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二戦目:vs.ゴブリン

 日差しが陰る下草の伸びた深緑の中、ナディーンは3人の男たちに取り囲まれていた。

 山賊か、でなくば奴隷狩りだろう。男たちは粗末な獣皮の鎧に、鉈と縄を手にしていた。


「チッ、メスガキが手間かけさせやがって」


 男のひとりが忌々しげに言う。ナディーンの放った火矢の魔術で腕に火傷を負った男だ。

 もっとも、その火傷はポーションを振りかけて、たちまちのうちに治ってしまったが。


「ちとまだ乳臭いな。どうする?」

「なに、そっち趣味の奴もいるし、なんだったらアジトで飼ってもいい。エルフは飯代がかからんからな」


 ナディーンは頭から爪先までを視線で嬲られ、思わず身を固くした。

 彼らの言う通り、ナディーンはエルフだ。

 人間に換算すると十二、三歳になる。外見もその程度だ。翡翠色の髪や瞳、笹穂のような耳を除けば、そこらの子供と変わりない。


「どうせすぐには売れんだろうし、少し躾けておくか」


 だが、男たちには違う見え方をしているのだろう。

 男たちは、丈の短い裾から零れたナディーンの太ももを下卑た視線で舐り、頼りない布地で隠された終点への期待で股ぐらをいきり立てている。


 少女は恐れを噛み殺して男たちは睨みつける。が、足は震え、心は既に折れかけていた。

 数年前、両親が人間に捕まってから、ナディーンは森の中でひとりで暮らし、外へ出たことがなかった。

 人間が森を開拓していることは知っていた。魔王が勇者に討たれてから、人間の勃興は凄まじいものがあると聞いてはいた。

 だが、まさかこんな森深くまで進んでいるとは思いもよらなかった。


(こんなことなら……)


 その先は続かなかった。ただ生きるだけの他には自死する選択肢しかなかったのだ。

 少女はただひたすらに無力だった。この世界で弱いことは罪だった。


「オレたちは親切だから選ばせてやる。自分で脱ぐか、脱がされるか、選べ」

「……い、いやだ」

「なに、安心しろ。すぐに自分から――」


 言いつつ、男のひとりがナディーンの腕を掴んだそのとき、近くの下草がさがさと音を立てて割れた。

 即座に男たちが警戒の視線を走らせる。森の中には時おり危険な魔物が出現するからだ。


(誰か来て――)


 果たしてひょっこりと出てきたのは、一体のゴブリンだった。

 小柄なナディーンのさらに腰くらいしかない濃緑色の矮躯、両手には尖った枝と錆びたナイフ。

 男たち以上にみすぼらしい格好をした正真正銘の最下級魔物(ゴブリン)だ。

 まさか魔物に助けを求める訳にもいかず、ナディーンの中で一瞬湧きあがった希望はたちまち萎えてしまった。


「チッ、なんでこんな深い場所にゴブリンが」

「“はぐれ”か。面倒にならんうちに片付けるぞ」


 男たちもさすがにゴブリンの前で事に及ぶほど危機感が欠如してはいなかった。

 逃げられないように三人が扇状の陣形を敷いて、徐々に包囲を狭めていく。

 対するゴブリンは黙したまま、静かに男たちを睨み上げている。


(なんだ? あのゴブリン、なにか変だ)


 異常に気付いたのは離れて見ていたナディーンだけだった。

 もっとも、そこには男たちに多少なりとも手傷を負わせてくれればという願望も多分に含まれていたが……。

 だが、少数で森の中を探索し、魔術を扱うエルフすら易々と狩れる男たちにしてみれば、ゴブリンの一体など脅威にはならない。

 ゴブリンの真骨頂は群れること、そして罠や道具作りに長けていることだ。どちらも有していない“はぐれ”にどうして警戒心を抱けようか。


 ――然して、その慢心のツケを男たちは身を以って払うことになる。


 刹那、宙を走ったのは、目を凝らさねば見えぬほどの小さな鋲だった。


「ギャアアアアアッ!?」

「あ、どうした!?」


 突如として森に悲鳴が響く。

 片目を押さえて呻く仲間に対し、男たちは慌てて視線を向けた――すなわち、ゴブリンから視線を離した。

 その一瞬で、ゴブリンの姿は掻き消えた。


「か、隠れた!?」

「どこ行きやがった!?」


 がさがさと草をかき分ける音はするものの、その発生源までは突きとめきれない。

 ゴブリンは矮躯を活かし、屈んで下草の中を移動しているのだ。

 その上でヒト種の成人男性の全速に匹敵するその速度は尋常ではない。


 ――つまりは、手練はゴブリンの方だったのだ。


 気付いた時には男たちのうち、ひとりは足首を斬られ、崩れたところで首を掻き切られた。

 さらにひとりは眼球を貫いた鋲――無論、ゴブリンが投げつけたものだ――を取り払い、ポーションをかけようとしたところで、素早く体をよじ登られ、喉奥に枝を突きこまれ、脇腹をナイフで貫かれた。

 中身の入ったままのポーション瓶が地面に落ち、破砕音と共に割れて中身を散らす。


 そうだ。ナディーンははたと気付いた。あのゴブリンは一度として声をあげなかった。

 普通のゴブリンは人間をみただけで、威嚇か、仲間を呼ぶためかで大声をあげるのだ。

 息ひとつ乱さず、冷静に男たちを狩っていく姿はそんなナディーンの知るゴブリンとは大きくかけ離れている。


「い、いったいどうなってやがる!?」


 そうして、瞬きの間にひとりきりになった男は自棄になって叫んだ。

 ただのゴブリンではないことには男も気付いているが、だからといって打つ手はなかった。


「クソが!! 出てきやがれ卑怯者!!」

「誰ガ卑怯モノダ」


 とはいえ、まさか出てくるとは思っていなかったのだろう。

 いつの間にか目の前に立っていたゴブリンをみて、男は驚いたものの、即座に手斧を振り下ろした。


「……未熟ナリ」


 呟き、直後、ゴブリンが弾けた。ナディーンにはそうとしか視えなかった。

 矢のように疾走るゴブリンは鉈を振り下ろす途上の男の股の間を潜り抜ける。矮躯のゴブリンだからこそ可能な技芸だろう。

 そして、股の間には急所がぶら下がっている。

 多くの格闘技で金的が禁止されているのは、それが有効であるからに他ならない。


 瞬間、ゴブリンは一切速度を緩めず男の股の間を潜り抜け、太ももから陰嚢にかけてを五度、斬り刻んだ。

 腕が短いということは、それだけ先端速度が速くなり、連撃に向くということ。

 それこそが、隠密、連撃、そしてあらゆる雑多な武器で急所を貫くこのゴブリンの独覚剣。


 ――名づけるならば、“ゴブリン流雑刀術”


 おそらくは幸運だったのだろう。男は……ぎりぎりで男のままだった彼は即死していた。




 男たちの死体を前にはぐれゴブリンは静かに残心をとる。その姿ひとつとっても普通の魔物ではないことがナディーンにもわかった。

 木端な雑兵ゴブリンなら嬉々として死体漁りを始めるところだろうが、そのゴブリンは刺し折れた枝の代わりに鉄串を拝借したきり、死体には触れようともしないのだ。


「ソコナ、エルフ、早ク去レ」

「……え!? ボク?」


 そのとき、ざらりとした声がナディーンの耳朶を打った。

 まさか話しかけられるとは思わず、エルフの少女は呆けた声をあげた。

 彼女が反応に困っているうちに、種族的には有り得ないほど理性的な佇まいをみせたまま、ゴブリンはもう一度声をかけた。


「邪魔ダ。早ク去レ」

「やっぱり喋ってる!? じゃなくて、邪魔ってなにが――」


「――余計な気遣いだぜ」

「!?」


 聞こえてきた人間の声にナディーンは反射的に振り向いていた。

 二度目の乱入者は少年だった。甚平にズボンと編み上げのブーツ。腰に一刀佩いただけの軽装。

 さっぱりした雰囲気のする少年だ。だが、微かに血の匂いがすることをナディーンは嗅ぎつけた。人間の血の匂いだ。


「とりあえず目についたのは斬っておいた。これで邪魔は入らないだろう」

「……フン」


 ちらりと少年の視線がナディーンに向けられた。

 殺気もなにもない透明な視線だが、それでもナディーンの心臓は一瞬止まった。

 ただの視線を受けて「死んだ」と肉体が錯覚したのだ。


「エルフか。はじめてみたな」

「ッ!! ハッ、ハッ、ハッ――」


 呟くような声。次いで、視線が外され、金縛りが解ける。

 ナディーンは薄い胸を押さえ、いつの間にか止めていた呼吸を再開した。


「ボ、ボクは……」

「まあいっか。……俺がアンタ以外に気をとられて腑抜けると思ってるのか? それは侮辱だぞ」

「……イイダロウ」

「ちょっと、あんたら何を言って……?」


 それだけで二人の間でなんらかの了解がなされたのか。

 それ以上の言葉はなく、ふたりは向かい合ったままじりじりと間合いを取った。

 状況に置いて行かれたナディーンでもわかる。これは決闘の前準備だ。


「そこのエルフ、五歩下がって」

「は? え、えっと?」

「五歩」

「あっ、ハイ」


 背を向けたままの少年の声は、先の男たちと比べれば別種族かと思うほど穏やかだ。

 なのに、その内に言い知れぬ圧力を感じて、ナディーンは本能的に指示に従ってしまった。


 そして、次の瞬間、少女は少年の忠告の意味を理解した。


「ゲオオオオオオッ!!」


 烈しい呼気と共にゴブリンの姿が爆発し、霧消する。

 先と同じく、屈んで下草に隠れたまま走る独特の走法だ。

 しかし、速度があまりに違う。

 先のがヒト種の全速力なら、これは豹やそれに類する魔物の速度だ。

 この瞬間まで本気ではなかったのだ。その事実にナディーンは恐怖した。


 ゴブリンは成人しても他種族の子供ほどの体躯しか持たない。内実もまた然り。

 それ故に、どれだけ鍛えてもリーチ、筋力、魔力その他全てが貧弱のそしりを免れえない。

 だからこそゴブリンは群れる。巣を張り、数を増やし、道具を持つ。そこまでして初めて生存競争に参加できる。

 ――そんなナディーンの常識は目の前のゴブリンによって粉々に打ち砕かれた。


 既にナディーンの五感ではゴブリンを捉えられない。

 種族的に優れる筈のエルフの目が、ゴブリンの動きを捉えられないのだ。

 だが、先の少年の忠告の意味は理解できた。

 ゴブリンの隠密疾走はナディーンの目の前を通り過ぎることはあっても触れることはない。

 五歩だ。五歩下がったからだ。

 つまり、少年はゴブリンの機動力を既に見切っていたのだ。

 勝負の天秤は未だどちらにも傾いていない。


「――ギシャアアアアア!!」


 縦横無尽に走るゴブリンは剣も抜かずに佇む少年の視覚を誘導しつつ、死角から襲いかかった。

 否、視覚で捉えていたからといって迎撃できるものなのか。

 真後ろや真下。人体には構造上、絶対に対応できない位置というものがある。

 そこから急所に向けて錆びた短刀が突き刺さる――直前、少年の身がふわりと浮きあがった。


 前動作のない膝から下だけを用いた跳躍。しかし、垂直に三(フィッツ)近く跳ぶ姿は異様の一言に尽きる。

 ゴブリンの必殺の攻撃が空を切る。

 だが、連撃こそがゴブリン流雑刀術の理合。そして、ゴブリンの敵にはハーピーのような有翼種族も存在する。


「キェアッ!!」


 気炎を上げ、ゴブリンは上体を跳ね上げる。

 溜めていた膝を勢いよく解放し、自らを打ち上げ、矢の如く宙を翔ける。

 狙いは少年の背、中心から左下にずれた位置。

 脾臓の存在は知らずとも、そこを刺せばニンゲンが動けなくなることを彼は経験として知っている。


 しかし、ゴブリンはひとつ見落としていた。

 ゴブリン流雑刀術に対空技があるように、少年の剣術には背後への備えがあったのだ。


「……ギ、ゴ」


 気付いた時には既に、その喉に黄金造りの鞘の先端、“鐺”(こじり)が突き刺さっていた。

 ゴリ、と音立てて舌骨が砕かれ、息が詰まる。

 マズイ、と本能が警鐘を鳴らしていた。

 ゴブリンは知っていた。

 居合という言葉はわからずとも、腰の剣を抜くには鞘ごと左手を背後に引かねばならないと知っていた。


 そして今、目の前の剣は鞘を目一杯背後に引いている。

 ならば、次に来るのは――


 反射的に右の短刀を掲げて首を守る。

 直後、示し合わせたように銀閃の一刀が短刀にぶつかり、火花を上げた。


 “止メタ!”


 ゴブリンがそう確信した瞬間、短刀に触れた筈の一刀がずるり、とブレた。


「!?」


 秒を刻んだ世界で、ゴブリンは有り得ないものを見ていた。

 防いだはずの刀身が波打って防御をすり抜けたのだ。

 無論、鋼鉄の太刀が波打つ筈がない。それはひとえに少年の技量によって成された業に他ならない。

 致死の剣速を絶妙な握りの柔らかさで制御し、柔軟な手首の返しが波打つ小波を描く。

 剛と柔の絶妙な均衡の上に立つ、まさしく絶技。



 ――ムラカミ流刀争術、初ノ太刀“波濤返し”



 滑るような軌道を描く閃光が走る。

 防御を抜き、顎下から逆袈裟に斬り上げられる一撃を受ける、束の間。

 特異なるゴブリンはある種の感動を抱いていた。

 先の一瞬、この少年は自分が一撃を防ぐと確信していたのだ。

 信頼といってもいい。防がれるとわかった上で、この細波のような連斬の業を紡いだのだ。


 思えば、小兵と侮られ続けた一生だった。

 ゴブリンには長すぎる一生。魔王の配下として各地を転戦し続けた。

 戦後も巣も作らず、ひたすらに技を磨き、体を鍛えて尚、ゴブリンだと侮られ、容赦なくその油断を衝いて勝ち続けてきた。

 勝ちは勝ちだ。そこに後悔はない。

 だが、今、自分は対等の相手と認められている。それがなによりも嬉しかった。

 そして、ゴブリンの意識は途切れた。




 次に気が付いたとき、ゴブリンは草の上に倒れていた。

 気を失っていたのは数秒だろう。少年は三歩離れて残心をとっている。

 何か言うべきかと思い悩み、ゴブリンはひとつの心残りに気付いた。


「……ァ、ァ、ェ」


 喉から掠れた音が漏れる。傍から聞いても、それが言葉であるとは容易に判別できないだろう。

 舌骨を砕かれた程度でなんたる無様か。ゴブリンは自らを恥じた。これでは苦心して学んだ人語も意味がないではないか、と。

 しかし――


「――ムラカミ流刀争術、村上アキラ」


 薄れゆく意識に一滴の清水が沁み込んでいく。

 ゴブリンの末期の願いは果たされた。それで悔いはなくなった。


 春風が木立を揺らして吹きぬける。

 眠るように矮躯の古兵は死んだ。

 その顔にはどこか満足気な笑みが浮かんでいた。



 ◇



 点々と草を踏む大きさの異なる足跡がふたつ。

 片方はアキラと名乗った黄金造りの太刀佩く少年。

 もう片方はエルフのナディーンのものだった。

 アキラが足を止めると、ナディーンもまた足を止める。


「なんでついてくるの?」

「……他に行くところがない。森にいてもまたニンゲンに捕まる」

「だからといって人間の街に来たら本末転倒じゃないのか?」

「ひとりなら、そうだけど……」


 言い淀むナディーンを見て、アキラは顔を顰めた。

 知人のひとりもいないこの世界。自分の知らないところで誰が死んでも気にも留めないが、さすがに目の前で野垂れ死ぬとなると寝覚めが悪い。


「名前なんだっけ?」

「今更だよそれ。ボクはナディーン。呼びにくかったらナディでいいよ」

「……ナディ、荷物持ちとして君を雇う。けど、俺は君を助けないし、君はいつでも逃げて構わない。それでもいいなら好きにして」

「わ、わかった」


 ナディーンはこくこくと頷いた。

 ひどいようにも思えるが、おそらく亜人の扱いとしてはマシな部類だろう。

 エルフとはいえ、身元の不明な浮浪児に付き纏われて迷惑でない筈がないのだ。普通なら問答無用で奴隷商に叩き売られているところだ。


「アキラはどうしてそんなに強いの?」

「稽古だ」

「稽古したらボクも強くなれる?」

「なれる。人の4倍稽古して強くならない奴はいない」

「4倍稽古したらアキラより強くなれる?」

「その時は戦って決めよう」

「嫌だよ!?」


 なんだかんだと言い合いながらふたりは森を抜けていく。

 ナディーンは次の目的地を尋ねなかった。

 訊かなくても、わかったからだ。


 きっと、この異国風の少年は戦いを求めているのだ。

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