しきたり
いつもより遅く目覚めた朝、
外は暗く雨が降っているようだ。
怠くてもう一度眠りにつこうとすると携帯が鳴る。
嫌な予感がする、と思った通り声の主は愁だった。
「おはよう蓮、昨日聞き忘れてたんだけどさぁ」
電話の向こうでニヤニヤ笑っているんだろう、
楽しそうなその声に嫌悪感を抱く。
「お前、水無月家のしきたり教えた?」
その一言で愁は彼女にそのことを軽く言ったのだと察した。
また面倒なことをしやがって。
「俺はそのしきたりに従うつもりはない」
そう言ってから、また何か言われては面倒なので付け足す。
「俺たちのことはお前に関係ないだろう。口出しするな」
わざとらしい溜め息を吐いてから愁は電話を切った。
水無月家が代々守ってきたそのしきたり、
それこそが不運の始まりとも言っていい。
頭を抱えながらリビングに向かう。
もう一度寝るという考えは奴からの電話のせいで消え失せた。
リビングにはソファに座る彼女の姿があった。
俺の気配に気付いたのか、
彼女は振り向いていつもの視線をなげかける。
俺は距離を取りながら向かいに座って、
その視線を黙って受けることにした。
「昨日眠れなかったのか?」
彼女の問いかけに首をかしげる。
「どうしてそう思った?」
また思考が停止しているらしい、
彼女の唇の感触を思い出して視線をそらした。
「いつも私より早くにここにいるのに」
少し不満そうなその声にちらりと彼女の表情を窺う。
「昨日は夜遅かったからだ。
愁のやつ、早朝から晩までみっちり居やがって」
愚痴をこぼすと彼女は困ったように息を吐いてから口を開いた。
「そういえば、腹違いとか1日違いとかってなんのことだ」
あぁ、話さなくてはならないのか。
そう思いながら俺は問いに問いで返す。
「愁にしきたりのことをどれ程聞いたんだ?」
彼女は怪訝そうにしたが、何も言わずに答えた。
「ただ、しきたりのおかげでお見合い話が舞い込んでよりどりみどりだと言っていただけだ」
溜め息を吐いた俺は少しだけ、
彼女と距離をつめて話し込む体勢になった。
「水無月家は、家を継ぐために必ず後継者を残さねばならない。
だから結婚を許されて妻となれるのは男子を産んだ女だけだ」
俺の父には結婚前、母ともう一人恋人がいた。
必ず男子を産むために水無月家の男には恋人を二人作ることが義務となっていた。
そのうちの一人が男の子を産めば、
正式に妻として迎えることができる。
たとえ愛し合っていたとしても男の子を産めなければ夫婦にはなれない。
父と母は相思相愛でどうしても夫婦になりたかった。
そんな時、待ち望んだ子どもが宿った。
二人が喜んで結婚を確信したが、
その日のうちにもう一人の恋人にも命が宿ったことがわかった。
それが俺と愁。
ついに出産の日、陣痛が来たのは同時だった。
しかし、俺が先に産まれた。
その数十分もしないうちに日付がかわり、
その瞬間愁が産まれた。
たったの数分で俺たちの命運はわかれた。
両親は幸せだったかもしれない。
しかし愁の母親と愁は辛かっただろう。
そして両親も結局死んだのだ。
人の不幸の上で幸せは成り立たない。
「夫婦というより番と言った方がしっくりきそうだな、それだと」
しみじみとした口調に俺も頷く。
「俺はそれに従うつもりはない」
そう言うと彼女はすっと目を細めて微笑んだ。
まるで安堵したかのような微笑みに胸が締め付けられるように苦しくなった。
「そうか」
ただ一言そう言って、彼女はベランダの定位置に歩いていった。
昨日のキスについても、
俺の宣言についても何も言わずに。
ただ、微笑みだけを残して。