晩餐
「ほっほっほ、そんなことがあったのか」
「えぇ、あの時ばかりは生きた心地がしなかったです……久しぶりに本当の意味で不味いと思いましたね」
「で、あるか。苦労人じゃのう」
「皇帝陛下ほどではありませんよ」
宴の場、ナルを生涯の友として宣言した皇帝と嘱託を共にするという名誉を得る事になったナル達は談笑に花を咲かせていた。
ただ黙々と食事をとるような間柄ではない、何か面白い話はないかとナルの体験談を語るように、表向きは命じられてのことだが過去の経験を面白おかしく語ったナルに皇帝も、そして近衛兵たちも時折笑みを見せていた。
「そちらの、グリムじゃったか。美味いかのう? 」
「ん……美味しい、です」
「そうかそうか、好きなだけ食べなさい」
予め、煙草を吸っている間にグリムの過去は触れないでやってくれと頼みこんでいたこともあり皇帝はグリムから話を聞こうとはしなかった。
しかし放置しておくわけにもいかないと、時折こうして食事の味や好きな食べ物について話をふっていたのだ。
「して、リオネット大隊長は食が細いのかのう? 」
「いえ……そのような事は……」
「これで小心者なんで緊張してるんでしょう、なにせいまだに想い人に意思を伝えられず部下に酒の肴にされてるくらいですから」
「ほほう、それはまた面白そうな話じゃな」
リオネットはナルとグリムに対面する位置に座っている。
もしもナルの横にいれば肘で小突く程度の事はしただろう。
しかし今は不用意に口を開けないと、豪華な食事の味も分からないといった様子で口に運んでいた。
「相手はエコーです、難儀な事に……」
「それは……本当に難儀じゃな……」
そして相手が判明するや否や、皇帝陛下は涙をぬぐう仕草をして見せる。
当然ふりだけで実際に涙を流しているわけではない。
「ちなみに獣騎士隊の中ではいつリオネットが告白するかっていう賭けも流行ってましたよ、一番人気はこのままずるずると告白できないまま行き遅れるのが1.1倍でした」
「なっ」
思わずと言った様子でリオネットが抗議の声を上げようとしたところで皇帝の御前であると気付いて浮かせかけた腰を下ろす。
リオネットだけに見えるようににやけているナルと、孫の話を聞く様に微笑まし気にしている皇帝の相反する反応。
しかし内心はどちらも愉悦感に満たされていた。
「ふむ、いざとなったら儂の方から見合いの話でも用意するかのう……皇帝命令と言えばエコーも嫌とは言わんじゃろうし、そもそもリオネット大隊長の事を嫌っているわけでもあるまいて」
「はっはっは、それはいい考えですね。あの男もこの女も多少強引に話を進めてやらねば一生停滞し続けるでしょうから」
「ま……お待ちください皇帝陛下! 流石にそれは話が急すぎます! 」
「とか言いつつまんざらでもない様子ですよ、口元に笑みが浮き上がる寸前といった表情です」
「ほっほっ、若い者の背を押してやるのも年寄りの役目じゃ。お主が嫌ならば今回の1件は無かったことにするが、どうじゃ? 」
「え、あの……えっと、あぅ……」
嫌ではない、しかしこういった形で話が進められると戸惑ってしまうとリオネットは次の言葉を紡げずにいた。
そもそもの恋愛感情を抱いているのかと言われれば、好意は抱いている、愛情である可能性も十分にある、しかし恋愛経験が無いためそれが本当に恋心なのか判断しきれなかったのだ。
「まぁお待ちを皇帝陛下、話を進めるにしても今後1年くらいの猶予を見た方がいいでしょう」
そこで、先ほどまでははやし立てていたナルが助け舟を出した。
「ほう、そのこころは? 」
「ちょっと戦車街まで行って獣騎士隊の賭けに加わってきます。1年以内に進展するという大穴に賭けてきますのでせめてそれまでお時間をいただければ」
助け船は泥船だった。
平然と賭博行為に手を出そうとするナルに、リオネットをはじめとした近衛兵や使用人たちが冷たい目を向ける。
「ふむ、ならば儂の分も頼むかのう……」
「皇帝陛下! 」
流石に皇帝が賭博に手を出すのはどうかと声を荒げた近衛兵だったが、久方ぶりに見る皇帝の楽しそうな笑みを見て口を閉ざした。
そしてため息を吐いてからナルに視線を向ける。
これ以上余計な事を言うなというものだった。
「さて、他人の恋愛事情はさておき……」
ナプキンで口元を拭きながら、続いて隣で顔を汚しているグリムの頬を拭いて、皇帝を睨みつけるように目線を送ったナル。
それをさもわかっていると言わんばかりに頷いた皇帝は近くにいた兵士に小さく耳打ちをした。
「ほれ、先程の分じゃ」
「まいどあり」
差し出されたのは金貨と紙幣の詰まった革袋だった。
それを食事中のグリムに差し出した兵士は、続いて装飾過多な木箱をナルに手渡す。
中には高価な煙草が詰め込まれていた。
ナルとて1、2本の煙草を譲るのを渋るほど細かい性格はしていない。
しかし紙に巻いていた物をほとんど二人がかりで吸い尽くしたため、せっかくだから皇帝御用達の物も分けて欲しいと交渉してみたところあっさり承諾されてしまったのだった。
「箱ごと持っていくが良い」
「それはどうも……売ったらいくらくらいになるかね……」
「ナル! 流石にそれは不敬が過ぎるぞ! 」
「冗談だから座れリオネット、俺だって友人と呼んでくれる相手からの贈り物を売るような真似はしないさ」
「……洒落にならん男だな」
「人生そのものが洒落みたいなもんだ、口から出る言葉だってほとんどが洒落だろ」
「ほっほっ、若いというのは良い物じゃのう。なに、金に困った際には売っても構わぬ。とはいえレムレス皇国内で売ってもらえれば重畳じゃ、他国で儂の名前入りを売ったとなればいらぬ誤解も受けるじゃろう」
「確かに……とはいえこの国に長居するかどうかは俺の事情云々ですからね、基本的には記念にいただいておきますよ」
「そうか、それならば存分に活用してやっておくれ」
「では、俺の使っていたのを代わりに……見た目は古い物ですが長年使いこんでいるので煙草を加湿するためには最適の物です。おそらく同じ状態の物を買おうとすれば相応の金額になるでしょうから」
「ほう、では交換という事じゃな。この年で友人と出会い、友人らしいことができるとは思わなんだ……」
「人生いつ何が起こるか分からないものですよ……まぁ一度使用人のチェックを通してからという事になりますけどね」
「致し方ないのう……やはりさっさと隠居してしまえたら楽なんじゃがな……」
「皇帝陛下が隠居したらボケるんじゃないですか? 引きこもり生活が待っているでしょうし」
「うむむ……それもそうじゃが、しかしいつまでも儂が玉座を独占するのもな……いや、そもそもの話じゃ、さすがに後継者を育て始めねばと思っておるのじゃよ。お主どうじゃ? 」
「俺は遠慮しておきます、30年後に生きてたら誘ってください」
不敬を通り越して無礼な物言いに、再び敵愾心の込められた視線がナルに集中する。
皇帝がいくら友人だと宣言しようとも、周囲から見れば馬の骨に過ぎないのだ。
また近衛兵とはエリートの中のエリートであり、大半が貴族の中から性格、容姿、実力全ての備わった最高の兵士が集う。
そんな彼らを出し抜くかのように突然現れたナルに嫉妬する者も少なからずいたのだった。
当然そんな心理は読み切っているナルだったが。
(……酒は美味いが煙草が吸えないのは減点だよなぁ)
我関せずと食事に対する評価をしていた。
いやそもそも食事ではなく食卓に対する不満点である。
先程皇帝の服に穴をあけるという大罪を犯したばかりで、その場で皇帝が生涯の友と宣言していなければ腕の健を切られる可能性すらあったという事実さえ何事も無かったかのように平然としていた。
対してリオネット、こちらはナルの口が開くたびに不敬無礼千万といった言葉が飛び出すため気が気ではなく、そしてお前の監督責任だぞという刺さるような視線に身を縮めていたのだった。
「リオネット、そんなに小さくなってどうした」
「……わかってて聞いているのではないか? 」
「わかってて聞いてる」
「ぐっ……」
怒鳴り散らしたい思いに駆られながらも自制心でそれを押しとどめたリオネットは、あとで思い切りナルを殴ろうと考えていた。
さんざん酒の肴にされ、あまつさえ皇帝の御前でからかわれるという醜態、全てはナルが悪いという結論に達したのだった。
リオネットの脳内裁判にてナルだけが有罪と判断されたのだった。
欠席裁判どころか出席拒否裁判という暴挙である。
「そういえば皇帝陛下、最近北方とはどうですか? 」
「北方? ふむ、ここ数年は小競り合いもなく良き隣人として生活しておるが……気になる事でも? 」
「いえ、思い付きです。北の帝国も君主は皇帝を名乗っていたなと思い出したので」
「なるほどのう……お主はどう思う? 」
これは国交の問題ではなくカードの話である。
つまり【皇帝】のカードの持ち主が帝国にいるかどうか。
今回こうして直々にレムレス皇国皇帝と会い、そして占いを済ませた事でその可能性が高いとナルは踏んでいた。
「まぁ十中八九と言ったところでしょうか。ここ100年で力をつけたという点から見ても……」
「ふむ、やはりそう思うか……一つエコーが言っておった情報を渡しておくとしよう。あとで書面にて用意するので読んだら確実に処分するんじゃぞ」
「わかりました、お心遣い痛み入ります」
しばしの静寂がその場を支配する。
話す話題が切れたわけではない。
出された題材に対してこれ以上言及することができないのだ。
リオネットはエコーとナル、そして自分との関連性を知らない。
グリムは食に夢中。
ナルは、それ以上の事を返せず。
皇帝も他者のいる場所で深く話すべきではないと考えての事だ。
「そういえば皇帝、これを嗜むそうですね」
「ふむ、これか? なかなかの腕前と自負しておるぞ」
何かを摘まむようなしぐさを見せたナルに皇帝も目を輝かせて反応を返す。
互いに嗜む程度に遊んだことはあるが、自分の実力がどの程度なのかいまいち判断に困っているゲームだ。
ナルは賭け事として軽く遊ぶばかりで、皇帝に至っては……。
「儂はなかなか相手に恵まれんでのう、ほれ、みな委縮してわざと負けようとしてな」
不敬にならないようにと誰もが気を使って本気の勝負をしたことがなかったからだ。
「俺もそれほど経験はないですけど、それでも良ければ」
「では飲み交わしながらの一局じゃ。どうじゃ、すぐにでも」
「いいでしょう」
食卓の一部から空になった食器が片付けられ、あとはグリムとリオネットの眼前に残るだけとなった。
そして皇帝の席にナルが近づき、間に使用人が運んできた板がおかれる。
チェス盤だった。
「先手は頂いても? 」
「かまわんよ、ただし次の局では儂が先手じゃ」
すでに何度も打つことが決まっていたと苦笑しながらもポーンを二マス進めたナル、皇帝も同様の手をうち、そして戦局は皇帝が優勢のまま終盤を迎えようとしていた。
「ほれ、チェックじゃ」
「む、ではこうしましょうか」
「ほう、そう逃げるか……む? 」
ナルの駒の動きに違和感を見出したのか、皇帝が優勢にもかかわらず盤面を凝視して長考に入る。
チェス等の遊戯は近衛兵や獣騎士隊の間でも推奨されており、レムレス皇国内では比較的人気の高い物である。
過去にはチェスで叙勲を受けた者もいたため、叙勲の為に腕を磨く者もいるほどだった。
そんな最中、次の一手を数分かけて打った皇帝はナルの浮かべた笑みを見逃した。
それから数手進んでの事である。
「ステイルメイトですね」
互いに駒を一手も動かせない状況を作り出したことでステイルメイト、つまりは引き分けとなったのだ。
明らかに優勢だった皇帝はその事実に意地の悪い笑みを浮かべる。
「お主、手を抜きおったな」
チェスは先手有利のゲームである。
その上で皇帝に優勢に見せかけておきながら引き分けに持ち込む。
つまり有利な状況から一手上に行った皇帝を再び巻き返しての引き分けである。
その気になれば一手も譲ることなく、引き分けどころか勝利さえ狙えたであろう。
それでもなお引き分けを選んだのには理由があった。
「なんのことでしょうか、二局目……陛下が先手ですね」
「……うむ」
再びチェスが始まる。
いつの間にかその局面を覗き込むように他の兵士たちが集まっている。
食事を終えたグリムが暇つぶしとナルの横からのぞき込み、その背後にリオネットが立ち、そしてならば我々も見たいと兵士たちが近づいてきたのだ。
彼らはナルが悪手を打つたびに落胆の声を上げ、皇帝が最善手をうつたびに感嘆の声を上げる。
マナーとしては最悪と言っても過言ではない状況下でも、ナルと皇帝は顔色一つ変えることなく淡々と駒を動かしていくのだった。
パッと見れば実力は皇帝の方が上に見える、そんな局面であり先程の引き分けはナルのあがきだろうと全員が考えた瞬間だった。
「チェック」
皇帝の宣言にナルは駒を動かす。
「チェック」
それにくらいつくように再び駒が動かされる。
「……くっ、チェックじゃ」
「パーペチュアルチェックですね」
三度同じ局面が続いた場合、これも引き分けとなる要因である。
その事を指摘したナルによって再び勝負は引き分けとなった。
多少腕に自信のある兵士は気づいた、皇帝は動かされていたのだと。
同じ感想を抱いた皇帝は煙草に火をつけて、酒を飲み次の局を始める。
「先手は、譲りましょうか」
「本気で挑んでくれるのであれば、いただこうかのう」
「本気ですよ? 一番実力を発揮できる戦い方をしているだけでね」
皇帝の言葉に怖気づくこともなく平然と、引き分けに持ち込む事こそが一番の本気であると言い放つ。
勝利を目指すよりも、敗北を目指すよりも、相手を誘導してこその頭脳戦だろうと。
故にこれがナルの本領だった。
無理に勝たなくていい、互いに身動きが取れないように牽制させればいい、それがナルの考え方だった。
なお、その思考が祟って長年カード集めに難儀することになっていたのも事実である。
なにせ相手が動けない分、自分も身動きをとれないのだ。
同時にこのチェス対決はナルから皇帝へのメッセージだった。
謎の一団、気にはなるが積極的に動くつもりはない、先方が何かするなら常に対処する、そして互いに手出しができないように見せかけると。
そう、見せかけである。
実際の戦争がチェス程単純ではないように、事実上の膠着状態というのも単純ではない。
互いに動けない理由は相手の出方をうかがっているからであり、そのような物は気する必要などないと言い切ればすぐにでも膠着状態は解かれ、開戦となるのだ。
ナルにとって警戒される要素はあっても、相手を警戒する意味というのはほとんどない。
その事を暗にチェスを通して伝えていた。
「……まいった、降参じゃ」
「おや、まだ勝利の芽はありますよ? 」
「その勝利に向かって動けば必ず引き分けに持ち込むじゃろ、絶対勝てん勝負じゃわい」
「私がしくじれば確実に勝てますよ? 」
「しくじらんじゃろ、普通に負けるより悔しい思いをするのは初めてじゃ……」
「人生何事も初体験、遅いという事はないですよ」
「腹立つのう……誰かこ奴に一泡吹かせられる棋士はおらんかのう。勝てたら褒美を出すぞ」
苦々し気に、しかし遊び終えてくたびれた子供のように朗らかな笑みを浮かべながらそんなことを言い出した皇帝に、ナルはさらに意地の悪い笑みを返す。
「5人までなら同時にお相手しますよ、早指しで」
明らかな挑発である、そのような挑発に乗るほど近衛兵たちの忍耐力は。
「いい度胸だ! 」
「皇帝陛下の敵討! 」
「お相手していただこう! 」
忍耐力は無かった。
むしろ皇帝陛下からの許しが出たと言わんばかりに、先程までの対局で熱を上げていた兵士たちが次々とナルに挑み、そして全員が必ず引き分けに持ち込まれたのである。
その事如くが優勢になったと思った矢先の出来事であり、全員が虚をつかれたように目を見開いてその異様性を見出したのだった。
「さぁ、そろそろ本気で行きましょう……グリム、金貸して」
「ん」
皇帝から貰った金一封を机の上にドンと乗せてナルが声を上げる。
「さぁさぁお立合い! 皇帝陛下観衆の下俺に勝てた人にはこの金一封そのまま進呈! 今なら金貨一枚の参加費だけだ! ただし引き分けた場合は参加料没収の賞金は無し! 負けたやつには今までの参加者から巻き上げた参加料を全額プレゼントだ! 」
「ほほう、なかなか面白いではないか。許すぞ」
皇帝の許可も得てナルは多面打ちでチェスの試合を始める。
そしてその事如くに引き分けて、しばらく稼げていなかった旅費を無事得る事になったのだった。
なおグリムから借りた金は上乗せして返したため、大きな問題にはならなかった。
後日チェスに熱を上げ、更に無理やり引き分けに持ち込もうとする者が増えたのは誰の影響やら、そんな笑い話が王都の一面記事に飾られていた。




