1億総お風呂教化
女「おっはー」
男「…………」
女「おっはー」
男「…………」
女「なんですか!また無視ですか!」
男「普通の挨拶はできないのか」
女「おはようございます」
男「おはよう」
女「相変わらずのノリの悪さですね」
男「そりゃどうも」
女「思いません?6時や7時から始まる子供向け番組を見ていたあの頃よりも、私たちは早起きするようになってしまったなって」
男「俺は今日は朝帰りだ」
女「不良してたんですか?」
男「そんなところだ」
女「本当は深夜向けアニメですか?」
男「用があっただけだ」
女「早起きしてアニメを見てた少年は、いつしか夜更かしして深夜アニメを見て眠りにつくようになってしまったとさ……」
男「人の話を聞かないなこいつは」
/
女「もうすぐ夏休みですね」
男「そうなのか」
女「私の話じゃなくて小学生の話ですが」
男「弟でもいるのか」
女「いますが高校生です。全国の小学生の話です」
女「夏休みといえば小学生じゃないですか?友達とおでかけしたり、お家に遊びに行ったり」
男「女子小学生の夏休みの過ごし方なんて全く想像もつかない」
女「どんな風に過ごしていましたか」
男「ドッジボールとか、カードゲームとか……」
女「ええ!?カードゲーム!?その図体で!?」
男「悪いか。親からは買って貰えなかったんだが、周りの奴らにいらないカードを分けて貰った」
男「みんなが捨てたがるようなカードだから、弱いものばかりだった。だが、だからこそ上手く組み合わせて上手に勝つ方法を模索しようとした」
女「それで、勝てたんですか?」
男「全然」
女「あら」
男「やはり、強いカードを配られたものが勝つようになっている」
男「愉快な話だ。強いカードゲームのカードを手に入れるだけの環境に生きている子供は、人生でも強いカードを手にしてると言えるんだからな」
女「……あーそうですか」
男「ああ、お前はそっち側の人間だったな」
女「あなたの戦略がよくなかっただけかもしれないじゃないですか」
男「デッキ、いわばカードの束を交換してやらせてもらったことがあるんだが、別世界だったよ」
女「はぁ、人生と一緒ですね」
男「急に同調したな」
女「化粧したら今まで見向きもしてこなかった男たちが振り返ったとか、整形したら今まで見向きもしなかった男たちが振り返ったとか」
男「すまん、触れてほしくないものに触れたか」
女「別に、整形してないですし、すっぴんです」
男「なら、やはりその胸をほうきょ…のわっ!!」バシャア!!
女「それは触れてほしくないものです!」
男「触ってない!!」
女「物理の話じゃないです!」
/
女「前髪の隙間からこんなところ見てたなんて…」
男「見てない!視界に入ってくる大きさなだけだ」
女「視界に入る、だけでいいじゃないですか!」
男「女として誇りこそすれ、恥ずかしがることじゃないだろう」
女「男性に見られるのはちょっと……」
男「弾性?やはり自慢か?」
女「お湯かけますよ!」バシャ!
男「のわっ!」ゴボゴボ…
男「もうかかってる…」
女「まったく、ワニがいなくなったと思いきや、天然で下ネタ発言する象のような大柄な男が現れるんですから…」
男「それこそ天然の下ネタ発言だと気づいてるのか」
女「何がですか?」
男「いや、何でもない」
女「ワニもこんな山奥までよくやってきましたよ。女性が来るという噂でも聞きつけたんですかね」
男「火のないところに煙は立たぬ。だが、湯気あるところに男はいきりタつ」
/
女「……はい?」
男「こんな秘境まで来る金があれば、それこそいかがわしい店で遊ぶことも出来ただろう」
男「それでもやつらは混浴に来ることを選んだのだ!」
女「あの……」
男「浦島太郎は煙を浴びて老いてしまったが、ワニは湯煙によって若返ったのだ。混浴こそがやつらにとっての竜宮城だったのだ」
女「さっきから顔赤いですけど……私が来る何分前からお風呂入ってました?」
男「ワニなのに亀と出会い、自分の亀を喜ばせようとする!!」
男「こんなくだらないはなしがあるか!!」
男「はぁ…はぁ…」
女「だ、大丈夫ですか?」
男「景色がまわる……すまんがもうあがる……」ザバァ
女「あの、手貸しましょうか?」
男「不要だ……」
/
女「……いってしまった」
女「いつもいつもすぐにのぼせてあがってたけど」
女「今日はもうあがろうとしてたのに、私の話に付き合ってくれてたのかな」
女「そして」
女「お湯に浸かると酔ってしまうタイプなのかな」
女「私もカラオケに行くと酔っ払ってるみたいって言われることあるし」
女「体質の問題だからしょうがないよね……」
女「…………」
女「ぶふっ!」
女「おもしろっ!」
女「なにあれ!ちょーうけるんですけど!」
女「シラフの時にからかってやるのが楽しみだな」
女「ふふっ。やっぱり早起きは最高だな。早朝五時から、既に明日までが楽しみだな」
女「それでは、また、早朝」
/
男「…………」
女「おはようございます」
男「…………」
女「おはようございます」
男「…………」
女「おっはー!!!!」
男「聞こえてる」
女「今日は真面目な挨拶から入ったじゃないですか!」
男「昨日、俺はのぼせてからの記憶があまりない」
女「女子更衣室に入った記憶もですか!?」
男「入ってない」
女「覚えてるじゃないですか」
男「だいたい覚えている。すまん、記憶喪失のふりをしようとした」
女「私こそ記憶喪失したいという心情を読み取れずに申し訳ございません」
男「よせ」
女「いつもはああなんですか」
男「そんなことはない」
女「仲の良い男友達といるときとか」
男「下ネタくらい誰だって喋る」
女「今日はもうのぼせてませんか?」
男「さっき浸かったばっかりだ」
女「でも、自分が下ネタをうっかり女性の前で喋ってしまったことに対する恥じらいを感じるのは偉いです。10点加算です」
男「下ネタだけじゃない。のぼせると、自分の中だけにしまっているようなことをべらべら喋ってしまうんだ」
女「温泉は心も裸にするんですね」
男「綺麗にまとめてくれてありがとうよ」
/
女「何か吐かせたいことがあったら、お湯に沈めればいいんですね」
男「恐ろしいことを言うな」
女「あなたの黒歴史はそうやってつくられていったんですね」
男「黒歴史?」
女「知らないんですか?思い出すだけで暴れて死にたくなるような恥ずかしい記憶のことです」
男「複雑な感情だな。お前にはあるのか」
女「私は特にないですよ」
男「裸で韻を踏んで叫んだこと以外には、か」
バシャバシャバシャ!!!
男「いきなり水面叩いてどうした!」
女「死にたい……」
男「なるほど、これが黒歴史か」
女「罰として一つ教えてください……」
男「急に言われてもな」
女「何でもいいですから」
男「過去の自分に悪い」
女「過去は過去!今は今!」
男「よそはよそ、みたいに言うな」
男「まぁ、昔の話だが。小学生の頃に好きだった女の子がいたんだが、黒板にその子との相合傘を書かれてな」
女「それでそれで!!?」
男「食いつきがいいな」
女「どうなったんですか!?」
男「落書きをしたやつをボコボコにして、入院沙汰になり、そのことで好きな子からも避けられてしまった」
女「……………」
男「よくある小学生の喧嘩だぞ。ただ、自分の体格がいかに他人と違うか、まだ自覚がなかったんだ」
女「自覚がないのは恐ろしいですね」
男「全くだ。だから俺は酒も飲まない」
女「お風呂には浸かるけど」
男「それぐらい好きにさせてくれ」
/
女「それにしてもいいですねぇ」
男「何が」
女「恋の話ですよ!!」
女「私も幼いころからありがちな夢を見ていました。白馬に乗った王子様がいつか私を素敵な場所へ連れてってくれると」
男「新幹線の方が速度もはやいし馬より安い。車内販売もある。よかったな、王子様以上のものと出会えて」
女「そういう現実はいらないです。今日もこれから大学ですよ」
男「行きたくなかったら行かなければいいだろう」
女「そうもいかないんです。レールの上から落ちるより、レールの上を歩く面倒臭さの方がマシそうじゃないですか」
男「俺は落ちた側の人間だからな」
女「またそんなこと言って」
男「今日はもうあがる。またな」ザバァ
女「私はまだ浸かってたいです」
男「お前も新幹線に乗りにいけ」
女「違います」
男「じゃあ馬でもいいから乗ってろ」
女「女です。お前じゃなくて」
男「下半身に刺青を埋め尽くしてるような男に名前を告げるな」
女「じゃあ偽名ということで名乗っておきます。さて、あなたの偽名は?」
男「……男だ」
女「男さん。それではまた早朝」
男「ああ。また早朝」
/
女「……んん」
婆「あら、起こしちゃった?」
女「今起きようと思ってたとこ」
婆「そりゃあ寝ながらご苦労なこった」
ピピッ ピピッ
女「ほら、目覚まし」
婆「今日もはやいんだねぇ」
女「偉いでしょ。あっ、また朝ごはんおいしそう」
婆「一緒に食べようか」
/
婆「あんた、また風呂行くね?」
女「そうだよ」
婆「毎朝大変ねぇ」
女「お婆ちゃんは夜に街中のお風呂行ってるんだよね」
婆「うん」
女「毎日面倒くさくない?」
婆「週に3回くらいしかいかん」
女「毎日お風呂入りたくならない?」
婆「だったらこんなとこ住んどらん」
女「ふふっ。お風呂嫌いなら、銭湯行くのなんてますます気が重い気がするけどなぁ。それに安くないし」
女「(私は多額の仕送りで行ってるけど)」
婆「銭湯は、いろんなひとがいるからね。友達もたまに会うしねぇ」
婆「お金はあんたんとこのお父さんのようには持ってないけどね」
女「へー、そうなんだ。よくわかんないけど」
婆「あんた、最近顔にいい艶がでてるよ」
女「へへっ。温泉の成分がいいのかな。お婆ちゃんも連れてってあげよっか?」
婆「そのうち頼むよ」
女「任せといて。まぁ今はこのおいしそうなご飯をいただくとするよ。いただきまーす」
/
女「おはようございます」
男「ああ、おはよう」
女「毎日よく飽きもせずに来ますね」
男「お前には言われたくない」
女「お風呂入るのってめんどうくさくないですか?飽きないですか?生まれてからの日数と同じくらいはいってるんですよ」
男「飽きるとかいうものではないだろう。それを言ったら食事は三倍食べてることになるぞ。睡眠もだ、毎日寝てる」
女「性欲も毎日ご発散なされてる?」
男「丁寧な言葉遣いなら内容も丁寧になるわけじゃないぞ」
女「そう考えるとお風呂ってすごいですね。三大欲求に匹敵する存在かもしれません。食欲、睡眠欲、性欲、混浴」
男「混浴に限定するな」
女「韻を踏むのが好きなので」
男「知ってる」
女「せんせーい。混浴は性欲に含まれますか?」
男「バナナはおやつに含まれる」
女「今のは下ネタですか?」
男「解釈を広げるな」
/
女「お風呂って、めんどうくさいですよ。歯磨きの比ではありません。お風呂に入るついでに歯磨きはできますが、歯磨きのついでにお風呂は入れません」
男「んっ?すまん、俺の理解力が乏しいのか何を言ってるのか全くわからん」
女「毎日勉強したり、なわとびしてたら誉められるのに、お風呂に入っても誰からも誉められないんですよ?」
男「入るのが当たり前だからだろ」
女「本当困っちゃいますよ。日本には海外のように深い信仰心がないみたいに言われますけど、お風呂教は確かに存在していますよ」
女「日本人は時間に厳しいとか、空気を読みすぎとか、繊細だとか、そんなのトップレベルの人たちがそうしたがるから下にいる人も頑張っているだけです」
女「みんながみんな当たり前のように思っているのはお風呂の存在ですよ。入って当たり前。受験勉強に対してはちゃんと金属バットで学校の窓ガラスを割って全国の子どもたちは抵抗しているのに、その子達ですら毎日お風呂には入ってしまうんですよ」
女「バイクで爆音を街中に撒き散らかした不良のリーダーも、帰ったら髪の毛を濡らしてシャンプーを手につけて頭を洗い始めるんですよ?お風呂へのあまりの無抵抗さに、無気力感がわきおこって絶望しませんか?」
女「裸で座って頭をもたれさせながらごしごし洗ってる姿って、まさに何者かの存在に向かって拝んでるように見えてきませんか?」
男「お前の方がよっぽど取り憑かれているぞ。お風呂入りたくない教か何かに」
/
女「私、お風呂嫌いな子供だったんですよ。お風呂入りたくなぁいってグズグズして、お母さんに注意されてから毎日入っていたんです」
男「今じゃ想像できないな」
女「今だって根は変わりません。お風呂はいるのってめんどくさいじゃないですか。服を脱いだら寒いですし、上着を脱ぐ時に首周りの部分が唇や鼻や髪の毛にひっかかるのも嫌ですし、髪の毛や身体を洗うのも、乾かすのも大変です」
女「ましてや、基本お風呂に入るのって眠い時間帯じゃないですか。ソファに寝転びながらテレビを見てて、そのままお布団に行くのさえだるいのに。お布団に行く前に風呂に行かなきゃならんってなった日にゃあ、こりゃあもう、ガソリンスタンドの洗車のように30秒で通過できるような人洗いマシーンなんかを空想してしまうわけで」
男「確かに手間はかかるな」
女「結局、私みたいにごくごく稀な、お風呂嫌いのイレギュラーな存在は、異端審問にかけられた挙句、全身をたわしでごしごし磨かれてしまうんです」
男「そして子供時代に改心させられて、早朝に入るようになったのか」
女「今では首までどっぷり浸かってます」
/
女「猫に生まれてたらお風呂に入らなくても誰にも文句言われないのになぁって思ってました」
男「誰にも会う予定がない場合は、洗わなかったのか?」
女「それが人間の嫌なところで」
女「3日が限界だったんですよ。3日間入ってないと凄く不快な気分になってくるんです」
男「やっぱりお風呂に入りたいという気持ちは正常なんじゃないか」
女「和歌が詠まれるような時代にも、貴族は蒸し風呂のようなものに入っていたそうです。行水といって、水辺に洗いにもいってましたしね」
女「けれど、お風呂に入る文化が生まれる前の日本はどうだったんでしょうね。水は飲むものであって、浴びるものではなかった時代」
女「真冬にも冷たい水を浴びる選択肢しかなかった時代もあると思うと、私はやはり恵まれた時代に生きているんでしょう」
女「ところで、のぼせましたか?」
男「ちょうどな」
女「私はもうちょっと浸かります」
男「そうしてろ。金がもったいないからな」
女「ここは格安ですけどね」
男「混浴は無人で無料の場所であったり、管理人がボランティアでやってるようなところも多い。まぁ脱衣場もないようなところばかりだがな」
女「私、小さい頃の夢が」
男「話題がよく飛ぶな」
女「私、小さい頃に、自分がおとなになったらなりたいものは浮かばなかったんですけど、おばあちゃんになったら駄菓子屋さんのおばあちゃんになりたいって思っていたんです」
女「今は、銭湯のおばちゃんもいいかなって思っています」
男「いい暮らし感だな。お嬢様が飽きないかはわからんが」
女「まぁ、湯を求めに来る人々を毎日見守るのもいいですけど。温泉掘り当てるよりは、石油を掘り当てる人に憧れますけどね。都心にあるマンションの高いところで、人工的な七色で光る自宅のジャグジーに浸かるのもまたいいです」
女「それこそすぐに飽きちゃう気もしますが」
男「そうかもしれないな」ザバァ
女「もうちょっと引き伸ばせたらまたのぼせさせられたのに」
男「俺が食いつくような話題を提供することだな。まぁ、今日のはなかなか新鮮だった」
女「えへ、そうでした?」
男「女も綺麗好きとは限らないってわかったからな」
女「鮮度の悪さ度合いが新鮮でしたか……」
男「それではまた早朝に」
女「はい。いってらっしゃい」
男「お前もな」
/
女「おはようございます」
男「おはよう」
女「それで思い出したんですけど、アナウンサーがバラエティ番組に出ていて」
男「途中で止めてたビデオをいきなり再生したかのように話し始めたな」
女「あなたがのぼせる前に話し終えたいので」
男「それでなんだ」
女「昔見たバラエティ番組で、美人なアナウンサーが言ってた言葉が印象的でした」
女「好きな人にはお風呂に入らないでほしい」
男「入らないでほしい?」
女「私はその気持ちがわかります。お風呂に入ると、その人がなんだか薄れてしまう気がしませんか?」
女「身体を洗わずにいる方が、その人の成分がより強い気がするんです」
女「アナウンサーになるような美人で賢い人でも、こんな俗世の欲望があるんだなって、ギャップに惹かれました。そのあと野球選手と結婚したんでそこは普通なんだって勝手にがっかりしましたけど」
男「トイレから出てケツ拭かない男は嫌だろう」
女「あのー!!あのー!!」話聞いてましたか?」
男「汚いほうがいいって話じゃなかったのか?」
女「変態心がまるでわかってない」
男「俺はまともってことじゃないか」
女「これは変態ぽいな、って感覚がない人の方がよっぽど危険な変態の可能性を秘めているんですよ」
男「好きな人こそ綺麗でいる姿を思い浮かべるだろう」
女「アイドルは大きい方しないとか思っちゃってません?」
男「アイドルも大きい方はするがウォシュレット派が多数で丁寧にケツを拭き、ゲップもするが口元を隠すし、鼻水は出るが人前ではティッシュに出さないというイメージだ」
女「絶妙にまとも……。好きな人にだけ沸く特別な感情って無いんですか?」
男「それこそ好きだという気持ちだろう」
女「あっ……今ちょっとキュンときました」
男「風呂に入ってほしくないってのは、引いたりはしないが、理解もできん」
女「なんというか。その人だけ、って感じじゃないですか。3日4日入ってなければさすがに嫌ですけど」
女「一日だけ、たとえば恋人と同棲していて金曜日の夜に寝ちゃって土曜日の朝に起きた時に。起きた時の恋人がお風呂に はいってないのって、隙きだらけでいいなぁって思いません!?」
女「ううう!!この想いSNSでシェアしたい!!!」
男「お前こそのぼせていないか?」
/
女「好きな人がお風呂に入らないのいいなぁ」
男「好きな人とお風呂に入るのはどうなんだ」
女「そんなの恥ずかしいに決まってるじゃないですか!!!」
男「混浴来てる女が言うセリフか」
女「恋人と混浴に来るのはいいですけど。お家でお風呂に一緒に入るのは恥ずかしすぎますよ」
男「女心は複雑過ぎるな」
女「そもそもうちは両親が厳しいので同棲なんて状況ありえないんですけどね」
男「今時珍しいな」
女「過保護の星で生まれ育ってきたんです。今もですけど。だからこそ、なんとか一人で立とうとした私は、海外に行ったり、こうして田舎に来たり、色々試しているんです」
男「親から殴られてきた俺とは対極だな」
女「えっ……」
男「いちいち後ろめたそうな顔をするな。最初に言っただろう。俺とおまえは生きる時間が違うって」
男「それでもな、俺のことを守ろうとしてくれた人が人生で現れてくれたこともあった。それらも全部徒労でおわったけどな」
女「……怖いですが、ちょっとずつ話してほしい気もします」
女「あなたの人生がどういうものだったのか。興味本位といえばそうなんですけど」
男「名を名乗るにはまず自分からだな」
男「前いいかけてたお前の過去は何だったんだ?」
女「ワニが現れる前のことですよね。やっぱり気になってたんじゃないですか。今更話してくれだなんて」
男「俺と対極の生き方をしてきた女の人生に興味はなくはないからな」
女「うーん、刺青を入れるような、激しい過去ではありませんが。とても、無口で暗いものなんですが」
女「私、不登校だったんですよ」
男「それで?」
女「え、あの、不登校だったんです。学校に行きたくなくなって」
男「そんなもん、俺もよくさぼってたぞ」
女「ほら、これだから怖くてでかくてごつい人は……」
男「もうあがっても大丈夫か?」
女「どうぞお好きに」
男「では失礼する」ザバァ
女「本当失礼ですよ」
男「期待に答えられなくてわるかった」ザバァ
女「いいんです。たしかに、今となっては、"そんなもん"にすぎない気もしますし」
女「ちょっと気持ちが軽くなったかもしれません」
男「それならよかった」
女「それではまた早朝」
男「また早朝」
/
女「…………」
女「あなたがいつも、ここの温泉が開く時間に来てるというのはだいたいわかっています」
女「私は、あなたがすぐのぼせることに対して文句を言うわりには、いつも、少しだけ時間を遅らせて来ているんです」
女「旅は恥のかき捨てだなんて言って、実験的に何もかもをさらけ出すようなことは私はしたくありません」
女「だから、さらけ出せる部分だけをさらけ出そうと思っています」
女「混浴ですものね」
こんなことを思っている私は、やはり過去から何も学んでいないのだろうか。
目の前の人が何を抱えて生きてきたとも知らずに。
自分だけが、世界の苦しみを背負っているとでもいいたげな目で自分だけを見て。
お風呂の工事は、今週いっぱいで終わると聞いた。
お風呂に入って100数え終わるまでに。
私は、人生を許すことができるんだろうか。
プリミティブピーポーな混浴。
エインシャントシャワーな混浴。
バッタバッタと快刀乱麻の如き混浴。
激昂する混浴。
人生で感じたことのない痛みに襲われていた私の頭のなかでは。
難関私立高校を受けるために日々覚えていた言葉がぐるぐると脳裏を駆けめぐっていた気がする。
どうして混浴というワードがついたのだろう。
全ては後付けかもしれない。
最近の出来事に触発されて、あの激痛の時間に意味があったときっと思い込みたいだけなのだ。
救急車か何かが今すぐ私を助けに来てくれることを切望していた。
早く救ってくれ、という願いが叶うのは。
それから8年近く経った、今になるのかもしれない。
しかし、それは完全なるハッピーエンドとも限らない。
"希望なんて、無い"
そう納得できるのもまた、1つの安らぎに違いないのだから。
次回「本屋でトイレに行きたくなるし、お風呂でおしっこしたくなるだろ?人生、垂れ流しだ」
屈斜路湖露天風呂にいる数多の白鳥も、水面下ではバタ足をしているのでしょうか。