欲望
とっくに日が暮れて、空に星が瞬き出しても帰る様子のない愁にため息を吐きながら問いかける。
「帰らないで大丈夫なのか」
「帰って欲しいんだろ」
ニヤニヤしながら言う愁に、
わかっているなら早く帰れと思いつつ彼女に目を向ける。
愁の横に腰を下ろして、
その表情をつぶさに観察する彼女は俺の視線に気付かない。
「本当は泊まりたいところだけど、
家主が帰ってほしそうだら帰るよ」
言いながら立ち上がり、にっこりと笑って俺を見た。
「帰る前に、蓮と二人で話したい」
そのまま俺の手を引いて書斎に歩く愁の横顔にはもう、
先ほどの笑顔はなかった。
「なんなんだよ、さっさと帰った方がいいんじゃないのか」
今日の苛立ちのせいで口調は荒くなってしまう。
「あの子、蓮が本気じゃないならくれないかな」
静かで真剣な声が、俺の耳を貫いた。
「お前にはもう二人いるだろう」
自分の声が、自分じゃないみたいに聞こえる。
頭の中が混乱して、脳の理解が追い付かない。
「顔と体だけの馬鹿が二人、
見た目だけで選んで愛なんて無いんだよ」
愛がない、そこで俺の肩が一瞬震えた。
「俺は蝶なら愛せる、誰にも傷付けさせたりしない、
大切にするよ」
いつもみたいにニヤリともしないその姿が真剣さを表している。
「だから俺に譲ってよ」
何も言えない俺に、愁はいつもの笑みを浮かべて、
「また来るよ」
そう言って立ち去った。
呆然と立ち尽くしたままでいると、
部屋に心配そうな顔をした彼女が入ってきた。
「蓮、どうしたんだ」
彼女の顔を見たとたんに、
抑えられないほどの感情が俺を突き動かした。
彼女を壁に押し付けて、そのまま唇を重ねた。
ビクッと体を竦めた彼女を逃がさないようにその手首をつかまえて、さらに壁に押し付ける。
深く口付けると、抵抗しようとする彼女にまた苛立つ。
息もつけないほどに激しく口付けるうちに、
彼女は抵抗するのをやめた。
堪えられない声がさらに激しく口付ける引き金となった。
我を忘れたようにキスをする俺に、
一瞬離れた唇の隙間から彼女は落ち着いた声で名前を呼んだ。
その瞬間、彼女を解放して騒然とする。
俺は、今何をしていたんだろう。
苛立ちを彼女にぶつけてしまうなんて。
彼女は潤んだ瞳で、
その口許を拭いながら肩で息をしていた。
「蝶、俺は、」
紅潮した頬を隠すように俯きながら、
彼女はいつものように平静を装おうとしているようだった。
「何か言われたのだろう、それくらいわかる。
もう遅いから話はまた明日だ」
部屋に一人になっても、
あの気持ちの悪い感情の正体がわからない。
まるで自分じゃなくなったみたいに彼女の唇を貪っていた。
そんな感情を持っている自分にゾッとして、
何も考えられないように無理矢理瞳を閉じた。
彼女を檻に入れて、
閉じ込めて、
誰の目にも触れさせない。
俺以外の誰も彼女の瞳に映らせない。
ただ俺だけが彼女に触れて、
彼女と愛し合うのも俺だけだと。
そんな激しい感情が、欲望が俺のなかにあったなんて。
唇に指を触れると思い出す彼女の温もり。
そんなこともできないと馬鹿にされていた分を取り戻せたと明るくそれだけを考えて、深く眠りについた。