下する。
では【月】という別人格の具現化にかかる負荷、これは単純にナルの容量の問題だ。
許容量と言い換えてもいいかもしれない。
つまりナルがカードを発動する際の力の消費量だ。
普段から使用する機会の多い【力】のカード、今でこそ平然と使えるようになっている物の手に入れた当初は使用する度に疲労感に襲われていた。
だがそれも慣れからか、徐々に気にならない程度のものになっていた。
この疲労感こそがナルの力を消費していたと仮説立てるならば、消費量がナルの持っている力の総量を超えていたら発動に至らないという事になるのではないかと考え、【力】と【隠者】の同時発動を実行してみた。
しかし弾かれる。
ならば、と再び考えを纏め始めるが、結局のところ試みのほとんどが失敗に終わってしまった。
唯一の成果は同時発動の感覚を掴めたのか、発動するまでもなく成否が分かるようになったことくらいだろう。
その中でも【悪魔】だけはどのカードと合わせても失敗の気配がないと悟ったナルは、やはり手札が足りないのだろうという結論に落ち着いた。
「それにしても不思議な物だな、そのカードの力は」
「ん? 」
「私が知っている英雄の血族はみな血が薄いせいか能力の発現はほとんどないんだが、数人特別な能力の持ち主を知っている。それでも一人一つの能力だ。なのにその力、ある意味では複数の能力を使い分けているようなものだ」
「あぁ……そういやそうだな」
目から鱗と言った様子のナル、事実今まで考えた事もなかった。
英雄の血族が持つ能力は言い換えるならば一点豪華主義。
魔術に秀でた者は魔術に特化し、剣術に特化したものは剣術のみに特化している。
だがナルの能力は使い分けこそに意味があるのだ。
そして改めて自分の持つ特異性に目を向ける事になった。
何かこの能力の根底になる物があるのではないかと。
例えばナルの両親、父は剣術が得意で母は魔術が使えた。
しかし特筆するような異能を持っていたわけではない。
ナルの血族に関して言えばすでに10代以上遡る事の出来る、いわゆる古い血族であったため能力の発現自体が珍しいとされていた。
だというのに、自分の能力は異能どころの話ではない。
不老不死をもたらし、怪力を与え、高度な隠密、諜報員の召喚、暴走、現状体感した物だけでもこれだけの異能を発現させている。
どれひとつとっても英雄の血族であれば一人一つ得られれば国に仕えて一生を遊んで暮らせるだけの金銭を稼ぐことも可能だ。
(どういうことだ……気にしたこともなかったがそういう着眼点から探るのも有りではあるな……)
すでに途絶えている血族とされているが、古い書物を読み漁れば自分のルーツが見えるかもしれない。
そこからさらに手を広げれば新たな情報、あるいはカードに関する情報の一端が得られるかもしれないと考えたナルは本日何本目かの煙草に火をつけながら手元のカードを見つめた。
今所持しているのは5枚、グリムとリオネットの物を合わせれば7枚、マギカとジャッジが持っていた3枚を合わせれば10枚。
そして何枚かは謎の一団の手中に有り、その可能性が高いとにらんでいる【節制】で11枚。
これで半分のカードが特定できたとする。
完全に所属不明のカードは5枚、察しがついているのは6枚だ。
ではその5枚が敵の手中にあるとすれば8枚抑えられている事になる。
ナルの持っているカードよりも多いという事になればそれは非常に厄介だ。
英雄の血族の持つポテンシャルは常人の数倍に及ぶ。
単純に言うならば一般兵数人分の戦力という事になる。
しかし特定条件下では、タロットカードの力というのはさらにその上を行く。
例えばグリム、彼女は戦力として換算すれば100人の雑兵以上の物を持っている。
リオネットにしてもそうだ。
戦車という兵器があれば彼女は一般兵どころか精鋭を500人集めても倒すのは困難を極める。
それが最大5人、マギカのように一人が複数のカードを抱え込んでいる可能性も考慮できるが、この際そこは問題ではない。
単純計算で1000人以上の戦力を持つ相手にナルは挑まなければならない。
先日のような短期決戦を主とした場合は【悪魔】のカードという切り札があるが、敵がこちらの回復を待ってくれるわけではない。
ナルが【悪魔】を抑え込めない程の短期間に連続して襲撃されれば、おそらくナルは死ぬことになる。
不死が死ぬというのもおかしな話だが、一度経験している以上その可能性は高い。
カードを再び失う可能性だ。
実のところカードを手に入れてからナルは致命傷を受ける事はあっても自殺以外の手段で死亡に至ったことはない。
それ以前であれば即死したという状況を何度も味わっている。
当人にその記憶は無いが、確実に死んでいた時間という物がそこには存在するのだ。
もしもカードを所持した状態で死ねば、おそらくは初めて力に目覚めた時のようにカードの力は再び世界に散らばる事になるだろう。
その事を考えると今後もナルは自分の急所、頭部や心臓と言った即死に繋がる箇所への攻撃は敏感にならざるを得なかった。
「……グリムぅ、俺が死にそうになったら助けてくれよぉ」
「ナル、うざい」
「ひっでぇ」
猫なで声でそんなことを頼み込んだナルはバッサリと切り捨てられたのだった。
しかし言葉とは裏腹にグリムの表情からは当然だという言葉が読み取れたナルは久しく感じていなかった安堵という物を思い出す。
なるほど、今自分は安堵しているのかと人らしい感情を抱き、そしてこっそりとグリムとリオネット、そして短い旅の中で出会ってきた人々に感謝するのだった。
(自分が人間だって、久しぶりに思えたかもしれねえな)
そんなことを考えながら、ふとある気配を感じ取った。
「ん……? リオネット、馬車を路肩に止めてくれ」
「どうした? 」
「雨だ」
ナルはある程度の天候観測が可能だが、それは空を見ていればという条件がある。
同時に外気に触れていれば確実性は高まるのだが、ホロ付きの馬車では事前の察知は難しい。
それも突発的な物となればなおさらの事、少し前にタバコを吸った時には気付かなかったが、もう一度と思い顔を出した瞬間にその兆候を感じとったのだった。
このままでは休めるような場所で雨を凌ぐのは難しい。
幸いというべきか林道を通っていたため少し端に寄せれば簡単な雨宿り程度はできると踏んでの事だった。
「ふむ、わかった」
この手の観測は自分よりも慣れているのだろうと、何も感じないながらにナルの言葉を信じたリオネットは馬を休められそうな場所を見つけてそこに馬車を止めた。
それから急いで馬に簡易的な雨具を着せて、自分も馬車に乗り込んだ。
「ちょっと御者台から向こうを見ていると面白いものが見れるぞ」
そう言ったナルの言葉にリオネットとグリムは顔を見合わせてから外を眺める。
数秒、何も起こらずナルに視線を向けたがもう少し待てと言われて再び外に目を向けた。
数分後、それは不意に訪れた。
遠方から近づいてくる木々を揺らすようなざわめきにも似た音。
それが三人の乗る馬車に近づいてくるのだ。
その音を聞き取ってから数秒、眼前に滝のような雨が迫り、あっという間に馬車を飲み込んで周囲一帯は豪雨に巻き込まれた。
「雨が降り始める瞬間というのはこういう物なのか……」
「すごい……」
「気候とタイミング次第でこういう光景を見る事もできるんだがな、今回のはわかりやすかったからいいものが見れただろ」
火が消えちまったと煙草を捨てながら、水を吸ったそれを投げ捨てたナルは大きくあくびをした。
「ま、一時間くらいで止む通り雨だ。それまでは休憩だな。しかし……なんか暇つぶしになるようなものないかね……」
「あるぞ、これだ」
ナルのボヤキに反応を示したのはリオネットだった。
荷物の中からチェス盤を取り出して堂々と掲げて見せた。
「チェスか……一人あぶれるな」
「む……たしかにそうだ、どうしたものか」
「チェス……ルール、知らない」
グリムの呟きにナルとリオネットの瞳が輝く。
二人は同時に同じ内容の暇つぶしを思いついたのだ。
「そうかそうか、チェスは面白いぞ。なぁそう思うだろ? ナル」
「うむ、リオネット元大隊長の言うとおりだ。実に健全な遊びでグリムも楽しめるだろう。どれ簡単にルールを教えてやるからリオネットと遊んでみるといい」
そう言い放つや否や、グリムの前にチェス盤を広げて駒の説明を始めた二人。
生き生きとした様子の二人に少々気圧されながらも、戦術に関わるという理由からかグリムはすぐにルールを吸収していった。
まさしく乾いた布が水を吸う如くという勢いで知識を得て、そして昇華させたグリムは一流の指し手とも渡り合えるのではないかという腕前に発展する。
結果。
「ぐぬぬ……」
「くそぅ……」
リオネットは愚か、この手のゲームにおいては他の追随を許さない経験と実力を持つナルさえも下す程の実力者になってしまったのである。
「ん、奥深い。もう一回」
「今度は負けんぞ! ナル、手を貸せ! 」
「おうさ! ビギナーズラックが続くと思うなよ! 今度は手加減抜きだ! 」
さて、まずチェスに置いてビギナーズラックなど存在せず如何に盤面を読めるかという計算力がものをいう勝負である。
運の要素が介入する余地の無いこのゲーム、重要なファクターは二つ。
いかに正しい手順を踏んで勝利に近づくかという前述通りの計算、そして悪手で相手を誘い罠にはめるという人間ならではの思考。
その二つを併せ持つ者こそこのゲームに置いては強者と言える。
しかし、ナルとリオネットは偏りがあった。
リオネットは計算を中心に動くため悪手を打つことを嫌う。
対してナルは揺さぶりをかけて悪手から罠にかける戦法を好む。
この二人が相対した時、リオネットは如何にナルの悪手に乗らず最善手を打てるか。
ナルは如何にリオネットを罠に誘い込めるかという勝負になる。
では、この二人が手を組んでグリムに挑めばどうなるか。
「馬鹿者! なぜそこでその手なんだ! 」
「うるせえな! ここは揺さぶりをかけるのが定石崩しだろうが! 」
「最善の手を打たずに何を考えていると聞いているのだ! 」
「そんな単純思考だからグリムにも俺にも勝てねえんだよ脳筋馬鹿! 」
「貴様言ったな! 吐いた唾を飲めると思うなよ! 」
「本当の事を言ったんだ! 取り消す気なんざ毛頭ないぞ! 」
と、あっという間に仲間割れを引き起こす事になる。
その間グリムは悪手からの誘いに乗る事もなく淡々とその都度の最善手を打ち続け、先程まで以上の圧勝で決まったのだった。
結果的に、リオネットとナルの意地とプライドをかけた勝負に繋がり、グリムは暇を持て余すことになるのだが二人はその事に気が回らない程頭に血を登らせていた。




