第二章 虚実茫洋の境界線
あくる朝、ベッドの上で目を覚ました俺は、しばらく寝転んだまま昨日告げられた、このゲームのルールを思い出していた。なんか腹のあたりの布団が重く暖かくて心地いい。
一つ、他者に意見を求めてはならない。……まあ、今見ている世界が夢ならば、たとえ飛浮やかすみに尋ねたところで意味がないんだけどな。
二つ、ゲーム内容を知られなければ仲間に助力を求めてもいい。
三つ、敵は様々な方法で妨害をしてくるが、死んだら負け。
四つ、俺は現実と冥界、どちらで情報を集めようとも構わない。
五つ、タイムリミットはこっちの時間で二日。
それから注意事項というか、これはアドバイス。『THE・Mazis』が現実からコンタクトを取るのはこれが最後。つまり、これから先は常に『冥界』でしか奴とコンタクトを取れないというわけだ。あるいは、もう二度とコンタクトを取ることはない。奴と俺を結ぶのは、おそらく差し向けられる刺客や妨害だけ。
「なかなかに厳しいな。こっちは『THE・Mazis』の情報なんざひとつもねえのに」
どちらにせよ動かねばならない。今すぐにでも冥界に入るべきだろう。奴はもうあの夢の世界にいるはずだ。時間の問題もある。奴の居場所を見つけ出し、お天道様の元に引っ張り出して潰すまでに必要な時間は、たったの二日しかないのだ。
「やっぱ潜るしかねえか」
今日は平日だが、リアルでの数分があっちでは何時間にもなることを考えれば、家を出るまでまだまだ余裕がある。窓の外に広がる冬の海を眺めながら、俺はあくびをしながら思考する。
昨晩は少し疲れたので、冥界には潜らず普通に眠った。時間を無駄にしたような気はするが、おかげで現在、頭は超すっきりしている。今すぐにでも行動を起こせるぐらいには絶好調だ。
二度寝をする感覚で血管を泳ぐ生体調整ナノマシン『盧生』に信号を送り、『冥界』へ入ろうとする。その、直前のことだった。
もぞり、と。
何か重いなと思っていた腹のあたりの布団が動いた。
まさか。寝ぼけて布団が重いと思っていたが、まさかこれって寝ぼけてたわけではなくて、普通に重かったのか? もしかしてそういうあれ? でも確かに、同居人たるあいつのことを思えば、ちくしょう……ッ、この後の展開が読めてしまう! この布団をがばりとひっくり返したら、絶対にそこにはむにゃむにゃ言って幸せそうな笑顔で寝てるかすみがいるに決まってる。しかも、多分だけどアイツはパジャマを着ていない。『お兄ちゃん、夜這いだよぉー』とか言ってエロエロな下着姿で無防備な姿を晒してるに決まってんだよ。
あー、ちくしょう。マジでこの布団ひっくり返したくねえ。絶対嫌だ。だってこんなの事案だろ。『下着姿の十歳の妹と寝てる兄』ってこれもう最悪じゃないか? 下手すりゃ通報だ。
しかし、どうせ布団から出なければならないし、そうすると確実に腹の上で寝てる幼女(下着で妹)とご対面しなければならない。遅かれ早かれその時は来る。ならば――だ。
早くどけた方が良い。このシュレディンガーの妹が入れられている箱を開けて、50%と50%の確率をさっさと下着100%に変えればいいのだ。むしろここで躊躇って現状維持のままだと、本気で妹の肢体に興奮すると勘違いされかねない。誰に? かすみに。
「よって考える余地なし、問答無用ッ! 至福のお兄ちゃん湯たんぽの時間は終わりだっっ!」
そして現れる、一糸まとわぬ姿の朧実かすみ。
「うおおおおぁァァァァあああああッ!? 甘ったれたストッパーをぶち壊されたッッッ!?」
冬の早朝、二十階建てマンションの真ん中で俺の絶叫が響き渡った。
「なんっ、なん……!? まじか、こいつマジか……ッッ? え、ええぇえ? ええええ???」
ハデスでの日本人離れした水色の髪は、今は艶やかな黒に戻り、すぅーすぅーと寝息を立てる死ぬほどかわいい妹の胸の一部とか大事なところとかをいい感じで隠していた。
「ぉ、おおおお……っ、おおおぅ……おおおおおおォォォ…………?」
呻き声のようなよくわからん声が喉から漏れてきた。だが、しかし……いや、こんな見事なバランスで隠されていることってあるか? 地上波放送のアニメじゃないんだぞ。変な光なんて存在しないはずなのに。なぜこんな完璧に女の子の大切な部分を隠せるのだろうか?
しかもただ隠しているだけじゃない。必要最低限の髪の毛だけを使って、マイクロビキニのように本当に見えるか見えないかレベルで隠していた。残りの髪はというと、腰やひざにかかって、黒と色白の肌と絶妙なコントラストを描いており、貧相なはずの十歳の肢体を扇情的に見せていた。魔法か何かか? 俺は魅了の魔法にでもかかっているのか? 十歳で妹のはずなのにめちゃくちゃかわいく思えてきた。何か頭がくらくらするような錯覚さえするぞ。
「んぅ……っ」
「ッッ!」
寝言のような何かを聞いた途端、俺の体がビクリと跳ねた。ていうかこいつ、寝返りを打とうとしている。寝返りを、寝返りを……寝返り、を……
「打つなァァァァアアアああああああああああああああああああああああああああああッッ!」
「ほひゃわぁあああっっ!?」
かすみから取り上げた布団を引っ張り、再度の絶叫を上げて彼女の全裸の体に被せる。
「にゃ、にゃんっ!? にゃにが起きた!?」
「それはこっちの台詞だよマイシスターッ! 何が起きて俺の布団の中で全裸で寝てんだ!?」
「あぁあああー! お兄ちゃんのお腹が気持ちよすぎて襲う前に寝ちゃったぁぁああー……っ」
「襲うなばか。実妹ならもっと血の繋がりに悩むなどしろ」
至極真っ当な(?)俺の指摘に対し、かすみは人を馬鹿にしたようなため息をつき、
「はぁー……お兄ちゃんを愛してるからだよぉー。この鈍感お兄ちゃんめ。死ね」
「待て。突然の暴言なに」
「こうでもしないとお兄ちゃんわからないでしょー?」
「何をだよ! 妹が全裸で布団の中に潜り込んでることから導き出される解はねえよッ」
「……ニブチン。一回死んで生まれ変わってから弟になって」
結局二親等の縛りは消えねえのかよ。
「いいから服を着ろ、馬鹿妹」
「ぐぐぐぐ……っ、おのれ……! やはりあの泥棒猫が全て悪いのか……」
「泥棒猫……ああ、夢飼のことか」
そういえば夢飼のチャットのアドレスを聞くのを忘れてたな。時間の流れのことを考えると、次にいつ会えるかわからないため、飛浮の時みたいに連絡先を聞いておくべきだった。
謎は多い。だけど、やはり気になってしまう存在。俺にとって、ある種特別な少女だ。
たとえ記憶がなくて俺のことを覚えていないとしても。十年前と変わらない容姿のままでも。それでも――
「…………っ、お兄ちゃん、きらいっ」
「はっ? いやなんでだよ」
「知りませーん。お兄ちゃんを女たらしに育てた覚えはないんだけどなあー」
育てたのはむしろ俺だけどな。とはいえ、別にそんなことを言うつもりはない。妹を守り育てるは兄の役目だ。義務と言い換えてもいい。
「そんなことより、かすみ。今からダイブするつもりだけど、お前も来るか?」
「今から?」
「ああ。朝っぱらからで変だとは思うけど、ちょっと向こうでやることがあるんだ」
「お兄ちゃん、リアルがカスだからいつどこでだって向こうに行きたい気持ちはわかるけど~」
「なんだよ」
なぜか俺に否定的な白い目を向けてくる妹。なぜそんな顔をされなければならん。
「それでも朝の学校行く前から遊ぶのはどうかと思うよ? それって母親にお手伝いを頼まれたときに『今大事なことしてるー』って言ってゲームしちゃう駄目な人と同じだと思う」
「やけに具体的だな。じゃ、行かないのか?」
「行くに決まってるよぉ~~~! 学校? リアル? クソ食らえって感じだし!」
素晴らしい手のひら返し。さっきまでの出来る妹アピールは何だったんだよ。普通駄目な兄にはしっかり者の妹がいるはずなんだけどな。兄弟揃ってダメダメだった。
全裸にふとんを被せられただけの妹は、目をキラキラさせて『冥界』に行く準備をしていた。
「じゃあお兄ちゃん、一緒に寝よっか」
「その前に服を着ろ。新東京青少年健全育成条例に引っかかる気はさらさらない」
「ていうか犯罪だね。そもそもここ東京じゃないよ。……近親相姦って犯罪になるのかな?」
「なに最後まで行こうとしてるんだよ。ひとまず服を着て来い」
「わかったー。ついでに飛浮さんに連絡しておくねー」
「え、ああ? まあ頼むわ」
はーい、と適当に返事して俺の布団を纏ったまま部屋を出ていく。
「まあ、あの世界に興味持ったなら、また会えるだろ」
夢飼の連絡先は再会した時にでも聞けばいい。無理に俺たちとの間に関係を設けてしまい、行きたくもない夢の世界に縛り付けることもないしな。
「ああー! お兄ちゃんまた寝ながら徘徊したー?」
そんな時だ。自分の部屋に服を着に行ったはずのかすみの声が廊下から聞こえてきたのは。
「え?」
「ほら、お兄ちゃんの夢遊病。廊下にみかんが散乱してるよー?」
「夢遊病……? あ、あー。そうか。わるい」
どうやら昨晩、寝ながら家の中を徘徊するクセが出てしまい、廊下に置いてたみかんの箱を蹴とばしてしまっていたらしい。
少し前から俺にまとわりついた問題だ。ちょっと難儀だが、玄関を開けて外を徘徊するわけでも、冷蔵庫の中を荒らしてむしゃむしゃ食うわけでもないため、特に深く考えていない。
ただまあ、かすみが俺の布団に潜り込んだのは、もしかしたら俺のその物音で起きたからかもしれない。
「すまねえ。ちょっと片付けに行くわ」
そう言って立ち上がった時のことだ。
ふと。
本当に、特に前触れもなく、こんなことを思ってしまった。
――本当に、それは夢遊病なのか?
「――――……っ」
一度その可能性が頭をよぎってしまうと、思考の渦からはなかなか抜け出せなくなっていた。
本当に、夢遊病なんていう病気にかかっているのか?
夢遊病は小児に多い病気だ。ノンレム睡眠時に無意識の状態で歩き出し、歩いたり何かをしたりした後に眠る病気。時間は30秒から30分。
知識としては知っているが、しかし――
例えば、もしも。
俺が全く見知らぬ場所で目を覚ました時。家のいたと思っていたのに、気が付けば道路の真ん中にいたとして。
それを、夢遊病が発症したのか、それとも一般的な夢のように、唐突の場面の移り変わり――シーン転換が起きたのか、それを判断する材料はどこにある?
――この夢遊病が、コマ落ちのシーン転換を論理づけて俺の認識を、理性を、主観を、保つための『設定』ではないという証明は、俺にできるのか?
病院に行った記憶は……ない。というか行かなくてもいいと判断したのだ。行動範囲が部屋の中と遠くて廊下までだったことから、睡眠時活動時間は数十秒もない。廊下で目を覚ますこともあれば、布団の中に戻っていることもある。かすみも特に気にしていないため(心配はされているが)、金がもったいないということでいちいち診断を受けなかったのだ。
そして、そうなると、朝起きてから今までに起こったことの全てが嘘っぱちに見えてきた。
普通に考えてみろ。――朝起きたら可愛い妹が全裸で布団の中に潜り込んでるなんて、そんなことがあると思うか? 現実にそんなことが起こるか? ラッキースケベ? えっちな実妹? まるでラノベやアニメの世界みたいじゃねえか。ありえないだろうがそんなこと。そんなことが、現実のどこで発生している? こんな非常識極まりないことが、普通起こるか?
そうなると、ならば、では。
かすみは本当は存在しない人間なのか……?
全部俺が作り出した妄想なのだろうか。夢の世界もかすみも飛浮も、そして……夢飼すらも。
「……ちくしょう、呑まれてるな」
『THE・Mazis』の野郎、相当面倒なゲームを吹っかけてくれたようだ。早くも俺の認識が揺らぎ始めている。俺はこの世界を現実だと信じているが、それ以外の可能性の排除まではしていない。そして……そのせいで現実と夢の区別がつかない。今俺が立っている場所が、電気信号によって創られた虚構なのか、物理的な現実なのか、その境界線が曖昧になっている。
茫洋としている。入り乱れている。入り混じっている。マーブルのように、混沌のように、俺の世界が歪んで溶けて滲んで砕ける。
ああ――そう考えると、だ。
そもそも俺が生きているこの年が、2050年代とも限らないわけか。頭の中でSF的な世界を作り出しているのかもしれない。2050年代の世界を、自分で想像して自分で創造しているのかもしれない。
本当は2010年代に生きていて、今は寝ているだけなのか。妄想の中にいる『俺』は、2050年代に生きていると信じているのかもしれない。頭がおかしい。狂ってる。終わってる。
ケタケタケタケタ、あの電子音声の鬱陶しい笑い声が聞こえるかのようだった。戸惑い揺れて迷い続ける俺を、遠くから眺めてげたげた笑う、顔も知らないクソ野郎の姿が思い浮かぶ。
だが同時に、俺は俺が現実に生きていると認識しているという、絶対的な自信――否、確信のようなものがある。
腹に乗っていたかすみの重さも、かすみの一糸まとわぬ姿も、かすみの匂いも……だめだ、これじゃ完璧にシスコンの変態だな。全部かすみじゃねえか。しかも重みと全裸と匂いって。前者二つはかすみのせいだがいいとして、さすがに匂いは駄目だろ、匂いは。妹だぞ。いや妹じゃなくて駄目だな匂いは。
「はぁああ……」
シリアスモードのはずだったのだが、もはやどうでもよくなってきた。どうせここにヒントはない。ゲームマスター気取りのクソ野郎は、こういう反応をこそ求めてるんだろうしな。
どうせ現実と虚構の区別なんざつかないんだ。
答えがわからなけりゃ最悪思い出の海に飛び込めばいい。冬なのでアホみたいに冷たいだろうから、あまりの冷たさで目が覚めれば夢。覚めなければ現実で風邪をひく。これでいい。方針は決まった。最後は海に飛び込む。作戦決定。
「ふぁあああ……とりあえず、みかんでも片付けるか」
そうと決まればさっさと冥界へ潜る準備をする。どうせ奴の足取りは向こうでしか得られないわけだしな。
☆ ☆ ☆
冥界へ潜ってから俺たちが向かったのは、前に飛浮や夢飼と別れたスポットの近くにある大型スーパーだった。地方では未だにその巨大な威容を誇っているあれである。
目立たないよう物陰に隠れながら中へ。入口のすぐ近くにある身障者用の便所にかすみと二人で向かう。
「ふふ、ふふふ……うふふのふー……お兄ちゃんと二人でトイレに入る。こんな、こんな胸熱イベントがあるだろうか……!」
「全裸布団以上の何かは起きねえよ」
適当に言いながら中へ入る。
「何だ飛浮、先に来てたのか」
「お邪魔虫ですね」
「酷いなかすみちゃん……。つぅーかテメエ、潜るのちょっと遅れただろ。時間の流れが違うんだから、気を付けろよな。テメエのいない間に何回ここで銃撃戦が起きたと思ってんだ。十八回だぜ、十八回。テメエは一分遅れただけだろうが、こっちはもうクタクタだぜ……」
「悪かったって。つかそんなに……?」
「見通しが悪いとかじゃなくてもはやアホだろ。ここは大型スーパー。要塞としちゃァ最高だから、未だに数か国の軍がここを拠点に手に入れようと躍起になってんだぞ。なんだったらこの街で一番激しい戦場だっつの。つか何で遅れたんだよ」
「みかんを片付けてたんだ」
「みかァん?」
なんだそのイントネーション。〝か〟を強調しただけで、こんなにイラッとするのか。覚えておこう。別に覚えたところで使う機会はないんだけどな。
「つぅーかよ、テメエ夢飼ちゃんの連絡先聞くの忘れてただろ。迂闊すぎんだろ」
「仕方ないだろ。色々と面倒なこともあったんだし。それに、無理にここに縛り付けることもない。もう一度ここに来て、再会で来たら連絡先を教えてもらうつもりだったんだよ」
「なるほど。まあ、そりゃ確かに。……ま、そういうわけだ。とりあえず入ってこいよ」
「は?」
明らかに俺に向けられたものではない言葉に間抜けな声を出すと同時、俺の後ろで引き戸が開いた。
敵か――そう思い警戒しながら素早く振り向くと、そこにいたのは――
「夢飼……?」
「ま、まあ……その。まだ、お礼言ってなかったし、他にも聞きたいこと、あるし……っ」
「いや、そうじゃなくて」
なぜこんな簡単に俺たちと合流できた? まさかエスパー? 未来視? なんかそういう魔眼でも持ってるのか?
「わたしだよ、お兄ちゃん」
「かすみ?」
「そう。お兄ちゃんが先に出ちゃった後、わたしも出ようとしたんだけど、その時に夢飼さんがお兄ちゃんのことが好きすぎて夜も寝られなさそうだからアドレス教えてほしいって」
「だっ、だだだだっ、誰もそんなこと言ってないでしょうー!?」
「でもお兄ちゃんのことが気になるとは言いましたよねえー?」
「うっ」
「夜も寝られないって、言いましたよねえー?」
「ううう、ううううううっ! そっ、それは、言ってない言ってない言ってなーいっ!」
十六歳の少女が十歳の幼女に手玉に取られている姿はもはやギャグだった。ニヤニヤヘラヘラ、誰に似たのか意地の悪い笑みを浮かべながら、夢飼を弄ぶかすみ。対して夢飼は涙目になっていた。かすみ、そろそろ本気で可哀想だからやめてやれ。嘘だ、もっとやれ。
怒ってかすみに詰め寄るたびに、大きな胸がたぷんたぷん揺れる。ほう、ほほう。なるほどなるほど。あれが宇宙か。ビッグバンはきっとおっぱいの揺れから生じたんだろうな。
「宇宙の真理に辿り着いてしまった」
「嘘だからね!? 全部かすみちゃんの嘘だから!」
「うおおお……すごいな」
「何が……って必死に弁解してるのにどこ見てんのこのスケベッ!」
「残像だ」
「ちくしょう……! 何で悪に裁きが下されないのよォ……ッ」
拳が飛んできたが『虚霞』を発動して華麗に回避すると、夢飼が涙目になってぽかぽかと俺の幻を殴ろうとした。だが実体がないので、当然一発目が空振りに終わり、バランスを崩してこけた。残念だったな、それも残像だ。そして夢飼、結構エロいぱんつが見えてるぞ。
「うぅ……っ。痛い」
「赤か」
「ッッ!」
「なにッ? 悪いかすみちゃん、どいてくれ見えねぎゃァァァああああああ目がァああッ!?」
「お兄ちゃんもだぁー!」
「残念だったな、残像だ」
「えい」
そんな可愛い掛け声とともにかすみの手のひらに創造されたのは、鏡だった。デザインは適当。というか持ち手も何もない、武骨な剥き出しの鏡。
そして、それが意味するのはただ一つ。――俺の弱点だ。
俺の虚霞の弱点は、鏡を向けられること。鏡に俺の幻惑が映った瞬間、夢奏が一時的に解除され、幻が霧散するのだ。
そしてそうなった場合、俺はちょっと強い学生でしかない。よって、交渉を開始する。
「待てかすみ、取り引きをしよう。今度胸を揉んでやるからそれだけは勘弁」
「ぐっ……、も、問答無用! 斬り捨て御免」
「駄目か!」
セクハラの裁きから逃れるために妹の胸を揉むから見逃してくれと言っているわけだが、冷静に考えると人間の底辺を通り越して地獄に落ちたほうがマシだな。思う存分やってくれ。いや、やっぱり嘘。手加減して。
一瞬躊躇したようだが、かすみは止まらなかった。女の味方として飛浮の目を攻撃した後、次は手元にハンマーを創造して――ハンマーだと!?
「待ってストップ妹よ、それ死ぬッ、それは死ぬからさすがに!」
「うるさい! 他の女にうつつを抜かす兄に慈悲はない!」
ぶんぶんハンマーを振り回す妹だが、しかし実際に当てる気はないようで俺がギリギリ避けられるように調整してくれていた。その絶妙なやさしさは何なんだよ。
そして、俺とかすみがじゃれついている間に、夢飼は立ち上がっていた。
「ううう……もうお嫁にいけない」
「大丈夫だ、俺が貰ってやる」
「にゃっ!?」
「キシャァァァァアアアアアアア!」
「だぁぁあ、嘘だって、いつもの嘘! うおっ!? 今一瞬本気のヤツだったぞ!?」
命がけのじゃれ合いを終えて、夢飼と飛浮の元へと戻った。飛浮は未だに「ぐぅおおおお……」とか言って目を押さえ、夢飼は顔を真っ赤にして俺を睨んでいた。問題なさそうだ。
ひとまず夢飼の胸=大宇宙へと視線を向け、それから二つの大宇宙の間に挟まれた谷間=ブラックホールを堪能してから口を開いた。
「んじゃあ、ここからどうするかだが」
「今見てたわね!? 今あたしの胸を一通り見てたわよね!?」
「うるさいなあ、いちいち怒るな。胸がビッグバン起こしてるぞ」
「~~~~~! ~~~~~~~~~~~ッ!」
「お兄ちゃんのセクハラが留まるところを知らない、だと……!?」
「ぐぅおおおお、ォォォォオオおおおおおおおおおおお……! 目が、目がァ……っ!」
カオスだった。しかし関係ない。夢飼の胸で巻き起こる連続ビッグバンを横目に、俺は構わず話を続けていく。
「今から俺たちは戦場のど真ん中を適当に散歩する。命がけのピクニックだ」
「え、え……? だって地上ではいろんな国の軍隊が、好き勝手に戦ってるって……」
「そうだ」
首都圏以外の地域では、国境や市街地などお構いなしに各国の軍隊が大砲やら鉄砲を撃って殺し合っている。勢力図に明確な線引きなどない。首都圏が要塞のようになっているだけ。それ以外はアモルファスの如く複数の国の複数の軍隊が混在している状態だ。
そんな中を突っ切ると言っている。
頬に汗が伝っている夢飼は明らかに不安と恐怖を覚えていた。無意識なのだろう、俺のss軍服の袖をぎゅっと握って離そうとしない。
ずっと一緒にここで戦ってきたかすみも、あごに手を当てて思案している。
ただ一人、馬鹿だけは迷わず口を開いていた。
「これまでの〝ちょっかい〟とは風向きがちげェじゃねェか。それがどういうことかわかって言ってんのか? オレたちは偶然見つけたり横流しされた情報をもとに冥界を見つけて勝手に潜ってる、いわば不法侵入者だ。正規の軍人に見つかれば、情報封鎖・隠蔽のために、他国自国問わず、兵隊が銃口を向けてくる」
「わかって言ってるさ」
「なるほど。――最高だね。面白そォじゃねェか。銃弾飛び交う戦場の中を突っ切るだけでもスリル満点なのに、見つかれば世界の軍隊を敵に回すってことだろ?」
「そんな大それたものじゃないけどな。せいぜいがこの場で馬鹿みたいに戦争してる兵隊だけだ。それでも、たった四人で挑むのは馬鹿らしいけど」
「なに、何かあればオレが全部蹴散らしてやるよ」
「頼もしいな。でも、わざと見つかるようなことはするなよ? 今回の肝はかくれんぼ(スニーキング)だ。いらん事したら置いて行く」
俺と飛浮の違い――それは、俺はこの世界そのものを楽しんでいるのに対して、飛浮は戦いだけを楽しんでいるということ。今はそれがわかっているからトラブルは起きないが、出会った当初は何回か死にかけたものだ。……スリルは好きだが、死ぬのはごめんなんだよ。
「でもお兄ちゃん、どうして突然そんな危険な遊びを? 今は海奈さんもいるんだよ?」
問いに、俺は答えるか一瞬迷う。が、すぐにこう答えた。
「つい昨日、『THE・Mazis』から宣戦布告を受けた。簡単なゲームをするから自分を捕まえてみろってな。そこで、今日から行動することにする。奴は冥界にいる。しかもおそらく地上に。この近くに」
「その根拠は? 近くにいるなんてわからないよ」
「奴はこれをゲームと言った。ゲームである以上、攻略は可能なはず」
「どうかねェ。まあ今はそれでいいか。んで、だ――」
話に割り込んだのは飛浮だ。
「そのゲームの内容は?」
「かくれんぼ。二日以内に奴を見つければ俺の勝ち。負けたらどうなるかわからねえ。まあ、どっちにしろ妨害という名の殺害行為はしてくるだろうし、早めに捕まえるに限るな」
ノータイムの嘘。協力してくれるのに悪いが、内容を教えるわけにはいかない。
「よし、乗った。かすみちゃんと夢飼ちゃんは?」
「ええ、当然。お兄ちゃんに喧嘩を売ったことを後悔させてやるぜベイベー」
「え、じゃあ行くの!? ほんとにっ?」
飛浮がまず乗っかり、かすみが当たり前のように承諾する。対して、否定的だったのは夢飼だった。
「夢飼、これは危ない行動だ。命の危険すらある。だからついてきたくなかったらついてこなくていい。近くにスポットもあるしな。だけど、もしも来るなら――まあ、全力で守ってやる」
「嘘じゃない?」
「嘘だと思うか?」
「……そういう嘘はつかなさそうね」
「なら決まりだねえー。お兄ちゃん、わたしも守ってねっ?」
「当たり前だ」
「俺は?」
「お前は俺を守れ」
「男を守るなんてお断りだな」
方針は決まった。俺の勝手にみんなを巻き込むのは申し訳ない。嘘もついた。だから。あとでたっぷりお礼はするし、何かしら全員に借りを作るということにするので許してほしい。
お前らとの日常を、この青春の一幕を本物だと証明するために、協力してくれ。
絶対に死なせないし、守って見せる。
嘘つきの嘘つきなりの方法だけど、その嘘を信じてくれ。
「夢飼、大丈夫か……?」
「うんっ。ふ、不安だけど……」
でも――と少女は続けて、
「――あの時みたいに、またあたしを守ってくれるって信じてるから」
言葉のあと、ふふっ――と、花のように笑った。
その照れたような笑顔は、やはり思い出の中の彼女とそっくりだった。
それが真実ならば――と。
今の俺は、どうしても人の笑顔をそんな風にしか捉えられなかった。
☆ ☆ ☆
ゴーストタウンのように荒廃した街の中を、物陰に隠れながらコソコソと進む。まず俺が先頭に立って周囲を確認しながら進み、その後ろに夢飼、かすみと続いて、殿を飛浮が勤める。
蔦や蔓に覆われた道路を踏みしめる。蔦の行く先をたどっていくと大きな花があるが、あれはおそらく食人植物なので近づかない方が身のためだろう。
ビルも民家も関係なく植物に侵食され、俺の知っている故郷の姿からは程遠い。だが、実際はそれすらもかわいいレベルの変化でしかなかったりする。
問題はやはり、多くの建物が要塞化されていることだろう。さっき俺たちが集合した大型スーパーは巨大過ぎるがゆえに、未だ『拠点の奪い合い』の戦場になっており、要塞化されていなかった。だが、どこにでもあるスーパーやコンビニなどの建物の多くは、どこかの軍が要塞化している、駐車場にはバリケードと監視センサーが、屋上には重機関銃が、窓にはライフルの銃口が。常に監視の目があり、近づく者は容赦なく撃ち抜く構えだ。そうやって、小さい土地を奪い合っている。近くのスーパーをライフル片手に占拠することなんてザラだ。
民家だって例外ではない。何の変哲もない住宅街に見えても、それらのうちのどこかに兵隊が潜んでいて、油断した敵国の兵士を意識の外から狙撃するなんてこともざらだ。
つまるところ、この『冥界』の地上に心休まる場所などないのだ。360度どこに敵がいるのかもわからない。街の全てが戦場。安全地帯は地下街のみ。そりゃあ鍵でもなんでもかけて地中に閉じこもるわな。今だってどこかで銃撃戦が繰り広げられているのだろう、火薬の爆発する音が山彦のように反響しながら、俺たちの耳に届いてくる。しかもこれ、結構近いな。
ただ、そうした数多の要塞の中でも、スーパーや民家よりも最悪なのが……
「あれって化学工場だよな」
「ああ。もともとは接着剤やボンドの製作工場で、地元じゃ異臭が酷いって有名だった。今はその会社は潰れて、理工系の研究機関が周辺の土地ごと買い取って、別の施設に変えたけど」
「じゃあ、今は何を作ってる工場なの?」
飛浮の問いに俺が応えると、それに対して夢飼が慣れない音を聞いた小型犬みたいに首をかしげてそう尋ねてきた。上目遣いで聞いてくるので今なら何でも答えてしまいそうだ。
「もう工場じゃない。今は何も作ってねえ。発展型地熱発電の研究所だ」
「発展型、地熱発電……?」
「夢飼、この世界に潜って遊ぶと決めたなら最低限のニュースくらいは見ておいた方が良いぞ」
「あうぅぅ、はい……」
シュンとしてしまった。なんか頭の上部に悲しそうに垂れた犬の耳の幻影まで見える。萌えるなこれ……まさか罠か? 美少女の落ち込んだ姿すらも精神攻撃に組み込むとは、やるな。
「地熱発電というのは知ってますよね?」
俺がまだ見ぬ敵に慄いていると、かすみが説明を捕捉した。小声でしろよと視線で伝えたが、かすみは赤くなった頬に両手を当てて身をよじることしかしなかった。大丈夫そうだ。
「その中でもマグマ発電というものがあるのは知っています?」
「ていうか地熱発電ってマグマを使ってるんじゃないの?」
「違います。地熱によって生成された水蒸気を用いるのがほとんどです。マグマ発電はつい最近ようやく日本に第一号の発電所ができばかりですね。面倒なので飛ばしますよ?」
「はい、すみません……」
なんか知識量でJSに負けてる夢飼が可哀想だな。萌えるけど。もっとやれかすみ。お前の力で夢飼の胸を揺らすのだ。
ただ、十歳のJSが地熱発電だのマグマ発電だの知っているのはやはり非現実的だよな。……今や妹すらも、どこか作り物めいて見えてしまう。そんな自分が嫌だった。
とはいえ、そんなことを言ったところで仕方がないのも事実。死んでは元も子もないので、ひとまず説明はかすみに任せ、その間、俺は警戒に精を出す。
銃撃の音が大きくなっている。近づいてきてるな……。戦車を相手にしているのか、低い駆動音までする。巻き込まれる前に隠れられる場所を見つけたい。
「発展型地熱発電とは、マグマ発電のさらに先へ行こうという試み……つまりは、マントルです。マントルボウリング式と言われる方式で、地球の外皮である『地殻』をさらに貫き、マントル上層のかんらん石の層まで管を通す。そして、そこで部分溶融によって生成されたマグマのエネルギーを利用する――そういう発電方式なわけですよぉー」
この発電方式の肝は、二酸化炭素や温室効果ガスの排出量が少ないため、環境に悪影響を与えない――というものでは、断じてない。
この研究の核にあるものは、地熱発電ではどうしても必要な『最適な土地』という概念が存在しないことだ。プレートとプレートの境目ではない限り、どこであろうと発電所を立てることができる。どこに立てることもできて、かつ燃料はほぼ無限に存在する。加えて、左翼お得意の『放射線』も発生しないため、反対意見も出にくい。
もっとも、長期間地殻に管を通すため、地殻変動に耐えうるパイプが必要になること、そもそもマントルに干渉した際、何かの拍子で火山でもない場所がマグマに侵される可能性があるなど、問題点が山ほどあるため、未だに架空の技術のままなんだが。
「あの施設は、きっとその研究所なんだと思います」
「な、なるほどぉ……?」
「夢飼、無理に理解しなくていい。とにかく、化学工場とか研究施設が要塞になってたり、基地になってたりしてることと、その近くにいるだけで危険だってことさえわかればいい」
「なんで?」
それにしても、あの施設には国旗がないな。民家は例外として、普通は要塞や基地を奪われないよう、冥界では国旗を掲げるか壁に塗るかして、他国に牽制しているはずだが……
「そりゃあ、そこで扱われていた技術を軍事転用できるから。無骨で味気ない建物の中に、どんなゲテモノがあるかわかったもんじゃない。……それにしても、どういうことだ? この施設。本格的にどこの国の所有物かわからねえぞ? てか、何を作ってたんだ? 正面玄関が空いてるし、でかい整備場みたいなもんまであるぞ。こんなもんこの研究所にはいらねえだろ」
直後のことだった。
答えは、真後ろから。
さっき俺たちが集合場所にしていた大型スーパーを突き破るようにして。
高さ二十メートル、直径百メートル近い恐竜みたいな鋼鉄の円盤が俺たちの前に現れた。左右には遠近感が狂うほど巨大な砲塔がそれぞれ一門ずつ取り付けられており、円盤の上部にも天を睨むが如く三門の砲塔が設置されている。円盤の全周には重機関銃が取り付けられており、下部では車輪の代わりなのか、等間隔で四つの球体が回転している。おそらく全方位へ方向転換するための駆動方式だろう。
状況は理解した。謎の円盤の大まかな造りも把握した。
そうした諸々を理解した上で、俺はこう呟く。こんな陳腐で卑近で凡庸極まるひとことしか、紡ぐことができなかったのだ。
「なん、だ……あれ……?」
疑問に答えてくれる人間はいなかった。
答えたのは、当のアンノウン。ただし、言葉はなかった。兵器らしく力でもって解答を示す。
おそらく一時的に休戦し、アンノウンたる巨大兵器に立ち向かっているのだろう――多種多様な軍服を着た一団へ砲口が向けられた。
円盤下部から視覚がバグったかと錯覚するほどに巨大な金属の塊が音速超過で射出され、地面を穿つ。――そして、何らかの準備を終えた。
「何でもいい! 何かにしがみつけェェェェえええええええええええええええええええッッ!」
砲口が火を噴いた。
音という概念は身を砕く衝撃へと変じていた。
光という現象は網膜を焼く閃光と化していた。
「ぉ、ぉぉぉぉぉああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」
訳のわからないまま莫大な風圧が襲われた。爆心地から一キロか二キロは離れているというのに、僅かに熱を内包した爆風は俺たちを吹き飛ばさんと猛り狂う。
やがて風が収まり視界を取り戻した時、爆心地に残ったのは、巨大隕石でも落ちたかの如きクレーター。そこには当然、肉片どころか灰や煤すら残っていない。
破壊、死、消滅、終焉、絶望――それが、あのアンノウンの正体だと、俺は悟った。
☆ ☆ ☆
ぎぃ、ぎぃ。ぎぃぎぃぎぃ。ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち。
何と形容すべきかわからない。とにかく歪な音を撒き散らしながら、死を運ぶそいつは地面に突き刺した巨大な円筒を回収した。異音はおそらく円筒が地面を削っているものだろう。
「逃げるぞ……」
その決断を下すのに、迷いなどあるはずもなかった。戦うなどという選択肢は皆無。
「逃げるぞみんな! あれは、あれは無理だッ! ここにいたら見つかってあの馬鹿デカイ大砲に吹き飛ばされて終わりだ! 今すぐここを離れるぞッ!」
誰も俺の案に否定は返さなかった。あのバトルジャンキーである飛浮ですら、一も二もなく頷いていた。
「機械なんざ相手にしても熱は得られねェしな。それに……あんなんに跳びかかったところでハエみたいに殺されるのがオチだ。まずバトルにもなりゃしねえ」
「はい……あんなのとまともに相対できるわけがないでしょうね……っ」
なら今すぐ行動だ。この辺りは遮蔽物が少ないため危険だが、幸いまだ見つかっていないのだ。隠れてる場所ごと消し飛ばされるより、気付かれていない今の内に距離を稼ぐほうが賢い。
行動は早い方が良い。だが――一人、この事態に全くついていけていない奴がいた。
「なによ、あれ……っ」
顔を真っ青に染め、いやいやをするようにゆっくりと後ろを下がっているのは夢飼だった。
「知らない、何よアレ……あんなの見たことない! なにっ? 何なのあれは!?」
「夢飼、落ち着け。大丈夫だ。――俺が守る」
取り乱す夢飼の体を抱き寄せ、腕に込める力を強くする。優しさなどない。骨を砕かんばかりの勢いで、彼女の肩を抱きしめた。
「ぐ、ぅあ……いた、い……っ」
「痛いか? よし。じゃあもう少しだ。落ち着け。あっちよりも、まずは俺を脅威に判定しろ。早く戻ってこないと肩の骨を折るぞ」
「ッ! だ、大丈夫だから! もう大丈夫!」
その脅しが聞いたのだろう。慌てたような声を上げ、俺の胸を押して腕から逃れた。
「ご、ごめん……取り乱した。ありがと」
「潜って二日目であんなゲテモノ見せられたんだ。無理もない。それよりも早く動くぞ。見つかったら終わりだ」
夢飼を落ち着かせた俺はそう言うと、三人に先行して民家の陰から飛び出す――
「――って、だめ、お兄ちゃんッ!」
「ぐぅあっ?」
――その直前で、かすみが俺の襟首を掴んで引き戻した。喉を押さえながら少し恨めしげな視線で睨むと同時、目の前を二台の大型バイクが凄まじい速度で駆けた。振り向いた時にはすでにその後ろ姿は小さくなっているが、パッと見て軍属だとわかる。そして行き先は……
「ククっ……あいつら自殺志願者か? わざわざ怪物のお膝元に向かうとは。まァ現実的じゃねェな。けど、ああいう奴らは好きだぜ」
「今の内だよ、お兄ちゃん」
――さて、どうするか。
この夢の世界では常時戦争状態だ。各国の思惑が重なり合い、人と人が未だに見えないところで殺し合っている。そして、その中心にいる兵士たちは、当たり前のように死を覚悟している。あの化け物のお膝元に向かっている彼らも同じだろう。死を覚悟して、それでも放っておけないから縮み上がる心臓を押して車両を走らせている。
彼らは死ぬ。これはもう避けられない。そして、そこにいちいち悔いや憤りを感じていてはきりがない。
これは俺の二つの基本方針の一つだ。
人を殺さないことと、兵士の死に対して憤りを抱かない、というもの。
それは一種の防衛反応だろう。ここは死が多すぎる。人が簡単に死ぬ。戦場なのだから当たり前だ。ひとつひとつの死に心を噛み砕いていたら、きっと俺の心が持たない。つまりは、本能的に自分の心に嘘をついているというわけだ。
だが――
「……あのゲテモノ兵器、もしかしたら『THE・Mazis』からの刺客かもしれない」
掲げられているはずの国旗がどこにも見当たらないこと、多くの軍隊が徒党を組んであの一機に立ち向かっていること、タイミング……状況証拠ばかりで確信的なことは言えないが、十中八九あれは『THE・Mazis』が俺を妨害・始末するために差し向けたものだろう。
「別に兵隊たちがここで戦って死ぬことに憤るつもりはねえ。でも、俺の不始末に巻き込んで命を散らすのはいただけねえだろ。あれは俺の問題だ。あれと戦うのは、クソ野郎からの宣戦布告を受け取った俺であるべきで、代わりに誰かが殺されるのは間違ってる。それに、何より――ここで奴らに恩を売っておけば、いつかどこかで帰ってくるかもしれねえだろ? ってことで、悪い。協力できる奴だけついてきてくれねえか?」
俺の頼みに最初に応えたのは、以外にも夢飼だった。
「どうせそれ、全部建前なんでしょ?」
はぁ、と息を吐きながら夢飼は心底嫌そうな顔で、ぎちぎちと音を鳴らしながら円筒を回収してるゲテモノ兵器を眺めた。
「朧実くんが嘘つきなのはいい加減わかってきた。だから、それが全部嘘なことくらいわかるわ。本当はただ単に助けたいけど、合理的な理由や義理を用意しなきゃ自分を納得させられないとか、そんな風に思ってるんだろうけど――」
何も言わない俺に、銀色の髪を揺らして少女が笑う。
「助けたいなら助けたいでいいじゃない。あなたの友達も妹も、そしてあたしも、別に変な建て前なんてなくても、あなたの我がままに付き合うわよ」
そう笑う少女の笑顔が、思い出のそれと重なる。波の音が聞こえる気がする。束の間、俺と夢飼の周りの世界が、白い砂浜と青い海に変わったような錯覚すらした。
「クハっ、なァ朧実、これは一本取られたんじゃねェのか? まさか会って一日の子に、こんな風に見透かされるなんてよ」
「……気に入らない。けど、まあ大方は海奈さんの言う通りだよ。お兄ちゃんのいつもの悪い癖。自分の基本方針に外れるからと言って、そんな風に自分に嘘をつく病気だね」
口々に好き勝手なことを言われるが、まあいいだろう。
「……とにかくみんな、あいつをぶっ潰すのに協力してくれるってことでいいのか?」
「おい、こいつ照れて無視しやがったぜ」
「可愛いお兄ちゃん。意地っ張りなお兄ちゃんも好き……っ」
「よく二人とも、こんな変な嘘つきについていくね」
そんな言葉を全て無視して、俺はゲテモノへ視線を向けた。
「じゃあ始めるか。ジャイアントキリングの時間だ」
☆ ☆ ☆
最初にやることはどこの軍かもわからない兵士たちの突撃を止めること。ゲテモノを下手に刺激して照準を合わせられればその時点で彼らも、最悪の場合は俺らもまとめて植物状態だ。
猛スピードで一般道を突っ切ったオートバイに追いつけるかどうかは微妙どころか絶望的だと思っていたが、彼らも軍人だ、馬鹿ではない。
高感度センサーの有無がわからないこともあり、バイクは巨大兵器の死角になる曲がり角に停められ、兵士たちもまた近くの曲がり角に隠れていた。数は……四。二人一組か?
彼らから一度視線を外すと、かすみが創造した無線機で連絡を取って方針を固め始めた。
「いいかみんな、まずは奴らを無力化することが最優先だ。わかってると思うが殺すなよ。顔を見せて信用を得てから、全ての説明をして助けるから貸しをひとつ作る……って言いたいところだが、まあ無理か」
巨大兵器に立ち向かう前だ。神経は相当削られているだろう。そんなところへ俺たち不法侵入者が顔を出しても、反射的に殺されるのが関の山だ。顔を見るまでもなく、服装の特徴から敵だと判断した瞬間に反射のように引き金を絞るに決まってる。
「こいつらは俺が何とかする。問題はその後――つまりあのゲテモノだな。そうだな、呼び方はルンバでいいだろ。形も人間の『掃除』って役割も似てるし」
円盤型の巨大兵器、ルンバ。大砲の種類や駆動方式、センサーの有無や動力炉など、何もかもが謎に包まれた、おおよそ2050年代でも製作不可能としか思えない兵器。構造上の欠陥や具体的な弱点など何もわかっていないが、だが――一つだけ確定していることがある。
「あれが現代では創造不可能な代物である以上、必ず無理をしている。科学的に不可能なもんなん だから、科学以外の概念があれには組み込まれているはずだ。つまり、夢奏がな」
不可能を可能に変えているのだ。そして、その中核を成しているのが『夢奏』。要は超能力を使って架空の素材や機材、装置を創造して組み込むことで、理論上における成否という些末事など無視してゲテモノ兵器を作っているというわけ。
余談だが、ああいうSF映画にしか出てこないようなトンデモ兵器は、ここ『冥界』ならごろごろ転がっているらしい。首都圏の防衛線やアフリカの激戦区などで猛威を振るうとか。
『中核は何だろう。あれに関しては一つだけとは思えない。セオリーからは外れちゃうけど』
かすみがそう思案する。彼女の『溶産』は、ちょうどあの兵器の中核を作るのに用いられている夢奏と同種に属する、物体創造型の夢奏なのでその意見は貴重だ。
「砲から攻めるのは……得策じゃねえな。あれに使われてる技術はおそらく科学で説明がつくはずだ。プラズマ砲じゃないならいちいち夢奏使って弱点にするほどメリットがない。レールガンもコイルガンも実用化はされてなくても、技術は完成してるわけだしな」
思案しながらも行動を開始する。いつまでも隠れて作戦会議をしていては、早まった兵士たちが突撃して死にかねないからだ。
曲がり角から一気に身を乗り出して、彼らの前に姿を晒す。
こちらに気付いた一人がライフルを向けてくるが――遅い。ホルスターからサプレッサーを取り付けたMk.22を抜き放ち、兵士の肩に弾丸をぶち込む。
「がッ!」
反射的に肩を押さえた男の顎を蹴飛ばし、まずは一人ダウン。隣の男が異変に気付いた時にはもう遅い。こめかみを拳銃のグリップで殴って気絶させた。
『なら駆動方式は? あんなに大きいものを、四つの球体だけで支えられるとは思えないよ』
「どうだろうな。高速移動するならまだしも、あれは動く砲台って感じだ。意外と夢奏が使われてねえのかも。……いや、圧力をよそへ逃がす技術には使われてるか?」
『ちょっ、ちょちょ、ちょっと待って! 今凄く変な音聞こえたけど!?』
夢飼の言葉は無視して次の標的二人へ視線を向ける――が、さすがに既に気付かれていたらしい。連続した火薬の炸裂音が耳朶を叩くと同時、俺の体に十、二十と風穴が空いた。
まあ――
「それ全部、嘘の映像――幻影なんだけどな」
風穴を空けられながらも構わず突き進む俺に怯んだのか、男たちの体が一瞬硬直し、そして僅かに身を引いた。
冷静に考えれば肉が千切れ飛び、向こうの景色まで見えるほど肉体が破壊されているのに動けているのはおかしいのだが、そんなことは頭から飛んでいるのか。
手前の男の鼻っ柱に膝をぶち込んで意識を刈り取ったのち、携行ミサイルを装備していたもう一人の男の喉に手刀を叩き込んだ。もちろんその兵士が死なない程度に加減して。
「終わった」
『……あなたって本当にめちゃくちゃよね……』
「そんなに嫌そうな声で言うなよ……」
戦慄しているのか引いているのかわからない夢飼の声に、若干ショックを受けてしまう……。え、ここってもっとこう、カッコイイってなるところじゃないの? プロだよ? プロの軍人相手にスマートに勝っちゃったんだよ? やっぱり俺みたいな陰キャじゃあフラグは立てられねえってのかよ、ちくしょう……ッ。
「ちくしょう……ッ」
『なにショック受けてんだよ。今さら喧嘩如きで後悔するタマかっての。それよりも、だ。となると……やっぱ怪しいのはあの円筒かァ?』
「俺をテメエの同類に入れるんじゃねえよ」
飛浮に抗議しつつも、俺は段階を先へ進める。
「あの大砲が火薬式なのか電力式なのかは知らねえが、どっちにしろ隕石みたいなクレーターを作るには莫大なエネルギーが必要だ。となると……近くにある施設のことも考えれば――」
『マントルボウリング式……さっき言ってた発展型地熱発電?』
「夢飼よくできました。基礎を学んで応用もこなすなんてさすがだなー」
『そ、そう……?』
心なしか嬉しそうな声だった。こいつ案外チョロいな。この調子で好感度を上げて海奈たんルートに入って濃厚なベッドシーンまで一直線だ。あのおっぱいで挟まれたい。
「ってことで狙いはあの円筒だ。他にもいろいろ夢奏を使われている箇所はあるんだろうが、目に見える部分だけをぶっ潰せばいい。一箇所でも夢奏を使われている部分を潰せれば、後は勝手に自壊する」
これがあれら非科学兵器の弱点だ。科学的に製作不可能なものを、夢奏を使って無理やり成立させている以上、使われているその夢奏部分を破壊してしまえば、あの超巨大兵器の構造に致命的な矛盾が生じ、結果自壊する。
だから俺たちは、何もあの兵器を夢奏や兵器を使って無理に爆発させて壊す必要もない。矛盾を突いて存在を破綻させる。それだけで奴は、世の絶対法則たる科学に平伏すだけだろうさ。
『じゃあ、あの円筒が地面に刺さっている間に壊せばいいのねっ?』
おいおい、死ぬわこいつ(笑)。
「あのさ、夢飼。さっき自分で言ってたよな、あのルンバはマントルボウリング式の発展型地熱発電を行うための装置だって。なら、マントルと機械を繋いでいるあの円筒を壊せばどうなる? あれが夢奏で作られたものだとしても、中にあるエネルギーは本物。壊せばそのエネルギーが行き場を失って爆発するぞ」
具体的にどこでマグマのエネルギーを電力に変換しているのかはわからない。円筒の下端、マントル内で行っているのか、円筒の中で変換されているのか、はたまた機内に変換装置が存在するのか。だが、いずれにせよあの円筒内を莫大なエネルギーが通っていることは明白。下手に刺激するのは寿命を縮めるどころか自殺と同じだ。
『じゃあ、だったら……どうするのよ?』
「……策なら決まった。これでいけるはず。ただ、かすみ……お前に無理を強いることになるかもしれないがいいか?」
『うん、大丈夫。任せて!』
即答だった。妹の深い愛と信頼に感謝しながら、俺は作戦を伝えた。短く、かつ的確に。
「……これが策だ。望みは薄いがこれしかない。かすみ、奴の注意を攪乱するために念のためにスペアを頼む。機能の存在しない張りぼてのダミーでいいから」
『わかったー。お兄ちゃんの頼みというのなら、仕方ないよ。ただお兄ちゃん……あとでそれなりにえっちなことしてもらうからね?』
『えっちなことは確定なんだ……、って、ッッ。朧実くんッッ!』
「あ?」
悲鳴のような夢飼の声がインカムから流れた直後のことだった。
何かが俺たちの十メートルほど上空を通過した。悲鳴のような空気の金切り声に鼓膜を叩かれて身を竦ませ――音速超過で待機を駆け抜けたことによる衝撃波が襲ってきた。
それに少し遅れる形で、遥か後方で閃光が爆発。民家もオフィスビルも何もかも関係ない。その地域一帯が、気の遠くなる桁の運動エネルギーを有した弾頭により紅蓮に染まる。
遅れて爆音が発生――次いで上空から爆風。さらに爆心地からも爆風。
相手に幻影を魅せる『虚霞』なんぞ何の役にも立たなかった。
戦術級制圧兵器による区画一帯を壊滅させる主砲の一発で、俺の体は凧のようにもみくちゃにされて空中に投げ出された。
「ぐ……ぎ、ゥ……うおおおおァァァァああああああああああああああああああああッッ!?」
『朧実くん!?』
『お兄ちゃんッッ!』
夢飼とかすみの声すら遠かった。上下左右に天国地獄もわからぬ状態のまま、俺の体が空中を凄まじい速度で吹っ飛んでいく。藁にも縋る思いで両手を伸ばすも何も掴めない。
そして気付けば――目の前に民家の壁が迫っていた。
「ぎっ……ッ。ま、ず……っッ!」
民家と言っても外壁は窯業系や金属系のサイディングにタイル、塗り壁など、頭突きをすれば確実にこっちの頭が割れる素材ばかりだ。築三十年や四十年の古い家でもそれだ。断熱機能や耐火機能を付加された新築のものならさらに硬い。農家でもない一般的な住宅街であるこの辺りでは、間違っても全身木材の家なんてない。
つまり何が言いたいかというと、激突すれば俺が死ぬってこと。
まずい。まずい、まずい。まずいまずいまずいまずいまずい!
「ど、ら……ァ、ァァァああああッッ! こんなところで、死んでたまるかああああっっッ!」
全身から嫌な汗を噴き出しながら、体重を移動させて激突の位置を絶妙に調整。さらに体を丸めて小さくなると――
つんざくようなガラスの悲鳴が全身を包む。背中に衝撃が走り、そのままフローリングの上をごろごろと転がっていく。やがてクローゼットの扉に腰を打ち付け、ようやく止まった。
「ぐ、ぎぃいいあああああああああああああッっッ! づ……! ちく、しょう……っッ」
悲鳴と絶叫、くぐもった苦悶の声は演技ではない。脳が発した電気信号が俺の体を蝕み砕き、痛めつけているからこそのもの。声を発して気を紛らわせるしかできないのだ。
それでも、硝子の残骸がまき散らされた床に手を突いて何とか立ち上がる。額の右上辺りからどろりとした赤い液体が垂れてきたので、それをぬぐって割れた窓の外を見た。
「結構飛んだけど……マジかよ、あのゲテモノとの距離が近くなってるぞ……っ」
げんなりしながら呟いていると、ザザ! と耳に付けたインカムから聞き慣れた馬鹿の声が流れ込んできた。
『おい朧実、テメエまだ生きてるか!?』
「何とかな。……それよりも、そっちはどうだ? かすみは上手くやってるか?」
『まァな。俺を誰だと思ってんだよ。大砲から九十度の位置まで来た。機銃の射程圏外だから、これで奴はどうあっても方向転換して大砲をこっちに向けるしかなくなる。準備完了だ』
「わかった。合図したらやれ。暴発の可能性は?」
『ない。てか、物体創造の夢奏だぜ? 構造なんざ必要ない。そういう機能を有したものを作ってるだけだからな』
それもそうだ。細かい部品からそれを造っているのではなく、あくまでもそういうものを創造しているのだから。要は概念を創ってると言ってもいいな。
「じゃあ、手筈通り、合図で〝レールガン〟をぶっ放せ。……予備のほうも配備してるな?」
『おォよ。それも込みで「準備完了」って言ってんだよタコ』
「タコはやめろ」
『ククッ、くはははは! いい感じに飛んでたなァ、傑作だったぜ?』
こいつ見てたのか。後で覚えてろマジで。
「夢飼、今の聞こえたか?」
『う、うんっ。それよりもあなた大丈夫なのっ? すごい勢いで飛んで行ってたけど……ッ』
「なんだ、心配してくれてるのか?」
『そ、そんなんじゃあ! なくは、ない……けど』
言葉が続くに従って声が小さくなっていった。照れてんのかな……。わかんねえ。はっきり喋れよ。言ったらめんどくさそうだから言わねえけど。
「はっきり喋れよ」
あ、言っちゃった。
『ちょっ! なによもう!』
まあ怒らせるためにわざと言ったんだけどな。
『だいたいこっちは心配してるっていうのに――』
「ああ、ありがとうな――暖色パンツ」
『暖色パンツってなにッ? まさかあだ名じゃないわよね!?』
「うるさい。それよりも夢飼、スペアレールガンのところへ行け」
ううぅぅぅううううう! と悔しそうな声が聞こえるが無視した。
「ただ、そこは機銃の射程範囲内だから絶対に撃つなよ。フリじゃないからな。絶対に撃つなよ? もう一度言うぞ、絶対に撃つなよ?」
『フリにしか聞こえないわよバカっっっ! ていうか張りぼてだから撃てないし!』
近い位置にいた夢飼の無事が確認できたところで行動開始だ。
二階から飛び降りれば普通に足を折る可能性があるので行儀よく一階に降り、鍵を開けて外に出る。それから遮蔽物に身を隠しながら街を駆けて、俺もスペアの元へと走った。
「はっ、はぁッ! ぐ……っ、ッ……いるな」
「朧実くん!」
「今だ飛浮――やれッ!」
先にスペアの元へ辿り着いていた夢飼を視界に入れるや、インカムのスイッチを入れて俺はそう叫んでいた。
その三秒後のことだった。
数キロ離れた場所からここまで届く砲撃音があった。
轟音が響き渡ったときにはすでに、ルンバの側面に巨大な紅蓮の花が咲いていた。装甲が剥離し、機銃が微塵に砕け散り、火花と電気が苦しむ蛇のように踊り狂っている。
そして、そのルンバ自身にも変化が起こる。己を破壊し得る敵性個体を蒸発させんと、ぎちぎちぎちぎち、歪な音を撒き散らしながら、地面に穿たれた円筒が引き抜かれていく。マントルまで突き抜けているがゆえ、その長さは想像を絶するものであるはずだが、巻き戻す速度もまた相当なため、そこまで時間はかからないだろう。
「行けぇえッ、かすみィイイイイイイイイッ!」
だから――ここだ。
ここで決める。たった一度、ほんの一瞬。ここでかすみを奴の懐へと潜り込ませ、決定的な矛盾を叩き込んでやるッ!
俺の叫びがインカムを通してかすみへと届いたのだろう、本物のレールガンが設置されている場所から、合成ゴム製の側壁を四方から垂れ下げた、サーフボードにも似た長方形の板の上に乗るかすみが凄まじい速度で飛び出した。
「ホバークラフト――エアクッション艇と同じ原理で疾走するサーフボードだ。操縦はクソむずいけど、かすみは車が全然走ってない『冥界』をこれで爆走するのが大好きなんだよなあ」
整備された道を風を切って突き進み、最短ルートでルンバの真下へと突っ込んでいく。
ようやくボウリング装置を回収し切ったルンバが、四つの駆動球体を回転させて近づくかすみを砲口で捉えんと方向転換をする。――その間、機銃は不気味に蠢くだけで、一度として火を噴くことはなかった。
「決まりだ」
「何が……?」
「何でもねえ」
僅かだがかすみのほうが速い。この調子だと、あと一分も経たずにかすみが奴の懐に入り込み、余裕をもって準備を整え、勝利の時を待てるだろう。
俺たちの勝ちだ――そう確信した直後のことだった。
俺が慢心・油断したからと言って、戦局が変わることはなかっただろう。かすみは依然凄まじい集中力を維持したまま道路を滑空しているし、俺も余計なことを言っていない。
だからこれは、ルンバの機能が俺たちより上だっただけの話だった。
まだ、半分も角度は変わっていなかった。
それでも。
躊躇なく、円筒を地面に突き刺した。
先の貫通位置から少し離れた場所だった。突き入れられた円筒はマトリョーシカのように地中でその距離を伸ばしているのか、ほんの数秒でマントルの最上部であるかんらん石の層のマグマに接触。夢奏による特殊な方式でマグマのエネルギーを大砲の動力に変換し――
「だめ、だ。かすみ……戻れぇぇぇえええええええええええええええええええええええッッ!」
絶叫は、大気を砕く砲撃音に掻き消された。異変に気付いたかすみが急いで方向を転換しようとするも、圧倒的に遅すぎる。
音速超過で放たれた、人間よりも巨大な弾頭がソニックブームを起こし、世界を揺らした。
衝撃波と爆風が、大気を空間を世界を叩き、かすみの背中を叩いた。ホバークラフトによる揚陸風など塵芥に思えるほどの暴風が吹き荒れる。
空高く舞い上がったかすみの体は、不幸中の幸いと言うべきか、ほとんど標高が変わらないビルの屋上に落ちた。あの様子ならば即死はしていないだろう。ただし意識があるかどうかは微妙だ。ショックで気絶している可能性は大いにある。
遠方で馬鹿デカイ火球が街を食っていた。1350年の歴史ある街が火に沈むが――んなこた、心底どうでもいい。それよりもかすみが殺されかけた。……あの、ガラクタ野郎、ふ――
「――ッざけやがってェェェェええええええッッッ! 誰に手を出したかわかってるのかクソ野郎っっ! 今すぐスクラップにしてやらァァァァああああああああああああああああッッ!」
柄にもなく声を荒げている自覚はある。こんなのは俺のキャラじゃねえことも理解してる。
けど、ここは。
ここだけは――
生まれた時から一緒だった、大切で切り離すことのできないたった一人だけの家族に。
朧実かすみに決定的な死が迫ることだけは、絶対に許すわけにはいかない。
足元から土を噛む音が聞こえてくる。ザリ、ザリ、ザリ、と。死へ向かう音がする。
頭では、理性では、本能では、わかっている。このまま奴に近づき、進むことは得策ではない。虚霞すら発動しないまま、馬鹿正直に立ち向かったところで叩き潰される。
だが、そうじゃねえ。そういう問題じゃねえんだよ。
朧実かすみを失うわけにはいかない。それどころか、彼女に死の矛先が向けられることそのものがまず許せない。心が、許さない。
俺が彼女を差し向けたことはわかっている。死地に送ったのは俺だ。
だからその償いは後でたっぷりと受けてやる。飛浮の刀でめった刺しにしてくれたって構わない。夢飼の海水で溺れさせてくれてもいい。あるいは、かすみ自身が俺を拷問にかけるか。
どれでもいいし、何より今はどうでもいい。
まずは奴を潰す。あれを壊す。徹底的に痛めつけて、かすみを取り戻す。
「ォ、おおッ……ああぁぁああああ……っ!」
ぶっ飛ばされた時に刻まれた傷から激痛が発されるが、どうでもいい。俺の命は二の次だ。
まずは、かすみを――ッッッ!
「大丈夫よ、落ち着いて?」
その時、白熱し、死へと一本の線に集約されていた俺の景色が、まるで水平線を前にしたかのように広がった。
優しく肩を包む華奢な細腕に暖かさで、かえって脳の熱が冷めていく。
ふわりと後ろから漂ってくる女の子の匂いが、凝り固まり、緊張していた俺の全身をほぐしていく。
そして――
「まだかすみちゃんは死んでない。あそこなら、まだ彼女は生きてる」
耳元で囁かれる甘い声が、冷めていた俺の心に暖かい風を吹き込んでいた。
「落ち着いて。焦って、怒って、突っ込んだって、あれには勝てない。そうでしょ?」
「…………っ、ああ。そうだった」
その暖かさは、いつか出会った彼女のそれととても良く似ていて、だけどどこか違った。
あの少女とは違う。そう――違う。
年上の、あの『姉ちゃん』ではない。
そうだ、これは。
「夢飼、……っ」
「そうよ、あたし。あなたにさっき励まされた、夢飼海奈よ」
このぬくもりは、彼女しか持っていないものだ。この優しさも、この匂いも、この感触も。全て、この世界で出会って、一緒に冒険をして、繋がりを得た夢飼にしかないものだ。
記憶がないだとか、思い出を忘れているだとか、見た目が昔のままだとか、口調が少し違うとか、雰囲気が異なっているだとか。
そんなことは……どうでもいい。
「大丈夫。落ち着いて。あなたならできる。朧実幻冶くん……えっちでふざけてて、何より――嘘つき。そんな駄目な人だけど。でも、それでも……あなたなら。幻冶くん(・・・・)ならあんな兵器にだって勝てるって信じてる」
だけど結局、こういうところは似ている。
俺を勇気づけてくれるところとか、他にも何だかんだポンコツでドジなところとか。
「……っ」
応えないと、いけない。こんなところで取り乱して、全部を台無しにするわけにはいかない。
かすみを助ける。夢飼も守る。
「……ついて来てくれ、夢飼」
まだ時間はある。策も残っている。奴をぶっ潰す、そのための細い糸は残っている。
「一緒に戦ってくれ。お前の力を、貸してほしいんだ」
☆ ☆ ☆
円盤側部に取り付けられた大量の機銃は蠢くだけで、やはり一度として弾丸を吐き出さなかった。やはりあれには射撃機能は備わっていないか。かすみが近付いていた時に一度として掃射しなかったことから予測できた。ただ……ではなぜ今その機銃が動いているのかだが、
「あれは全部カメラだ」
その答えを、俺は機銃の不気味な動きとルンバの外観から予測していた。
「そもそもからしておかしかった。最初に一撃……大型スーパーをぶっ壊して俺たちの前に現れてから、駐車場にいる兵士たちをぶっ殺す一撃目から」
あの時ルンバは、駐車場で逃げ切れなくなった兵士たちにそう遠くない位置から砲弾をぶち込んで殲滅していた。
一見してみれば単なるオーバーキルに思えるが、冷静に考えればおかしいことだらけだ。
あの一幕より以前、俺は銃声と戦車の駆動音のようなものを聞いていた。あれはルンバと戦っていた兵士たちのカービン銃と、あのルンバ自身の音だった。
この結論自体は誰にでも導ける類のものだ。しかし、冷静に考えればわかることがある。
「あの兵士たちを殺すのに時間かけすぎだろ。これはどう考えてもおかしい。デカイ大砲なんざ使わなくても、機銃を十秒乱射すればあいつらは死んでいたはずだ」
この情報からでも、少なくとも機銃は使えない、ただの張りぼてだとわかる。
そして奴らを殺すのが遅かったことを思い出せば、さらにわかることがある。つまり――
「ルンバには高感度センサーなんてないんだ。赤外線センサーも、動体センサーも、音響探査も何もない。せいぜいがどこかに取り付けられたカメラの映像で判断するくらいだろうさ」
そして、あの円盤にカメラらしき突起はどこにもない。さすがに円盤側部に埋め込まれている可能性もあるが、今はそんなことは問題ではない。重要なことは、あくまでも『高感度センサーが存在しないこと』。当たり前のカメラの映像でしか敵を捕捉できないこと。つまり死角があり、かつ感度も標準レベルであるということ。
それを裏付けてくれるのが二発目。俺に当たらなかった一発だ。あんな長射程の砲撃で、捕捉した敵に砲撃が当たらないなんてことがあるだろうか。まあ、ないだろうな。俺を痛めつけて弄ぶためという可能性がなくもないが、もしそうならその油断を突いてやるだけ。
夢飼を伴って蔦に侵略された街の中を走り抜ける。物陰に隠れることもせず、全速力である場所へ向かう。――俺が四人の軍人をのした場所だ。
「ここだ」
「ここ……? でも、何もないわよっ」
「いや、この近くに……いたっ」
少し離れたところの物陰に、俺が気絶させて安置した兵士たちが転がっていた。爆心地からの暴風によりある程度は吹き飛ばされたのだろうが、砲撃のソニックブームの影響が小さく済んだためか、そう遠くない場所で眠っているままだった。
目的は四人のうちの一人、その装備だった。
「ルンバには大したセンサーや人工知能は使われていないと見るべきだ。俺を仕留められなかったこと、未だにかすみを見つけられず砲撃を行っていないことからもわかる。さらに、脅威判定における優先順位の決定システムも、装備や火力を鑑みて判断するんじゃなくて、『攻撃を受けたものへの反撃』『カメラでとらえたものの迎撃』みたいな単純なアルゴリズムしか使われていない。だから、この携行ミサイルでまずは注意を引く」
さらに他の四人の軍服のポケットをまさぐり、小さな鍵を拝借した。そいつをポケットに入れ、呆ける夢飼の手を引きながら、俺はさらにある場所へ向かう。
もう一方に関しては、まだ原形を留めているかどうか微妙なところだったが――無事か。
「これ、バイク……?」
「ああ。しっかり捕まっていろよ、夢飼」
鍵を差し込み魂と熱をぶち込むようにそいつを捻った。肉食獣の雄叫びのような重低音が叫びを上げ、エンジンが高らかに己が舞台の幕開けを告げる。
「乗れ――ぶっ放す」
携行ミサイルを肩で担ぎ、照準を奴の大砲に合わせる。馬鹿みたいな横っ面に特大のストレートをぶち込む。
シュボッ! という真空チルドを開けたような音が耳元で鳴り響くや、ミサイルを捨ててシートに跨った。夢飼の両腕が俺の腰に巻き付き――そして躊躇なくアクセルを全開に捻る。ピストンがハイオクを圧縮し――点火。爆発的な加速感が俺たちの全身を包んだ。
「ちょっ、いや、あ。あっ、あわわわッ! いやぁぁあああああああああああああっっッ!?」
真後ろから夢飼の悲鳴が聞こえてくるが反応を返さない。圧倒的無視。
地対空ミサイルが白煙の尾を引きながら大砲を急襲し、レールガンほどではないが真っ赤な花を装甲に咲かせた。
当たり前だが、こんなもんであいつをぶっ壊せるとは思っていない。だが――奴の注意をこちらに引くことはできる。
狙いは外れなかった。おつむの足りない木偶の坊は、殴られた方向へ馬鹿正直に体の向きを変えるため、ぎちぎちと不吉な音を撒き散らせ、マントルまで突き刺した円筒の回収を始めた。
「ちょっ! あの、幻冶くん!? 早いよ、早い早い早い! 速いじゃなくて早い! これじゃあさっきみたいに大砲の風で吹き飛ばされちゃう!」
「出来損ないの言葉遊びやめろ。お前はラノベ作家志望か?」
冷や汗を流しながら、しかしエンジンを握る手を緩めない。まだ加速する。爆速で道路を突き抜けながら、遥か彼方にあったルンバまでどんどん距離を詰めていく。近づくにつれてその威容が俺たちを圧倒するが――関係ない。俺たちの勝ちは、半ば決まってる。
ルンバが円筒を回収し終えた。機体下部にある四つの球体が回転し、人を百回殺して余りある大火力を有する大砲の余波で俺たちを仕留めるべく、体の向きを変え――やがて止まった。
「――ッ」
「幻冶くん! だめ、もう……!」
いいや、大丈夫。安心しろ。こんなところで俺たちは負けない。
円盤下部の中心から、マントルへ向けて発展型地熱発電装置の要である円筒が音速超過で解き放たれた。
瓦礫が四方へ飛ぶ。爆風が軍用バイクを押し戻し、バランスを崩さんと狡猾に獰猛に笑った。
その瞬間、俺は叫んでいた。
インカムに声を流したわけではない。
どこにいるかもわからない。
声が聞こえるわけがない。
それでも、叫んだ。
「――――飛浮ィィィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!」
俺の声が聞こえたわけでは、絶対にない。
それでも、あの馬鹿は。
俺の唯一無二の悪友は、俺を信じて、俺を理解して、俺の求めと期待に応えた。
ルンバの真後ろにあったオフィスビルの窓から、五本の軍刀が飛び出した。
ちっぽけな一撃だ。巨人よりも遥かに巨大な魔獣の如き制圧兵器からしてみれば、蚊に刺されたようなささやかな抵抗でしかない。
だが、たとえどれだけささやかな一撃であろうとも、攻撃を受ければ反撃をしなければならず――馬鹿正直に円筒が回収される。方向を転換する。
それが、致命的な遅れになった。
俺と夢飼の二人は、すでにお前の股の下に潜り込んでるぞ、スクラップ野郎。
景色が変わる。中天に上っていた真冬の陽光が巨大な構造物に遮られ、代わりに下部に取り付けられていた十数個の光点だけが空間を照らす。
あの光は――
「ねえ、あれ……っ」
後部座席に跨りながら天を仰ぐようにルンバの下部を見上げていた夢飼が、喉を鳴らして戦慄しながらこう言った。
「あれ、まさかカメラ……!? あたしたち、もしかして見つかったんじゃあ――」
全てを言う間もなく、それは来た。吐き出される銃弾。耳を叩く大音響。景色が黄金色の雨と舞い上がる粉塵に覆い尽くされて、俺たちの道は途絶えた。
「「――まあ、嘘だけどさあっ!」」
その粉塵とは全く異なる方向から、俺たちは円の中心へと一直線に駆け抜ける。
「保険かけといて良かったぜ」
「機械も騙せるのね、それ……」
円盤側面の機銃がダミーでも、弱点になるその下がどうなのかはわからなかった。というか、ここだけは楽観視しなかった。
最後の保険。機械の目すら騙して、土壇場での逆転も反撃もひらりと躱して嘲笑う。
それこそ俺の『虚霞』の真価だから。
そして、目標まであと十メートルもない。円筒は今にも地を穿たんと、解放される時を今か今かと待ち焦がれている。
「夢飼」
「うん」
「チャンスは一度だ」
「ええ。わかってる」
「できるか?」
「絶対にやる」
「任せた」
「任せて」
そして。
「――『海築』」
交錯の瞬間、夢飼が海水の創造範囲を円柱状に設定した。――ちょうど、円筒を覆うように。
結論から言って、彼女の海水は創造されなかった。
海水が創造されようとしたその空間に異物が紛れ込んだからだ。
無から有を生み出す物体創造型の夢奏の弊害、欠点――創造設定空間内に固体あるいは液体が混合してしまった場合、質量や体積、エネルギーなどのバランスが崩れ――暴発を起こす。
音速を超えて射出された円筒は、異物そのものだった。暴発の、中心にあった。
そして――大気の超速燃焼とは異なる、物理的説明が不可能な爆発が巻き起こった。
被造物たる円筒は色とりどりのガラス片の如く三角形の欠片に砕け散り、ステンドグラスのように四方八方へ舞い散った。夢飼の海水もまた、シャボン玉の如く弾け飛んで空気に溶ける。
「ぐぅう、う……おおおおおおおぁぁぁああああああああああああああああああああっ!?」
「きゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
爆風――と呼んでいいのかわからない――に吹き飛ばされて、大型バイクの上から二人まとめて投げ出される。体の制御がままならない中、必死に手を伸ばす。
どこにいるのかわからない、近くにいるとは思えない。それでも、諦めずに、手を伸ばす。
「届け――」
そして、がむしゃらに伸ばした手が、
「と、どォォォけェェぇぇえええええええええええええええええええええええええええッッ!」
夢飼海奈の小さな手を、がっしりと掴んだ。
「幻冶、くん……っ!」
「離すなよ……ッッ」
空中で踏ん張りも効かない中、必死に銀髪の少女の体を引き寄せる。腕の届く位置まで来たら、彼女だけでも守るために地面から守るようにその体を抱きしめた。
地面が近付く。速度的に考えれば、叩き付けられれば確実に死ぬだろう。よしんばそこで一命を取り留めても、少し遠くに見えるビルの壁に激突すればもう逃げられない。
「ちく、しょう……ッ」
どうする、どうする? ここで死ねばかすみを一人にしてしまう。だが、夢飼を盾にするのはなしだ。女子を盾にして自分の命を守るだなんて、男として終わってる。嘘つきにだってそれなりの意地も矜持もあるんだよ、くそったれが。
「く、そ……がッッ」
敗北を前に歯噛みしたその瞬間のことだった。
「お兄ちゃん、海奈さん! 勝利の女神の到着だよおーっ!」
「かすみぃぃぃぃいいいいいいい! 愛してるぞぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
俺が感謝と愛の叫びを実妹へと叫び上げた直後だった。
強固なアスファルトに叩き付けられるはずだった俺の体を、柔らかな羽毛のクッションが抱き留めた。ぼふぅ……っ、という優しい音が耳朶を叩き、ふんわりとした感触に全身が包まれる。ほんの数瞬、時間がゆっくりと流れて――やがて勢いが止まった。
無事を理解した俺たちは、しばらく無言で向かい合うと、やがて噴き出した。
「はははっ、あはははははは! すごい顔よ、幻冶くんっ」
「くはは、はは……ほっといてくれ。マジで死ぬかと思ったんだから。……それよりも、見ようぜ、俺たち四人でぶっ倒したお掃除ロボの末路をさ」
手を繋ぎながらクッションから這い出た俺たちは、吹っ飛んできた方向へ視線をやる。
マントルボウリング式の発展型地熱発電により電力を確保し、己が動力としていた超巨大兵器――通称ルンバ――は、構造を支え、存在の核でもあった『夢奏』により創造された円筒を木っ端微塵に破壊されたことで、無視できない致命的な矛盾を思い出し、円筒格納部を中心に分解されていった。飾りの機銃や街一つをぶっ飛ばす大砲、装甲などがばらばらと剥離していく様は、魔法の解けた石榑の巨人を想像させた。
「勝ったね」
「まあ、一応な」
ぶわり。ひときわ大きな風が俺たちを煽った。二人の髪が舞い上がり、土まみれの顔を晒す。
「酷い顔だな」
「その一言が酷いからね?」
「おにいーちゃぁーん! 勝った、勝った勝った勝ったよー!」
夢飼のツッコミにヘラヘラ笑っていると、後ろからかすみに抱き着かれた。
「うへへへぇー、久しぶりのお兄ちゃん熱だぁ。ふへへ。ふへっ」
「っと……危ねえなあ。けどま、かすみ、よくやったよ。無事でほんとに良かった」
「ふへへへぇ、褒めて褒めて。もっともっと、もっと褒めて!」
「すごいすごい」
だらしない笑みを浮かべ、よだれまで垂らして首筋に顔を押し付けてくる頭を撫でていると、ふと思い出したかのようにかすみは夢飼へと視線を向けた。いや、その前によだれ、よだれっ!
「海奈さんもお疲れ様です。カッコ良かったですよ? 業腹ですけど。とてもとても、とてーも業腹ですが、お兄ちゃんとのコンビプレイはすごく似合ってました。めっちゃムカつくというか、ほんと全く納得できないんですけど、まあ認めてあげましょう。あなたを――」
「あなたを……?」
「あなたを――わたしたち兄妹の、後見人兼、身元保証人にすることを!」
「あなた、あたしに何を背負わせる気!?」
「良かったな、これで俺たちの借金を肩代わりできるぞ」
「その年で身元保証人が必要なほどの借金ってなんなのよっ! 嫌だからね!?」
「「まあ嘘なんだけど」」
「ううううぅぅう! また騙された! この兄妹信じちゃ駄目なのに!」
「それにしてもこのルンバマンってやっぱり『THE・Mazis』とかっていうホモさんの刺客なのかなあー?」
「さあ、どうだろうな。ま、その可能性は高い」
「こんな兵器まで使うなんて……裏切られたら真っ先に刃物で追いかけそうな女よね」
「どうでしょうねー。案外弁護士を使って法律という暴力で叩き潰すのが得意かも」
この巨大兵器やらその他もろもろを考えなきゃならないせいで、色々と頭がこんがらがってきたが――今はまあ、とにかくこの勝利を喜ぶべきだろう。四人全員で成し遂げたジャイアントキリング。これ、もしかしたら軍や首都から招集掛かって特殊部隊に配属されるんじゃね? こりゃザギンでシースーも近いな。歌舞伎町で朝まで豪遊だよワッショイ。
「朧実ぃぃぃぃいいいいいいいいい! やったなおい! テメエはやっぱ最高だぜ!」
かすみと夢飼、二人の美少女と勝利を分かち合っていると、最後の一人が二人を押しのけて飛びついてきた。両手両足でがっちり俺の体をホールドし、右手はバンバン力強く俺の背中を叩きまくる。
「いだっ、おまっ男が抱き着いて……! ぐえっ。ぐほっ、ごぼふぁッッ? いでぇえっっ!」
「いやあー! テメエならやるって信じてたぜ! やっぱテメエと一緒にいたら退屈しねえッ。これからも頼むぜなあ! 次もオレを呼べよなァッ!」
「いだだだだだだだだだ! わかった! わかった、わかったからこの馬鹿力! つか俺じゃなくてもっと強い奴に着いて行けよ!」
「ははっ! テメエ以外の誰に着いて行くんだよこの鈍感野郎ーっ!」
「…………お兄ちゃん、まさホモエンドなの……?」
「別にさ、ほんとに、まったく。これっぽちも悔しくなんてないけどさ……何コレ?」
誤解だから! ウェイだからスキンシップが激しいだけ、サッカーでゴール決めた奴にチームメイトが抱き着くあれだよこれっ! 別に屋上で焼いてかない? 的なあれじゃないから!
「わたしもそろそろ腐り始めるべきなのかもしれないねー、お兄ちゃん……ははっ、ははは……」
「あたしにその覚悟はないかなあー。でもなにこれ、なんかなあ……あはははは」
「笑ってねえで助けろォォォォォおおおおオオオオオオオオオオオオっッ!」
虚しい俺の悲鳴は、やはり誰にも届くことはなかった。