悪の味
「ナル、昨日の鍛冶屋、行ってくる」
翌朝、薬の影響もあってかいつもよりも遅い気性となったナルは珍しくグリムに起こされる形となった。
グリムが招き入れたであろうミーシャを引き連れて、ナルを起こして早々に部屋を出ていった旅仲間に寝起きの一服を済ませたナルは階下へと向かい、朝食を口にした。
「美味しいかしらぁ? 」
芋のスープと肉の腸詰、そしてパンと目玉焼きとバランスの良い食事、味も獣騎士隊おすすめの宿という事もありなかなかのものだったが平穏な空気が一転殺伐としたものに変貌する。
「一人で食う飯は久しぶりだから堪能していたんだがな……何の用だ薬屋さん」
「あらぁ、それはお邪魔だったかしらぁ。でもぉ、ご飯はみんなで食べたほうがおいしいじゃない? 」
「気の合う奴との飯ならいいが、腹の探り合いしながらの飯はクッソ不味いんだ、ついでに寝起きで不機嫌だから一人にしてくれるとありがたいんだがなぁ」
普段より饒舌なのはいまだに薬が抜けきっていないせいである。
脳味噌がうまく働いていない事に内心毒づきながらも、余計な事を言わないように心がけていた。
しかしナルと同等以上の話術を持つ相手には、今の上体では分が悪かった。
「お仲間はぁ、おでかけかしらぁ? 」
「いんや、意外と近くにいるかもしれねえぞ」
「それはぁ、さっき騎士さんとお出かけしたお嬢さんかしらぁ? 」
「他にもいるさ、シャイでなかなか人前に顔を出さないのがな」
「へぇ、可愛いお仲間がいっぱいねぇ」
「で、昨日の意趣返しっていうなら……」
「そんな野暮な事は、もう済ませたわぁ」
ぐらりと、ナルの身体が傾く。
気付くのが遅れた事に顔をしかめたナルは迷わず女の首に手をかけた。
しかし徐々に力が抜けていき、するりとその手が落ちてしまう。
「盛りやがったな……」
「美味しかったぁ? 」
「言ったろ、糞不味いって……」
揺れる視界の中でナルは薬のもたらす眠気を冷静に分析する。
致死性の物ではない、だからこそナルに影響を及ぼしている。
これが即効性の致死毒であればナルはぴんぴんしていただろう。
ならば、この女の目的は……そこまで考えてナルの意識は途絶えた。
「うふふ、おやすみなさい……」
さて、それからどれほどの時間がたっただろうか。
再び目を覚ましたナルは周囲の状況を確認しようと目を開いて、そして驚くことに何一つ変化のない宿の食堂だった。
慌てて外に飛び出してみても、それは自分たちが宿泊していた宿である。
唯一違う事と言えば太陽が空高く昇っているという事くらいだろうか。
続いて部屋に戻り荷物を確認したが無くなっている物は何一つない。
何か仕掛けを施されたかと体のあちこちを触り、部屋の隅々まで確認してやはり何もないという事実に行き当たったナルは一つの結論を出す。
「ちくしょう、本当にただの意趣返しかよ……」
女はナルに薬を盛った。
ただしそれ以上の事は一切していない。
まさしくただの嫌がらせだった。
「くっそ、この国の女はみんなおっかない……」
そうつぶやいたナルは、失言に気付く。
いまだにナルの側には見張りが付いているのだ。
まだ薬が抜けきっていないせいで余計な事を言ってしまったと煙草に火をつけてから天井に向かって声をかける。
「今の発言、リオネットには内緒にしておいてくれよ」
当然ながら答えは返ってこない。
そして秘密にしておけというのも無理な話だとナルはわかっている。
わかってはいるのだが、それでも言わずにはいられなかった。
後日ミーシャと共にリオネットの小言を聞く羽目になるのだろうという覚悟を決めて、持て余した時間の使い方を考える。
調合の続きをするかとも考えたが、昨晩同様薬が効いている今手元が狂えばグリムの昏睡という洒落にならない事態になる。
だからと言って他にすることもなく、女の意趣返しはこれ以上なくナルにダメージを与える物だった。
「……散歩でも行くか」
持て余した時間をどう使うか考えた結果、ナルは外に出る事にした。
幸い足取りはしっかりしている。
頭の働きは鈍いが普通に生活する分には問題ない。
ならばせめて観光に時間を使おうと考えての事だった。
そして行先はどうするかと考える。
昨日の鍛冶屋に行くのも悪くはない。
鍛冶屋のグラン翁はナルにも武器を作ると言っていたから顔を出しておいた方がより良いものも作れるだろう。
他にも食べ歩きをするのも、昨日の感覚から美味い物に巡り合える可能性が高いと思い、書店巡りや適当に面白そうな店に足を運ぶのも悪くないとさんざん悩んだ結果、外に出てから考えようと決めたのだった。
そして街へと繰り出したナルは、ある事実に気が付く。
並んでいる屋台、それらは当然の如く自分の店の宣伝を声高々としている。
その一つに聞き覚えのある声が混ざっているのだ。
「おいしぃパンケーキはいかがですかぁ? 」
「……あんたなにやってんだ」
「あらぁお兄さん、おひとついかがぁ? 」
「あぁ、じゃあシュガーバターを一つ……じゃなくってだな」
「はーいシュガーバターねぇ、なにって普通に屋台よぉ」
「いやあんた……」
違法薬物の売人じゃないのか、と言いかけて言葉を詰まらせる。
そのことを指摘するという事は、当然そう言った商売に手を染めているという事を暴露することになる。
それは裏を返せばナルもそう言った商売の人間を知っているという事であり、結果的になるも捕まりかねないのだ。
おそらくこれから皇帝直々に叙勲するという相手を捕まえるような事態は怒らないだろうと考えながらも無駄な危険を冒す必要はないと考え直して差し出されたパンケーキの代金を支払う。
「あれはぁ、副業? みたいなものよぉ。本業はこっちぃ」
「で、売り上げは? 」
「副業の方が上なのよぉ」
「逆転してるじゃねえか……しっかし、いいのかねこの国は……そんなんで」
違法業者が普段は堂々とパンケーキを焼いている、その事実に頭を抱えたく成ったナルだったが自制心を働かせて一口それを齧る。
バターの豊かな風味と上質な砂糖の甘みが口内に広がる。
「……いや、美味いけど腹立つな」
非常に美味だった、美味だからこそ怒りが湧き上がる。
今朝がたの意趣返しの直後の出来事である。
体感という意味では直前に出し抜かれたのだ。
その直後に間の抜けた様子と美味い菓子を購入するという状況にナルは今度こそ頭を抱えた。
「自慢の一品よぉ」
「あんたが言うと一服盛られてそうで怖いな……」
「そんなぁ、悪いものなんてちょっとしか入ってないわぁ」
「入れてるんじゃねえか、何入れやがった! 」
「上質なバターと、上質なお砂糖、一度食べたら病みつきになる味は依存性抜群よぉ。ついでに女の子にとっては太りやすいから悪いものよぉ」
「うっわぁ……すっげぇやりにくい」
久方ぶりに面倒くさい相手に出会ったと思ったナルは即座にパンケーキを胃に放り込んでその場を退散することにした。
これ以上この女と関わるとどんな目に合うか分かったものではない。
「また来てねぇ、バター多めにしてあげるからぁ」
「……気が向いたらな」
なんだかんだ言って、味は気に入ったナルであった。




