御使の雪の花
ハヤカワSFマガジンに投稿、選外となった作品です。
クリスマス物なので少し時季は外れますが、お楽しみ頂けたらと思います。
「おい、人助けってやつをしてみないか?」
大佐のその一言で、あたしは完成したばかりの時空間転移装置に放り込まれていた。
豪放磊落、粗にして野だが卑ではない、を地でいく大佐との付き合いは長いとはいえ、しがない副官であるあたしは、黙って従うしかない。
「転移先は、二十五年前の今日だ」
あたしはコンソールの操作をしながら、ふと漏らした。
「そういえば、今日はクリスマスですね」
「ああ」
二十五年前のクリスマスに、人生に絶望した若者がひとりいた。
若者は画学生で、精魂を傾けた作品を盗作された。
その絵はコンクールで入賞したものの、その絵が自分の作である事を訴えても、誰にも相手にされなかったそうだ。
「どうだ、死にたくなるだろ」
「だからわざわざ励ましに行くんですか?」
大佐らしいお節介ですね、といささかの揶揄を込めた視線を送ると、おうよ、と大佐が笑う。
…笑っているはずなのに、どこか泣き笑いのような、悲しげな色が灯っていた。
「新作機のテストして、ついでに人助けも出来るんだぞ」
ほらほらさっさとしろ、と背中を叩かれ、あたしは転移開始のスイッチを押した。
「うう…」
転移の際の、船酔いのような、眩暈のような感覚には、この先も慣れる事はないだろう。
あたしがナビシートで唸っている間に、大佐はてきぱきと、雪の積もり始めた森の中、木の陰の目立たない位置に、三次元投影装置を据え付けていく。
「もうそろそろ来る頃だ」
戻ってきた大佐はシートに身を沈めると、ステンレスのボトルから、仄かにウイスキーの香るアイリッシュコーヒーをカップに注いで、一息に飲み干した。
「あたしにも、それ下さい」
手渡されたカップは暖かい。転移装置の中とはいえ、ちょっとした宇宙船くらいの規模があるここは、空調も効いている。
「吹雪いてきましたね」
「ああ」
あたし達の生きる時代では、自然環境を人間に合わせて変えるのが当たり前で、吹雪などは、スキーリゾート地でもない限りお目にかかる事はない。
「ここの土地は自然主義、自然のあるがままに任せる、ってのが売りでな。それで観光で食ってる土地なんだ」
物珍しさから外を眺めていると、白い嵐の中から、ひとりの青年が姿を現した。
容姿は優れていると言って差し支えはないが、その眼差しは暗く、虚ろに彷徨っている。
…この青年を、何処かで見たような気がする。なぜか、奇妙な既視感に囚われた。会ったことなどない筈なのに。
静かすぎる森に、さくっと雪を踏みしめる微かな音が響き、ステルス機能も視覚透過機能も万全の装置内に居ても、思わず息を潜めてしまう。
彼は手近な木の根本に座り込み、酒瓶と薬瓶を取り出した。
「ちょっと!あれ自殺じゃないですか!」
「だから言ったろ、人生に絶望してるって」
「助けに来たんじゃなかったんですか!」
あたしが大佐に詰め寄っている間にも、青年は酒で薬を飲み続けたのか、木にもたれ掛かって動かなくなってしまった。
「…奴を救えるのはな」
呟いて、大佐は投影装置のスイッチを入れる。
「クリスマスの奇跡だけなんだ」
…途端、雪の積もった地面を埋め尽くす程の。
白い花が、浮かび上がった。
「きれい…」
「スノードロップだ」
花言葉は、「希望」なんだとよ。その言葉に、あたしはまじまじと大佐を見つめる。
「今日はどうしちゃったんですか?奇跡とか、花言葉とか」
うるせえ、と赤くなった大佐が、顎で青年を指し示す。
「まだ眠って間がねえし、飲んだ量もそれ程じゃねえ。叩き起こしてやれ」
手元の極低周波発生装置の周波数を、睡眠状態から覚醒させるチャンネルに合わせ、スイッチを入れると、彼の脳に揺さぶりをかける見えないさざなみが空気を揺らす。
「…?」
眠りの国から叩き出された彼は、しばらくぼうっと宙を眺めていたけれど、我に返って慌てたように周囲を見回している。
手を伸ばし花に触れると、幻影の花は崩れ、さらりとした雪にかわる。
やがて彼は、鞄からスケッチブックを取り出すと、しばし紙の上に鉛筆を走らせる。
そしてスケッチを終えると、何処か吹っ切れたような表情で、その場を去っていった。
「…彼、大丈夫でしょうか」
過去から戻ってきて、大佐の自宅でディナーをぱくつきながら、ぽつりと呟く。
大佐は黙って奥の部屋から古びたノートを持って来ると、テーブルの上に広げた。
「…日記?」
「僕は生きていける。例え絵で食べていく夢を失っても、今日の奇跡は僕の生きる理由になるだろう。楽園を追われたアダムとイブを励ましたあの花が、僕の心にある限り」
「…ふーん、諦めて欲しくないなあ」
そこまで言って、あることに気づく。
「…なんで件の青年の日記を、大佐が持ってるんですか」
ぱたりと閉じた日記帳の裏には、大佐のサイン。
「天は自ら助くる者を助く。…文句あるか」
「大佐、昔はイケメンだったんですね」
「昔は、ってなんだ。昔はって」
「まあ、良いですよ。後でスケッチブック、見せて下さいね…では、メリークリスマス」
グラスが触れ合う乾杯の音が、ちいさく響いた。