はじまりのこと
旅のお供にでも、どうぞ。
「あっ、先生、町が見えましたよ!」
「ばか言え、ありゃ提灯かなんかの光じゃろ。」
「え?ありゃ、そうでございますね…。ちょいと、そこのおひと、宿場町までどんなくらいかお分かりになります?」
宿の外はもう明るい。でも昨日はずいぶん長く歩いたもの、先生はまだお休みになられてるかもしれない。
ん、と伸びをすると、着物の前がだらしなくはだけてたけど、まあいいや。まずは先生を起こそう。
「先生?もう辰の刻(午前9時ごろ)みたいですけど、まだお休みになります?」
私の隣に先生はそれはもう仕合わせそうに寝転がりなさっていたが、私の声を聞くとばだっと飛び起きた。
あーもう、先生そのまま寝たみたいね、全く宿なんだから後もしゃんとしてくれないと私がはしたなく思われるじゃない。
ごっ
「この馬鹿娘!知ってたなら早く起こせ!」
「手を上げることないじゃないですか!私だって疲れてて今起きたとこですよ!」
あともう二十四です、年増ですーと嫌みたらたらに言ってやると、先生がじろりと睨んで、四十四のおれから見りゃ子どもも子どもだとお決まりの文句を仰る。
全く、ほんとは今頃とっくに子沢山の女将の予定だったのになぁ。
「なにまだ惚けてんだ。早く支度せい。」
へいと生返事をしいしい、私たちの少ない荷物から肌着やらを取り出した。
宿の外に出ると、人々の往来はなかなかに多かった。
昨日は夜になってから着いたから、この町をちゃんと見るのは初めてだ。
意外と栄えてるかな、もっと寂れてんのかと思ってたけど。まぁ一応城下町だから、栄えてないとお殿様も大変なのかな。
最近は大名さまもずいぶん懐が寒いって聞くもの。
「お達、なにしとる、行くぞ。」
まぁお上さんの心配しても仕方ない。
先生が人混みに紛れちゃあいけない、追っつけなくなっちゃう。
先生はずかずか歩くものだから、只でさえ大変なのに。
「あれ、先生、早いですよう。」
裾をからげて小走りにして、先生の後ろにつく。
男装だと、こういうときはいいものだ。
「おめぇ、ちょいと寝ぼけてるんじゃねぇか?」
振り返りもしないで先生が仰る。その禿げ上がった頭を見ながら、平気です、とお返しする。
「ところで、先生、お店の場所お分かりになってんで?」
「この治元僧侶、戒律は忘れても友人のことは覚えとる。安心しなさい。」
何やら自信はあるらしいが、お坊様のくせして戒律やらお経はあやふやなんだから、私としちゃあ先生の覚えに信用は置けないと言いたい。
そんなのとは裏腹に先生は薬箱を揺らし揺らし、お侍みたいに歩いていく。
「んむ?妙じゃなー確かここがそうだった筈なんだがなぁ…」
私の考えは当たりだったみたいだ。
今先生は宿場町の脇に立った菓子の店の戸を叩きなすったり、中に呼びかけなすったりしている。
「先生、やっぱり間違いでは?」
「いいや、ここの筈だ。ううむ、…というか、おまえ今やっぱりって言ったろ!やっぱりとは何だ!」
仕方ない。先生はしばらくはあの調子だろうから、私も自分で探そう。
向かいの茶屋は開いているから、そこからにしよう。
「ちょいとお聞きしてよろしいで?向かいの店、閉まっている故を知っておられるかえ?」
茶屋の主人は四十過ぎらしい男だったが、精気が漲り、野次馬根性の強そうなのだった。
それへ、さも先生とは関わりのないように振る舞ってみる。
男装で、私は声も低い方だから答えてくれるかしらん、と期待した。すると、主人はちょっと意外そうな顔をした。
「あん?旅の御方かえ?そこなら、昨日に知り合い主人がくたばったのよ!」
「まあ…」
もう少し聞き出そうかと考えていると、
「何々、なんじゃとて?主人が!?」
いつ来たのか、先生が後ろに立っていた。相も変わらず足音がしないせいで近くに来ても気づけなかった。
「そうともさ。何やら…奉公人らもまったくわからんと。みなみな気味が悪いと言うて近付かれんのよ。おれの考えだと大方女にずいぶん掛けたんじゃないか…まだ若い主人だったから…」
「なにぃ?女じゃと?!十部衛にそんなことがあるものかえ!」
「主人を知ってらっしゃるのかい!人間わからんものですよ!」
先生の記憶、当たってたわ。
でもそれより先生の顔に血が上った。
止めないと面倒になるかもしれない。
「奉公人らはどこに居りますか知っておられるか?」
とりあえず口を挟んでみる。
「奉公人かい?すまねえな兄ちゃん。それは知らんのさ。和尚さんも、申し訳ないね。」
何とか事なきを得られたみたいだ、でもこの主人、これだけ詳しげに話してそれは知らんのかい。期待外れねえ。
「そうかい、ありがとう。これを受け取ってくだされ。」
こころづけを握らせ、茶屋を後にした。ううむ、困ったな。
街道に沿って先生と並んで歩いていく。
「なんじゃお達、どうするつもりだえ?」
「先生、奉公人のひとに知り合いは居るのですか?」
「さてなぁ。ずいぶん十部衛とも合っておらなんだ…そのときとはまた変わっておるかもしれないしのう。しかし奉公人がどこにいるかわからんではいかほどにも出来ないじゃろ。」
「先生、主人のお話聞いておられました?十部衛さんは昨日妙な亡くなり方したんでしたから、御用聞きのとこに行けば誰か居られるでしょう。」
先生はこういうときはふしぎな程に察しが悪い。そのおかげで私がいられるのだから直っても困るのだけれど。