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四戦目:vs.セントール

「聞いたか、ヴァンパイアの領地で暴動があったんだってさ」

「ああ。当の領主も消えたっていうし、酷い話だ」

「北の亜狄どもといい人の領土で好き勝手しやがって……」


 昼の市場はその華やかな喧騒と裏腹に、あちこちで不穏なうわさ話が行き交っている。

 人ごみを掻き分けながら、思わずナディーンはフードの下で表情を硬くした。


「大丈夫。バレてないバレてない……」

「逆に怪しいぞ、ナディ」

「なんでアンタはそんなに堂々としてるんだよ!!」


 小声で怒鳴るという器用なことをしながら、エルフの少女は涙目で一応の主を睨んだ。

 当の本人は適当な露店で買った肉串を手に、興味深げに匂いを嗅ぐばかりで気にした様子もない。

 じっくりと炙られた肉からは、したたる脂の香りがナディーンのもとまで漂ってきている。

 少女はごくりと唾を飲み込み、次いでかぶりを振って肉の誘惑を退けた。話はまだ終わっていないのだ。


「な、なあ、もしかして、ボクが知らないだけでバレない理由とかあるの?」


 問われたアキラは串をくわえたままきょとんとした。

 まるで、何が問題なのかと言いたげな表情だった。


「バレても困らないだろう。それとも、なにか不都合があるのか?」

「訊いたボクが馬鹿だったよ……」


 ナディーンはついに頭を抱えてうずくまってしまった。

 たとえ指名手配されたとしても、このおいしそうに肉串に食らいついているバトルマニアにとってはおかわりが勝手にでてくる程度の認識なのだ。


「命がいくつあっても足りないよぉ……」


 今にも泣き出しそうなナディーンの表情に、アキラもさすがに悪いと思ったのか、バツの悪い顔をして残った肉串を差し出した。


「次から気を付ける。俺もあと七人斬らないといけないしな」

「……七人? ずいぶん具体的だね」


 どうにか気を取り直した少女は尋ねつつ、手渡された肉串の残りに歯を立てた。やはり肉の誘惑には勝てなかった。

 歯を立てた途端、微かなハーブの香りと香辛料の効いた鶏肉の味が多幸感と共に口内を占める。

 最近、自分がエルフであることを忘れてきているナディーンであった。


「先代との契約で“十人”を斬ることになってる」

「先代?」

「俺のひとつ前の奴だ」

「馬鹿にするな。意味がわからなかったわけじゃないよ。……で、その“十人”にあの風変わりなゴブリンとか、吸血鬼の領主も含まれてるんだよな? どういう基準で選ばれたんだ?」

「知らない。俺はそいつらが強いとしか聞いてない」

「だと思ったよ……で、次の相手は?」


 食べ終わってしまった串を名残惜しそうにするナディーンには答えず、アキラは視線をひとつの露店に向けていた。

 視線に気づいた店主がいぶかしげな表情でアキラを見返す。


「どうした坊主? 注文か?」

「セントール、ひとり」

「はあ?」

「アキラ? 何言ってんだよ?」


「――次の相手はセントールだ」


 瞬間、露店の屋根を跳び越えて複数の馬影が市場に降り立った。


「亜狄が来たぞおおお!!」


 遅れて、危機感を煽る声と襲撃を告げる鐘がけたたましく響く。

 取るものも取り敢えず逃げ出す市民たちで、あっという間に市場はパニックに陥った。


 その中を、半人半馬の騎影が駆け抜ける。亜人のひとつ、セントールだ。

 人ごみの中をするすると泳ぐような疾走。

 生まれながらの人馬一体たる彼らは混乱のさなかにあって馬足が弱まることはない。


「亜狄……放浪略奪種族(プランダートライブ)か!! アキラ!!」

「ナディはどこかに隠れてて。俺はちょっと行ってくる」

「ですよね!!」


 半泣きのナディを置き去りにして、アキラは手近な露店を駆け登ると鈴鳴りに繋がった屋根の上を器用に駆けていく。

 見たところ、セントールたちの狙いは食料らしい。逃げる人間は追わず、露店に残された食料を己の鞍上に載せていっている。便利な種族だ。


 そして、その中にひとり、明らかに気配の違う者がいた。

 片手に()を構えた壮年の男。略奪に加担せず、広場の中心で指揮をとっている。

 人間の見分けすらできているか怪しいアキラには、当然、セントールの顔の見分けなどつくはずがない。

 が、“十人”の特徴だけは()()()()より聞き及んでいる。

 この時期に、この街を襲うセントールの長。その特徴は――


「――“白蹄”!!」


 声と共に、アキラは屋根を蹴ってひらりと広場に降り立った。

 九(フィッツ)の間合いをとって“白蹄”の前に立ち、黄金の鞘から太刀を抜く。


「……人間か。街の者ではないな」

「アンタが強いと聞いて闘りにきた」

「ほう」


 “白蹄”は微かに片眉を跳ね上げて、アキラを見下ろした。

 意外、ではあるのだろう。

 この灰の時代(アッシュ・エイジ)においては、国軍の中にすら彼と1対1でやろうと思う者はいない。

 元来気性の荒いセントール種族は人魔戦争の折りも優秀な騎兵として戦列に馳せ参じた。

 わけても、“白蹄”の雷名は“戦巧”のワークロウと並んで魔王軍にすら鳴り響いていたほどだ。

 彼らを体よく利用し、戦後に裏切った人類がしっぺ返しを喰らうのもむべなるかな。


「ようやっと戦士が現れたか。待ちくたびれたぞ」


 ……もっとも、セントールにとっては人類が次の相手を買って出たことに感謝すらしているのだが。


「オレの獲物だ。他の者は手を出すな!!」


 “白蹄”が勇ましい声を発する。

 それを聞いて、アキラはごく僅かに微笑んだ。


「感謝する」

「なぁに、生に飽いていたのはオレも同じだ、ご同類」

「――――」


 アキラは応えを返さなかった。返す必要がなかった。

 平和な時代に居場所のない戦士たち。トロールも、ゴブリンも、ヴァンパイアすらそうだった。

 おのれは戦いの中にすら居場所がないのだと、誰に言われるまでもなく悟っていた。


「血潮を燃やせ、人間の戦士よ。セントールが長たる“白蹄”がお相手しよう」

「――来い」

「応ッ!!」


 威勢に続き、“白蹄”が上体を反らし、次いで下半身――馬体がひと回り膨れ上がった。

 馬として見れば他と一線を画すほどの巨体に搭載された筋肉がギチギチと唸りをあげる。


 次の瞬間、アキラの眼前に戈の鉤刃があった。


「ッ!!」


 間一髪、首を傾ける。前髪がちりちりと燃える。

 刃が血をまき散らしながら頬を削って抜ける。

 頬の痛みに構わず、素早く背後に振り向く。

 そのときには既に、“白蹄”は体を返して再びこちらに突撃をかけようとしている。


 ――速い、などという領域ではない。


 常人を凌駕するアキラの動体視力ですら“白蹄”の初動を捉える事ができなかった。

 断じて、馬に出せる初速ではない。草食動物である馬の体は瞬発力では肉食獣に劣る。

 基本的には、瞬発力に優れる肉食獣に対し、早期発見とスタミナでその牙を逃れるようにできているからだ。

 だが、セントールは違う。彼らは狩る側の存在だ。

 そして、その筆頭たる“白蹄”の動きは武術を修めた戦士のそれ。

 草原の支配者たる彼らの武。

 人の上体と馬の下体という異形ゆえに生まれた駿足の突撃術。


 ――人呼んで“セントール流騎芸”


 “白蹄”が再度の突進を駆ける。

 アキラは、すれ違いざまに振るわれる戈に太刀を合わせ、辛うじて死神の誘いを逃れる。

 ふたつの刃がこすれ合い、火花をあげる。

 馬首という障害物のない彼らの動きは、騎兵のそれより遥かに柔軟で、縦横無尽だ。

 事この段に至って、アキラは“白蹄”の由来を理解した。


 セントールの戦士は常にすれ違いざまに攻撃する。

 槍ではなく鎌に似たL字型の刃を持つ戈を用いているのもその為だ。

 元来は戦車(チャリオット)で用いられるその長柄武器は、突くのではなく引っかける動きで敵を狩る。

 つまりは、一切止まることなく攻撃し続けるということ。

 目にも眩しいセントールの真白い前脚の付け根はきっと血に汚れることはない。

 相手を正中線に捉えて斬ることを基本とする剣術とはまったく理合が異なっている。


 ――やり辛い、な。


 真正面に捉えようとしても、するりと左右に逃げられる。

 間合いは長柄かつ、半人半馬ゆえに頭上をとっている相手の方が広い。

 おまけに走り続ける相手に対しては速度でも負けている。


 “白蹄”の積み上げた三つの勝因。それらを崩さねば、アキラに勝機はない。


「狩られるのを待つだけか、人間!!」


 挑発の声と共に三度、“白蹄”が突進してくる。

 一度目よりも速く、二度目よりも正確に。

 明らかに、こちらの間合いを見切られている。

 きっと四度目はない。ここで勝負を決めねば死ぬ。


 ゆえに、アキラは太刀を鞘に納めた。

 迫る“白蹄”が眉を歪めるのを、研ぎ澄まされた精神が見て取った。


「受けとめる気か、人間!?」

「――来い」

「上等!!」


 直後に振るわれる戈の刃。

 アキラはそのギリギリを見切って、長柄に向かって跳び込んだ。


 衝撃。

 両の掌と両の足裏の四点で柄を捉える。

 彼我数倍の体重を乗せて放たれた一撃は全身の骨が砕けんばかりの圧力。

 それを、関節をバネのように()()()()とたわめて受けとめる。

 背骨の節のひとつひとつがしなるようにして衝撃を緩衝していく。

 優れた運動神経を以ってする極限の身体操作――異形の“無刀取り”。


 直後、振り抜かれた長柄の上に、全身をたわめたアキラが無傷で乗り上げた。

 即座に解放。受けとめた圧力を跳躍力に変換し、背面切って宙を飛ぶ。


「やるな、人間――!!」


 “白蹄”が驚愕の笑みと共に頭上を振り仰ぐ。

 追いつかれた。頭上をとられた。どちらも久しくなかった経験だ。

 この一瞬、互いの速度は同等。

 そして、疾走する“白蹄”は止まることはできず、空中にいるアキラは攻撃を避けることができない。

 ゆえに、決着は一手。先に攻撃を当てた方が勝つ。


 アキラが天地を逆しまに見るままに、腰の太刀を抜く。

 居合抜きの一太刀が“白蹄”の額を断ち割らんと迸る。

 同時に、“白蹄”は疾走のままに跳躍し、掬い上げるように戈を振り抜く。

 長柄が円弧を描き、鉤刃が吸い込まれるようにアキラの胸元に迫る。


「――シッ!!」


 交差の刹那に、斬、と風を切る音がひとつ。

 次いで、長柄を脇腹に食らったアキラが大きく吹き飛ばされた。


「ッ!!」


 意識がとびかけたのは一瞬。

 アキラは殆ど反射的に宙で体を返し、足裏で二条の轍を曳きながら着地した。


「――――」


 残心をとりつつ、少年はこふっと血煙混じりの咳をした。

 最後の一撃で左肋骨が残らず砕かれていた。いくつかは肺に刺さっているだろう。早急に治療しなければ命に関わる。

 それでも、まだ構えを解くわけにはいかなかった。


 もうもうと土煙りのあがる向こう側に、“白蹄”の姿があるからだ。


「――強いな、人間」

「……そちらも」


 称賛の声は血混じりで、互いに掠れていた。

 アキラがじっと構える中、“白蹄”はゆるりと騎首を返し、配下を率いて走り去っていく。

 少年は追わなかった。手の内にはたしかに“白蹄”の額を割った手応えがある。

 致命傷だ。相手の命に猶予は幾ばくも無い。


 だからこそ、彼の最期の疾走を止めるつもりには、なれなかった。



 ◇



 “白蹄”は生まれ育った草原を走っていた。

 意識は朦朧とし、吹きつける風の冷たさだけを感じる。

 いつしか配下も置き去りにして、ただひたすらに駆けていく。


「――――」


 おのれの中で急速に命が喪われていく感覚がある。

 だからこそ、“白蹄”は走り続けた。

 子供のように、ただ走るために走る。

 脳裡をよぎるのは燃えるような戦いの日々。

 辛く苦しく、しかし、後悔はなかった。

 末期の心にはただ、走り続ける喜びだけがある。


「……ならば、良し」


 口元に小さく笑みを浮かべ、“白蹄”は走り続ける。


 彼がどこに辿り着いたのか、知る者はいない。



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