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「いやぁ、思ったよりも晴れたなぁ。」
あの人が近づき、後ろでごそごそと何かをしている。
今、彼女がしていることも自分の終わりを迎える何かなのだろうと私は思った。
『何をしてるんだろう。』
私が振りかえってあの人を見ることはない。
しかし、自分以外にも終わろうとしている人が何をしているのか気になってしまった。
「オープン♪オープン♪」
『おーぷん?』
気になっていることも知らずにあの人は軽快な鼻歌を歌う。
私の知らない『おーぷん』という言葉を使って。
今日は特に謎が増える日だと思う。
謎を知るまでが大変という事もあれば、謎を知ってからのほうが大変ということもあるだろう。
しかし今の私からすれば謎を知れるだけでもうれしい。
「よし。これ、かーんせっ!」
その言葉とともに、彼女がまた私の近くに来た。
何度も来ては何かをし、離れてはまた近づく。忙しい人だなと私は何度も思った。
「ここに貼って…。よっ。」
「で、ここにっと。」
「んでんで、ここにもっと。」
『おぉ。』
その人は手にしていた長いものを天井に三か所張り付けた、
赤、黄、青、茶、緑、紫。
様々な色で輪が作られ、繋げられ、さらに繋げられ、一本のものになる。
カラフルなそれが私の視界の端から端まで巡らされ、少し上を向けばいつでも輪を見ることができる。
「誕生日とかに作るやつだけど結構いい感じかな。」
あの人は張り付け終えたあと自慢げに腕を組んでいる。
その様子を板の向こう側の人から見られ、顔を赤くしながら段を降りていくのが見えた。
「恥ずかし…」
『ふふ。』
私の後ろで顔を赤くしているであろうあの人を想像して少し笑ってしまう。
そして別の意味でも笑みがこぼれた。
板の向こう側に知っている顔が。
つまりは拓真が居たからだ。
『拓真だ。』
その姿を見た私は少し頬が緩む。実際、頬が緩んでいるかどうかは別として。
そして拓真は前見たときと同じように横にはおかあさんを連れている。
その短い腕を伸ばし、私の方へ指を指す。
前とほぼ変わらないその光景がやけに懐かしく、嬉しかった。
唯一変わっていた服装も拓真にあった雰囲気のものでどこか嬉しい。
またゆっくりと近づいてくる拓真とおかあさん。
板に手を当て、私を凝視する拓真を私も負けじと見た。
たが、おかあさんの言った一言に目を輝かせ、板に当てていた手を放してしまう。
「もうすぐ小学生向けのの服を見ながらおかあさんと会話する拓真だっプチ・セミナーがあるから行ってみない?」
「行く!」
その場で飛び上がる拓真。
前と今では拓真のテンションが明らかに違う。
それも人の気持ち、感情なのだと私は思った。
「あれ、すごい喜んでるなぁ。」
今度は外側からではなく、内側から声が聞こえる。
その声は紛れもないあの人のものだ。
足音が近づき、少しずれた場所で止まる。そしてカラカラとあの音が鳴る。
板の向こう側であの人と拓真が話しているのが見えた。
どこか尊敬しているような眼差しの拓真とそれに照れる様子を見せるあの人。
会話が続き、落ち着いたところであの人が再びカラカラと音を立てる。
拓真とお母さんも歩き出し、どこかへ行ってしまう様子を見せた。
その様子に私は少し寂しくなった、
しかし、その感情は刹那のことだった。
あの人が音を立て、一泊おいてまた音が鳴った。
そして板を越して、こもった音を超えて、拓真が私の居る空間へと足を踏み込んだのだ。
「あの服に注目してもらえるとは思っても無かったですよ。」
「拓真も急に興味を持ったみたいで、ねぇ。」
「へぇ。それで当の本人は服以外興味ないみたいですね。」
私の後ろであの人とおかあさんが会話しているのが聞こえる。
あの人の声は良く聞くが、おかあさんのここまでクリアな声は初めてだ。
『拓真はどこに居るのかな。』
私の空間へはちゃんと三人が入った。それは足音の種類からして確定事項だ。
しかし、話し声は二人の声しかなく、拓真の声どころか足音さえ聞こえない。
『――ひゃ!』
そんな私を不意に誰かが触れた。
おぼつかない手付きで私を、私の服を確かめるように触っている。
時々、私自身に直接触れる手はあの人が触れた時よりもずっと小さく、熱を帯びていた。
「凄いなぁ。」
『拓真、か。』
そして感嘆する拓真の声が聞こえ、熱い小さい手の持ち主は拓真という事が分かる。
初めて触れる彼の手に犬の時と似た、しかしどこか違う感情を動かされる。
「これってお姉ちゃんが作ったの?」
「そうだよー。気に入ってくれて何より。」
「僕もこんな服作れるのかな。」
「これから次第だね。きっとできるよ。」
いつもより少し大きめの声であの人が拓真の問いに答える。
その答えに拓真は小さく息を呑んだ。
「僕、頑張るよ。
将来、凄い服を作る。」
「よし!そんな君に良いことを教えてあげよう。」
「何?」
「プチ・セミナーやるのはさっきお母さんから聞いてるよね?」
「うん。僕、行くよ。」
「それの講師、誰だと思う?」
はっ、とおかあさんの声が聞こえる。
もしかしたらあの人の質問に心当たりがあったのだろうか。
しかし、私はその答えを知らない。
「あのね、私なんだよ。」
「え、えぇ!」
明らかに動揺する拓真。
動揺したときに後ずさったのか、その時に初めて足音を聞いた。
そして動揺の原因であるあの人はへへぇ、と自慢が強めの笑い声を漏らしている。
「じゃあお姉ちゃんじゃなくて、先生なんだ。」
「先生って言われると照れるなぁ。」
「でも先生なんでしょ?よろしくお願いします!先生!」
ぺちぺちと小さな足音が遠ざかっていき、あの人の居るところで立ち止まる。
そして何をしているのかはわからないが布と布の、服と服がこすれる音が聞こえる。
「ねぇ先生、このお店の服見てもいい?」
「ん、いいよ。」
「やった!」
その歓喜の声と共にまた小さな足音が私の空間を駆けていく。
カタカタと何かを触る音や、パタパタと布と関係するような音が聞こえる。
「『昨日』から服にあんな感じなんですよ。」
「面白い子じゃないですか。小さいときに興味を持つのは良い事だよ思いますよ。」
「そんな感じなんですかねぇ。」
「だと思いますよ。
私ももっと小さいときから色々やってれば良かったなぁと何度も思ってますから。」
拓真が駆けている間、あの人とおかあさんが会話しているのが聞こえる。
会話の中心はやはり拓真だろう。
そして、会話のワンフレーズ『昨日』という単語が気にかかる。
前に拓真と出会った時を仮に『昨日』と表現するならば、過去のことを『昨日』と表せる。
そして今の事を『今日』、未来のことを『明日』だ。
これは仮だ。合っているのかも分からないし、確かめる術もない。
それでも――
『それでもいいじゃない。』
終わるのに、小さい事を気にしていても無駄だ。
私はこれを正しい意味だと捉え、使っていく。
終わる時まで。
「実は明日オープンするんですよ。」
「そうなんですか!おめでとうございます。」
「へへ。ありがとうございます。
それで良かったらなんですけど、拓真君の服をうちで作らせてもらえませんか?」
「オーダーメイド、ですか?」
「そうです。料金は頂きません。出会った幸運に、という事で。」
「良いんですか?」
「はい!ぜひとも服に興味のある彼に、服をプレゼントしたいんです。」
「なら是非お願いします。
拓真もきっと喜ぶでしょうし。」
あの人は小さい声でおかあさんに提案する。そして快諾。
そんなあの人の優しさを感じる事ができ、私の心も温かくなる。
そして、不思議に思う事もあった。
『明日オープンするんですよ』と。
私の希望的観測では、明日がもう一度来る。
今日があれば、明日があって、明日になれば今日になる。
それがいつまで続くのかは分からないが、少なくとももう一度は明日が来る。
『嬉しい。』
今日は良い事がたくさんあった。
拓真に出会えた事もそうだし、あの人の優しさを、そして明日の存在を知れた。
それが昨日と今日の違いだろう。
昔と、今の違い。
それを知れて私は幸せだ。
上を見れば青い空が広がり、白いものが一切無い。
やけに明るい空が私の気持ちを表現している。
「それじゃばいばい!おね…。先生!」
「うん。じゃあね!また今度。」
「ありがとうございました。宜しくお願いします。」
「こちらこそ。では。」
私が晴れた気持ちに浸っていると拓真とおかあさんはあの人と別れを告げる。
カラカラと音が鳴り、足音とばいばいの声が遠ざかっていく。
私の視界の外での出来事も、今となってはいとも容易く想像できる。
やっぱり、拓真と出会えたのは良かった。
『また来て欲しいな。』
しかし、別れは寂しいものだ。
きっといつかは来てくれる。そんな気はする。
それでも寂しい感情は消えてくれない。
二人が去ってから少しするまで私はその感情に覆われていた。
しばらくの間はあの人と私で余韻に浸っていた。
しかし、あの人はまた頬を叩き後ろでごそごそしている。
これまでの話から察するに『明日』おーぷんするのだ。
そのための作業をしているのだと私はこの時、初めて知った。
そこからまたゆっくりと表情を変える空を見ていた。