七戦目、八戦目:vs.門番
――三日後。
死者の園を渡り切り、アキラとナディーンは遂に魔王城に辿りついた。
「これが魔王城か……」
アキラは感慨深くも呟いた。その声には意外、という感情も混じっていたかもしれない。
魔王城と名を聞いた時はてっきり天守閣か、あるいはこちらで散見された尖塔の乱立する城塞を想像していた。
しかし、実際にあったのはひたすらに巨大な一階建ての“神殿”だった。
年季の入った、見上げるほどに巨大な神殿。正面の閉ざされた扉も壁と見紛うほどに大きい。
とはいえ、それも当然のことなのだろう。
なにせ魔王軍にはトロールからゴブリンまで身丈の違い過ぎる魔物が混在していた。階段など作りようがない。
「“西端の魔王城”……ほ、ほんとに来ちゃった……」
「なにを今さら。それとも一人で引き返すか?」
「そんなことできるわけないだろ!!」
「なら諦めろ」
「ぐぬぬ……」
なぜか悔しそうなナディーンを放置して、アキラは城の敷地内に入って行った。
崩れた城壁を超えると、その裡には水の絶えた堀と思しき巨大な溝があった。ここに水が張られていればトロールですら水没するであろう深さだ。
初見は見た目の意外さに違和感を覚えたが、防衛施設としては理に適っているのだろう。
さらに、魔王城の正面には錆びた跳ね橋が架かっていた。
巨大な掘を一息に渡す長大な橋。有事の際には鎖を巻きあげて行き来を阻む作りなのだろうが、ああも鎖が錆びてしまっては、もはや機構を動かすことは不可能だろう。
そして、門番がふたり。
「あらあら。何年ぶりのお客様かしら。それもふたり!!」
「……グルゥ」
一見して、ひどく対照的な二名だった。
跳ね橋の鎖の上に腰かけているのは、腕が翼に、足が鉤爪になっている女の魔物だった。
妖艶な、と頭につけてもいい。薄い羽毛に隠された慎ましやかな胸からくびれた腰にかけての造形には男を惑わす色香がある。
ハーピーと呼ばれる魔物だ。
対して、跳ね橋の前に鎮座するのは人身牛頭の魔物だった。
身丈は七十尺ほど。身長ではトロールに劣るが、鍛え抜かれた肉体は鋼を思わせる剛健さだ。
両手にはそれぞれ長大な斧槍。この世界では珍しい二刀流――否、二槍流だ。
こちらも、ミノタウロスと呼ばれる魔物に相違ない。
「魔王城にようこそ、人間のお客様。御用向きを聞く必要はあるかしら? ここには何もないのだけど」
「アンタらが強いと聞いて闘りに来た」
「あら、あら」
意表を突かれて、ハーピーはきょとんとした表情を浮かべ、次いでクスクスと笑いはじめた。
「聞こえたかしら、“大力”? どうやら私たちにもお迎えが来たらしいわよ」
「グゥウウ……」
「ええ、ええ!! なにせ私たちは門番。戦場に出たことはない。そんな私たちの強さを知って生きているのは“勇者”と“戦巧”、それに魔王様くらいのものだものね」
「グル……」
「そう、そうね。たとえ相手が魔王様の遣いであっても、お勤めは果たさないと、ね」
ハーピーは両手を振ってふわりと浮きあがると、ミノタウロスの肩に着地した。
そこが彼女の定位置なのだろう。なぜなら、彼女の物と思しき短弓と矢筒が吊ってある。
――“魔弓”のハーピー、“大力”のミノタウロス。
二人揃って魔王城の門番。
戦争が終結するその瞬間まで、僅か二人の侵入しか許さなかった強固なる布陣である。
「私たちは何人の侵入も許さない。戦士たちよ、剣を執りなさい」
……その二人が致命的であったことが、あるいは彼らが門番に固執する理由であるのかもしれない。
「俺は構わないが、後ろのエルフは荷物持ちだ。戦士ではない」
「なら退きなさい。けど、私の弓は四里の先まで届くわよ?」
無邪気な笑みにあからさまな脅迫を添えて“魔弓”は宣う。
彼らは戦士ではなく門番だ。その職務を遂行するためにあらゆる手段を採る。
言葉遊びで侵入者の動きを阻害できるなら安いものだろう。
「戦士でないというなら死に方を選ばせてあげる、もっとも、私の弓はともかく、“大力”の斧槍に潰されたら肉片も残らないけれど」
「……」
「それで、どうするの?」
「――こうする」
アキラは黄金造りの太刀を一挙動で引き抜き、振り向く。
直後、太刀の切っ先が無防備なナディーンの水月を貫いた。
びくり、とエルフの少女は一度震えると、その場に崩折れた。
それきりアキラは見向きもせず、静かに死地へと踏み込んでいく。
「……へえ、へえ。足手纏いはいらないってわけね」
「肉片も残らないよりはマシなのだろう?」
「それもそうね。でも、これで二対一よ」
「元よりそのつもりだ」
「あっそう。そうなのね。じゃあ――」
再度、“魔弓”が宙に飛ぶ。その足には既に短弓が番えられている。
「――屍を晒しなさい!!」
腕が翼となっている彼女たちは、空中にて足で弓を引く。
瞬時に放たれた矢は驟雨の如き速度でアキラに襲いかかる。
そして、キンと甲高い激突音が響いた。
次の瞬間には、切り落とされた矢がアキラの足元に墜落していた。
「終わりか?」
「グルゥオオオオオオオオッ!!」
アキラの問いに応えたのは、“大力”であった。
猛然と突進し、左右から轟と振るわれる斧槍。
咄嗟に跳び退るアキラを追い掛けて、岩を削るが如く連撃を猛打する。
――すなわち、ミノタウロス二槍流。世にも珍しい対軍武術である。
成程、と辛くも猛打を躱しながらアキラは納得した。
この雪崩の如き連撃は、雲霞の如く迫る軍勢を押し返すためのものなのだ、と。
一撃必殺は当然。その上で、連打によって撃破数を積み重ねる。人間にはない発想だ。
だが、ミノタウロスにはそれができる。
人間を遥かに凌駕する膂力、体躯。そしておそらくは呼吸方法も違うのだろう。いつまで経っても“大力”の攻撃が途切れない。
本来は空気の淀んだ迷宮に潜むミノタウロスは、一握りの大気で十分な活動時間を確保できる。
いわんや、清浄な大気の満ちる地上では、その動きを途切れさせる必要などないのだ。
「――チィ」
徐々に押し込まれながらも、アキラは“大力”の懐から離れなかった。
射線を遮るためだ。離れれば、“魔弓”の射撃が飛んでくる。
目の前の猛攻ですら手一杯なのに連携までされては勝ち目がない。
だが、そのとき、少年のうなじがぞくりと粟立った。
異世界に来てから何度となく感じた死の感覚。一撃が即死に繋がるこの世界でその感覚は裏切れない。
即座に打ち込まれる斧槍の横面に太刀を打ち込み、その反動で一挙に後退する。
瞬間、アキラが一瞬前までいた空間を真横から矢が通り抜けた。
「な――」
アキラが驚き、硬直したのは一瞬。
その一瞬を縫いとって、背中に矢が突き刺さった。
「ガァッ!!」
鏃が強かに肉を抉る。脳髄が沸騰するような激痛。
有り得ない。その言葉が脳裏に浮かびあがり、慌てて打ち消す。
この異世界では、有り得ないという言葉こそ有り得ない。
“魔弓”の位置は変わっていない。“大力”の後方空中。彼を盾にしつつ、敵から身を隠している。
ならば、答えはひとつしかない――曲射だ。
彼女は矢の軌道を曲げられる。それゆえの“魔弓”の二つ名。
ハーピーは本来、森に棲む。
そんな遮蔽物の多い空間で獲物をしとめるために磨かれたのが彼女たちの武だ。
――人呼んで、ハーピー流足弓術。その神髄は変幻自在の射撃にある。
「首を狙ったのだけど……仕留め損ねたのは“勇者”以来かしら」
足の鉤爪で器用に次矢を番えながら、呟き、“魔弓”がひらりと上空へ飛び上がる。
まずい。アキラには相手の狙いがわかった。
“大力”を遮蔽にした奇襲から、空中という自在な位置取りからの連射に切り替える気だ。
矢の雨に包囲されるなど、悪夢でしかない。
かといって、彼女に注力すれば、正面から猛追する“大力”に押し潰される。
アキラとミノタウロス。対人特化と対軍特化。機動力と連撃。
相性ではアキラに分があるが、それは“大力”を一時でも無視できるほどの有利ではない。
連携を崩さなければならない。一瞬でいい。それだけあれば勝負を賭けられる。
ゆえに、アキラは駆け出し――水の絶えた掘の中へと跳び込んだ。
「しまっ――」
「グルッ!?」
数秒の浮遊感。次いで、着地と同時に受け身をとって衝撃を受け流す。
その拍子に、背中に突き刺さったままの矢が肉を抉る。が、損傷は軽微。無視する。
自身の身長の五倍は超えるであろう掘に跳び込むのはかなりの勇気が要った。
師より崖から蹴り落とされる修行を受けたことが役に立った。まさか役に立つ日が訪れるとは思わなかった。
だが、稼いだ一瞬は千金に値する。
「このッ!!」
“魔弓”が腕翼で大気を叩いて追撃をかける。
そうだ。彼女は追撃しなければならない。単純な足の速さでは“大力”よりアキラが速い。追いかけられるのは彼女だけだ。
門番であるが故に彼らは侵入者を逃がすことができない。“大力”が追いつくまでの時間を“魔弓”は稼がなければならない。
そして、アキラが掘の壁に寄り添うようにして走れば、必然、彼女の射線は限定される。
左方上空。そこに姿を見せた“魔弓”に対して、アキラは急制動をかけて足を止め、太刀を構える。
直後に放たれる三条の矢。そのうちの二つは足止め狙い。皮を掠るだけで直撃はしない。
狙いは本命の一条。高速で迫るそれに、アキラの突き出した太刀が絡みつく。
火花をあげて刀身を擦り、鍔に迫る矢。
対して、アキラは受け流しから、くるりと太刀を回す。
応じて、鍔から切っ先、そして上空へ、逆回しに返された矢が上空の射手へと逆襲する。
ムラカミ流刀争術、奥ノ太刀“矢返”。
それこそは、放たれた矢の勢いを倍加して打ち返す剣の妙技である。
返された矢は、狙い違わず“魔弓”の胸を貫いた。
衝撃で矮躯がのけぞり、力強く羽ばたいていた腕翼が止まる。
その先にある結果はひとつ。すなわち、墜落。
落ちる。墜ちる。墜ちていく。
そんな彼女を受けとめたのは“大力”の大きな掌であった。
斧槍を投げ捨て、壊れ物を扱うように“魔弓”を受けとめた。
「ごめん……ごめんね……“大力”……後を任せる、わ……」
それきり沈黙したハーピーをそっと地面に横たえると、牛頭の魔物は天に向かって吼えた。
長く尾を曳くような、慟哭。
そして、“大力”は再び二振りの斧槍を手にした。
正面には掘を駆け登ったアキラが対峙している。
表情は無のまま。殺す気で戦っているのだ。罪悪感など覚える筈もない、少なくとも今はまだ。
「まだやるか?」
「――――」
「だろうな」
無言で斧槍を構える“大力”に対し、アキラも【膝切り】を脇構えにとる。
直後、両者は同時に駆け出した。
“大力”の攻撃は変わらず。両の斧槍にて猛打する対軍二槍。
対するアキラは致死の連撃を前に、臆することなく跳び込んだ。
空間ごと削り取っていくような連撃に、纏う甚平が切り刻まれ、体の端々が抉られる。
それでもアキラは止まらない。
狙うは一閃。かつて“崩山”を打ち倒した逆風の一刀。
ムラカミ流刀争術、奥ノ太刀“地擦転刀”
刹那、地から天へと駆け昇る閃光が“大力”の体を貫いた。
風がひと筋、吹き抜けた。魔王領に特有の乾いた風だ。
次いで、からん、と音を立てて“大力”の手から斧槍が零れ落ちる。
アキラは切り上げた太刀を下段に戻して残心をとった。
斬った。股下から頭上までたしかに斬り抜いた。
“大力”はまだ息があるが、それも時間の問題だろう。
「介錯はいるか?」
アキラの問いに、“大力”は静かにかぶりを振った。
雪崩のような猛攻に反して、牛頭の魔物の態度はひどくおとなしい。
「……おまえ、勝った。おれたち、通す」
そう告げて、“大力”は踵を返すと、体を引き摺りながら跳ね橋を渡り、魔王城の扉の前に立った。
壁のような巨大な扉。おそらく、アキラには重すぎて開けられないだろう。
だが、“大力”にはできる。
門番とは侵入者を阻むだけではない。認めた相手を通すこともまた門番の役目だ。
“大力”が扉に手をかけ、全身に力を込める。
鋼のような筋肉が躍動するたびに、傷口から夥しい血が流れるが、彼は構わない。
ぎしり、と軋む音。長く閉ざされたまま錆ついていた扉が、徐々に開かれていく――。
◇
「……ん、くぅ」
意識が浮上する。
ナディーンが目を開けると、どことなく心配そうな表情のアキラが目に入った。
後頭部には固い太ももの感触。
それで少女は膝枕されていることに気付いて、慌てて体を起こした。エルフにも羞恥の感情はあるのだ。
「大丈夫か?」
「やったのアンタだけどね」
「……すまない。他に手を思いつかなかった」
ナディーンが自分の体を見下ろすと、服にぱっくりと穴が開いていた。夢ではなかったらしい。
「生きてる……」
「内臓を避けて突いた。“死んだふり”にする技だ」
「ああ、うん。そんなことだろうと思ったよ。アキラが本気なら首を落とすだろうし」
「この世界の生き物は皆しぶといからな」
「褒めてるのそれ? というか……」
ナディーンはぺろりと服をめくってアキラに突かれた場所を確認する。
薄い胸と慎ましやかな臍を結んだちょうど真ん中あたりに白い傷跡が残っている。
血も流れておらず、治療は済んでいることが見て取れる。
「……ポーション使ったんだね、アキラ」
「ああ」
「自分にも使ってるよね?」
「無傷で勝てる相手ではなかった」
ナディーンは思わず溜め息を吐いた。
これで残るポーションはひとつ。対して、残る相手は――。
「アキラもそろそろ年貢の納め時かもね」
「かもしれない。……立てるか?」
「あ、うん」
ナディーンは差し出された手をとって立ち上がる。
よろめいたところを抱きとめられて、ぱっと横っ跳びに離れる。妙に優しくされるのが照れくさかった。
誤魔化すように視線を巡らせると、少女は魔王城の扉が開いていることに気がついた。
そして、扉を開いたまま動きを止めた牛頭の魔物にも、気がついた。
最後まで門番の任を全うしたその姿に、不思議と少女の胸にこみあげるものがあった。
「行くぞ、ナディ」
「……うん」
そうして、二人の姿が魔王城の中に消えていく。
――残るはあと“二人”。