終結
「…………………………」
マギカは確信していた。
この技で倒せなかった敵はいない、だがもし生き延びるとしたら話に聞いていた【悪魔】のカードの能力だけだろうと。
どれほどの熱波を浴びせようと表面を焼くだけでは勝てない。
【隠者】の能力を看破できる【太陽】、このように相性がカードにはあった。
ならば【太陽】の天敵は、それこそが【悪魔】でありマギカがここに送り込まれた理由だった。
その目的はナルに【悪魔】を使用させる事。
そして、ナルは戦局を見誤る人物ではないと全権の信頼を預ける人物に聞かされていた以上この攻撃を繰り出せばナルは間違いなくカードを発動させるだろうと。
たしかにそれは叶った、しかしナルがどうなったのかまでは読み切れずにいた。
災害に成り下がったのか、それとも依然として自分の敵なのか、その判断をつけられずにマギカは次の攻撃の機会を待っていた。
もし災害になっていれば即座に離脱する予定である。
「っ! 」
その予定も無駄だと悟ったのは直後の事、グリム程ではないが百戦錬磨と言ってもいいマギカさえ硬直してしまう程の殺気に包まれたのだ。
(暴走……しちゃったかな)
ナルの発しているそれは人間の物ではない。
まさしく怪物、押し寄せる津波の前兆、嵐の前の静けさ、それがこの殺気である。
「ジャッジ君! 引くよ! 」
とっさに声を上げ、視線を離したのがいけなかった。
マギカの行動は本当に偶然だった。
視線を離し、ジャッジに声をかけるために顔をわずかに動かした。
その瞬間に頬に熱を感じ取り、手を当てると赤いものが指先に触れる。
数秒間、それを見つめて自分の血だと気付くことができた。
もしも顔を逸らしていなければ、鼻かあるいは目を抉られていた。
その事実を物語るように頬の傷は口内に達している。
「うわっ! 」
その数秒、戦闘においては致命的な時間、しかしナルの攻撃は無くマギカはいまだに生きながらえているという事実に思考が追い付かない。
その為眼前にある黒い壁が何なのか気付くのに遅れてしまった。
「あ、あははー! ナル君すっごい早いね! 」
茶化しながらも、全力の熱波をナルに浴びせたマギカ。
摂氏6000度、周囲のありとあらゆるものを燃やし尽くさんとする熱を一極集中させることで相手が誰であろうと確実に殺す、文字通りの必殺技。
しかし。
「ひっ」
ナルは健在だった。
もしも範囲を指定せずに6000度の熱波を放てば余波だけで周囲の人間が、下手をすれば世界中の人間が死に絶える事になる。
それはできない以上、範囲を絞らざるを得なかったマギカはナルをとらえきる事ができなかった。
ふわりと、髪を撫でるように風が吹く。
否、風ではない。
ナルの振るった拳が今度はマギカの後頭部をかすめたのだ。
一瞬で背後に回られた恐怖にマギカは冷静さを欠く。
「な、なんなんだよ! こんなに! 」
こんなに凄まじいなんて、聞いていないぞと続けようとして再び背後で髪の毛が揺れるのを感じた。
今度は目を離していないにもかかわらずナルの姿が掻き消えて、そして背後に回られたのだ。
「くそっ! 」
そして三度目、四度目と繰り返していくうちにマギカは追い詰められていく。
頭の中は背後へ回られることの恐怖が支配し、徐々に壁際へと追い詰められて、そして今は部屋の角で杖を握って震えていた。
そこへナルが、あの飄々とした態度のナルが一言も発することなく近づいてくる。
ゆっくりと、得物をいたぶるように。
(あ、死んだかな)
死に直面したことで冷静になったマギカは、そう結論付けた。
逃げる方法はある、しかし今の精神状態でその方法は使えない、あと何歩でナルが自分の前に立ちはだかり、そして何秒かけて自分が殺されるのか、そのあと世界がどうなるのかとかつてない程にマギカの脳内で考えが浮かんでは消えて、そして目を閉じて諦めた。
「はい、俺の勝ち」
「……え? 」
「なぁ、もういいだろ? いい加減これ支配するのも加減するのも疲れるんだわ。さっさと降参して情報はいてカード譲渡してくれよ」
先程まで無言を貫いていたナルが突然饒舌に語りはじめたのだ。
てっきり災害に成り下がったのではないかと考えていたマギカは、再び混乱の中に放り込まれた。
「おーいきいてる? おーい」
ここまで追い込まれて、死を覚悟して、その上で敵であるナルのとぼけた声に安堵する。
その状況にマギカは一瞬で冷静になった。
風呂上がりに背中に氷を入れられたかのように体温が失われていくのを実感する。
怒り、全てに対する怒り。
もてあそばれたことに対する怒り、それに対処できなかった自分の無力感に対する怒り、いつの間にやら地面に倒れ伏して動かなくなっているジャッジへの怒り、自分の仕事は終わったとこちらを見物しているグリムに対する怒り、そして何よりも助かったのだと安堵してしまった自分自身への、嫌悪感に。
「あは、あははははは! 」
怒りが冷静さをもたらす、余計な思考を全て吹き飛ばして目的のための手段その一点に全ての力を向けてくれる。
マギカにとって初めての経験だった。
「あー笑った笑った……」
「んで、降参してカード譲渡して情報ぶちまけてくれるのか? 」
「冗談! 」
ナルの言葉を蹴散らすようにそう言ったマギカは、杖を回しながらナルに向けて構えた。
すでに熱波は意味を成さない、無用の長物。
ならばどうするか、こうするのだ。
「【太陽】マギカはここまで、【正義】ジャッジ君ももう戦えない、だからね……」
杖の先端に光が宿る。
それは先ほどまで波として使っていた熱を収束、一点集中させたものだった。
しかし【太陽】のカードだけではこのような芸当は不可能である。
熱の収縮までは【太陽】の力を使えば難なく行使できるだろう。
しかしそれ以外の、例えば座標を固定し杖の移動に連動して熱の発生地点を動かすなどという事は不可能とナルは理解し、自分の精神をむしばむ【悪魔】をもう少しだけ押さえつけようとしていた。
「【魔術師】マギカ! 全身全霊で逃げさせてもらうよ! 」
そう宣言したマギカに躊躇なく拳を振り下ろし、空ぶった。
先程までのお遊びではない、確殺の一撃を叩き込もうとして躱されたのだ。
さて世界には作用反作用の法則と摩擦という物が存在する。
前者は上に力を向ければ下向かって同等の力が加えられることを意味する物である。
ではそこに摩擦という物を加えるとどうなるか、摩擦力が高い、例えば鑢の上での出来事だ。
鑢に乗せられた岩石を動かすには相応の力が必要だが、溶けかけの氷の上では軽い力で動かすことができる。
それと同じことがナルの身に起こった。
よく磨き上げられた石畳の表面にわずかな水が存在した。
その水に足を取られてわずかに姿勢を崩したことでナルの攻撃はマギカの頭上をすり抜け、危うく壁を殴りつけそうになる。
これもまた【太陽】の力ではない。
冷静に分析していたナルのわき腹を熱が通り抜ける。
マギカの杖が掠めたのだ。
しかしそれは攻撃ではなく、ともすれば意図的な物でもない。
もとよりマギカにしてみてもそれは脅しの意味合いが強いもので、戦術に組み込まれた物ではないのだ。
杖の先端に熱を集中させたのは【太陽】の力の一片を使っている事は間違いないが、しかし問題はもう一つ、【太陽】ではなく【魔術師】と名乗った事にある。
「てめっ」
振り返り、今度は足場を確認した上で捕えようとして空振り。
直前に手の届く範囲まで距離を詰めたというのに一瞬でその姿が消えたのだ。
同時に倒れていたジャッジの姿も何処かへ消えて、そして先程まで追い詰められていた部屋の隅にその姿を現した。
「……二枚のカード」
それはナルの長い年月でも初めて見る光景だった。
超高度魔法瞬間移動、理論上は可能とされているが様々な理由から実用に至ることなく、また一部国家では研究さえ禁忌とされた魔術である。
それを難なく行使した人物もさることながら複数のカードを持つ者は、ナル本人を覗いて見た事がなかった。
「大正解! ナル君お見事! 景品は置き土産ね! 」
「くそっ、待ちやがれ! 」
そうは言ったものの、ナルも相手が待ってくれるなどという希望は持っていなかった。
ただ言わざるを得ない状況だったのだ。
そして小さな光の球を残して消えた二人を確認することなく、床に張られた石畳のタイルを引きはがして光の球を壁で挟むように捕らえ、そして押さえつけた。
それだけの行動をして、どれほどの成果を上げられたのだろうか。
100倍に増幅された筋力でもなお押し切られそうになるほどの大爆発が発生した。
ナルがとっさに三枚目の壁を造りだしていなければ、あるいは【悪魔】を使い続けていなければ、この爆発で何人が死んだだろうか。
少なくとも直情直下にいた不運な誰か数人程度の被害では済まなかっただろう。
そしてその中にはグリムも含まれている。
それは見過ごすことができなかった。
「…………ふぅ」
数秒、あるいは永遠にも感じた時間が過ぎ去った。
光球を壁で押し込んだ事が災いして逃げ場を失った力は直情直下へと向かい、床と天井を盛大にぶち抜いてレムレス皇国王都の中央、王城の更に中央から火柱を上げる事になった。
それでも死者の数を抑えるには十分すぎる貢献であり、そしてナルの体力も限界に近づいていた。
この期に及んで暴れまわる【悪魔】はすぐさまカードに戻し、床にへたり込んでしまったナルは全身のありとあらゆる器官が悲鳴を上げているのを察する。
骨や筋肉は言うまでもなく、血管や内臓、果ては眼球や鼓膜と言った五感に至っても普段以上に鈍く熱の剣で切り裂かれたわき腹の傷もなかなか回復が遅い。
まさに満身創痍だった。
「疲れた! もう今日は働かねえぞ! 」
ボロボロになってしまった謁見の間で、床に身体を投げ出してそう叫ぶナルは全てがひと段落したと嘆息していた。




