路程
旅の路程は非常に快適なものだった。
揺れの少ない馬車、一切の襲撃を受けずに進む軍勢。
煙草と酒を嗜みながらの移動。
食事が軍の携行食という事もあり味が微妙だという事を除けば旅というよりは遊覧とも言うべき旅程だった。
それもこれも先行して全ての障害を文字通りの意味で押しつぶしていったリオネット達獣騎士小隊の成果ともいえる。
彼女たちは全員が魔獣に牽かせた戦車に搭乗していたため、普通の馬を用いた馬車との並走が難しかった。
獣騎士隊が速度を落とすことはさほど難しくないが、馬が魔獣におびえてしまうのだ。
その為先行偵察部隊という名目で一足先に出たリオネット達が障害となりかねない物事を全て排除していた。
恐ろしい事に連絡要員として派遣された兵士が先行しすぎていると進言しなければいけない程にリオネット達は先行し、そして道中要所要所で丸一日の休養を取るほどに余裕を持っていた。
その結果。
「平和だなぁ……」
「暇……」
ナル達は平穏を持て余していた。
百年以上の時間をそれなりに物騒な事態に費やしていたナルと、常に戦場と呼ぶ事すら憚られる死地ともいえる場所を転々としていたグリムにとって平和は毒だった。
腕を訛らせる。
勘を鈍らせる。
そして時間を持て余す。
歓迎できる要素は一つもない、そう言い切れるほどに戦場になれてしまった二人にとってこの旅程はあまりにも退屈過ぎた。
「いい事じゃないですか、これで獣騎士隊の評価も回復しますし」
御者を務めている兵士がそう言いながら手綱を操る。
相も変わらず不愛想なグリムと違い、ナルは早々に護衛部隊の人心を掌握していた。
その為彼らはリオネットが言った通りに敬意を忘れず、しかしフランクに接していた。
グリムの扱いに困る場面が何度か有ったが、その際にはすかさずナルがフォローを入れ事なきを得ていた。
「そうは言うけどな……俺達物騒な事に慣れすぎててこういうのは肌に合わないんだよ」
「我々も相当物騒な仕事をしていますが……? 」
「兵士は有事に動くけど、俺達は有事を作り出すか勝手に首を突っ込むからいつも戦乱なの」
「はぁ、傭兵っていうのも難儀な仕事ですね」
「おう、難儀も難儀。お勧めしない職業ぶっちぎりの一位だ」
軽口を叩きあうナル達はまだいい。
深刻なのはグリムだった。
休憩時間になれば護衛部隊の適当な人間をつかまえて訓練にいそしむ程闘争に飢えているのだ。
今は寸止めを成功させているがこのまま放置すれば何時けが人、最悪の場合死人が出てもおかしくない。
その為ここ数日はナルがグリムの相手をしていた。
「ナル、今度は、勝つ」
「おう、頑張れ」
それが護衛部隊がナルの認識を改めた一因でもあった。
当初彼らはナルをグリム専属の占い師と世間に出回っている噂通りの物だと考えていた。
しかし実際は、百戦錬磨の傭兵を軽々とあしらう手練れだと認識させていた。
更にグリムと相対した兵士たちは口を揃えて死を覚悟したという話から、グリムが死神であるという事にも疑いを持つ者はいなくなっていたのだった。
結果としてナルの腕は自分達よりもはるかに上だと認識させたのである。
「ナルさんはどこで戦いを覚えたんですか? 」
「んー、戦場」
ここ数日御者を毎日変えていたナル達だったが、その全員が毎日同じ質問を投げかけていた。
死神に勝つ無名の占い師ともなればその実力の出所を知りたいと思うのは当然の事、あわよくば自分もという考えを持つ者までいた。
しかしその全てにナルは『戦場』という一言で済ませている。
事実戦場で磨いた先見と体裁きなのでそれ以上答えようがないのだ。
武術の才能がないといわれたナルでも老いを無視して時間をかければ一流を超える事ができるという実例でもあった。
「お……? 」
ふと、馬車から顔を出して煙草を吸おうとしたナルがそれを感じ取った。
「おい、ちょっとひどい雨が降りそうだ。どこかで足を止めた方がいい。獣騎士隊と他の護衛達に通達してくれ」
「え? 快晴ですよ? 」
「西から湿った空気が流れてきている。あと一時間もすれば振り始めて二時間後には土砂降りだ」
「はぁ、わかりました。伝令! ナル殿曰く雨の兆候あり! 休息の準備に入られたし! 」
御者が声を張り上げて周囲にいた兵士たちにその事を伝えた。
方々で同じ内容を繰り返すように声が上がり、そして護衛部隊の一人が馬を先行させて獣騎士隊の下へと向かっていったのを見届けてから改めて一服するナルは、雲一つない空を見上げながら空気の流れを感知し続ける。
適当な時間を口にしたがあくまでもそれは目安であり、風や気温の変化で予想より早く雨が降り始める事も十分に考えられるのだ。
その事にグリムがそわそわとし始める。
普通の休憩であれば手合わせという暇つぶしに興じる事もできたが、雨天での急速ではそうもいかない。
なるべく体を冷やさないようにテントを張り、あるいは馬車の中でおとなしくしていなければいけないのだ。
ナルとグリムであれば雨の中でも模擬戦を行う程度の事は出来るが、濡れた服まではどうしようもない。
今回同行している護衛部隊の中にも魔術師はいないため、一度濡れたら着替えるか濡鼠のままでいるしかない。
ここ最近グリムはナルの視線を意識するようになっていたのか、以前は戸惑いなくナルの前で服を脱ぎ始める程度の事はしていたが最近は慎んでいた。
ナルはそれを説教が効いたのだと考えていたが、乙女心を察する方法は100年では身につかなかったのである。
それから30分後、一団はナルの予想を信じて休憩をとっていた。
長い休憩という事を見越してまだ早い時間だが野営の準備も進めている。
雨が降るのであれば薪や食事の準備を早めにしておく必要があったからだ。
それをナルたちは眺めていた。
最初は手伝おうとしていたのだが、賓客にそんなことを指せるわけにはいかないといわれて以来この手の準備は全て任せていたのだ。
結果的に暇になってしまったため雨が降る前にグリムのストレス発散に付き合っていた。
「はい、そこ」
突き出された剣の一撃を軽々と避けてから短剣の一撃を軽々とロングソードを少しだけ引き抜いて止める。
続けざまに振り下ろされた剣は速度が乗り切る前に腕ごと掴んで止めて、ロングソードから手を離して胴体で柄を支えてグリムの額を小突いた。
【力】のカードさえ使わない軽い運動、それがナルの抱いている感想だった。
対してグリムは全力である。
殺しても問題のない相手、そもそも死なないナルに一切の手加減をする必要はないとあらゆる戦法戦術を試してその事如くを軽くあしらわれてしまっていた。
戦場であれば確実に致命傷となる頭部への攻撃を受けて一度距離を取り直し、第二ラウンドを始める。
今度は短剣を投擲してナルが回避しようとしたところに一撃をという作戦を練り上げたが。
「怖いな」
投げつけられた短剣をいともたやすく掴み取ったナルはグリムの追撃を阻止した。
そのまま膠着状態に陥るかと思ったその時、グリムの頬に一滴の水が落ちる。
「……? 」
「お、降ってきた。予想より早いけどこの辺にしておこうか」
ナルの予想より少し早く降り始めた雨、先ほどまでの快晴はどこへやら曇天の下護衛の兵団が慌ただしく準備を進めている。
この調子では何人かずぶぬれになってしまうだろうと考えたナルは、さすがにそれを不憫に思ったのか野営の準備を手伝いに行ってしまった。
あとに残されたグリムも少し考えてからその後に続いて、恐縮する兵団達に煙草を咥えたままテントの設営を進めた。
「な、降ってきただろ」
「お見事です。これも占術ですか? 」
「いんや、どっちかというと戦術の応用。天候観測ってのは戦場だと重要だから覚えた。空気の変化を肌で感じ取って、風向きやら山の頂の様子を見てこれからの天候を予測する方法。何なら今度教えるよ、有料だけど」
「是非お願いします」
ナルの提案に満面の笑みを浮かべた兵士は四人分の食料をナルに手渡した。
そのうち三人分はグリムの胃に収められることになるのだ。
グリムの身体は非常に燃費が悪い。
人の三倍以上食べてなおまだ物足りないと言い出す程だが、絶食にも耐えられる身体を持っている。
そのアンバランスな部分を観察しながらナルは仮説を立てる。
グリム自身は食に興味があっても小さな身体に収まる量は少ないはずだが、異常なまでの食欲は【死神】のカードがもたらす飢餓感ではないのか。
名の通り【死神】は死を意味する面も持っている。
正しく言うならば死と再生だが、他者に死をもたらすことがなくなった分を食事で補っている、あるいは【死神】のカードが与える恩恵の見返りが異常な食欲という可能性もある。
どちらにせよナルにとってはどうでもいい情報だが、如何せん暇を持て余している以上何かに思考を向けていないと逆に疲れてしまうのだ。
暇は神々をも殺すというが、不死のナルさえも殺しそうだと自嘲気味に笑いながらぼそぼそとした傾向食を口にする。
味は悪くはない、少し硬く口当たりの悪いビスケットのようなものだが栄養という面ではこれ以上なく洗練されている。
バターで一度炒ったナッツを小麦粉の生地で包み蜂蜜等を加えているそれはほのかに甘い。
クルミやハーブも入っているのだろう、微量の香気からその作り方を探っているナルに対してグリムはげっ歯類のようにサクサクと食べ進めていた。
「美味いか? 」
「それなり」
「そうか」
美食に目覚めつつあるグリムだったが、その根底は傭兵という事もありそれほどうまくない食事でも満足できるらしい。
それらを食べ終えたグリムは革袋から直接水を飲み、そしてテントの中央で剣の手入れを始めていた。
ナルはそれを眺めながら食後の一服を楽しみ、そして外の様子をうかがう。
だいぶ強く降っている雨だが明日には上がるだろうと考えて先日購入したグローブに油を塗る。
錆止めも施されているが手入れはするようにと言われていたためだ。
特に野営の間、特に今のように雨が降りしきる中では外敵の接近に気付くのが遅れる場合がある。
そう言った時のためにも対処できるようにと考えての事だった。
「まぁ、何もないだろうけどな」
思わず口にした言葉に、嫌な想像をしてしまう。
傭兵というのはジンクスを気にするもので、ナルも元は傭兵をしていた時期もある。
その際にこの手の発言をすると何かが起こるというジンクスがあったからだ。
グリムに鋭い視線を向けられたことで失言に気付き、そして深く反省する。
その反省が生きたのか、実際この夜は何事もなく過ごす事ができた。
それからさらに数日、ナル達は王都へと無事たどり着くことができたのだった。




