第93話 たまに沸き起こる謎の確信
まだそれなりに距離はある。
逃げるなら今しかない。
黒い渦までは……まだ1kmほどはありそうか。
俺だけならまだしも、俺と接触していなければ通れないエルメスさんも居る。
そんな状況で、この気配の主から逃げ切れる?
無理だ。
ジリジリと近寄ってくる足音。ストン、ストンと、まるで間も無く訪れる死を告げる様に。そいつの挙動に全神経を集中させつつ、動けずにその場で形ばかりの構えを取った。
「おい、お前……何や?」
「おほほほほぃビックリした! え? 誰? ワッツ?」
「だから何やねんお前」
え、何?
普通に話しかけてきた?
何故?
会話次第で生存の可能性がある?
「え、人? でいいんですかね? いつからそこに? 全然気付かなかったなー。貴方は気付いてた? あれ? 待って、こんな所で? つかここ何処? え?」
「何一人でゴチャゴチャゆっとんねん」
後ちょっとで帰れるって所で、何かとんでもヤベェのとエンカウントしちゃったんですけど。
そもそも全然気付かなかった、いつから付けられてた? 俺が気付いたタイミングで既に向こうはこっちに狙いを定めていた。何もかも敵わない、無理だ。戦うべきじゃない。
もうこれ存在がヤバ過ぎる、そもそも身長がデカイ。
190センチくらいか? 或いはもっとか。
細目、というか糸目で能面の様なキツネ顔。
髪の毛はオカッパでやや短め、男だ。
全身を一枚の白い羽織でカバーしており、ズボンは黒い。インナーも腰に巻いてる布も黒い。
何こいつ、死神みたいなんですけど。
「お前今失礼な事考えとるやろ?」
「いやいやいやいやいやそんなバハマこれはアレだからほらアレなの、アレアレ、ほら昔流行ったじゃん? あれーなんだっけーおかしいなーあははは」
え? 何でバレたの? 顔に書いてました? いやまぁ……こんだけ動揺してたら仕方ないか。というかどうする? どう乗り切る? 普通の手段では詰んだも同然。何かしようと指先一つでも動かしたら、攻撃するモーションに間違われてズドンと一撃死? 有り得るパターン過ぎてワロエナイ。こっちからは動けない、でも動かないと逃げ切れない。そもそも動かれたら死ぬ。
圧倒的に詰んでる。
どうする?
せめてエルメスさんだけでも逃がせるか?
エルメスさんの方をチラッと確認する。
あ、もう諦めた顔してるわこの人。
(リーダーに任せるよ)
そんな顔してる。
あああああああぁぁぁもうここからどうしろと?
「お前……何者や」
「え? 俺? いやいや礼儀として名乗らせるならまずそちらからですね」
「何者や」
「はい、アンダーソンです。旅人です。後ろのはエルメスです。連れです」
「旅人が二人? こないな場所でか?」
有無を言わさぬ圧倒的な迫力。現状、そこにいた事にすら気づけない実力差があり、その上で敵対行動する意思を汲み取られたら即死。
これはちょっと不味い事になったな……。
ダメだ、何も思いつかねー。
「あの、時にここはどちらなのでしょうか?」
「は? 旅人が現在地も知らずにフラついとんのかいな」
「返す言葉もない次第で……」
「惚けるのも大概にせーよ。お前アレやろ、そこを真っ直ぐ目指しとるっちゅー事はユーレンの部下やねやろ?」
「ゆうれん? え?」
は? 何それ食べれるの?
「シラを切り通せるとでも思っとんのかいな。少人数行動、備えもなし、タベリながらダラダラ歩きよって。舐められたもんやな」
「いやいやいやいや全然アレですからこれ何て言ったら良いのかほらアレですから旅人ですからフラついてるのが仕事というか本分というか……放浪してると言いますか適当に流してたと言うか」
「そのままあの世まで旅立たせたろか? 楽にしとき」
「……デジマ?」
瞬間、死神がその内包していた魔力を解放する。何こいつヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ。分かってはいたけど強さの桁が違う。エンシェントドラゴンと対峙した時も、八岐大蛇の時でさえこんな風には感じなかった。
もう魔力を見れば分かる、練度が違い過ぎる。なし崩しに俺も魔力を解放するが、逃げ切れるか? いや不可能だ。ならいっそ黒い渦に飛び込む? 今更? この距離で? それだけの時間を稼げるか? そもそもエルメスさん一人行かせた所で逃げ道も遮蔽物と何もない。ダメだ、頭がまともに機能しない。下手に動いたら身体にでっかい穴が開くからこれ。マズイよマズイよ……。
「何やねんその拙いめちゃくちゃな魔力」
「え、そう言われましてもですね……」
「の割には量だけは大したもんや、何者やねん」
「おパンツ」
「死にたいのはよー分かった」
「ちちちちゃいますねんこれは条件反射と言いますかパブロフ的なサムシングが犬にパンツをあげたらヨダレがアレしてハァハァする感じのアレがほら……」
「……なんやねんお前」
「あーうんこしたくなってきた、と、トイレどこかなーうんこうんこ」
「……」
これは、流石に、ちょっと、無理、かな?
勝てるどうかのレベルじゃない、逃げ切れるビジョンすらカケラも見えない。
可能性がほんの僅かだけ残されているとしたら、敵の最強の技を吸収して、隙を見て敵にお見舞いする、くらいか?
そもそも隙とかあるのか?
あのレベルの相手で?
「はぁーアホらし」
「え?」
死神がその破壊的な魔力をスッと収めた。
ふ、ふぅぅぅぅぅ……許された!?
……なんで?