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タロットカードの導き~愚者は死神と共に世界を目指す~  作者: 蒼井茜


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お風呂

 しばらくして宿を見つけたナルたちは、必要最低限の荷物を持ち衛兵から聞いた風呂へとやってきた。

 入り口で金を払い、男女別の脱衣所へと向かい、そして木の板で仕切られた浴場へとはいっていた二人は十二分にそれを堪能することになる。

 ポンプを利用して作られたシャワーの水は冷たいものだったが、湯船は少し熱めに焚かれていたのか旅でたまった疲れをほぐしてくれた。

 ナルとグリムは互いが見えない位置にいるにもかかわらず、まったく同様の動きで体を洗い終えるとほぼ同時に湯船に浸かり、そしてため息をついたのである。


「あー、風呂最高」


 何の気なしに漏らしたその言葉だったが、女湯で隅の方にいたグリムが反応を示した。

 お湯の出口に近づけば熱いのは当然の摂理、しかしグリムにとっては熱すぎたので、お湯の出口から一番遠いところを選んだだけの事。

 それが偶然男湯との壁を仕切っている板のすぐ隣だったというだけの事であり、ナルの声が聞こえたのは声が良く響く場所にいたからに他ならない。

 しかしグリムは仕切りから少しだけ身を離した。

 この共同浴場、実は仕切り板こそあるが湯船は一つしかないのである。

 男女湯の垣根を越えて一つの巨大な湯舟があり、その両端からお湯を出していた。

 故に湯船の中央に互いを遮る板などは無く、時折悪戯好きの子供がその下を潜って異性の風呂に侵入するという事もあった。

 また、覗きを働こうとする男というのは当然ながら存在する。

 そう言った手合いは共に風呂で身を清めようとこの場を訪れた他の客によって湯船に沈められることになるので、実は珍しいともいえる。


「しっかしサウナは無かったか……でもこの湯があれば十分さね……」


 ナルはとろけていた。

 久方ぶりの休養らしい休養、グリムと出会ってからの艱難辛苦、ここ数日歩き通した疲れ、その他諸々がナルの心と体を解きほぐしていた。


「なぁおっちゃん、俺、風呂上りにエール飲んじゃダメかな……」


 しまいには近くにいた中年男性にそんなことまで語り掛ける始末だった。


「あー、もうキンッキンに冷えたエールを飲めたら俺はもう死んでもいいって思えるくらいの極楽なのに……」


「兄ちゃん若いのにいい趣味してるなぁ……」


「でもよう、これから人に会うから酒はダメなんだよ……だから牛乳にするつもりなんだけどな……でもやっぱりエールの魅力はやばいよな……」


「わかる、わかるぜその気持ち……でも一仕事終えてからもう一度ここにきて、そして全部終わった! って開放的な気持ちで飲む方が万倍もうまくなるんだぜ」


「あぁ……それ、最高だな……後でもう一回こよう……その時は牛乳じゃなくてエールを飲むんだ……とにかく冷えたエールで喉を潤して、過ぎ去った風味の余韻を楽しむ事こそ最高の贅沢……俺、もうこの街に永住したくなってきた……」


「この風呂に入った連中はみんな同じような事を言い出すぜ、北の方に行けばもっと凄い風呂もあるって聞いたけどな」


「あぁ、火山の地熱で温めたお湯で経営している風呂があるよ……温泉って言って、鉱石とかに含まれている薬効成分とやらが溶けだして体にいいんだと……でも臭かったから、俺はこっちの方が好き……」


 ナルが温泉で感じ取った異臭は硫黄の物だった。

 幸い体調を崩す程の毒性はなかったが、かすかに漂う孵卵臭はナルにとって最高の時間の邪魔者以外の何物でもなかった。


「兄ちゃんは旅人なんだなぁ……俺よりいろいろ知っていそうだ、なんか面白い話があれば聞かせてくれよ。礼に牛乳一本奢ってやる」


「お、マジか……じゃあ……」


 そうして語りだしたナルの声を、グリムはそっと聞いていた。

 ここ最近少しずつ昔話などもするようになってきた。

 しかし、ナルがグリムに語っていない事も同様に数多く存在した。

 その事を知りたいと、ここ最近で強く思うようになったグリムは、しかし何故かその事を相談できずにいたのだった。

 ナルに聞いてみようとすれば耳が熱くなり、頬が紅潮するのを感じてしまう。

 そしていつも以上に言葉を紡ぐことができず、結局は沈黙してしまうのだった。


「あれは夏の日の事でな……」


 そんな風に語るナルの声を、聞き漏らさないようにという一心でグリムは再び仕切りのすぐそばに寄っていたのだった。


「ちょいとあんた、そんなとこにいたら男に見られちまうよ」


 仕切り板の側にいたグリムは、突然声をかけられたことで背筋を伸ばした。

 温かい湯船に浸かっていたことでかいていた汗が、突然冷たいものになったような錯覚さえ感じる。


「いくら子供とはいえ駄目よ」


「あ……はい……」


 声をかけてきたのは40代くらいに見える、女湯なので当然ではあるが女性だった。

 おそらくは親切心から出たであろう言葉に、グリムはナルの声を惜しみながらも少し離れた位置に移動する。


「それで、熱かったのかい? それともさっきから楽しそうに話している、あの旅人さんの話を聞いていたのかい? 」


「……彼は、私の………………旅仲間? 」


 どう答えればいいのか迷った挙句、出てきた言葉が同行者である。

 ナルがこれを聞いていたら兄弟という事にしておくべきだったと忠告しただろうけれど、今彼は風呂上がりの牛乳目当てに旅の話をすることに専念していたためこの会話を聞くことはできなかった。


「そうかいそうかい、しかしそれを熱心に聞いていたってことは一緒に旅をするようになって日が浅いってことかね。しかし……うら若い女の子が、あぁも口の軽い男と一緒に旅をしているってのはどういった事情なんだい? 」


「……だいぶ、複雑」


「もしかして犯罪とかじゃないだろうね。そうならおばちゃん相談に乗るよ! 」


「大丈夫……悪い人じゃ、ない。私を、助けてくれる、ひと」


「はぁ、そうなのかい? ならおせっかいだったかね。悪かったね、聞き苦しい事とか言っちゃったかもしれないけど」


「ん……平気、ナルがいい人なのは、私がわかってる。それで、十分」


 そう言ったグリムの頬は、わずかに紅潮していた。

 のぼせたわけではない、それは誰が見ても明らかである。


「あらまぁ、随分と仲のいいみたいね。でも男は狼だからね、気を付けるのよ」


「狼……? 」


「そのうちお嬢ちゃんにもわかる日が来るわ。だからそれまでは、ちゃんと気を付けるのよ」


「わからない、けど……わかった」


 長らく殺伐とした世界に身を置いていたグリムは、男女の情事や恋愛という者に非常に疎い。

 そのせいもあって、この女性が何を言っているのかいまいち理解することができなかったが、久しぶりに自分の身を本気で案じてくれる人に出会ったことに不思議なほどの安らぎを覚えていた。


「ところで、旅をしているって言ったけどどんな旅なんだい? よければ聞かせておくれよ。男湯に聞き耳を立てるのも品のない話だしねぇ」


「……どんな旅、なんだろう」


 それからグリムは少しの間真剣に旅について考え始めた。

 女性はそれをしばらく眺めて、ようやくグリムの口から飛び出した言葉に一瞬の驚愕を示す事になる。


「死に場所、さがし? 」


「あら物騒」


 言葉選びを間違えているが、しかしナルもグリムも死ぬことが最終目標である。

 結論としては間違っていない分、暴論とも言えないのが性質の悪い話だが、女性はそれを別の尺度でとらえていた。


「でもそういう事なら応援するわ。だって骨を埋めてもいいと思える場所を探して男女二人の逃避行なんて物語みたいで素敵じゃないの」


 つまり、グリムとナルは恋路の末に永住できる地を探しているのではないかと解釈したのだった。

 多いな勘違いだったが、ある意味では惜しいともいえる。


「……? 」


「おや、違うのかい? 恋人同士で平穏に暮らしていつぃんでもいいと思える土地を探しているとかそういう旅だと思ったけれど」


「恋、人……? 」


 男女の事情というものに疎いとはいえ、さすがにその程度の事はわかる。

 グリムが末尾に疑問符を付けたのは、自分たちがそうみられているからだという事実に直面したことによる困惑だった。

 そのような相手ではない、というのならば即座に否定しただろう。

 愛情の種類が違う、例えば親愛のような物であれば笑ってからなれそめを語る事もあっただろう。

 恋仲と勘違いされたくない相手であれば怒りも沸いただろう。

 しかしグリムの内に沸いた感情は喜びと戸惑いだった。

 そのような間柄に見られたのならば、それは少しうれしいが、しかしその事をナルに知られたらどうなってしまうのか。

 そこには恐怖も含まれていた。

 慣れない感情の波、いやこの場合は感情の嵐というべきだろうか。

 そんなものにさらされ、ついでに風呂に慣れておらず体の発育が止まっているグリムは……。


「きゅぅ……」


 とぷん、と小さな音を立てて湯船に沈んでしまったのだった。

 端的に言ってしまえばのぼせたのだ。


「あらああら、大丈夫かいお嬢ちゃん。おーい、男湯にいる旅男さん。相方さんがのぼせちゃったみたいだから上がらせておくよ」


 何かと世話好きな女性であったことが幸いして、すぐに引き上げられたグリムは脱衣所に運ばれ、風呂屋で貸し出している風通しのいい服に着替えさせられしばしの休息をとる事になった。

 それは女性に声をかけられたことですぐさまナルが駆けつけ、心配そうに自分を見つめるナルの瞳を直視したことで悪化してしまうのだが、よほど酷いのぼせ方をしたのだろうとナルは結論付けてしまった。

 この日の出来事を軽視したナルは、何故この時予兆を見過ごしていたのか、人の機微に鋭い時分にはあるまじき失態だと頭を抱える日が来ることを知らない。

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