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序幕:時代の遺物

 冬の神社は吐く息も白く、正午を過ぎてなお身を切るような冷たさが吹き抜ける。


 かの居合の開祖、林崎甚助は天より極意を与えられた礼として、一日に千本の技を奉納したという。

 三百年前の古流開祖に倣い、アキラも神社の境内で千本の技を抜くことにした。

 日の出と共に抜き始めて、無心に繰り返すこと千度。おおよそ四刻(8時間)ほどかかった。

 千本目を抜き終え、神前に礼をする。

 石畳に正座した己の前へ鞘に入れた太刀を揃え、頭を下げる。

 不調法にも、息が整えられない。冬の最中だというのに全身は火傷したかと思うほど熱く、足元にできた汗の水たまりは今にも凍りつきそうだ。

 一方で、これを毎日続けていれば、必ず上達するだろうという確信が心中にはあった。

 人の四倍稽古しろ。それが師の最たる教えだったからだ。

 数こそが基礎、数こそが工夫。その点は弟子であるアキラも否やはなかった。


「……」


 もっとも、鍛えてどうなる、という命題に答えは出なかった。

 村上アキラは人斬りである。少なくとも、そうなるよう育てられた。

 だが、彼が斬った人間はひとりだけ――彼を育てた師だけであった。


 物心ついたとき、老齢の師は既に狂していた。

 親も知らぬ孤児を拾い、名づけ、育て、その先に何を見ていたのか。

 アキラと名付けられた時代遅れの人斬りにはわからなかった。

 廃刀令が公布されて早二年。もはや剣士の生きる世ではない。

 師にはおそらく大義があった。だが、アキラはそれを継ぐことができなかった。

 少年に遺されたのはその名と技と、“膝切り”の銘を持つ黄金造りの古太刀だけであった。



 だからこそ、それはまさしく天佑だったのだろう。



 神前から頭をあげたアキラは、目の前に“何か”がいるのを見て取った。


「――ッ!!」


 思考よりも先にざっぱと立ち上がり、太刀を抜いて構える。

 即座に斬りかからなかったのはこれまでの経験から学んだためだ。

 師と山奥に引っ込んでいた間も、時折、人智の外に存在する者に出くわすことがあった。

 人間大の蜘蛛に斬りかかったと思ったら石灯篭だった、という経験は忘れようにも忘れられない。


「……」


 “何か”の姿は靄がかかって判然としない。

 化生けしょうか、あるいは経立ふったちの類かとアキラは思料した。

 少なくとも、尋常のものではない。


(困った。やはり斬るべきか?)


 下手に声をかけて黄泉路に誘われては堪ったものではない。

 幸い、手元にある膝切りは化生退治の逸話に事欠かない名刀だ。死なば諸共の気合で斬りかかれば手傷くらいは負わせられるだろう。

 そう考え、アキラが踏み込まんとした瞬間、黒い靄が解けるようにして人の形をとった。

 大柄で、しかし年老いた男の姿だ。顔に刻まれた皺は深く、おまけに全身に血の滲んだ刀傷を負っている。

 致命傷だ。一見して、余命幾ばくも無いのは明らかだ。

 手負いと侮るなかれ。無策で踏み込めば返り討ちにされる。

 そんな相反する二つの感情をアキラは抱いた。


『……みつけた。次代の魔王よ』


 そのとき、しわがれた、しかしよく通る声がアキラの耳朶を叩いた。

 言葉が通じるのならばと、少年は太刀の切っ先を下ろし、話を聞く体勢に入った。


「魔王? 鞍馬の尊天か何かか?」

『頼みがある』

「話を聞け、ご老体」


 アキラを無視して、老人がつと手を振ると、虚空に絵が映し出された。

 絵は十個、それぞれが人物――アキラの目には妖怪にしか見えない者が大半だったが――が精緻に描かれていた。


『“崩山”、“雑刀”、“鮮血”、“白蹄”、“隻眼”――――』


 老人は絵に映る一人一人を指差し、名を呼んだ。

 声音に籠る愛おしさ、悔しさ、懐かしさ――アキラは遺言を聞いているような心地がした。


『――この“十人”を斬ってほしい』

「そいつらは強いのか?」

『強い。我が配下、我が敵手の違いはあれど、いずれ劣らぬ強者である』

「おのれの配下を斬らせるのか。えっと、先代魔王、でいいのか?」

『戦う相手のいない戦士ほど哀れなものはない』

「……」

『戦乱の世は終わった。新たな時代に戦士の居場所はない』

「…………」


 老人姿をした何か――先代魔王の言葉が指すはこの世のことではないと、アキラも察しがついた。

 しかし、そこに籠められた悔恨の念は、おのれの胸にも刺さるものだった。

 図らずも、胸に開いた不可視の傷からドロドロと熔鉄が流れ出す。

 時代に反すると秘めていた想いが、溢れだしていく。


『我らは亡霊だ。だが、まだ死んではいない。死んではいないのだ』

「……ああ、そうだ。俺たちはまだ生きている」


 何もわからない。何も知らない。それでも共感があった。同じ無念を抱いているのだとわかった。

 だから、アキラは頷いた。

 このまま朽ちるだけだったおのれに、何かしらの意味を与えられるのだと思えば、拒む理由はなかった。


『三日後の満月の夜。おぬしは別の世界へと跳ぶ。誰ぞに別れを告げるなら今の内にせよ』

「そんな相手はいないさ。ところで――」


 そのとき、アキラは太刀を改めて構えると、さっぱりとした笑みを浮かべた。


「折角出会ったんだ。一戦()つのが礼儀じゃないのか、先代さんよ」

『――――』


 その時初めて、老人は皺に覆われた目を大きく見開いた。

 驚き、次いで、にっかりと獰猛な笑みを老いた口元に浮かべてみせた。


『よかろう。いざ――』

「――参る!!」


 その一戦の結末を見た者はいない。

 ただ、三日後、アキラが異世界の地に立ったことだけは確かだった。


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