夜のお仕事
ニルスとの悪だくみ、もとい交渉を終えたその日ナルとグリムは例によってニルスの宿泊していた宿の一室を借りて作戦会議を行っていた。
それは作戦会議とは名ばかりであり、実際のところは……。
「本当にすみませんでした! 」
ナルの謝罪会見だった。
当初グリムの外観を利用してニルスの良心に訴えかける戦法で道中を共にしようと考えていたナルだったが、その容貌を見て良心の呵責などという無駄の極致に存在する物を利用する手段は愚作の極みと見極めて即座に戦略の変更を行った。
それはグリムに対して一切の説明無く、そして当のグリムを完全に放置した手口であり、またグリム個人としても無駄に公衆の面前で他人を『お兄ちゃん』などと呼ばせる羞恥を味わう事になったため相応の怒りを内心で滾らせていた。
ついでにいうならば、性根の腐った二人が意気投合し当初の予定以上の、それこそ馬車で移動する分で抑えられたはずの出費以上に酒を酌み交わした事や、酔いつぶれたニルスとほろ酔いの勢いで大々的に演説を始めかけたナルの牽引による疲労という恨みも抱いての事であった。
「頭を下げるだけなら、犬でもできる、よ。お兄ちゃん」
「この度は調子に乗りすぎてしまい、このような事態を招いてしまったことを誠心誠意お詫びいたす所存でございますはい! 」
と、このように冷たく『お兄ちゃん』呼びのままナルの謝罪を引き出し続けるグリムと都度言葉を代え土下座を敢行するナルの姿がそこにはあった。
「……ナル、しばらく禁酒」
「そればかりは……あ、いえ何でもないです。明日から禁酒します……」
ついには旅の楽しみと豪語していた酒まで禁じられてしまったナルだったが、内心ではしばらくという点に明確な期間を設けていない事にほくそ笑んでいた。
つまり、レムレス皇国に向かう道中での飲酒は控えるが町や村に着いたときは別である。
むしろ金銭を支払い、ともに飲み交わす事こそコミュニケーションの一環であり、情報収取としては最適手だという言い訳まで用意してある周到ぶりだ。
「さて、まあ無事足の確保もできたしグリムにも許してもらえたわけだから……明日の出発に備えるとしてだ。何かしておきたいことがあれば今夜のうちだぞ」
大半の店舗は既に店じまいしているとはいえ、硬貨を数枚差し出す程度で快く商品を売ってくれるだろう。
しいて言うならばグリムが興味を抱く武具を取り扱っている店等はサイズ調節などの問題でもう少し多めに握らせなければ対応してくれないという事だろうか。
その点も今回の埋め合わせという理由があれば、むしろ今後ナルにとっては有益に働いてくれるであろうという打算もあった。
「ない、ナルの悪酔いは、うざかった。けど、ミルク美味しかった」
「う……いや、本当すまんかったな。ただ明日からもしばらくはお兄ちゃん扱いで頼む。その方が説明の手間が省けるし」
「………………………………………………わかった」
たっぷり10秒かけて考えた結果、グリムもそれでいいと承認した。
ただしその表情は雄弁に、マジかよこの変態まだこのプレイ続けさせるのかよ、と物語っていた。
「そんじゃ、今日は……あー、少しこの部屋を開ける事になるけど一人で大丈夫か? 夜の街でやる事があるんだ」
「ん、大丈夫」
「そか、もし悪夢でたたき起こされるようなことがあったらそこに俺の煙草を何本かおいていくからそれを吸うと良い。薬草をブレンドした睡眠導入煙草だ」
ナルは複数の煙草をもっているが、その大半は薬としての用途を持ったものだ。
もちろん普通の煙草も持っているが、旅を始めたばかりの頃碌に寝付けなかったことが原因でこの手の薬草を煙草のように紙に巻いて持っていた。
「ん……わかった」
「それじゃ行ってくるよ」
そう言い残し、ベッドに潜り込んだグリムを確認してからナルは夜の街へと繰り出した。
目的は娼館、つまり美人のお姉さん達が地獄の窯で手招きしている魍魎の如く男を引きずり込んで止まない夜の世界。
それこそがナルが街で最後にやっておきたい事だった。
あえて、ナルの人間性という物を擁護するならば性欲の発散というのは二の次である。
あえて、明日からと明言して今日は飲んでもいいよねという言い訳の下美女の酌に酔いしれたいというのは三の次である。
本当の目的は軽くなりすぎてしまった懐を温める事。
これから娼館に向かう男を捕まえてはあの手この手で女性を喜ばせる手管を安価で売り付け、時に男女仲良く寄り添って歩く所謂時間外のお付き合いをしている二人を捕まえては男に対してこんな時間に羽振りのいいところを見せれば魅力的に見えますという冗談を交えた営業トークを繰り広げてから当り障りのない占いをしてみせ、そして軽くなる以前よりも肥えさせた財布の紐を緩めて朝まで店を梯子するのであった。
翌朝、ナルがおいて行った煙草を全て吸い尽くして夢すら見る事の出来ない深い睡眠の中に沈むグリムを抱えてニルスと合流するのだった。
「どうでもいいけどよ兄弟、おまえくせえよ」
「すまんな、昨日は娼館と賭場を梯子しまくったから」
「お前の事だ、どうせ阿漕な稼ぎかたしたんだろ」
「そういうな、何なら教えてやろうか、俺の手練手管。小銭稼ぎにはぴったりだぜ」
「それで俺からも巻き上げようってか? 」
「おいおい、俺を舐めるなよ兄弟。お前と俺の仲だ、今夜のスープに肉を多めに入れてくれたらそれで十分だ」
「商談成立だな、まったくお前みたいな悪党とはもっと早くに出会いたかったもんだ」
がはは、と声を上げて笑いながら手綱を操るニルスは、隣に座るナルの肩をバシバシと叩いてその手法をいくつも聞きだした。
後にニルスが過ぎ去ったこの街で『夜の求道者』などという二つ名で荒稼ぎする事になるとは、占いに長けたナルも知りえない事だった。




