地獄の一端
ニルスと別れてから三日が経過した。
その間ナルとグリムの二人はえっちらおっちらと人の手で、正確には人の足で作り上げられた道路を歩んでいた。
荷馬車に揺られていた時とは違う、しかし充実した旅路に思えたが予想以上に時間がかかっている事にナルは計画の変更を考えていた。
グリムの体力が想像以上に無かったからである。
戦場で数多の敵を切り捨てた死神と称される傭兵、その実態は少女と見紛う容姿の持ち主、そしてその体力も少女同然であり、そしてなぜ気づかなかったのかと遅まきながらにナルが頭を抱えたのが彼女の歩幅であった。
少女並みの体型という事は当然歩幅も狭い、ならば長距離を移動するのに時間と体力を消費する。
言い方の良し悪しはさておき、この旅においてグリムはまさしく足手まといとなっていた。
(とはいえな……本人の意思関係ない事だし、その辺気を使ってやれなかった俺にも非があるし……思えば誰かと旅をするのは久しぶりだな)
そろそろ底が見えてきた食料の入った袋を手に取り、適当に飢えられた街路樹の側に腰を下ろして剣を杖の代わりにふらふらと歩むグリムにチーズの切れ端を手渡す。
食欲に回す体力まで使い果たしたのか、それとも喉の渇きで固形物を受け付けないのか、グリムはそれを一口ずつもぞもぞと食べ始めていた。
ナルはそれを見ながら煙草に火をつけて一服しつつ、手持ちの地図を眺めて近くに村や町がないか探し始めた。
そうして休憩をはさんだことで、グリムの体力が些か程度回復した所で上手くいけば明日にでもたどり着けそうな集落が地図に載っていたのを見つけたナルは方位磁石を片手に進路の修正を図った。
さてさて、それは果たして正しい判断だったのだろうかと問われれば、ナルは間違いなくこう答えるだろう。
そんなわけねえだろバーカ、ついでにその決断下した俺のバーカ! と
目的地はそのままにルートを変えるというのは相応のリスクが伴う。
街中であれば道に迷う程度で済むが、郊外に出てしまえばもっと深刻だ。
道迷う、それは起こりうる事実ではなく必然であり、体力を使い果たした少女を担いだままの移動ともなればおちおち地図の確認もできない。
更には今まで使用していた道路を外れての無理な移動だったため、足場が悪くなってしまったのも問題だ。
しかし最大の問題はと言えば。
「Gurururururu……」
魔獣避けとして設置された独特のにおいを発する街路樹の無い地帯、そこに美味そうなエサが二つも現れたとなれば当然の如く捕食者は現れる。
そしてせめておこぼれにというハイエナも寄ってくるため、ナルとグリムは平穏な旅から命懸けの戦闘を繰り広げる事になった。
ナルは【力】のカードを使い、グリムが購入したロングソードを片手に飛び掛かってくる魔獣を一刀両断、それは技によるものではなく腕力に物を言わせた乱暴な物だった。
対してグリムは細身の剣で的確に魔獣の眼球を穿ち、その奥にある脳髄を貫いていた。
一撃一撃が必殺であり、世間ではやっている剣技のような華々しさは無い。
地味と言えばそれまでの話だが、必要最低限の動きで命を刈り取っていく様はまさしく死神と呼ぶべき様相だった。
そしておよそ一時間、2人の体力が完全に限界を迎える寸前になってのこと。
あるいは草原の一帯が魔獣の血と死体で埋め尽くされかけた頃。
ようやく戦闘は終わりを迎える事になった。
この世は無常であり、ピンチにはヒーローが助けに来てくれるなどという幻想はまさに幻と空想でしかない。
つまるところ、2人は襲い掛かってきた魔獣の群れと、その取り巻きを全て駆逐してしまったのだった。
それに要した労力はグリムの傭兵時代、最も死に近づく事のできた戦をも凌ぐほどだったと言えば万分の一でも伝わるだろうか。
「……死にたい、とは願ったけど……こんなにつらいなら、死ぬの、いや……」
「ばっきゃろー……この程度の地獄で意見覆すなら、俺の苦労って何なんだよ……死ねない俺なんか無限再生
餌供給装置になるところだったんだぞ……あーきっつい」
血の海で大の字に倒れる二人は、肩で息をしながら猛烈な吐き気と戦っていた。
一時間にも及ぶ運動と、周囲に蔓延する鉄の匂いは胃液を逆流させかねない物だったがいち早くナルが回復し、それにわずかに遅れてグリムも上体を起こした。
それから手ごろな得物の解体をはじめ、本日の晩餐を得たのだった。
毛皮や骨、一部内臓も回収できるものだけは回収して、後日どこかで売りさばいて換金するつもりでいるらしく、荷物が少しだけ増える事になったのだった。
なお、2人を襲った魔獣は熊に近い姿をしていたため臭み抜きを怠ったその肉は非常に獣臭く、生前死後と二度にわたって二人を苦しめたのだった。




