リオネットの苦悩
獣騎士隊大隊長リオネットは歯噛みしていた。
自分の無力さにである。
先程の謁見の間に飛び込んできた侵入者達、それを前に自分が何をしたか。
皇帝を連れて戦車に騎乗し、多少手狭になるが魔術師と弓兵を乗せてどこから来るかもわからない敵に警戒し続けていた。
そしてしばらくの間戦闘音が響きわたり、それが終わると同時に火柱が上がった。
結局のところ自分は何もできていないのだ。
言われるがままに皇帝を護った、この行為に咎められるようなことは無く、むしろ称賛されてしかるべきだ。
だというのにである、友人と恩人を捨て置いて自分は安全圏に避難した。
その事がどうしようもなく許せなかったのだ。
仮にあの場に残ったとしてもリオネットにできた事はない。
戦車の無いリオネットは無力だと痛感させられることになった。
立場がどれだけ変わっても守れないものがあると思い知らされた。
悔しい、そんな感情が渦巻いている。
だから用意された一室で、全てを拭い去りたいと剣を振りまわしていた。
仮想敵に、好ましくは無いがグリムを見立てたそれは何度やっても、どれだけ戦術を編んでも一瞬で打ち倒される。
仮想であろうとも一瞬の気のゆるみさえなく、その上で瞬殺される。
戦車に乗っていようともどうにか互角という相手に生身で打ち勝つことができない、その差を痛感させられてうなだれる。
そして思い至ったのが一つの出来事だ。
強さに限らず物事は模倣から始まる。
一番最初は憧れだろうか、思い返せばリオネットが獣騎士隊の一員になったのはエコーという先代に憧れての事だった。
彼に憧れを抱き、その動きを余すことなく見て、そして模倣して一端に追いつくことはできたのではないかと自負していた。
とんだうぬぼれだと自嘲する。
もしあの場にエコーがいたならばもっと上手く動いただろう。
皇帝陛下を護り避難させるという点においては同じだったかもしれないが、少なくとも自分より迅速に的確な判断を下して自発的に行動に移していただろう。
ならば、あの場において自分より優れていたのは誰か。
皇帝は言うまでもない事、その思慮深さは身に染みて知っている。
ではグリム、戦場ではいざ知らず奇襲を受けたとなれば確実な死をもたらす死神の少女。
彼女の模倣が自分にできるか、即座に否定する。
できるはずがないと。
友人に向ける言葉ではないがあれは一種の化物だ。
少なくともリオネットのような、自称ではあるが、凡人の及ぶところではない。
では、と考えて一瞬躊躇する。
あれを凡人の枠に収めるのはどうなのだろうと考え、明らかに違うと結論を出しながらも、その才能に光るものなど一切持たない男。
ただ努力のみで化け物と呼ばれる連中に食らいつかんとする不死の凡人。
ナルという男に。
あの男を見習うというのはリオネットにしてみれば悪質な冗談だ。
しかしこの場において、あの男以上に冷静で的確に行動したものは他にいない。
その模倣、先日のチェスは実に見事な物だった。
皇帝陛下を相手に手加減をして、そしてわざと勝たない、しかし負けない打ち筋で必ず引き分けに持ち込んだ。
全ての局面を完全に読み切ったうえでだ。
その後自分も如何に不利な状況から巻き返すかという点に目を向けてみたのも模倣の一環と言えるかもしれない。
そんな言い訳を胸の内で膨らませながら、リオネットは部屋に備え付けられた箱に手を伸ばす。
中には丁寧に巻かれた煙草、元々貴族の為に作られたこの一室は剣を振りまわしても問題がない程に広く、そしてありとあらゆる娯楽が用意されている。
この煙草も、そしてもう飲むこともないと思っていた酒もそこにはあった。
何事も経験というエコーの言葉が脳裏をよぎり、躊躇していた腕を無理やり動かして一本手に取る。
そして蝋燭の火に近づけて、煙草を咥えたまま深呼吸した。
間違った煙草の吸い方である。
本来なら一度口内に煙をためてそこから外気ごと肺に煙を入れるべきだが、あろうことか直接肺に煙を充満させたのだ。
当然のことだが初めての煙草、間違った吸い方という合わせ技で盛大にむせたリオネットは涙目で手にしたそれを灰皿の上で揉み消した。
あの男はよくこれを吸っているが、何が楽しくてこんなに煙い物を吸っているのだろうとクラクラとめまいを感じながら考える。
そうだ、あの男はいつも何かを考えていた。
最善の一手、そのためには思考だ。
何を考えていた、なにを考えればいい。
もしも、いや無意味だ、もしもの話を考える意味はない。
ならば今自分の実力であの状況、何ができたのかを考えるべきだ。
戦車が無ければ少々腕の立つ女程度の実力しかない状況で、何ができたのか。
数秒リオネットの脳内を沈黙が支配する。
駄目だ、どう足掻いても皇帝陛下を連れて逃げる事が最善策だ。
その上で戦車に乗って待機、いつでも迎撃できるように体制を整えて最悪の場合は王都から脱出して皇帝陛下を護る事こそ自分にできた最善の一手だ。
ならばその上で考える、先程放棄したもしもの話だ。
もしもあの場にナル達がいない、純粋に皇帝陛下を狙った暗殺だったら自分はどうするべきだったか。
聞くところによれば敵はグリムと同等の剣士と、ナルを一時的にだが追い込んだ魔術師だという。
そんな相手に自分は何ができるのか、皇帝陛下を連れて逃げる。
できるだろうか、ほぼ不可能だろう。
対処しようと動いた瞬間に殺されるのが目に見えている。
では諦めるのか、論外だ。
そのような思考で何ができるという。
ならば……ならばできるようになるしかないという結論が頭に浮かぶ。
少なくとも戦車が無くとも足手纏いにならない程度の実力を、と考えて疑問を抱く。
誰の足手まといになっているのだろうかと。
少なくともこの国では上から数えた方が強いという自負がある。
それは驕りではないという自信もある。
だが、いやだからこそか。
自分は境界線に立っているのだと自覚がある。
強者と圧倒的強者の境界線、今の自分は負傷して一線を退いたエコーにすら遠く及ばない。
だがエコーの足を引っ張っているとは思えず、あるいは思いたくないのかもしれないが、少なからず貢献は出来ているはずだと思い、そして一人の人物の顔が浮かぶ。
年端もいかぬ外見でありながら間もなく成人を迎える少女、グリムだ。
リオネットにとって数少ない友人の重荷になってしまったのではというのも今こうして悩みを抱えている一因だと気付く。
リオネットは確かに強者だ。
だがただの強者では圧倒的強者には太刀打ちできないのだ。
ならば自分も圧倒的強者へとなればいい、そのための方法を模索する。
そして、行き詰る。
人は簡単に強くなることなどできないのだ。
「駄目だ……わからん」
ぼやき声はわずかに残っていた煙草の火種から生み出された煙と共に霧散する。
今以上に厳しい訓練をしたらどうなるか、身体を壊すのがオチだ。
では効率的な訓練ならばどうだ、すでにこれ以上なく効率化された訓練を行っている。
日々の食事に娯楽にと様々な過程を考えて、そしてすべて却下する。
「いっそ、愛に生きてみれば変わるのかもしれんな」
おとぎ話でそんな物があったなと思い返して、自分の発言に顔を赤らめてテーブルに頭部を打ち付ける。
何を馬鹿な事を言っているのだろうかと剣を再び握る。
先程までグリムが握っていたそれは余程酷使されたのだろう、刃こぼれが酷い。
刀身も感知できない程度には歪んでいるかもしれない。
わずかに普段と重心が違うのを感じ取れる。
この剣がどれほどの修羅場を潜り抜けたのかを想像したリオネットは、愛剣に嫉妬するのだった。
「お前ばかりがグリムと並びたてると思うなよ」
いつか追いついてやると自分に言い聞かせるように刀身を指ではじくのだった。




